第五話 突然の訪問者
結局、それ以上ミーチェを追いかけることはできずに、ナズナはシアンと共に自室に戻ることになった。
心配してくれたシアンがハーブティーを淹れようとしてくれたが、それを断って一人ベッドに沈む。
白い枕に顔を埋めながら考えてしまうのは、やはりミーチェの言葉だ。それから、町に現れた魔物と、リートスの安否。だがそれを誰かに聞きに行く気力は、ナズナにはなかった。自己嫌悪に沈んだ胸の奥は、なかなか持ち上げることができない。ぼんやりと、魔物退治に向かった二人のことを考える。
(そういえばわたし、魔物のことなんにも知らないな……)
頭の中で魔物と戦うミーチェとネージュを想像しようとして、ナズナは魔物の姿形がわからないことに気が付いた。
クレイス家が魔物退治をしていることは知っていた。けれど、その魔物という生物のことは詳しく聞いて来なかった。魔物に関する書物も、図書室には置いていない。
幼い頃はあまり気にならなかった。魔物は怖いものだ、と聞かされたことがあったからかもしれない。怖いものには触れたくなかった。
けれど、今は違う。クレイス家の一員として、国を脅かす怖いものについても知りたいと思った。
(フォル様なら、教えてくれるかな)
クレイス家当主フォルクス。彼であれば、魔物について詳しいだろう。執事長ルナールとは違い、フォルクスはナズナに優しかった。訪ねれば教えてくれる可能性は十分にある。
ただ一つだけ問題なのは、彼は不治の病を抱えているということだ。生まれつきの病気らしく、ナズナが洋館に来たときから、フォルクスは身体を悪くしないようにと部屋に籠っていた。たまに図書室に入り浸ったり、外へ出かけてルナールを困らせているのだが……最近はその回数が減っていた。あまり体調がよくないのかもしれない。
(今は具合、悪いかな……。フォル様の病気とかも、わたしの魔法で治せたらいいんだけど……治癒魔法は、むずかしい)
棚に置いた、名もわからない花を見つめながら息を吐く。
ナズナには月神と同じ魔力が備わってはいたが、使いこなすための知識と経験がなかった。
もっと勉強したら、フォルクスの病気を治せるだろうか。もっと強い魔法を使えたら、皆に認めてもらえるだろうか。でもそうなったとき、果たして自分はまだ、この洋館にいるのだろうか――
――ガチャ、と。
唐突に、ドアノブを回す音がナズナの耳に入った。
「フォル様……?」
ナズナはそちらに目をやりながら、ぽろりと、今思い浮かべていた人物の名を呼んだ。
それは願いだったのかもしれない。彼が訪れてくれたら、という。
だが予想は外れ、入ってきたのは――知らない青年だった。
「……!」
ナズナは息を呑んだ。けれどそれは警戒したからではない。現れた青年の容姿が、あまりにも綺麗だったからだ。
初めに、冬の月のように煌めいた銀色の髪が目に入った。その前髪の下に見えるは、ガラス細工みたいに透き通った青色の瞳。肌は白く、整った鼻と柔らかな眉が、一瞬女性に見間違えるほどの繊細な印象を与えている。だがそんな儚さとは対照的に、耳には宝石のピアスがつけられており、さらに髪の左サイドにはチェッカークッキー型のヘアピンが差してあった。
美しく、かっこよく、そして可愛いところがある。そんな感想を、ナズナは抱いた。年齢はナズナよりも年上、二十代前半と思われるが……。
「だれ……?」
熱に浮かれたように、ナズナは問う。
青年は、何故か驚いた様子で、観察するかのようにナズナを見つめていた。
時が止まったかのように、二人はしばし見つめ合う――しかし、不意にナズナの瞳が魔力の粒子を捉えた。
「あ……」
『月の子』故、だろうか。ナズナは初めて魔法を使ったときから、魔法使いが身に纏う魔力を色として目視することができた。
つまり、それが見えたということは、彼は魔法使いであるということで。
ぼんやりとしていた意識は一気に覚醒した。
(魔法使い……魔法使いの、侵入者――!?)
知らない魔法使いが、ナズナの部屋を訪れるわけがないと脳が告げた。
ナズナはルナールから、魔法使い、人間の中には、時折領主を狙う悪い輩がいると教えられていた。
彼の傍に、メイドや使用人の姿はない。彼は単独で、この部屋を訪れている――
(誰か、呼ばなきゃ……!)
もしも侵入者を見かけたら、すぐに誰かに知らせなさい――ルナールの言葉を思い出し、反射的に立ち上がった。息を吸うと同時に、ナズナはベッドのヘッドボードへと手を伸ばす。そこには、雷の魔石で造られたベルが置いてあった。何かあったとき、これで誰かに連絡するよう言われていた。魔力を流すと、洋館中に響くほどの音が鳴る。今までに使ったことはない。
「っ!」
しかし、青年はその行動を見逃さなかった。
焦ったように走り出すと、彼は強くナズナの腕を掴んだ。
「待って、鳴らさないで!」
「離して!」
恐怖に悲鳴が上がった。先ほど、ミーチェに脅された影響もあったのかもしれない。
怖い、逃げなきゃ――掴まれた手を振り払おうとする。目の前で、青年の手がナズナのもう一つの腕を掴もうとする。
「いや――!」
咄嗟にナズナは開いた手の平を青年に翳した。
「っ……!?」
眩い光が迸る――ナズナの手から放たれたのは、月神の魔力を纏った、風の魔法だった。
恐怖と混乱の中で使った魔法は、容易にコントロールできるものではなかった。それは強力な風を巻き上げ、青年に襲い掛かる。
「ぐっ……!」
青年は防御魔法を発動させる間もなく、ナズナの魔法を直に食らった。
壁に叩きつけられる細身の身体。青年の口からうめき声が漏れ、髪から外れたクッキーのヘアピンが床に転がり落ちる。
青年は痛みに顔を歪めながらヘアピンへと手を伸ばしたが、その指が触れる前に、意識を失ってうつ伏せに倒れ伏した。
「はあ、はあ……」
青年の手から逃れたナズナは、ベッドの上で自分自身を抱いた。息を切らしながら触られた手首を摩り、動かなくなった青年をじっと見つめる。起き上がって来ないことを確認すると、思わず呟いた。
「やった……」
零れた声は、好奇に彩られていた。
こんなにも強い魔法が使えたのか――いまだに残る魔力の残滓を目にし、ナズナは身体を震わせた。
今みたいに、誰かに攻撃を仕掛けるのは初めてだった。けれど、咄嗟とはいえ自身を守ることができた。そのことに嬉しくなる。
「わたしだって、戦えるんだから……」
言葉にすると、自分の魔法に自信がついた。
後でこのことをミーチェたちに話そう。
落ち着きを取り戻してから、ナズナはベッドから降りる。まだ少し足は震えていたが、冷静な頭はここにはいられないと告げていた。
「早く、この人のことをルナール様たちに伝えないと……」
倒れた青年を避けるようにしながら、部屋から出るため扉へと駆けた。ドアノブを握り、一度青年を振り返る。
(起きて来ないよね……うん、大丈夫。でも、怖かったな……魔物相手はもっと怖いのかもしれないけど)
しかしこの青年は、一体何をしにナズナの部屋を訪れたのだろう。ナズナは首を傾げながら、改めて青年を見つめた。
(綺麗な人だけど……死んでは、ないよね? 大丈夫だよね?)
ピクリとも動かない様子に、ナズナは急に不安になった。息を確かめようと、少しだけ近づく。そうっと、音を立てないように。
そのときだ。青年の周りに、何かが転がっていることに気が付いた。絨毯の上、小さな茶色いものが転々と落ちている。
不思議に思ってそれを凝視したナズナは、驚きに目を見開いた。
「これって……」
それは、綿のついた小さな種だった。
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