第三話 家族になりたい

 ナズナの部屋には、花がたくさん飾られている。

 赤、黄色、白、橙、紫、ピンク。カラフルな花を見ていると、心が落ち着く。ナズナは幼い頃から花が好きだった。

 その花たちに混ぜるように、ナズナは外から舞い込んできた綿の種を空いている植木鉢の土に埋えた。

 綿は取っていいかわからなかったから、そのままで。

 こうしていると、昔のことを思い出す。

 まだこの洋館に来る前のことだ。

 ナズナは〈ネムの木〉という名の宿屋に住んでいた。両親が宿屋を経営していたのだ。

 父が人が好きで、母が花を好んでいた。ナズナはよく、母と共に花を選び、宿屋の庭や部屋に飾っていた。

 その時の癖が残っているのだろう。両親と別れても、もう何年も顔を見られなくても、花だけはナズナの傍にあった。


「きみたちだけだよ、わたしの近くにいてくれるのは。みんな、遠くにいっちゃうんだ」


 子どもの頃は、今よりももっと洋館のみんなと距離が近かった気がする。

 花々に声をかけながら、ナズナはそんなことを考えた。

 洋館の者は、先ほどのネージュやシアンのように、『月の子』であるナズナと距離を置こうとする。必要以上に関わろうとしない。けれど、最初の頃はそうではなかった。

 ナズナがこの洋館に来たばかりの頃、大人たちは洋館内の雰囲気に慣れてもらうため、そして幼き心をこれ以上傷つけないために、ナズナに様々なものを用意し、遊びを教え、そばにいてくれた。

 というのも、その頃のナズナの精神は、今思い返すと苦笑してしまうくらいにひどいものだった。


 当時、ナズナはまだ七歳。学校に入りたてだった。

 ジュピター地方に住む魔法使いの子どもは、七歳になる年の九月、魔法学校に入学する。十二歳までは人間と同じように言語の読み書き、数学、歴史、地理、道徳などを習い、十三になる年から本格的に魔法関連の授業を行う。

 ナズナはそのとき、学校ではもちろん、家でもまだ魔法を教わってはいなかった。両親は教えてくれなかったのだ。けれどナズナは、魔法を使うことができた。

 気づいたのは、友達――現在も手紙のやり取りをしているキャシーのことだ――と遊んでいたときだった。

 水を飲みたい、と言ったキャシーのために、何気なく水を出したいと思った瞬間、お椀型にした両手に水が溜まった。透き通った青い粒子が目に見えた。それが、ナズナが使った最初の魔法であり、初めて見た魔力だった。

 魔法は通常、杖と詠唱を必要とする。しかしナズナは無詠唱のうえ、杖ではなく手から魔法を生み出していた。

 けれど知識のないナズナは、それが特別なことだとは思わなかった。魔法を使えたことに興奮し、キャシーと共に魔法で遊びだしてしまった。

 そして、事件は起きる。


「なんであんな魔法、使っちゃったかなあ」


 あのときのように手から水を発し、植木鉢の土に注ぐ。今では難なく使える初級の魔法。けれど幼いナズナは、まだうまく操ることができなかった。

 ――火を、作ったのだ。

 その日は真冬で、雪が降っていた。寒いと言ったキャシーのために、今度は蝋燭に灯すくらいの小さな火を生み出した。

 そしてそれは唐突に、暴走した。

 魔力の注ぎすぎだった。だがナズナにはそれがわからない。爆発した炎の渦は、ナズナとキャシーを襲った。二人を燃やし、周りを赤に染め上げた。

 そこからの記憶は曖昧で、気づけば炎は消し止められ、ナズナは両親の腕に抱かれていた。目の前には大火傷を負い、ぐったりとしたキャシー。一方ナズナには目立った怪我がなくて、心だけがショックに打ちひしがれた。

 だが、災難はそれで終わらない。

 ナズナの魔法には、月神の魔力が込められている。それは『月の子』だけが持つ特別な力。

 つまりナズナは、魔法を暴走させたことによって、自分自身が『月の子』だと周りに知らせてしまったのだ。

 そして――事件を聞きつけたクレイス家が、ナズナの家を訪ねるのに、そう時間はかからなかった。

 やってきたのは執事長ルナールだった。彼は訪れるなり、ナズナは『月の子』であると告げ、両親を咎めるようにしてナズナを宿屋から引き離した。

 ナズナが心を閉ざしてしまったのは、それが原因だ。

 魔法の暴走、友達の怪我、そして両親との決別。それらの連鎖はナズナが自身の中に閉じこもるには十分な理由で、ナズナは毎日のように泣き、誰も彼もを拒絶した。

 そのとき、ナズナはこうも思っていた――自分は悪いことをしたのだと。『月の子』のことはよくわからなかったけれど、月神様にもらった魔法の力で過ちを犯したのは、幼いながらに感じ取っていた。だから両親にさえも、見捨てられたのだと。

 今ではそんなことはないと、知っている。けれど強い悲しみがナズナの胸を占めていたのも事実。そうとしか考えられなかったのだ。

 でも、それを救ってくれたのもまた、クレイス家で。

 とある言葉を思い出す。


「……月神様はそんなことでは怒らない。両親は、わたしを捨てたわけじゃない。ただ、わたしを守りたかっただけ……」

「おや。まだ覚えていてくれたのかい?」


 不意に声をかけられ、ナズナは植木鉢から顔を上げた。

 いつの間にか部屋の扉が開き、男性が顔を覗かせていた。落ち着きのある低音でゆったりと喋るこの人物は、ナズナの世話と教育係を務める、リートス・モラレスだ。

 肩の上辺りで揃えられた黒の短髪に、茶色の垂れ目はずっと変わらない。常に微笑みを浮かべている彼は、出会ったときからナズナの味方であり、困った顔は見せるものの、怒ることは一度もなかった。先ほどの言葉も、彼からもらったものだ。


「リートス、いらっしゃい」


 迎え入れるようにそう言うと、彼はゆっくりと部屋に入って来た。いつもの使用人服を着て、手に刺繍道具を持っている様子から、午前中の授業を担当しに来たのだろう。


「懐かしいね。君が洋館に来たばかりの頃、よくそうして花を植えながら話していたものだね」


 入ってきたリートスは、ナズナの手元を見て微笑んだ。目の下に皺が寄る。それを見ると、リートスは歳を取ったなと思ってしまう。

 けれどナズナにとって、あのときの出来事はそう遠い過去のものではない。


「リートスに言われたことはずっと覚えているよ。リートスのおかげでわたし、お母さんたちを嫌いにならなかった」

「そうかい。君の心を支えられたのなら、何よりだよ」

「うん……ねえ、リートス。わたしね、リートスやみんなが、小さい頃のわたしに優しくしてくれたこと、すごく感謝してるの。だからここでも楽しく過ごせてるわけだし。みんなに恩返しがしたいんだ、みんなの家族として。でもね、そうすると、なんでか距離が遠ざかっていっちゃうの……」


 気づけばナズナは、胸の内をリートスに吐露していた。世話係として、よく話を聞いてくれていたからかもしれない。

 幼い頃は、ミーチェもネージュもシアンも、ナズナと共に遊んでくれた。庭で花を育て、鍛錬はできなかったものの、危険ではない魔法は見せてもらっていた。しかし現在は、先ほどのように危険だと遠ざけられてしまう。

 そうやって除け者のように扱われるのは、ナズナは嫌だった。自分も、ネージュには遠く及ばないけれど、魔法を操れるようになってきた。成長して、クレイス家の仕事のこと――魔物退治や魔法事件の調査など――も知りたいと思っている。だから外に出られなくても、せめて仕事の話に混ざり、協力したいと思っていた。

 それなのに。それすら、ナズナには許されない。どんなに懇願しても、駄目だった。ナズナ自身もナズナの力も、認めてはもらえない。


「ねえリートス。わたしはみんなの、家族にはなれないの……?」


 『月の子』という役目は、永遠に孤独でいなくてはいけないのだろうか。

 リートスは、刺繍針と糸を取り出しながら、ナズナの話を聞いていた。そっとナズナに手渡し、自分も針と刺繍枠を手にする。

 手元を動かしながら、彼はそんなことないよ、と優しく言葉を落とした。


「きっとみんな、家族だと思ってる。けれど、フォルクス様たちは君の家族である前に領主なんだ。それはわかるかい?」

「うん……」

「この国の領主はね、一番に『月の子』の話を聞くんだ。『月の子』は命が短い。早くて三十年で、代替わりが来てしまう。領主はそのたびに、新たな『月の子』を探し、保護する。保護した領主は、『月の子』を代替わりさせるまで育てなくてはならない。いずれ別れが来ることがわかっている中で」

「……別れ」

「うん。君はいずれ、国の女王となる。そして三十年ほど命を捧げ、その役目を次の『月の子』に手渡し、月神様の元に還る。その決まりを知っている上で、君と普通に過ごすことは、なかなか難しいものだよ」

「そう、なのかな」


 眉を寄せ、ナズナは首を傾げる。無意識に手元を刺繍枠に針を通した。

 リートスの言うように、『月の子』として生まれた子は、この国の王となるのが決まりとなっていた。

 初代『月の子』が王として君臨したのが、その始まりである。そして現在の国王――名をデュオ・ユディルという――の命はもうすぐ尽きようとしていた。彼の命――魔力が尽きる日が、ナズナが女王となる日である。

 そうなったとき、ナズナはここを離れ、七つの地方のうちの一つ、最北にあるコズモス地方に行かなくてはならない。コズモス地方に建てられた、ユディル城という城に移住し、そこで一生を過ごすことになる。

 ナズナだけでなく、領主なら誰もが知っている話だ。当然、ナズナの周りの者もそれを知りながらナズナをここまで育ててきた。リートスはそのことを言っているのだろう。


「それに、ナズナさんは少し特殊だからね」

「特殊?」

「うん。本来なら、『月の子』は生まれた時にわかるものなんだ。髪と瞳が、月色に光るからね。そして気づいた両親は、すぐに『月の子』が産まれたと領主に知らせ、赤子のうちに預けなければならない。けれど、ナズナさんは七歳までご両親と過ごしてきた。フォルクス様たちは、君をご両親から引き離さなければならなかった」


 ――生まれ出でた子の双眸と毛髪に、月の輝きを認めた時、両親はその地方の領主に知らせに行かなければならない。

 この国のしきたりだ。けれどナズナの両親はあろうことか、産まれた子が『月の子』であると領主に告げなかった。

 それもあり、もともと領主の手で育てられるはずだったナズナは、物心ついた後でクレイス家に来ることになった。

 現国王の命が削られていくなか、フォルクスとルナールは必死で生まれているはずの『月の子』を探したらしい。

 クレイス家だけでない。各地方の領主が国王の通達を受け、町の衛兵や騎士、警察を使って情報収集を行なっていた。生まれたばかりの子どもの両親の元へ赴き、手当たり次第に『月の子』を探していった。

 『月の子』は月神に選ばれ、その魔力を授かる子だ。それは血の繋がりから誕生するものではなく、また生まれる年も不規則だった。三十年に一度かと思いきや、四十年間生まれなかった代もある――そのため、隠されてしまっては見つけ出すのは困難であり、ナズナを発見したのはほとんど奇跡に近いのだと、リートスは説明した。

 手元でピンクの針が布を通っていく。


「そういう様々な事情があって、フォルクス様たちはナズナさんを慎重に扱ってしまうんだよ。接し方がわからないっていうのも、あるのかもしれないけどね」

「そう、だったんだ……」

「うん。最初はフォルクス様もルナールさんも悩んでいたものだよ。ナズナさんに嫌われてしまったのではないかとね」

「え? ルナール様も?」

「そうだよ。ナズナさん、ルナールさんのことは特に苦手だっただろう?」


 言われて、ナズナは声を詰まらせた。

 確かに、今でも苦手意識は持っている。口はうるさいし、マナーには厳しいし、何よりナズナに『月の子』だという真実を伝えてきたからだ。七歳のときと、十になったときにも改めて。いくらなんでも受け止めきれないと文句を言いたくなる。

 でも、彼もまた悩んでいたのかと思うと、なんだか複雑な気分になった。

 ナズナが距離を置かれて寂しいと感じるように、ルナールや他のみんなもまた、ナズナとの距離感を決めかねているのだろうか。『月の子』であるナズナに。


(そんなことは気にしなくていいのに)


 刺繍枠を握り、ナズナは口を尖らせた。

 いずれ別れは来る。だからこそ、ナズナはこの家で思い出を作りたかった。死ぬ間際まで楽しい日々を思い返せるように、ナズナ自身を見てほしい。その思い出があれば、この運命にも向き合えるような気がするから。

 そういった想いを伝えると、リートスは目を見開き、目元の皺をさらに深めて笑った。


「そうか。ナズナさんは強いね」

「え、そうかな? そんなこと、ないと思うけど」

「いや、強いよ。僕も含めて、そう考えられる人は少ない」


 だからこそ、みんなは思い切って距離を縮められないのだと思う――小さな声でそう言うと、リートスはナズナの頭を撫でた。その手元では、いつの間にか刺繍が完成していた。


「ほら、できたよ。なんだと思う?」

「わ、小鳥だ! リートス上手!」

「ナズナさんはバラだね。ピンクが好きなのかな」

「えっ? うわ、わたしのも完成してる」

「ふふ。少しは発散できたかな。次は時間のかかるものを作ってみようか。話ならいくらでも聞くから」

「うんっ」


 頷いて、ナズナは新しい布を刺繍枠に挟んだ。気づけば窓の外も晴れ、月の光が差し込み始めていた。

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