第二話 舞い込んだ種

 図書室から廊下に出ると、ナズナは廊下を右へと進んだ。突き当たりを今度は左に曲がり、まっすぐ歩く。すると、広いエントランスが見えてくる。

 出入り口の扉から階段上まで、赤い絨毯が敷かれたエントランスは吹き抜けになっており、二階を見上げることができた。

 吹き抜けを二階、一階と照らすのは、天井からつり下がった大きなシャンデリアだ。蝋燭ではなく、光の魔石――自然から取れる、魔力を宿した石のこと――を使ったそれは眩しいくらいに明るい。魔法を使うことで点灯、消灯できるだけでなく、明るさも調整できるその魔石は、魔法使いの間では重宝されていた。

 エントランスに人の姿はなかった。メイドが朝一で掃除を行っているためか、埃一つ見当たらない。

 ナズナは食堂に行く前に、エントランスの絨毯の上に立った。二階の窓を見上げる。

 階段の向かいにある窓は、空を見上げられるほど広く高い。朝の月の光が差し込むそれは、礼拝のために作られていた。この国の人々は、月神を信仰し、毎朝月に向かって礼拝する習慣がある。

 ナズナも例外でなく、両手を胸の前に合わせると、月を見上げ――今日はあいにくの雨のため、その姿を見ることはできないが――祈りを捧げた。

 それからくるりと踵を返し、階段横の食堂の扉を開いた。

 中に入ると、パンの香ばしい香りが鼻をついた。

 食堂にも赤い絨毯が敷かれ、中央に置かれた食堂机の上には、いくつかの燭台が並べられている。

 ナズナは奥から二番目の自分の席に着こうとして、先に朝食を食べている少年に気が付いた。


「ネジェ! おはよう!」


 座っていたのは、共にこの洋館で暮らしている幼馴染――ネージュ・ラパンだった。

 真っ白な髪に、椿のような深みのある赤眼を持つネージュは領主の息子だ。癖のある髪はいくらか外に跳ねていて、相変わらず背丈に合わないぶかぶかの黒のローブを羽織っている。

 生まれ年はナズナと同じだが、誕生日が来ていないためまだ十六歳。身長も顔つきも子供らしさが残っている。が、口と魔法の扱いは大人に負けておらず、魔法学校でも周りから恐れられている存在であった。もっとも、ナズナは学校に通っていないため、外での彼の様子は知らないのだが。


「ナズナ、おはよう」


 ネージュはフォークを持たない左手をひらりと振り、ナズナを迎えてくれた。ナズナは彼の隣に腰を下ろす。


「ネジェ、今日は早いんだね。登校までまだ時間があるんじゃない?」

「ああ、ルナールに先に済ませろって言われてな。この後鍛錬してから出る予定だ」

「魔法の鍛錬? わたしも一緒に行っていい?」

「おれはいいが、今日は客人の日だろう? 部屋にいなくていいのかい?」

「大丈夫だよ。お客さんの訪問は九時だから。九時までに部屋に戻ってればいいんでしょ?」


 確認を取るように、ナズナは朝食を運んできたメイド長を見た。


「おはようございます、ナズナ様」


 落ち着いた抑揚のない声で頭を下げたメイド長は、名をシアン・キャンベルと言う。執事長ルナールの妹であり、彼と同じクリーム色の髪と琥珀色の瞳を持っていた。

 客人が来る日、メイド長はナズナのお目付け役となる。


「九時まででしたら構いませんよ。ただ、私もご一緒させていただくことになるかと」

「いいよ、それでも」


 予想通りの言葉に、ナズナは頷いた。

 シアン一人来るくらいなら、ネージュの邪魔にはならないだろう。

 二人の承諾を貰うと、ナズナは出されたトーストを頬張った。特産の蜂蜜がふんだんにかけられたトーストは甘く、添えられたデイジーの香りをほんのりと纏っていた。


 朝食を済ませた後、ナズナはネージュと共に食堂を後にした。

 ネージュが主に鍛錬を行なっている場所は二箇所ある。

 一つ目は庭だ。クレイス家の庭はナズナの部屋以上に広く、魔法を使っても問題ないよう、洋館の壁と洋館を囲う塀に結界が張ってあった。屋根がないため雨の日は使いにくいが、その時の自然――天候や足場の悪さなど――を利用した訓練を行うことができる。

 二つ目は地下だ。地下は一階と二階があり、一階が訓練場となっている。ここはネージュ以外の者も使っており、ナズナが見た限りではミーチェと彼女の兄、ロッシュが利用していた。二人は使用人であると同時に、洋館の警護も任されている魔法使いであった。

 ジュピター地方は治安がいいところではあるが、盗賊やならず者がいないわけではない。最近では魔物――魔法を使う凶暴生物――が町を襲うことも増えていたため、クレイス家の魔法使いたちは日々鍛錬を行っていた。

 今日は朝から雨が降っているため、当然のようにネージュは地下の訓練場に向かった。

 階段を降りると、ネージュは魔法の杖を取り出し、天井に嵌め込まれた光の魔石に魔法で灯りをつけた。

 訓練場には何も置かれていなかった。高い天井と、魔法で強化された壁に囲まれているのみ。それもそのはず。使うものは魔法だけだ。武器も防具も、全て魔法で用意する。

 ネージュは訓練場の中央に立つと、手にした杖を一振り。


「カロット!」


 彼の詠唱である。

 言葉を受け、杖は大剣へと変化する。

 カロットと名付けた大剣を構えると、ネージュはさっそく目の前に敵を想定して動き始めた。


「はっ!」


 駆け出し、大剣を斜め上から降り下ろす。相手が避け、突撃してきたところを跳躍して躱し、壁へと足をつける。かと思えば大剣を脇に抱えるようにして、刺突。床に着地と同時に身体を捻り、今度は得物を大きく薙いだ。ブン、という音とともに、風が入り口付近にいるナズナのところまで届く。

 この剣技を教えたのは、クレイス家当主、フォルクス・クレイスだ。

 幼い頃から、よくネージュは当主と鍛錬をしていた。当主はネージュにとって、父というよりは恩人に近く、剣の師であった。というのも、ネージュはもともとはこの洋館の子ではなかった。

 拾われたんだ、とネージュは言った。

 まだ五歳の頃。彼は両親を亡くし、居場所を失っていたところ、フォルクスに出会った。姓がラパンなのは、それが理由だ。

 フォルクスは、拾ったネージュを本当の息子のように可愛がり、育ててくれた。孤独で、生きる目的を失っていたネージュに、剣と魔法を与えた。そしてこれはナズナは知らないことだが、フォルクスはネージュに、両親の仇討ちという道を示してくれた。ネージュの両親は殺されていたのだ。その仇打ちは、空っぽだったネージュの世界に、色を与えた。

 だからこそ、ネージュはこの家のために尽くそうとしている。教わった剣と魔法を極め、魔物退治という仕事に進んで参加し、更に強くなりたいと願っている。

 魔法は、願いや想いが強いほど威力が増す。ナズナから見ても、ネージュの放つ魔法は洗練されたものだった。

 けれど、ネージュは満足できなかったらしい。一旦魔法を止めると、うーん、と首を傾げた。


「やっぱり相手がいないとなあ」

「それならわたしがやろっか?」


 ネージュの呟きに、ナズナはすぐさま反応した。駆け寄り、右手を上げる。淡い光がその手から現れ、光――魔力は杖を形作った。


「きみが?」

「うん。最近実践魔法を習っててね、戦うための魔法だって使えるんだよ」


 ナズナはネージュほど魔法の扱いに慣れてはいない。それでも、同じ魔法使いの一人だ。彼の役に立ちたいと、杖を振って魔法を出してみせた。

 炎の球に、水の剣。風の渦に土の壁。氷の槍、雷の弓、光魔法の結界だって作ってみせた。

 それはいつもの癖だった。

 ナズナは『月の子』だ。けれどその魔法は、まだ誰の役にも立てていなかった。洋館に連れて来られたときから、魔物退治どころか、外にも出してもらえない。ナズナも、ネージュのようにこの家の役に立ちたいと思っていた。

 だから、彼に認めてもらいたくて、ナズナはつい魔法を使ってしまった。

 その手から発せられるのは、ネージュたちと同じ魔法ではないのに。

 キラキラと輝く金と銀、それから赤や青。四色を合わせたような光の粒子は、月の色。それは月神の持つ魔力で造られた魔法――“月の魔法”と呼ばれるもの。

 その魔法を見ると、周りの者の目の色は変わる。

 ネージュはハッとしたようにナズナを見やると、白の眉毛を少しだけ下げ、何とも言えない表情を浮かべた。

 それはナズナを“特別”として見ている目だった。


「あ……」


 慌てて手の中で作った魔法を解くが、もう遅い。

 振り返ると、シアンも睫毛を伏せていた。彼女は抑えた声で、ナズナに言う。


「ナズナ様、お部屋に戻りましょう。貴方様に万が一でも、お怪我があってはなりません」


 彼女の言葉は告げていた――『月の子』だからこそ、外には出せないのだと。ナズナ自身が魔法を使うことすら、危険視されている。

 『月の子』の魔法は“特別”で、操ることが難しい。更に言うならば、容易に他人に見せてはいけないものでもあった。

 ナズナは眉根を寄せる。

 理解はできる。けれど、そんな言い方はしないでほしかった。自分も普通の女の子として、この洋館の一員として見てほしかった。

 しかし、それは叶わない。どんなに言葉を重ねても、どんなに魔法の練習をしても。知識を蓄えたとしても、彼らはそれを使わせてはくれない。

 『月の子』の保護という役目を持った洋館はナズナを、客人、娘、きょうだい、居候、そのどこでもない特別な地位に召し上げて言うのだ。


「ご理解ください。貴方は国の要なのです」


 メイド長の説得に、ナズナの瞳は揺らぐ。

 傷一つ付けてはいけない、神秘的な存在。そんな風に、彼らはナズナを扱うのだった。


「それはわかってるよ……で、でもさ、せっかく覚えたんだし、ちょっとくらいよくない?」


 それでも、僅かな期待を込めて、ナズナは願うようにネージュを見た。

 ネージュはというと、迷うように二人を見ていたが、シアンと目が合うと構えていた大剣を下ろしてしまった。「エピナール」と詠唱し、箒へと変えてしまう。それは、鍛錬の終了を意味していた。


「悪いな、ナズナ。そろそろ時間みたいだ。手合わせはまた今度だな」

「あ……」


 有無を言わせない口調に、ナズナは声を詰まらせる。

 ネージュは腰から下げた杖用のホルダーに杖をしまうと、階段に足をかけた。振り返り、軽く肩を竦める。


「遅刻すると面倒だからな。おれは学校に行く。シアン、ナズナを頼んだぜ」

「はい」


 目の前で、話が進められていく。

 何も言えないうちに、ネージュは訓練場を後にし、ナズナはいつものように置いていかれてしまった。残るのは、ネージュの魔力の残滓とナズナを待つメイド長だけ。

 ナズナは顔を上げると、一つ息を吐いた。

 ――大丈夫、もう慣れている。これまでもずっと、独りだった。


「……ごめんね、シアンさん。部屋に戻るね」

「ありがとうございます」 


 メイド長シアンは安心したように、また、申し訳なさそうに頭を下げた。


 寂しいと思ったのは一度や二度ではない。ここに来てから十年間、ずっとこのようなやり取りは繰り返されていた。

 距離を縮めようとしては、拒絶される。言葉ではなく、態度で「貴方は私たちとは違う」と表される。

 頭では理解していた。『月の子』はほかの魔法使いたちとは違うと。魔法使いと人間にとって、なくてはならない存在なんだって。

 自分は国を守るための、贄。ナズナはそう、覚悟を決めたつもりだった。

 だけど。


(慣れてるなんて嘘。ほんとうは、寂しい。もっと普通に扱ってほしい)


 願いや感情は、そう簡単に消したり、捻じ曲げたりできるものではなかった。


 シアンに連れられて客が訪れる前に部屋に戻ったナズナは、背中で扉を閉めるとベットに飛びこんだ。質のいい羽毛布団がぼふ、と音を立ててナズナを受け止める。ナズナの好きな甘い花の香りが舞い上がり、ふと涙が出そうになった。

 このまま眠ってしまおうか。ナズナは布団に顔を擦り付ける。

 平日のナズナのスケジュールは、午前中は家事、裁縫、刺繍、礼儀作法などを習い、午後からは教師つきの魔法の授業を受ける。けれどこんな状態では、どれも頭に入るとは思えなかった。

 さぼってしまいたい。不貞腐れたようにそう考える。

 どうせ家事や裁縫を習ったって、使うかわからない。魔法だって、使える場所がない。なら、習う意味なんてないじゃないか。

 もやもやとした思考が、ナズナを睡魔へと誘い込む。何も考えないよう、ぎゅっと瞼を閉じた。

 そのときだ。

 ドン――と、何かが強くぶつかるような音が、ナズナを覚醒させた。


「な、なに?」


 パッと身を起こし、音の方に首を巡らせる。

 そちらには窓があった。雨に濡れているそのガラス戸に、雨とは違う何か白いものが張り付いていることにナズナは気が付いた。それは外側で窓から離れ、くちばしでもう一度ガラス戸を叩く。


「鳥……? あ、違う、あれって」


 ベッドから飛び降り、ナズナは窓に近寄った。

 鳥の形をしたその白い紙を、ナズナは見たことがあった。ミーチェから教えてもらった魔法だ――名を、魔法鳩。

 手紙を鳩の形にして飛ばすその魔法は、ナズナに手紙を届けに来たことを意味していた。


(でも、わたしを知ってる人は外にはいないはず……)


 今朝手紙を書いた友人は人間だ。彼女は魔法が使えないし、そもそも彼女からの手紙はミーチェが持って来てくれる。

 他にナズナに魔法鳩を飛ばすような人は思いつかなくて、思わず首を捻った。

 その間にも、魔法鳩は入れてくれとばかりに音を鳴らす。

 トントン、コンコン――不意に、魔法鳩が風に飛ばされそうになった。あっ、とナズナは窓に手を付ける。


(行っちゃう……ねえ、何を届けに来たの? それは、わたし宛て?)


 本当は、この部屋の窓を開けてはいけない。『月の子』の部屋には、厳重な魔法の結界が張ってある。窓を開ければ、その結界に穴が開く。

 けれど、興味というものをナズナは手放せなかった。


(ちょっとくらい、大丈夫だよね)


 両手を伸ばし、恐る恐る窓を開く。

 吹き込んだ風がナズナの金髪を巻き上げ、赤いガーベラの髪飾りを揺らした。雨と共に、魔法鳩が室内に入ってくる。

 魔法鳩は魔力が尽きたのか、部屋に転がり込むなりぽとりと床に落ちてしまった。

 窓を閉めてから、ナズナは雨に濡れた魔法鳩を拾い上げた。


「何も書いてない……入ってるのは……種?」


 手紙と思われたその紙には、文字のようなものは一つもなかった。雨でインクが落ちてしまったわけでもなさそうだ。だが代わりに、爪の先ほどの大きさの種が入っていた。たった一つだけ。何故かその種には、白い綿のようなものが付いていた。


「見たことない種……花の種、だよね……?」


 答える者は誰もいない。魔法鳩も、魔法が解けてただの紙となっている。

 もう一度、ナズナは窓の向こう側に視線を向け、町を見下ろしてみた。だが見えるのは雨に濡れた町の明かりのみで、そこから魔法鳩を飛ばした者は探せそうになかった。

 ただ、この何者かが送ってくれた小さな種は、荒んでいたナズナの気持ちを少しだけ和らげてくれた。

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