第40話 向き合う、

〜*〜*〜*〜*〜*


 薄暗い洞窟内を私たちは歩く。目の前をこの人が先導するように歩き、カーヤちゃんは私が背負っている。

 疲れているのもあるけれど、こんな酷い場所をカーヤちゃんに歩かせられないから。


「カーヤちゃん、少しだけ目をつむってて」


「なんで?」


 不安そうなカーヤちゃんの問いかけに、私は柔らかい声色で答える。


「虫がたくさんいるからね。カーヤちゃんは虫とかは大丈夫?」


「大丈夫。お父さんと旅してるもん。怖くないよ」


「でも、すごく大きくて怖いよ? あとね、足がいっぱいで気持ち悪いよ」


 私がそう言うと、背中でカーヤちゃんが私の後頭部に頭を埋めた。


「大丈夫だよ。さっきの悪い人たちはあのお姉ちゃんがやっつけたからね」


 後ろからうん……、というカーヤちゃんの小さな声を合図に、私たちは歩き始めた。



 薄暗い洞窟は明かりも乏しくて、よく何かを踏み付けてしまう。そのなんとも言えない感触に少しだけ頬が引きってしまう。


 目も暗闇に慣れてくると、壁にこびりつく赤い血が目に入る。

 目の前を歩くこの人の汚れた身体を目にしながら、何が起きたなんて安易に想像が出来てしまう。


「…………」


「…………」


 お互いに無言で歩き続ける。私は偶にカーヤちゃんに声を掛けながら、この惨状を目にしないように誘導し続ける。


 正直、この人の危うさや異質さを知っているから、いつかこんなことが起きるかもとは思っていた。

 センサとの戦闘を見て、この人は私のために簡単に人を殺してしまいそうだと考えていた。


 なんで、この人はそんなに私に固執するのだろう。夢だった旅に出れたなら、私なんて放って行けばいいのにって。

 私に求められたことは何でもすると言った言葉にきっと嘘はない。きっと、私が誰かを殺せと言ったら、この人は本当に殺してしまうのだろう。

 でも、この旅を終わらせる気はない。


 その確信と大きな矛盾を私は理解なんて出来なかった。ただその異様さが気持ち悪かった。でも、


(きっと、この人はそう《・・》なんだ)


 あの本で見た記憶みたいなものが本当かなんて聞いてみないと分からない。けど、私はこの人のことをほんの少しだけ理解してしまった。



 私は思う。


 この人はとても歪で、私の為なら本当に何でもしてしまう。

 なんでそうなったのか。なんでそうなのに、かたくなにこの旅だけは続けようとするのか。


 私はその訳を少しだけ分かった気がする。



 この左腕の結びの痛みも、その震える手や作ったかのような変な笑みも、私はこの人に言いたいことがたくさんある。


「……あの、ここを出たら少し話そう」


 私の声は聞こえているはずなのに、最近の調子なら飛びついてきそうなのに、この人は何も言わない。


「私に、向き合うんでしょ?」


 歩みを止めずに私は、この人の私と変わらない小さな背中に問い掛ける。


「…………うん」


 その消え入るような声を聞いて、私たちは再び無言で出口を求めて歩き続けた。



〜*〜*〜*〜*〜*


 私たちは何とか洞窟の出口を見つけて外へ出ることが出来た。辺りは平原が広がっていて、遠くに山々が見える。


「ここ、どこだか分かる? ルル」


 私は辺りを見渡して何かしらの情報を探す。すると見知ったものを発見した。山の山頂に歪な形の大樹が見えた。


「あの山から私たちは来たから、南に進めばべベルグに戻れる」


「じょあ、結構近いね。じゃあ、早く戻ろう! ファイルも心配してるよって、……ルル?」


 この人は近くの大きな木の根元で腰を下ろす私に小首を傾げた。私は背負っていたカーヤちゃんをそっと木に寄りかける。


「カーヤちゃんも疲れてるから、少しここで休みましょう」


「そう……だね! うん、ちょっと休もう」


 そうして私の正面にこの人は腰を下ろす。私は腰に付けたかばんから魔嫌香まけんかを作る道具一式を取り出し、正面のこの人に顔を向ける。


「……どうしたの、ルル?」


「火、お願いします」


 私がそう言うと、任せてよ! と明るい表情で答えたこの人が小さな火の玉を宙に作り出し、集めた小枝に着火させる。


 そして私はいつも通りの手付きで魔嫌香を作る。その様子をじっとこの人が見つめるけど気にしない。

 何か小煩く聞いてくるかと思ったけど、静かに見守るだけだと思った時、ふとこの人は私に尋ねる。


「それって、誰かに教わったの?」


「……ほぼ独学。コールとマゼルと一緒に覚えたんです。そうじゃないと、ただでさえ色んなあるじを転々とする私たちは生きられないから」


 まぁ、色んな主様を転々とする原因は大体揉めてしまうコールが原因だけどと、少し思い出を振り返ってしまう。


「……大事なんだね。その二人が」


「……うん、大事だよ。だって、二人は私の家族だから」


 そう言って、私は自分の言葉に驚いてしまう。アナセン様と話した時、家族と言われてあんなに頭が否定するように痛んだのに。

 でもそう言えば、ウィムと話した時も二人を家族のようだと言ってた気がする。


(やっぱり、私は馬鹿だな。もうどうしようもなくなってから気付くことばっかりだ)


「ルル」 


 呼ばれた声に前を向くと、この人の顔が近くにあって思わず顔を引く。この人は私の顔を覗き込むようにして、心配そうに目を細める。


「泣かないで」


「……泣いてません」


 そう否定しながらも気になって、目元を拭うって見るけど濡れている気配はない。


「ルル、出会った時みたいに悲しそうな顔してたから……」


「……私、そう簡単に泣いたりしないから」


 それに泣いたりしたら、コールにやっぱり寂しがり屋の泣き虫だな、って言われそうだし。


 すると今度はこの人がうつむいてぽつりと小言を零し始める。


「わたし、駄目だよね。ルルのこと守るって約束したのに」


「……カーヤちゃんと出会った日の夜にも誓ったのにって?」


「え!?」


 私の声にこの人は大きな声を出して驚嘆の顔を私に見せる。

 その反応を見て、やっぱりあの本で見たものは本当にあったことのようだ。だとしたら、あの異様な記憶も。


「なんで!? 起きてたの? ……ううん、違うの! あれは、わたしがしたことじゃなくて、ルルから来たっていうか……。わたし、その動けなかったっていうか……」


 何やら慌てて何かぽつぽつと言い訳を続けるこの人を見つめる。


 やっぱり私の推測は間違ってはいないはずだろうと。

 私は立ち上がってぼそぼそと何かを言い続けるこの人の手を掴む。


 すると、輪にかけてまた慌て始めるこの人は、急にすっと静かになった。


「……ルル、汚いから手を離して」


 この人の目線は繋がれた私たちの手にあって、離そうと引き下がる手を強く握る。


「……今更。それに、その姿でべベルグに戻るつもり?」


「……でも、汚れるから」


「もう……、とっくに汚れてるよ」


 え? と疑問が溢れるこの人の手を引いて立ち上がられる。そして、少し先にある川へとこの人を引っ張って行く。


「カ、カーヤは大丈夫?」


「大丈夫です。ここら辺に凶悪な魔物は見当たらないし、魔嫌香もいてます。それに、川から様子も見れるから平気」


 そう言って川へと引っ張ったまま入った私たちは、目の前でやけに大人しく立つこの人に言う。


「服、脱いで」


「え?」


 素っ頓狂な声が聞こえたけど、私は気にせずこの人の服を捲り上げる。


「ル、ルル!? じ、自分で出来るから!」


「私の求めること、何でもするんでしょ。抵抗しないで」


 なぜか必死に抵抗していたこの人は、私がそう言うと観念するように少しずつ力を緩めていった。


「……それ、ずるいよ」


 でもまだ最後の抵抗か、服の裾を掴んだ手をどかすと、この人は無抵抗に私に服を脱がされていく。


 そうして露わになったこの人の裸体をじっと見る。

 本当に絹のように綺麗で真っ白な肌で、少し小さい胸が見える。だからこそ、その身体を汚す赤色が目につく。


「ルル、どうしたの?」


 恥ずかしいのか、消え入るような小さくてか弱い声が届く。


「……ありがとうございます。カーヤちゃんが無事なのは、貴方のお陰です」


「わたしはただ、ルルを助けるのに必死で……。それに、カーヤを怖がらせちゃったし……」


「やっぱり、自覚はあったんだ」


 私は無抵抗でいるこの人の身体についた血を落とすために擦るように手を滑らせる。事前につけた液体は私が手を動かす度に泡の跡を残していく。


「泡?」


「クドゥの体液を薄めたもの。肌に合わなかったら言って。多分、ここまで薄めたら大丈夫だと思うけど」


「……ルルは、物知りだね」


「必死だっただけ、生きてくのに」


 そうしてこの人は大人しく私に洗われていく。くすぐったいのか身をよじる時は何となく入念にすると、些細な抵抗として顔をしかめて見つめられた。


「今日はどうしたの? ルルは普段こんなこと、絶対にしないと思うけど」


「……話そうって言ったでしょ?」


「うん」


 私は徐に服を脱ぐと、また大きく狼狽ろうばいするこの人の声が届く。


「ルル!? 本当にどうしたの?」


「どうって、身体が血生臭いから。洗いたいだけだけど」


「そ、それは……、別に良いけど……」


 様子がおかしいのはそっちの方だと言いたいけど、その様子が滑稽こっけいだから黙って見る。


「ずっと思ってたけど……。ルル、胸大き過ぎない?」


「…………」


「ただの感想だからね!?」


 無言で睨むとまた大きく狼狽する。取り敢えず、いつもの調子に戻ったようで良かったと私は本題を切り出すことにする。


「結び、中で何かがぐちゃぐちゃにかき混ぜられる感じで気持ち悪い」


「……ごめんね、ルル」


 するとこの人は旅が始まったばかりの私に気を遣うような表情をまた見せるので、少し心がむかむかする。


「……最初に、遠慮するなって言ってきたのは貴方です。最近もまた、私に同じことを言ってきて……」


 私はもう分かってる。こうなってしまったのはこの人の所為せいじゃなくて自業自得だって。


 大樹の国で散々後悔して、ウィムとの出会いで前の私を客観視して、カグさんとの出来事で自分一人では何も出来ないと痛感した。

今回もそうだ。私一人じゃ何も出来ない。


 私がこの人を嫌うのはただの八つ当たりだ。でも、それだけじゃない。

 この人が自分だけが悪いという態度を私に見せるから。行き場のない自身への怒りがこの人に向かってしまう。今まで無かったことにしていた自分の惨めさや卑屈さ、そんな悪感情が露わになってしまう。


 なのに、この人は私に気を遣い遠慮をする。最近までは痛みも隠して、私には遠慮するなとまた言う。

 それが私の露わにされた悪感情を増長させる。まるでこの人に良いようにされてるみたいで嫌になる。そう思う自分も含めて。


「私だけ馬鹿みたいにさらけ出して、それで向き合うって何?」


 私が自分でも良く分からないこんなことをしたのは、きっとこの人を私と同じように曝け出させたいと思ったからなのかな。


「わたしは、ルルのことが大事で……。わたしがルルを傷つけたから……」


「違う。私が一人で勝手に傷つきにいってただけ。貴方と出会わなくても、きっと前の私はいつかこうなってた」


 あの時の私は救われようとしていなかった。でも周りの人たちは皆んな良い人で、私を見離さないだろう。だから道連れだ。救われようとしない私の所為で。


「ちゃんと苦しむんでしょ?」


「……苦しめたのはわたしで、ルルは──」


「ちゃんと私と向き合え!」


 私はまだそんな態度を取ろうとするフェムの手を取る。私の元へ引っ張って、直ぐ目の前に来たフェムの顔を間近に見据える。


「私と向き合う気なら、もっとありのままをさらしてよ。みっともない所も、私への罪悪感で傷ついたものも見せてよ。

 なんで私だけが……。なんで私だけ、こんなにぐちゃぐちゃにされなきゃいけないの?」


 この人へ、フェムへのここまでの感情を曝け出すと同時に目頭が熱くなる。泣く気なんて微塵もなかったのに、涙がぽつりと飛び出して来る。


 目の前のフェムは何か言おうと口を開くも声はなくて、困ったかのように目尻を下げる。でもその目は私を見返す。


 私の左腕の結びはずっとぐちゃぐちゃと気持ち悪くて、それが今の私の心と同じように思える。フェムにも、同じように伝わっていれば良いのにと思う。

 フェムも私と同じように、私のことで心がぐちゃぐちゃになったら良いのに。


「……隠せてるつもりなの? 手もずっと震えてるし、顔もずっと引きってる。貴方は、人をあんな風に殺さない」


 ここまでの短い付き合いでもこれは断言出来る。私の為なら人を殺してしまえるような人でも、あんな惨いことはしない。出来る人じゃないって。


「言ってよ! 私に遠慮するなって言うなら、貴方も私に遠慮しないでよ」


 私の目の前でフェムの顔が歪む。あの整った綺麗な顔が酷く歪んで、フェムの感情が顔を出す。


「わた……し、あんなことするはずじゃ、なかっ……た。でも、気づいたら、血が……」


 涙がその綺麗な顔を濡らして、大きな目も薄い口の端も、居場所が分からなくなったように潰れる。そんな酷い顔を、私は醜いとは思わない。


「……怖いよ、ルル。わた、し……、怖いよ」


 まるで本当に小さい子供みたいに泣きじゃくるフェムが私の身体に抱き着く。それを私は何も言わずに受け入れて、私は思う。


 あの日、城を飛び出て醜い言い合いをしたフェムの言葉を私は何も理解出来なかった。


 でも、あの本の記憶が本当なら、この人は空っぽなんだ。

 それこそ、あの何もない部屋のように。何もないから、そこにある物に執着する。


 あの部屋にぽつんと置かれていた絵本。そして今はきっと、そこに私がいるんだ。


「私、決めました。ルルードゥナに戻るために貴方に協力します。きっとそれが一番早く皆んなの元へ戻れるから」


 あんなに意味が不明で気味悪く見えたフェムが、今はただの同じ人間のように思える。魔法なんて力は使えるけれど、でもそれだけだ。


「だから、それまでは一緒にいるから」


 許す許さないじゃない。嫌う好きでもない。ただ、私たちは向き合うんだ。お互いを通して醜い自分と。

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