第39話 血塗れ

〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆


「ここは……?」


 気がついたら、わたしは石造りの建物が並ぶ街の中にいた。太陽の光を遮るように、石造の家屋が積み重なっているようで、空は明るいのにどこか薄暗い雰囲気の街だ。


『ルル!』


「ルル?」


 その声に思わず振り返ると、小さな女の子がわたしの身体を突き抜けて通り過ぎて行った。


「これって……」


 あの大樹の中で見せられた、夢のようではっきりと意識のある不思議な感覚に似ている。


『今日の仕事は大変だって、ネアン』


『うん。頑張ろう、ルル』


 わたしの目の前で二人の小さな女の子が話している。


 一人は灰色の長髪の女の子で、ネアンと呼ばれていた。もう一人は同じ灰色の短髪の女の子で、こちらはルルと呼ばれていた。

 二人とも身なりは貧相で、髪も手入れがなってなくぼさぼさだ。年齢は五歳ぐらいに見える。


(これは、小さい頃のルル……?)


 短髪の女の子、ルルはまだ顔に火傷痕もなく、なにより表情も明るくて希望に満ちているようにわたしには見えた。


『行くよ! ネアン。私たちには夢があるんだから。頑張るぞー!』


『うん、分かってるよ』


 小さいルルが明るくそう言うと、ネアンは少し呆れ気味にも微笑んで応じ、手を繋いだ二人は走り出した。


 そんな二人の日々は見てるだけでも大変そうで、でも充実しているように見える。

 小さな身体を忙しなく動かす二人を見守っていると、突然目の前に赤い炎の幕が遮った。


「え?」


 唐突なことに呆気に取られていると、どこかから誰かの声が聞こえてくる。


『誰かっ! 助けてくれ!』

『熱い! 熱いよ、誰か!』


 その聞こえてくる声はまさに阿鼻叫喚あびきょうかんで、地獄のふたを開けたような耳をつんざく音。

 赤い幕の向こうでうごめく何かの影をわたしは無意識に目を逸らしてしまう。


「これは何? ルル……?」


 目の前に広がる光景に思わず自分の目を疑う。


 街は真っ赤に燃え上がり、揺らめく炎の幕はこの街の姿を泡沫うたかたのように浮かび上がらせる。


『ルル……。何……、してるの?』


 その声にわたしは思わず顔を向ける。灰色の長髪の少女、ネアンが炎の先を見つめている。そこには誰かがいた。炎の中で少女に顔を向けているように見える。


『なんで……、なんでっ! 私は……っ!』


 少女はそう炎の中に叫ぶ。その悲痛な叫びを受けて、その中にいる誰かは笑ったようで。


『……ネアン。ネアンはまだ、何もしてないよ。だから、生きて』


 炎の中で灰色の短髪の少女が笑う。


『「……ルル!」』


 その姿を見て、わたしは思わず叫んで手を伸ばす。ネアンと重なるように必死に手を伸ばして、だけどその手は勢いを増した炎に遮られてしまう。


 視界は赤い色に覆われて何も見えなくなる。

 そして、再び開けた視界はどこか薄暗くじめじめとして少し肌寒い。何かの異臭が鼻について思わず顔をしかめてしまう。少し先には鉄格子があり、その先に何人もの男の人がわたしをじろじろと見ている。


「……誰?」


 わたしがそう尋ねると、鉄格子の先で男の人たちはけらけらと笑う。


「大丈夫さ、嬢ちゃん。何見たか知らないけどさ、今は現実だからさ」

「お前、毎回それ言うじゃねーか」

「いいだろ? こういう決まり文句あった方が格好がつくだろうが」


 男の人たちはわたしの声を無視して何やら盛り上がっている。だからわたしはもう一度、問い掛ける。


「桃色の髪の女の子、知らない?」


「桃色の……? あぁ、あいつか」


「無事なの? ルルは!」


 わたしは思わず食い気味に男の人に詰め寄る。鉄格子を挟んで目の前に立つ男の人は、わたしの顔を見つめてにまにまと笑う。


「さぁ、どうだろうな? もしかしたら、そこら辺に転がってるかもな?」


 男の人はそう言って、背後の地面を指差す。そこには何かがあった。それは人のような形に見えて、でもわたしの脳が否定する。


「……なに?」


「怖がんなくて大丈夫。嬢ちゃんは可愛いから売り物になるからさ。ここに転がってるのは野郎だけさ」


「なに、言ってるの?」


 目の前の人たちはケラケラと笑っている。何を言っているのか、何で笑っているのか何も分からない。


「……生きてる、よね?」


「は? そんな訳ねーだろ」


 聞こえてくる笑い声が鼓膜を不快に揺らす。この音が人のものとは思えない。


「……なんで」


 何でこんなことが出来るんだろう。わたしは何か勘違いをしていたかもしれない。


 絵本で知った可哀想な奴隷は現実にはいないと知った。ルルの存在がわたしにそう教えてくれたから。


 でも、違った。今目に映るものは、あの絵本でみたものよりももっと醜悪で残酷で、わたしはこれを人だとは──


「何やってんだ? 騒ぐと大人しくしてもらわなくといけなくなっちゃうな?」


 わたしにそんな忠告の声が届く。でも無視をして鉄格子を間近に目の前の奴らを睨む。


「……どこ?」


「あ?」


「ルルはどこ?」


「お、おい! なんだよ、これ!?」


 目の前の鉄格子が歪み始める。ぎぎぎと軋む音を立てながら、わたしの目の前に人一人分の隙間を開ける。


「お前、何をやった!?」


「…………ねぇ」


 目の前で狼狽うろたえる奴らを視界に入れてふと考える。

 この人たちをこんな目に合わせたこいつらは、自分が同じ目に合ったらどんなことを言うんだろうと。


 そう思った瞬間だった。視界が赤く染まった。それが何か把握する前に、男たちの阿鼻叫喚の声が響く。


「おい! どうした!?」

「し、知らねぇよ! 急に血吹き出して」


 地面に赤い血で染まった人間が倒れている。さっきまでと違い静かで身動き一つしない。


「……え?」


 何が起きたのか分からなくて一瞬戸惑うけど、目の前で慌てふためく男たちが目に入るとそんな気持ちもすっと引いていく。

 青ざめた表情で怯える男たちを見てしまうと、動揺する心が冷めていくように冷静になる。


 きっと、こいつらはこんな風に怯える人たちを傷付けていたんだろうと。なのに、こいつらはわたしに助けをう。


「助け、がぁ!?」

「や、やめてくれ……。俺は──」


 血飛沫が舞う。床も壁も赤く染まって、わたしはただ突っ立ってその様子を眺めていた。

 まるで他人事のように、わたしはただ見ているだけ。何もやってない。

 自分の荒い呼吸の音だけがやけに耳について、心が何かを考える前に私は独り言を溢す。


「……ルル、探さないと」


 わたしはその場を後にして歩き出した。心は走り出してでもルルを探したいのに、なぜだろうか一歩一歩踏み締めていく。

 身体が小刻みに震えているのは、この洞窟の中だと思われる場所が寒いからだと言いながら。


「────」


 どこかから男たちが現れてはわたしに何か言葉をこぼす。でも、直ぐに何も言わなくなって地面に転がっていく。

 赤い色がわたしの視界の殆どを侵食して、地面に転がる何かを踏まないように注意して先を進む。


「……違う」


 何があったのか、赤く染まっている道を歩く。わたしは何もしていないのに、次々と男たちは倒れていく。


(違う。わたし何も……)


 そうして奥へと進んだわたしの視界に二人の男の人がいて、


「アギサさん! こいつです。こいつが皆んなを──」


 アギサと呼ばれた男の人は静かにわたしを見据える。


「……何者だ? お前は。俺の仲間、全員殺しやがって」


「……殺す?」


 その言葉でわたしはふと目の前に横たわるものに目を向ける。

 何かが内側から爆発したみたいに顔という要素の名残りが見受けられない死体がこちらを向いている。


「違う……。わたしは何もやってない」


「はっ! なんだ、それは。それが人殺しのする顔かよ」


 わたしの顔を見て、アギサという人は笑う。その笑みは自嘲めいていて、何かを吐き出すような重いため息を溢して続ける。


「やっぱ、あんな訳の分かんないもんに手を出すべきじゃなかったってことか」


「魔法の本のこと? あれはどこで手に入れたの?」


「貰ったんだよ。得体の知れない奴からな。しかし、魔法だ? そう思うのも分かるが、そんなもんある訳ないだろ」


 アギサはわたしを警戒するように懐から鋭利な刃物を取り出す。


「じゃあ、なに?」


「知るか。使えるもんは使うのが俺たちの主義だ。得体の知れないもんを調べる余裕なんてないんでね」


 そう言ってアギサはわたしにナイフで斬りかかる。


「あぁ!?」


 だけどそのナイフはわたしの身体に触れる前に明後日の方向へと吹き飛んで行った。


 唖然とするアギサの反応を窺いながら、わたしは少し安堵の息をつく。


(大丈夫。魔法はちゃんと使えてる。だから、……違う)


 わたしの想像通りになったことへ安心する。それと同時に先程までの現象はわたしではないと自分へ言い聞かせる。

 だって、わたしはあんなことを望んでなんてないから。だから、違うって。


「……なんだよ、それは。ったく、化け物が……」


「ルルは、桃色の髪の子がいるでしょ? どこにいるの?」


 わたしの質問を受けて、アギサは笑みを浮かべる。


「……殺したよ。お前が仲間を殺しまくったからな。自業自得だ」


 その言葉は、わたしの思考を停止させた。それが真実か嘘かなんて考えられない。ここがあまりにも死の匂いが強くて、ふと目に入った自分の身体が赤い血で染まっていたから。

 嫌な想像だけが脳裏を支配していて、わたしの心臓は沸き上がる怒りで酷く高鳴る。


「なんで……、君たちはそんなことが出来るの?」


「……ねーよ。まともに生きれるお前らに、分かるわけがねーよ!!」


 激昂したアギサが目の前に迫り来る。今、わたしの中にあるのは疑問と怒りだけ。


 なんで、こんなことが出来るのか。

 わたしと同じ感情も心も持っているはずなのに、なんで平気な顔が出来るのか。


 奴隷という立場のルルの顔が浮かんでくる。あの日の奴隷だから可哀想というわたしの勘違いから起こった出来事は間違いじゃなかった。

 ルルの顔や身体の火傷跡は、ルルのまともに眠れない疲れた目つきは、きっとこういう奴らのせいだ。


 わたしは、これを同じ人間だとはもう思えない。


「────っ!!」


 声にならない悲鳴が聞こえた気がした。目の前に迫る大量の赤い鮮血を、わたしは触れられたくもないから魔法で吹き飛ばした。

 洞窟内の小さな空間が赤に染まる。そのゆっくりと滴り落ちる鮮血がぽつりと顔を濡らす。


「……わたし」


 人の形を失った肉片を前に、わたしは違うとは言葉を続けられなかった。


 わたしは死んでしまえ、と強く思ったから。でも、わたしはこんな絵なんて想像もしていない。

 だから、違う。違うって……。


 その時、右腕の結びから反応があった。それはルルが生きているということだから。


「……ルル。ルルを探さないと」


 わたしはどこかにいるはずのルルを探すためにゆっくりと足を進め始める。直ぐに何か踏み付けたのか転びそうになったけど、今はルルのことしか頭にない。


「…………」


 おかしいな。走りたいのに、上手く足が動かない。やけに心臓の音がうるさいし、上手く息も出来ない。


 あの男の子と約束したのに。あの星の夜に誓ったのに。なんでだろう。



〜*〜*〜*〜*〜*


 何かが起きたらしい。見張りの男たちもみんな慌ただしく走っていき、どこかしらから悲鳴が聞こえてくる。


 隣のカーヤちゃんはその異様な雰囲気に怯えて私にしがみついている。

 何が起こっているにしろ、牢に閉じ込められている私たちには逃げることも出来ない。


 やがて静かになった洞窟内に何者かの足音が響いてこちらに近付いてくる。私はカーヤちゃんを後ろに、その足音の主を警戒する。

 だけど、現れたのはあの人だった。


「ルル! いた!」


 あの人はいつもと変わらない笑顔でこちらに歩み寄ってくる。


「大丈夫、ルル、カーヤ。怪我とかしてない?」


 いつもと変わらない調子で私とカーヤを心配そうに見つめる顔は子供みたいに無邪気で、だからこそ、その異様さをより際立たせる。


「お姉ちゃん、……怖い」


 私にしがみつくカーヤちゃんはそう呟く。その小さな手は震えていて、私の身体を離さないようにと必死で握っている。


「待ってて、直ぐにこんなのこじ開ける

からね!」


 そう言ってこの人は魔法を使ったのか、鉄格子が独りでに大きく歪んでいく。


 私はその様子をただ無言で眺める。何か思うことはたくさんあるけど、それを口にする気にはなれない。


 こんなに怯えているカーヤちゃんがいるし、それに左腕の結びの痛みが激しくてそんな余裕も今はないから。


「遅くなってごめんね、ルル。何も悪いことされてない?」


 この人はこじ開けた鉄格子から赤く染まった手を私に差し出す。


 私がそれに応じずこの人の顔を見つめると、一瞬何か迷うように目が泳いだ。


 この人は無知で世間知らずな子供みたいな人だけど、こんなカーヤちゃんの様子に気づかない人じゃない。それをここまでの短い旅路で私は知っているから。


 私はその少し震えた赤い手を掴んで立ち上がった。


「早く、こんな場所から出よう」


 この人が何か言う前に私はそう言った。

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