第24話 熾火(おきび)

〜*〜*〜*〜*〜*


 カグさんたちの部族の村は山頂付近の木々を切り開かれた場所にあった。しっかりとした木の小屋が幾つも建ち並び、人間の村と遜色のない普通の村だ。ただ一つ、目を惹くものがある。それに既視感を感じてしまい、思わず声が漏れ出てしまう。


「これって……、ルルードゥナの」


 山の山頂に大きな大樹が一本立っていた。流石にルルードゥナほどの規格外の大きさではないけど、普通の木が何百本も束なってそうな幹がこの山を支える大黒柱のように思えてしまう。


「大樹の国ほどではありませんが、これが御神木です。中は空洞になっていまして、貯まった雨水で少し上から入らなければいけないのですよ」


「空洞……? 大丈夫なんですか?」


 私はつい前を歩くカグさんに尋ねてしまう。あの大樹の中が空洞だとしたら倒木の危険性が高いから。

 カグさんは落ち着いた調子で私に話す。


「大丈夫です。あれはもうずっとこの山に根付いています。中は空洞でも表面には穴もなく、定期的に大樹の女王様も診てくださっているようなので」


 私は少し前を歩く人に鋭い目を向ける。驚くように少し目を見開いて大樹を見上げる横顔に、私は憂心ゆうしんしか抱けない。この何も分かっていないだろう人に何が出来るのだろう。


「ルル殿、私の側を離れないようにお願いします」


 ふと私に向けた声が掛かって足早にカグさんの隣に行く。


 村に入るとそこら中から奇異の目を向けられる。それは畏怖や警戒のような突き刺すような視線で、分かってはいたけどとても歓迎されている雰囲気ではない。

 カグさんも周囲に威圧するような強い目を向けている。その横で一人興味深そうに目を輝かせている人が目に入って、私は強く目障りだと思った。すると不意にこちらに目を向けるからそっぽを向いた。


「センサぁ! お前のお友達のせいで村の掟も無茶苦茶だ。弱いお前が責任を持てよぉ!」


 どこからかそんな怒声が聞こえ目を向けると、村の人々に囲われ暴行を受けている人の姿が目に入った。その光景に思わず顔をしかめてしまう。

 この人がそれを止めようと一歩歩み寄った時、何かを地面に叩き付ける大きな音が響いた。誰もがその音に驚き振り返ると、大きく目をいたカグの姿があった。


「無様な姿を晒すなと、何度言えば分かる?」


 その怒りに満ちた顔と声色に、村人たちは何も言わずに散っていった。


「大丈夫か? センサ」


 カグは優しい声で暴行を受けていた人に手を差し出す。センサと呼ばれた人は手を持ってゆっくりと立ち上がる。


 見た目は正直なところ他の人たちとあまり見分けはつかないけど、左腕に赤い糸のようなものをくくりつけている。それはカグさんの頭の毛にあるものと同じようなものに見えた。


「そうだ! センサ、見てくれ。大樹の国からお越しになって下さったんだ」


 カグさんはそう言って私たちを紹介するように目を向けた。その表情は今までとは打って変わって嬉々としてほころんでいる。

 私は挨拶をするように頭を軽く下げて、この人は明るい声で挨拶をしていた。


「……カグ、どうしてここに人間が?」


 センサさんは軽く頭を下げて直ぐにカグさんへ目を向ける。


「御神木を診に来て下さった。せっかくだ、お前も少し話をするか? 彼女たちは———」


「カグ。後でまた」


 カグさんの言葉を遮って、センサさんはこの場から立ち去った。その時に一瞬センサさんと目が合った。センサさんの目はこの村の誰よりも忌々しそうに、まるで内から湧き出る怒りに抗えないとでも言うように揺れていた。


「……センサ?」


「カグ、あの子は?」


「私の友人です。小さい頃からの付き合いで、他の奴らとは違い人間が好きな変わり者なのです」


 カグさんはどこか誇らしそうに表情を崩して言った。その声色はとても柔らかくて、今までの精悍せいかんさは影もない。


「そうなんだ。でもさっき……」


 この人も嬉しそうに答えて、でも先程の光景を思い出したのか、言いづらそうに声はしぼんだ。


「……そうですね。センサは他と比べて非力なのです。この強さが全ての村では、きっと彼女は生きづらいのだと思います」


「大丈夫なの?」


「えぇ。いつもは族長の私が近くにいるので問題はありませんよ。今日はさっきの出来事もあって、虫の居所が悪かったのでしょう。後で、しっかりと言いつけて起きますよ」


 カグさんは朗らかに笑って言うけど、目は全然笑ってはいなかった。


「それよりも、お二人の部屋までご案内します」


 そうして再び歩き出したカグさんの隣に並んで私は小さく問う。


「……センサさんは本当に人間が好きなのですか?」


「……? えぇ、もちろん。小さい頃からよく人間についての話を聞かされてきましたから」


 私の問い掛けにカグさんは懐かしむように穏やかな声で答えた。まるで大事な宝物を慈しみような表情に、私は疑惑を声に出せなかった。



〜*〜*〜*〜*〜*


「では、私は入り口で見張っていますので、ごゆっくりとおくつろぎ下さい」


 なんてことない部屋の一室に通され、カグさんはそう私たちに告げると扉を閉めて行った。

 そうして取り残された私たちの間に何とも言えない気まずい雰囲気が流れる。この人は二つあるベットに腰を下ろして私に背を向けている。


 今日は色々あって直ぐにでも休みたい気持ちはあるけど、この人に聞きたいことがある。正直、もう声なんて掛けたくもないけど、有耶無耶うやむやには出来ない。


「巡礼って何ですか?」


 私の声に反応して背中が大きく跳ねる。


「……世界中見て回って、挨拶をしに行くって聞いた。それ以外のことは何も……」


「……世界中?」


 その言葉に胸が騒つく。大樹での出来事が脳裏に過ぎって、気付けば立ち上がっていた私はこの人の前に立つ。


「じゃあ、こんなことする必要ないじゃないですか?」


 この人は冒険がしたいと言った。自由がないと言った。でもその巡礼という名目で世界を巡るのは、冒険に入らないのだろうか。女王なので確かに自由はあまりないかもしれない。でもどこか納得出来ない。この人が何をしたいのか何も見えてこない。


「あるよ。わたしに自由なんて、なかったと思うし」


 私は改めて思う。やっぱりこの人はどこまでも幼稚ようちで、王族としてどころか真っ当な人間としての責任感も誠実さ何もない。

 私はベットに座るこの人を見下げる。この人が女王だなんてもう一欠片も思えない。こいつは馬鹿で無知で非常識な生まれたての子供だ。


「明日、何をするのか分かってるの?」


「……大丈夫。行ってみたら分かるかもしれないし」


「そんないい加減なこと。貴方はずっと……」


「仕方ないでしょ。だってわたしは何も聞かされてないんだから……」


 俯きながら弱々しく言い訳をするこの人をただ見下げ続ける。腹が煮えくり返るようなのに妙に落ち着いているみたいに気持ちが平静だ。


「そんなことがある訳ない。一国の女王が何も知らないとか、じゃあ貴方は何? ただの飾り? だから何をしてもいいなんて、そんなの子供の癇癪かんしゃくなだけだよ」


 私の言葉にこいつは何も返してこない。ただ何かを堪えるように唇を強く結んで、両手を力強く握っているだけ。私の左腕からは何の感覚も来ない。

 未だにこれだけは手放さないと言うみたいに抵抗する姿に、私のいだ心に波紋が広がる。ぐらぐらと揺れて波が大きくなっていく。そしてふとこいつが顔を歪めて右腕をさすったのが決め手だった。


 私はその小さな肩に掴み掛かる。少しは抵抗すると思ったけど、力なく私共々ベットに倒れ込んでしまった。


「何か言ったらどうなの! それが嫌なら結びでも伝えたらいいでしょ!」


 掴む両手は自然と力が込もる。完全に見下ろした顔はまだ私を見ないように伏せ続けている。何も答えない、というように口に力が入っているのが分かる。

 こいつの顔なんて見たくない。見たくないのに、私を見ようともしないのには腹が立つ。何も感じてないと必死に取り繕うこの表情を歪ませたいと思った。


 私はこいつの右腕の黒い汚れみたいな結びの上を強くつまんだ。じ切るように強く摘んでも、何も言わない。何の抵抗なかった。

 私は更に爪を立てて引っいた。白い肌に赤いあとがついて、それでも引っ掻き続けると血が滲み出す。その傷跡は、なぜだか私の心を撫でるように少しの安寧を与えたけど。でもそれだけだった。


 目を閉じたままただ受け入れ続けるこいつを見下ろし続けて、私は自分が今やっている行為に意味を見出せなくなった。馬鹿みたいだと思った。なんで私だけ、こんな人にここまで乱されなくてはいけないのだろう。


「……自分勝手。……大嫌い」


 この人に馬乗りになったまま吐き捨てる言葉はなんだか負け惜しみみたいに聞こえて、もう何もする気も起きなくなった。ただ呆然と息を上げる私にか細い声が聞こえてくる。


「……ごめんね。悪いのは全部わたしだから」


 ぐつぐつと溢れ返るような感情を、奥歯を噛み締めることで押さえ込んだ。私が傷付けた右腕を見て息を吐く。


「もう、貴方とは二度と口を聞きたくない」


 それだけ吐き捨てて、私は立ち上がり隣のベットに寝転んだ。


「……ずっとそうだったじゃん」


 背後からそんな声が聞こえても、私は無視を決め込んだ。



〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆


 右腕が痛い。それは様々な痛みだった。内側から針でちくちくと刺されるような痛みもあれば、骨が強い力で挟まれて軋むような痛みもあった。きっと、その一つ一つに何かしらの感情があって、それはわたしが受け入れないといけないはずの痛みだと思っている。

 でも今はひりひりとした痛みがある。それは結びからじゃない。ルルが直接的に傷付けたものだ。


 もう固まった傷跡をそっと撫でて見つめる。ルルからの痛みはわたしに安心のような感情をくれる。偶に強い痛みに苦しむこともあるけど、ルルからのものだと思うと受け入れられる。痛いけど、痛くない。苦しいけど、嬉しいと思う。

 私が傷付けてしまった痛みに近付けている気がする。ルルはこんなに苦しんだんだよって、この痛みが教えてくれるから。ナラのところで考えたルルとの向き合い方。いっぱい傷付けられることで、わたしはルルを知りたい。


 だから、もっとやってくれても良かった。あの時、わたしはもっと無茶苦茶にしてほしいと思っていた。やっぱり、ルルは優しい子だと思う。


「……ルル」


 右腕からの痛みはひりひりとした痛みだけ。ルルが寝る時、よく腕の中に虫がいて暴れ回るような吐き気を催す不快感を結びが与えてくる。正直、痛みよりも嫌だと感じるこの感覚の意味は分からないけど、それがないことはルルが眠れていることを現している訳で。


「もっと、遠慮なんてしなくていいからね」


 聞こえていないから、すんなりと声が出る。困っている人に迷いなく助けに向かうルルを、素敵だと思った。ルルがわたし以外に向ける優しい顔を、わたしにもって思う。


 少しずつわたしの中でルルの存在が大きくなっていっていることに戸惑いはある。それはコールとの約束があるから。わたしが傷付けたという罪悪感が大きいから。


 あの日、ルルとわたしの夢かという選択で夢を選んだわたしが小さくなっていっている。でもまだ全然足りない。わたしはまだ夢を持ち続けている。


 ルルの微かな寝息が聞こえる。わたしと話さなくてもいいから、傷付けてほしい。

 ルルが傷付けた右腕の結びに頬を寄せる。微かに感じる痛みを抱き締めるように、わたしは目を閉じた。

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