第25話 燻る

〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆


「……あれ?」


 結びからの不快感や痛みもなく目が覚めることは久しぶりで、首を振るとルルの就寝する背中が見えた。


(わたしが先なんて珍しい……)


 ルルの肩が微かに揺れる。小さな寝息がやけに耳に入ってくる。ルルがこうやって穏やかに寝ているのは珍しいから、わたしは音を立てないように部屋を出た。

 すると扉を出て直ぐ近くに誰かの気配を感じて、思わず出そうになった声を何とか飲み込む。


「おはようございます、フェム様」


「……カグ、お疲れ様。ありがとうね、ルルも安心して寝れてる」


 わたしはカグの隣に行って、近くの壁に背を預ける。わたしが遠くに行くと護衛のカグも困るだろうし。

 カグは隣のわたしに何とも言えない目線を向けてくる。その意図が分からなくて首を傾げていると、カグはゆっくりと口を開く。


「ルル殿とは喧嘩でもなさいましたか?」


 その言葉にどきりと心臓が大きく動く。そう言えば扉の前で護衛してくれていたから、そりゃ聞こえるかと納得してしまう。


「聞こえてたよね、ごめん」


 わたしの謝罪にカグは何ともないというようにゆっくりと頭を振った。わたしは何と説明しようかと寝起きの頭を動かして直ぐに、昨日の会話の内容を思い出してしまう。今日の巡礼の内容をわたしは何も把握出来ていないと口に出していたことを。


「カグ、その……わたし、実は……」


 大きなカグを見上げたわたし目に、何事もないように穏やかな表情のカグが映る。


「いえ、いいのです。私は最近族長になったので先代から聞いただけですが、大樹の王族の方が何をしているのか知りません。あの御神木があってもなくても、どうせ我らは何も変わりませんよ」


 そう言うカグの顔はどこか憂いに満ちていて寂しげだった。何でそんな表情をするのか知りたいという気持ちは湧くけど、その気持ちの先にルルの泣き顔が浮かんでくる。余計なことだけをしてしまったわたしは戸惑ってしまう。どこまで踏み込んでいいのか、わたしは分からない。


「……あの樹って何?」


 だからわたしは話題を逸らすように質問を投げる。あの樹は小さいけど、わたしの国の樹を思い出してしまう。


「ただ大きいだけですよ。もちろん、不可解な点は多少見受けられますが。皆、あの樹を神聖視しています。私はよく考えてしまうのです。あの樹がなかったら、きっと私はここではないどこかに行けるのだろうかと」


「……嫌い?」


 わたしの伺うような問いに、カグはにこりとした表情で答える。


「えぇ、程々に。このことは皆には内緒でお願いします。仮にも族長ともあろう者が言うことではありませんから」


「じゃあ、わたしも一緒って言っておこうかな」


 そう言ってわたしも微笑んで返すと、カグは目を丸くして笑い出してしまう。


「あははは! これは大変なことを聞いてしまった」


 大笑いをするカグを見て、わたしも釣られて笑ってしまう。


 あぁ、こういうことなんだと不意に思った。わたしのしたい旅ってこうやって誰かと楽しく話すことなんだと感じた。もしこれをルルと出来たら、わたしのおぼろげ夢が満足するかもしれない。でもそうなると、余計に旅の終わりが見えなくなるかもとも思う。


「ここの人たちって、どうして人間が嫌いなの?」


 わたしは少しカグに親近感が湧いてしまって、もっと色々と話したいと踏み込む。


「……フェム様はおかしなことを尋ねる」


「どういうこと?」


「あははは!」


 突然またカグが大笑いをし始めてしまう。どういうことかわたしは戸惑いを隠せない。何か変なことを言ったのかな。


「いえ、おかしなことを言ったのは、私の方でしたね」


 カグは一息つくように一拍いっぱくを置いて、再びわたしに目を向ける。


「フェム様は我らをどう思いますか?」


「……暖かそうとか? あと、耳が可愛い」


 わたしの返事にカグはまた顔を大きくほころばせる。それはとても嬉しそうでもあり楽しそうで、でも直ぐに目を伏せて見せる憂いを帯びた顔にわたしは気になって仕方がない。


「フェム様は……、いえ、きっと生き物というものは理解が出来ないものを怖がるように出来ているのだと思うのです。人間の形はこうだって決めつけてしまって、それと違うから排斥はいせきしてしまう。それは生き物の本能で仕方がないことかもしれません。ただ、私はその基準が他とは違うようなのです」


「カグの基準って?」


不躾ぶしつけながら、私もフェム様と同じです。私は人間を可愛いと思っています。身に付ける服、多様な髪型、他者と助け合うか弱い姿を、私は可愛いと思うのです」


 カグは穏やかな声色でまるで夢を語るようだった。でも表情はやっぱり憂いに染まっていて、きっとわたしと同じなのかもしれないと思った。

 昨日の村の人たちの様子を思い出しても、カグは色々と苦労してそうだ。


「……カグが族長なら、きっと良い方向にいけると思うよ」


「いえ、そうでもなかったです」


 カグは自分の手を見つめて呟いた。その手は大きく震えていて、見つめる表情は苦痛に歪むように大きく崩れる。わたしはなんて声を掛けていいのか分からなくて、またわたしは何かやってしまったのかと焦燥感に駆られてしまう。


 その時扉向こうで物音が聞こえて、カグは気を取り直すようにわたしに穏やかな顔を向ける。


「ルル殿も起きたようですね。御神木には少し歩きますので、ご準備の方をお願いします」


 わたしはその声に小さく頷くことしか出来なかった。



〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆


 準備を終えて、わたしたちはカグに着いていく形で村から山頂に向けて歩いた。そして辿り着いた大樹はまるで山に埋まっているようで、根元というのが見えなかった。

 カグがいうには大樹の中には上から入るようで、大きな穴が空いているから雨水などが大量に貯まっていると言っていた。天然の貯水庫のようなものだと告げるカグはどこか嘲笑じみていて、きっとこのことも他には言えないことだと思う。


 上には丈夫なつるを引き上げることで滑車のようにカグがわたしたちを運んでくれた。カグ自身は枝を器用に飛び移って上がってきた。


「この中が大樹の王族をお招きしてきた場所です」


 カグに促されてわたしたちは中を覗く。中は湖のように水が張っていて、中央に何か巨大な物体が見えた。


「ここ、どうやって降りるのですか?」


 ルルがそうカグに尋ねると、カグはにんまりと笑みを携えてわたしたちを抱え込んだ。


「口を閉じていて下さい。一瞬ですから」


 端的にそう告げて、カグは躊躇ちゅうちょなく中へと飛び込んだ。わたしの目には強く目を閉じるルルの姿があって、あの時も怖い思いをさせていたのを自覚する。


「大丈夫ですか?」


 力強く着地したカグはゆっくりとわたしたちを下ろしてくれた。


「うん、全然大丈夫だよ。わたしは……」


 わたしの近くでルルが呼吸を落ち着かせるように息を吐いていた。手も少し震えていて、心配だけど何も出来ないのがもどかしい。


「……カグ。なぜここに人間を……?」


 不意に誰かの声が聞こえ振り向くと既に先客がいたようだった。それは昨日、村人から暴行を受けていた人で、確か名前はセンサだっけ。


「センサ、今日もここか。そう言えば、紹介を出来ていなかったな。こちらはルルードゥナの女王、フェム様と付き人のルル殿だ。昨日言ったと思うが、ここへは御神木の診察で招いた」


 紹介を受けたセンサはわたしたちに目を向けて軽く頭を下げる。


「よろしくね、センサ」


 わたしが差し出した手をセンサは見向きもせずに背を向けてしまう。そのまま立ち去ろうとするセンサの背中にカグが声を掛ける。


「どうした? お前はあれだけ人間と話したいと———」


「カグ。あの日の誓いを覚えているか?」


「もちろんだ。忘れる訳がないだろう」


「そうか。……良かったよ」


 センサはただそう言ってこの場から立ち去ってしまった。一瞬見えたセンサの顔が寂しそうで、さっきのカグと重なって見えてしまう。

 何か考え事をしてるように呆然とするカグに話し掛けようとした時だった。


『あぁ、愛祈あき様。もう、そんな時期ですか』


 声が聞こえた。それはルルでもカグでもない。どこかから聞こえたという声でもなかった。まるで自分の内から湧いてきたような声で、でも声の元を探して自然と頭を振ってしまう。


「どうかなさいましたか?」


 カグが心配そうにわたしに目を向ける。その様子からこの声は聞こえていないようだけど、わたしはカグに聞いてみる。


「声、聞こえない?」


「いえ、私は何も」


 カグは怪訝そうにそう答えて、視界の端ではルルも同じ顔をわたしに向けている。


『愛祈様、そこの付き人を下げさせなさい』


 やっぱり声は聞こえる。年季ねんきの入った男性の声だ。あきと呼ぶ声は誰に向けているのか知らないけど、なぜか自分に言ってるように思えてしまう。


「フェム様。先代からは女王様を一人にするようにと聞かされていますので、私はルル殿を連れて外で待機しております」


「……うん、分かった」


「では、戻りましょうかルル殿」


「え? それだったら私が降りる意味あったんですか?」


「あははは!」


 不満顔のルルにカグは笑って誤魔化ごまかしていた。どうやって出るのだろうと思っていたら、カグはルルを抱えて大樹の内壁の壁を器用に登っていった。


 そうして一人になったわたしは前を向く。上から見た大きな物体は近くで見るといびつに歪んでいて、見た目は木の表面のようにざらざらしているのに触れてみるとつるつると滑らかだった。


『愛祈様、此度こたびも変わらずに美しゅうございます』


「ねぇ! あきって誰のこと?」


 何度もあきあきとどこかから飛んでくる声に、わたしは堪らず叫ぶように問い掛ける。


『貴方のことですよ、大樹の女王』


「どこにいるの?」


『ここですよ、愛祈様』


 不意に触れていた謎の物体がほのかに光った。


「……ここ? この中?」


『えぇ、そうです。ですが愛祈様。今回の愛祈様は中身までそっくりで、昔のことを思い出してしまうわい。あぁ、懐かしい……』


 一人で勝手に意味の分からないことを謎の声は話し続ける。疑問は色々とあるけど、取り敢えずはわたしをよく分からない名前で呼ぶことが気になってしまう。


「ねぇ、わたしはあきじゃなくてフェムなんだけど。あきって誰のこと?」


『……フェム? 貴方様は何を言っておられる?』


「それはこっちの台詞せりふ。さっきから何を言ってるの?」


『……どういうことじゃ。そうじゃ、今回はやけに話す。一体、何が……』


 何やらぶつぶつと話し込んでしまった。混乱しているのはわたしの方なのに、この声の主はわたしと会話をしようとする意思を感じられない。

 この何かはわたしを愛祈と呼び、巡礼で訪れる場所にいる。わたしについて関係のない者ではないことは明らかだ。誰も何も教えてくれなかった疑問に答えてくれるかもしれないと少し気持ちが逸る。それを抑えるようにゆっくりと口を開く。


「わたしのこと、何か知っているの?」


『……もちろん、全てを知っている』


 わたしはまた何かはぐらかされると思っていた。だから、その予想もしていなかった返答に逸る気持ちが抑えられなかった。


「教えて、全部」


『それは出来んわい』


「何で……? 何でみんなそうやってはぐらかすの?」


『貴方様が壊れてしまうからのう。だから私たちは少しずつ話すのです。それが巡礼。貴方様が自身の役割を知るために必要なこと』


「……壊れるってどういうこと?」


『もう、儂には何も分からん。今何が起きていようが、儂には何も出来ない。ただ受け入れることしか出来ないのです』


 謎の声はわたしの問い掛けに答えようとしない。さっきまで受け答え出来ていたのに、もう答える気はないと言うみたいで。


「聞こえてるでしょ? わたしは何?」


『今から話すのは貴方様とこの世界のお話です。……その前に、愛祈さ……、いえフェム様でしたか。貴方様の選ぶ行く末は、こうなってはどう転ぼうと酷いものとなるだろう。……申し訳ありません、全て私たちが至らなかった所為でございます』


 突然の謝罪にわたしは何も言えなくなった。急に胸が苦しくなって、喉が震えた。何かがわたしに訴え掛けているようで、わたしはその抗えない変化にただ戸惑って。

 謎の声がゆっくりと言葉をつむぎ出す。



〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆


 話が終わって、声が不意に途絶えた。先程までずっと淡い点滅を繰り返していた大きな物体は鎮まり、大樹の内部は不自然な静寂に包まれる。


「……ねぇ、今の話は何?」


 言わなくたって分かる。もう何を聞いても返答は来ないって。でも、聞かずにはいられなかった。

 何の意味もわからなかったから。その話にわたしが求めていた答えは何もなかったから。


「答えてよ!」


 話を聞いて、わたしはただ怖いと感じた。



〜*〜*〜*〜*〜*


「ーーッ!?」


 突然左腕に何かが走った。自分の腕の中に何匹もの虫がいずるような大きな不快感。思わず右腕を振り払ってしまって、右腕を注視してしまう。それは初めての偽絆ぎはんの結びからの反応だった。


「ルル殿? どうしました?」


 隣のカグさんが私に心配そうに尋ねてくれた。


「……いえ、何でもないです」


 私は右腕を抑えて笑顔で応じる。結びの反応は一瞬だった。今までかたくなに何も伝わらせようとして来なかったのに、なぜ急に来たのかと大樹に目を向けてしまう。あの不快感が何の感情を表しているなんて分からないけど、何もないはずはない。


(……中で何かが?)


 あの人を心配なんてしない。人並み外れているし、そんな義理もない。でも、あの人に何かがあったら私の誤解も解かれないから。

 私は大樹の中で何かが起きているかもしれないことをカグさんに伝えようとして。


「……センサ」


 センサさんがゆっくりとこちらに歩み寄って来た。手には槍を持っていて、表情は固そうに見える。身にまとう雰囲気が刺々しくて、自然と警戒するように全身に力が込もってしまう。


「どうした、センサ。また、村の奴らに絡まれたか?」


 センサさんはカグさんに何も答えない。私に突き刺すように一瞥いちべつをして、カグさんを強く見据える。


「センサ、すまない。今は彼女らの護衛で離れられないんだ。村には無理に居なくてもいいぞ」


「……カグ、貴方に言うことがある」


 センサさんはそう告げて右腕を上げる。その手に持つ槍をカグさんに向けながら、言い捨てる。


「私と決闘をしろ」

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