第23話 人ならざぬ者

〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆


 異変は直ぐに起きた。山道を歩き始めて直ぐ、何かの視線のようなものを周りから感じた。生命力マナの気配は小さく、消え入るようなそれは人のもの。


 わたしはゆっくりと歩く速度を落としてルルとの距離を狭めた。ルルも何かに気付いているようで、わたしの行動に怪訝そうな顔をすることもなかった。ルルをわたしの守れる距離に置いて、わたしは大きく声を上げた。


「気付いてるよ! 何?」


 わたしの声を合図に、山道に生い茂る草木が揺れた。わたしたちを囲うように草が掻き分けられる音が響いて、その正体をわたしたちに現す。


「…………魔物?」


 まず初めに大きな体躯たいくが目立った。全身は真っ白な毛で覆われていて、耳は頭の上部でピンと立っていた。人間のようにしっかりと二本足で立ち、その大きな手には槍が握られている。衣服は簡素な布を胸と腰に巻いているのみで、それ故に人間離れしたゴツい身体付きが強調されている。

 数は十はゆうに超えている。何が起きても対応できるように神経を集中し続けながら、まずはこの囲われた状況を脱することを第一に考える。そんな警戒中のわたしに不意の声が届いた。


「人間、ここは我らの聖域だ。何人たりとも立ち入ることを禁じている」


 その力強い発声は確かにこの魔物たちからだった。人語を話せるのかという事実に少し戸惑いつつも、息を少し吐いてからわたしも応じる。コミュニケーションが取れるのなら、無駄な争いはしたくない。


「通るだけなんだけど、それでも駄目なの?」


「……最後にもう一度だけ言う。直ぐにここから立ち去れ」


 彼らはわたしの声なんて聞こえていないように、ただ忠告だけをわたしたちに告げる。一瞬、やっぱり言葉が伝わってなかったのかと思ったけど、違うことは彼らが身にまとう雰囲気で分かった。わたしたちの言い分なんて聞く気はないと、そう告げている。


「……ルル、わたしの後ろにいて」


 呟くように後ろのルルに伝える。わたしたちを威圧するように睨み上げる彼らを、こちらも負けじと睨み返す。


「答えは、それでいいな」


 辺りが緊張に包まれる。彼らがゆっくりとわたしたちに槍の先端を向ける。草木の向こうにもまだこの人たちが控えているのを、生命力マナの探知で把握する。反応が小さくて草木と混じって全てを把握出来ないけど、二、三十人近くくらい。


「可愛いね、その耳。勝ったら触ってもいい?」


 わたしの少し願望混じりな挑発に、どこかから怒声が飛んだ。その内容を読み取る暇もなく、草木の向こうから何か鋭利なものが降りかかる。

 それが何か目視する間なんてないから、わたしはイメージする。わたしたちを覆い尽くす半円状の膜は、あらゆるものをき止める。生命力マナが身体から飛び出して、わたしたちを覆い隠すように展開される。それが飛翔する何かを停止させた。まるで宙に浮いているみたいに、魔法を使えない人にはそう見えるはずだ。


「……弓矢か」


 わたしの生命力マナが捕まえた弓矢たちを近くでまじまじと見つめて呟く。


「な……、なんだ、それは」

「お、怖気付くな。行け!」


 辺りから畏怖に満ちた声が上がる。何人かは警戒するように立ち止まり、それでもなお立ち向かって来る人たちを、魔法により発生させた暴風の塊をぶつけて吹き飛ばす。その衝撃が木を大きく揺らして、辺りは静寂と緊張に包まれる。


「……ば、化け物……」


 どこかからそんな恐怖に満ちた声が聞こえて、わたしは応じるように目を細めて凄んで見せた。


「もういい? 通るよ」


 向こうからの返事はなくて、ただわたしに畏怖に満ちた目を向けて後退るだけだった。この様子なら目の前を素通りしても問題ないだろうと一歩進んだ時だった。


「……?」


 何かが目の前に飛翔してきた。着地したその人は他の人たちと同様に魔物じみた見た目で、頭の毛を赤い髪留めで結んでいるのが目立っていた。

 一瞬わたしたちに目を向けて直ぐ、辺りを見渡すように視線を彷徨さまよらせた。見た目は他の人と何も変わらないの、まとう雰囲気なのかわたしは自然と警戒を強めてしまう。油断をしてはいけないと直感的に感じさせられた。


「……これは、何事だ!」


 その大きな発声は辺りの空気をひりつかせた。たった一声で辺りの空気がこの人のものとなる。それはわたしたちに向けた声ではなく、辺りにいる人たちに向けた声に思えた。


「……族長、あの人間たちが我らに攻撃を……」


 どこかからそんな声が聞こえて、わたしは思わず否定の声を上げることを我慢出来なかった。


「先に仕掛けて来たのはそっちでしょ!」


 わたしの反論に抗議するように周り中から声が幾つも上がった。それが何重にも重なって聞こえるから、内容は理解出来ないけど納得していない空気は伝わって来る。

 そんな湧き上がる声なんて聞く気もないように、目の前の族長と呼ばれたこの人がわたしに目を見遣る。警戒するように細められた目は少しずつ見開いていって、ぽつりと呟き声を零した。


「……貴方はもしや」


「何?」


 場違いなその声に思わず疑問が口に出てしまった次の瞬間。


 族長がわたしの目の前でひざまずいた。突然のことにわたしはぽかんと口を開けてしまい、周りも何事かと騒つく。


「お待ちしておりました。大樹の女王」


 頭を下げて整然と言う族長に、わたしは動揺を隠せない。


「え? ……何?」


「それはどういうことだ、カグ」

「そうだ! 族長ともあろう者が人間に頭を下げるなど……」


 周りからも様々な疑問と驚嘆に溢れた騒めきが族長に降り注ぐ。頭を上げた族長は、そんな周りの声なんて意にも介さないようにわたしに言う。


「お騒がせしてしまい申し訳ありません。お怪我などは……ないようですね。後ろの方は護衛の方でしょうか?」


「……うん。それよりも、どういうこと?」


「カグ! 説明を願おうか!」

「これは我らの掟に反する行為ぞ!」


 族長は周りの声がわずらわしいとでも思うように顔をしかめて重い溜息を零した。


「すみません、女王様。少しだけお時間を頂いても?」


「うん、大丈夫」


 わたしが頷くと、族長はわたしに背を向けて周囲に向けて声を発した。


「この方たちは大樹の国から来た客人だ!」


「客人? なぜこんな場所を訪れる?」

「そうだ! 人間が来るような場所ではない」


「我らが御神木の管理をなさってくださるからだ! これは先祖代々族長に託され、彼女らを招くことは決まっていることだ」


「なぜ、我らには伝えんのだ?」


「……人を忌み嫌うお前たちに告げても無駄なことだろう」


 族長は持つ槍に込める力を強めて、忌々しそうに吐き捨てた。その言葉は囲う彼らの怒りを買ったようで、族長に尋ねる声は責め立てるように熱がこもる。


「無駄だと? まだお前はあんな世迷言を言うつもりか!」


「何か文句があるのなら、我らが掟で持って応じてもらおうか。強き者に応じるという我らの総意だろう。私はいつでも受けて立つが」


 そう言い放って、威圧するような目線を周りに巡らす。反論の声は何も上がって来ず、わたしの視界には苦々しい顔をする彼ら表情が窺えた。


「下がれ! これ以上、客人に無様な姿をさらすことは我らの恥と思わないのか!」


 周囲の空気を引き裂くような怒声を受けて、彼らはゆっくりと姿を消して行った。張り詰めた空気はしぼんでいき、正常な静けさが戻る。

 わたしたちに顔を向き直した族長は、再び頭を下げる。


「申し訳ありません、女王様」


「ううん。それよりも、どういうこと?」


 向こうも落ち着いた様子なので、わたしは再び疑問を口にする。そんなわたしに族長は何を言っているのかという不思議そうな顔を向けた。


「……女王様は、こちらに巡礼で訪れたのではないのですか?」


「あー……、うん。そうだった」


 わたしは取り繕うように笑いながら答える。

 巡礼は世界各国に挨拶をしに行くと聞いていたけど、こんな森の中にも行くのだと疑問が浮かんでくる。わたしはここの誰に挨拶をする予定なのだろうか。この族長ではないようには思えるけど。


「それよりも、先代から伺っていた話と違いますが何かあったのでしょうか? 護衛……もお一人しか見受けられませんが……」


 族長はそう言いながら後ろのルルに訝しげな目線を投げかける。流石にルルをお城の護衛と言うのは無理がありそうだ。わたしは視線を遮るように横に逸れて、話を逸らすように質問をする。


「……伺ってた話って何? 気になるな!」


「お見受けの通り、我ら部族の事情もあって内密にお越しになられると聞いていました。合図として色のついた狼煙のろしを上げて頂けると……。それに来られる時期も少し尚早しょうそうのように思えます」


「ちょっと事情があってと言うか、今は二人なんだ。もちろん、巡礼はしに来たつもりだよ」


 思い切り偶々だけど、と心の中で呟く。巡礼というのがわたしの仕事だとしたら、出来ればやっておきたいと思う。色々と自分勝手なことをしているからせめてもの償いというか。わたしも女王としての何もかもを放棄したいというつもりはない。ただ、この力を失うような気配があったら逃げるとは思うけど。


 族長の怪訝そうな表情の色は薄れないけど、あまりわたしに詰め寄ることはなく受け入れてくれそうだ。正直、巡礼は何をするのか何も把握してはいないけど、出たとこ勝負で行くしかない。


「それでは早速、御神木までご案内したいところでしたが、もう日も暮れてしまいますので、今日は我らの村でお休みになって下さい」


 族長の提案に先程の張り詰めた空気が脳裏に過ぎってしまい、わたしが何か言うよりも早くに後ろから声が発せられた。


「あの、私たちが泊まっても大丈夫なんですか?」


「はい。お二人の側で常に私が護衛します。私は村で一番の腕利きですので、何の心配もなくお休み下さい、と言っても、私の助けなんて必要もないとは思いますが……」


「ううん、助かるよ。貴方が居てくれた方がルルも安心出来ると思うから」


 わたしはルルからの信用なんてないし、族長が近くで守ってもらっている方が安心してくれそう。


「あ、そう言えばだけど、貴方の名前は?」


「カグと申します、女王様」


 カグは大きなごっつい胸に手を当てて丁寧に礼をした。その姿はとても様になっていて悪い気はしないけど、敬られるのは背筋がむず痒くなってしまう。


「わたしはフェム。女王様って呼ばれるのは嫌だから気軽に呼んで。後ろの子はルル」


 わたしの言葉にカグは少し困ったように顔を歪ませるも、直ぐに気を取り直すように笑みを浮かべた。


「では、……フェム様とルル殿ですね。村までご案内致します」

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