2章 偽りの絆を結ぶ

第15話 当てもなく、二人

〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆


 思い返せば、いつだって目に浮かぶのは同じ景色。

 わたしの世界には壁がある。角もあるし、空にはふたがしてあった。毎日この無風景な世界でわたしは何をしてたのかな。思い出せないくらい退屈が日常になっていた。

 でも、このつまらない世界にぽつんと置かれた絵本の中の世界は、きらきらと輝いていた。悪い人たちをやっつける勇者がいて、困っている人たちに手を差し伸べる。


 わたしは自分のことなんて何も分からない。何でこんなところに閉じ込められているのかも。扉の向こうで話してくれる顔の知らない人は、わたしのことを何も教えてくれない。でももう大丈夫。この絵本があれば、わたしの世界は広がる。


 この世界が例え造られた空想のものでも構わない。きっと、今ここにある世界よりつまらない世界はないから。


 わたしには夢がある。例え何を犠牲にしてでも、叶えたいと思った。でも……。




「本当にここでいいのかの? もう少し行けば、アトという港町もあるぞ」


「ううん、ここで大丈夫。ありがとう」


 お金なんて持ってないから、色々と身に着けられた装飾品を渡したら、すごく喜んでくれた。まずは一つ、不安を解消できて少し安心する。


 わたしの目の前には鬱蒼うっそうとした森林が広がっている。お爺さんの言う通りに港町で降りた方が良いと思うけど、きっと今頃にお城からの追ってが来てるかもしれないと思うと、出来るだけ予想もつかない道を進もうと思った。


「…………」


 わたしは一つ息を吐く。後ろにいる子に話し掛けるのに、なぜだか勇気がいる。


「……ルル、その、今から少し歩くけど、大丈夫?」


 ルルはずっと顔をうつむいていて、わたしが話し掛けても何も答えてくれない。目どころか顔すら合わない。


(とにかく、進まないと……)


 このままここで立ち止まっていても何も進展はないから、わたしはルルの様子を見ながら歩み出す。ルルはちゃんとついてくるとわたしに言っていた。それを信じて歩く。

 ルルは何も言わずにわたしの後ろを歩いて来てくれる。わたしと距離を空けて、きっと知らない誰かが見たら、他人みたいな距離感で。


(……こんなはずじゃなかったのに)


 今この目に映る世界に壁なんてない。角もないし、空に蓋なんてない。どこまでも世界は広がっていて、きっと端なんてどこにもないって分かる。

 けど、わたしの気持ちは全然晴れない。あの小さな世界にいた時と同じ、もしかしたらあの時以上に。


(ねぇ、ルル。わたしのこと、嫌い……だよね。きっと)


 わたしはゆっくりと歩き続けた。偶にちらっと後ろを確認して、ルルがついて来ているのを確認しながら。


(歩き疲れてない? お腹空いてない? ねぇ、ルル……)


 喉の奥で何かが突っかかってるみたいで、声が上手く出せない。景色なんて何も目に入らなくて、わたしたちはただ当てもなく歩き続けた。


 いつの間にか日も暮れてきてどこかで休むべきだと思うけど、辺りにはそんな場所は見当たらなかった。

 わたしは何も知識や経験なんてないから、こういう時はルルに何か聞きたいって思う。


「…………ねぇ」


 口が固まってるみたいに上手く動かせない。声なんて意識しなくても出せるものなのに、今まで何をどうやって声を出せてたのかを必死に探し続ける。


 ルルはわたしに顔も向けることもなく道を逸れると、近くの大きな木の根元に座り込んでしまった。それを今日はここで休むという意味だと捉えて、わたしもルルと少し距離を空けて腰を下ろした。


(なんか火とかいるよね……)


 今は暑くも寒くもないけど、ここで一夜を過ごすことになるなら焚き火とか必要かもしれない。それくらいの知識は持っている。そして、その手段もわたしにはある。


(……よし、やってみよう)


 わたしは昨日から魔法を使ってない。それはわたしが魔法を使えたのは、昨日だけのことかもしれなかったから。もしそうだとしたら、わたしがルルを連れて来たことの意味がなくなる。わたしはこの魔法の力を奪われることを恐れて、こんなことになってしまったんだから。わたしのこの力は城の人たちの管理下にあったって、今は思いたい。


 わたしが魔法を使えると教えられたのは最近のこと。だから自分でもよくこの力を理解はしていない。フー爺が言っていた。強い気持ちで明確な想像をする。

 わたしの全身に血液のように流れる大きな力の奔流が意志を持つ。わたしの頭の中のイメージを形に成すように、身体から何かが離れるのを智覚ちかくする。そして、わたしの肌が熱を感じる。それを確認するように、ゆっくりと目を開いた。


「…………良かった」


 安堵して思わず声が出てしまった。でも、本当に良かった。あのコールという男の子との約束もこれで守れる。


 わたしは頭上で浮かぶ火の玉を集めた小枝に飛ばす。ばちばちと焚き火がわたしとルルの間を明るく照らす。脚を立てて顔を埋めるように隠すルルの姿を明確に浮かび上がらせる。


「……旅の目的は何ですか?」


 そんな声が微かに届いて、わたしは前を向く。ルルは依然と顔を伏せてうずくまったままで、わたしに顔を見せる気もないようだった。


「……目的は」


 わたしの夢は自由に旅をすること。でも旅の目的なんて正直に言うと……。


「あなたは言いました。冒険が終わったら戻るって。終わりって何ですか? 何をしたらこれは終わるんですか? いつになったら、わたしはみんなの元に戻れるんですか!」


 ルルが今どんな顔をしてるかなんて、その声の刺々しさで分かってしまう。ルルは旅なんてしたくないって言われなくても分かっているよ。

 わたしは正直に話すことにした。きっとそれはまたルルを怒らせることになるのは分かっているけど、わたしはそんな器用じゃない。


「……わたしが満足したら、ルルードゥナに戻るつもり」


 明確な目標なんてない。ただそうしたかったから。


「……なに、それ」


 ルルの返答はわたしが想像してたものより大人しかった。また怒られると思っていたのに、その諦めみたいな言葉に心が締め付けられる。大きな声で怒鳴られた方がましに思えた。


「…………」


 それ以上、ルルからの言葉は何もなかった。まだたくさんわたしへの文句があるなら言って欲しいって、心の声で何度も言う。


 焚き火の向こうでルルの小さな身体がはかなく揺れている。風が吹けば消えてしまいそうで、ずっとその姿をこの目に捉え続けながら……。


「………………」


 言わないといけないこと、聞きたいことがたくさんある。でも、そんなことを聞ける権利がわたしにあるのかな。ルルを傷付けてしまったわたしが、そんなこと……。


(絵本はもっと単純だったのに……)


 酷い目に合わされた奴隷の女の子がいて、勇者は手を差し伸べる。悪いやつをやっつけて、それでめでたし。でも現実はそうじゃなかった。これじゃあ、わたしが悪いやつみたいだ。


(……みたい、じゃないよ。どう見たってわたしが悪い)


 ルルの言ってた通り簡単な話。わたしがルルを連れて、わたしは誘拐なんてされてないって言えばいい。そしてルルを返してわたし一人で旅をすればそれで解決する。

 でも、怖い。またあの小さな世界に閉じ込められるのが怖い。


(魔法なんて使えなかったら……)


 わたしはこの夢を手放せたのかな。あの小さな世界で、わたしは誰にも気づかれずに死ねたのかな。……ルルのことを、こんな目に合わせずに出来たのかな。魔法が今使えなくなったら、わたしは全てを諦めて戻れるのだろうか。


(……最低だ、わたし)


 それでも、わたしは諦めきれない。

 この力がまだあるのなら、わたしはずっと夢見たこの想いを手放すことは出来そうにない。もう既に一人の女の子を不幸にしているくせに。


「……ごめんね」


 言っている自分でも卑怯ひきょうだと思う。こんなこと言っても、何も変わらないのに。

 でもわたしにはそう言うしか出来ない。気持ちはたくさんこめているのに、中身がないようにしか聞こえない言葉をわたしは言う。


 こうして、わたしたちの旅の初日は終わった。

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