第16話 森の中の邂逅
〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆
しんと静寂の中、二つの足音だけが頼りなく地面を踏む音が聞こえる。日はゆっくりと西に傾いていて、空は赤みを帯び始めていた。
わたしは今日も漠然とした気持ちのまま、どこかに向かって歩いている。どうせわたしのことを女王だなんて誰も気付きはしないだろうけど、人目を避けるように森の中を歩く。
この森に入ってかなり歩いたつもりだけど、まだ先の景色は草木の一色で、今日中にこの森を抜けられるか不安になってきた。この森は魔物の気配も感じているから、出来ればここから抜け出したいところだけど。
(暗くなったら、ルルのことを守れるか不安だし……)
そう思って後ろのルルに顔を向けて見ると、ルルはもう既に座り込んでいた。わたしが気付かなかったらどうするつもりだったんだろうって一瞬考えて、でも直ぐにルルはそれでも構わないんだろうと思考が着地する。
やっぱりここで休んだ方がいい。視界が悪い夜にそんなことをされたら、わたしは気付ける自信がない。ルルはわたしと並んで歩いてはくれないから。
わたしはまた魔法で火を
焚き火の向こうに座るルルは、ルルードゥナの小屋を出る間際に腰に身に付けていた小さな鞄から、何かの木の実みたいなものと鉄製のお皿を取り出した。そして近くに生えている雑草をじーと観察するように
(何してるんだろ……?)
気になるけど、何も聞けない。わたしはあまり見過ぎないように、ルルの様子を伺う。
ルルは木の実の中をほじくるように両手で潰すと、細かな粒がお皿の上に落ちた。お皿を焚き火に当てると、手に取った草木を木の棒ですり潰していき、木の棒で
すると、何かがわたしの鼻をくすぐった。
(……いい匂い)
ルルードゥナの時のルルとは違う香りだけど、安心する匂いだった。ルルは顔を上げて香りの広がりを確かめるように周囲を見渡すと、またいつも通りに顔を伏せてしまう。
わたしにはこの匂いが何なのか分からないけど、あの時に言っていた魔物除けの香りというやつかもしれない。
(ルルは、こういうことに慣れてるのかな)
さっきの慣れた手付きをわたしは思い出す。わたしはルルをこの森で一人にしたら危ないって思ってたけど、そんなことは
(……何も出来てない)
あの男の子、コールと約束したことが頭に
「…………」
わたしの視界に、わたしの火に
昨日も思ったけど、ルルはあまり寝れてないと思う。寝たと思ったらうなされるように顔を不意に上げて、また顔を
「…………ッ」
心に浮かび上がる様々な気持ちを上手く言葉に出来ずに、ぎゅっと唇を噛み締めたその時だった。
「誰っ!!」
近くで小さな気配を感じて、わたしは声を張り上げた。気配の大きさから魔物ではないのは分かる。この微かに消え入るような小さな気配は人のものだ。もしかしたら、もうルルードゥナの城の人間に追いつかれたのかもしれないと、緊張がわたしの全身を走る。
わたしは起き上がったルルの前に立って、少し先の草むらを注視する。その草むらが揺れて、小さな影が飛び出る。
「ウィム! ……って、違った」
「……子供?」
草むらから飛び出してきたのは、小さな男の子だった。とても利発そうに目や口元がはっきりとしている短髪黒髪の男の子。
その男の子はわたしたち二人の顔を見渡すと、切羽詰まった表情でわたしに詰め寄ってきた。
「あの! ウィム……、俺と同じくらいの男の子見なかった?」
「男の子? 見てないよ。その子がどうかしたの?」
「あいつ、
ずっと走って探していたのか、息も途切れ途切れに男の子は話す。着ている服が草木で汚れていて、それだけ必死なんだと見ただけで分かってしまう。
「任せて! ちょっと探してみるから」
今にも走り出しそうな男の子の肩に手を置いて、わたしは落ち着かせるように微笑みかけた。
「探すって、どうやって……」
「分かるの。何となく人とか魔物の気配みたいなものが。それで探してみる!」
目の前の男の子はわたしを
何となくそう思っていたけど、わたしが色々なところから感じ取れるこの“気配”は、わたしだけが出来るものかもしれない。魔法を使う時もその“気配”は顕著に感じるから、きっと間違いではないと思う。
わたしは変なやつだと思われたかもしれないけど、今はそんなことを気にしている場合じゃない。それにこういうのは、実際に見てもらった方が話が早い。ルルもそうだったしね。
「ちょっと離れててね」
脚を畳むように屈んでわたしはイメージする。空高く跳び上がって、この森全体を見下ろす自分の姿を。すると自然とわたしの全身から感じる気配が、両脚に集中していくのが感じ取れる。その力の集まりを解き放つように、わたしは地面を蹴る。
「うわぁっ! すげぇ!」
足元から遠く、男の子の驚嘆の声が聞こえた。
わたしは全身で風を感じながら、イメージした通りに森の全貌をこの目に収める。ふわっとした感覚にこの身を任せつつ、わたしは思考を巡らす。
(取り敢えず、難しそうだけどやってみよう)
気配は人や魔物はもちろん、植物や木からも感じる。その中で一番小さく感じるのは人の気配。その次に草花で次は木。一番大きいのは魔物。この草花や木が
目を閉じて、五感に意識を傾ける。下から無数に感じ取れる気配の粒の中から、動いているものだけをすくい取る。森の全体から一箇所ずつ意識を傾けていく。わたしの真下にある小さな気配はルルと男の子のもの。
(……やっぱ、これじゃ時間が掛かり過ぎる)
わたしはもう大雑把に森全体に意識を切り替える。大きな粒が複数、群れとなってどこかに移動している。これは魔物のもので……いや、と言うよりこれは……。
(何かを追い掛けてる?)
わたしはその魔物たちが向かう先に意識を集中させた。そして微かに捉えた、ルルたちと同じ小さな気配の動く粒を。
「見つけた!」
わたしは直ぐに勢いよく地面に着地して、目を丸くする男の子と怪訝そうに目を細めるルルに告げる。
「多分だけど、見つけられたと思う。魔物に追いかけられてるみたいだから、君はルルと待ってて!」
「待って! 俺も一緒に———」
わたしは地面を力強く蹴って、前に駆け出す。突風を顔面で受け止めながら、ただ一直線に向かう。
〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆
直ぐに追い付くことが出来た。
視界の先に複数の犬の魔物たち。その先には小さな男の子がいた。さっきの利発そうな男の子と歳も近そうに見えるから、きっとあの子がウィムって子に違いはないはず。
わたしは駆け出す勢いそのままに、男の子と魔物たちの間に割って入る。
「大丈夫? 怪我とかしてない?」
顔は正面の魔物たちに向けたまま後ろの男の子に声を掛けるも返答はなく、わたしは振り返って様子を確認する。見たところ目に見える怪我はしてなさそうだ。怖がっているだけかもしれない。
(まずは、ワンちゃん退治からだね!)
数は十匹。犬の魔物はルルードゥナの時と違ってその身体はちゃんと肉を持ち、鋭い犬歯が口からよだれと共に飛び出している。そしてあんまり可愛くない。
わたしはイメージする、ルルードゥナの城から飛び出したあの時のことを。周りにいくらでもある草木を操ってこの子たちを拘束しようと。
わたしの身体を覆う気配が、この身体を離れていく。それは魔法を使う時のいつもの感覚で。
「……え?」
不意に、わたしの身体を離れた気配が弾けた。目の前に近付いて来る魔物たちは健在で、周りの植物たちにも変化は見られなくて。全身に悪寒が走った。
それは魔物の牙が直ぐそこにまで迫って来ているから……ではなくて、魔法が今になって使えなくなったのではという考えが、わたしの頭の中を侵食し尽くしてしまったからで。今眼前に迫る危険になんて何も感じていなかった。一人の少女の、顔だけが浮かんで———
「———危ない!」
後ろから届いた男の子の叫び声が、わたしの鼓膜を揺らして直ぐに、
(近っ……づくな!)
目前まで迫っていた魔物の身体が突風にさらされたように大きく吹き飛ぶ。その様子に他の魔物たちは警戒するようにわたしから距離を置いた。
ばくばくと高鳴る心臓を落ち着かせながら、わたしはさっきの出来事について考える。あの瞬間、何か大きな気配をわたしは確かに感じ取った。まるでわたしを拒んだみたいに、大きな力に弾かれたような感覚。でも、今はそんなことよりも確認しなければいけないことがある。
(……大丈夫、変なことは考えるなわたし)
わたしはもう一度魔法を使う。自分の周りにいくつかの火の玉を作り出す。わたしの肌が感じ取る熱に、思わず安心して息を吐いた。
何が起きたのかを今考えても仕方がない。魔物たちは依然、戦闘態勢を崩さずにわたしを睨み続けている。
(下手したらやられてた。もう余計なことはしない……)
わたしも
「行くよ!」
わたしに真っ直ぐに飛び掛かる一匹の魔物に、こちらも直進してその怖い顔に蹴りを入れて大きく吹っ飛ばす。その子が遠い木に叩きついたのを合図に、残りの九匹がわたしを取り囲んで襲い来る。
わたしは自分の周りを漂わせていた火の玉たちを、頭上でぶつけ合わせて炸裂させた。大きな爆発音と共に火の粉が宙に散る。わたしはその火の粉一つ一つに意志を宿す。
「行っけぇ!」
突然の爆音に驚き後退する魔物たちの顔に向かって、その火の粉たちは踊るように向かって行く。それが全ての魔物たちに着弾すると、痛苦の声を上げて魔物たちは逃げて行った。
その様子を確認して、わたしは息を吐いて肩の力を抜いた。正直、こんな苦戦するような魔物じゃなかった。これはわたしの油断や
「いた! すごい姉ちゃん。あ、ウィム!」
逃げて行った魔物と入れ替わるように、ルルとさっきの男の子が姿を現した。男の子はわたしの後ろの子に気付いたようで直ぐに駆け寄って来る。
「良かった、この子がウィムだね」
「うん、ありがとう、姉ちゃん! お前もちゃんとお礼を言えよ」
男の子がそうウィムに急かすけど、ふいっとそっぽを向いてしまった。
「……別に助けてなんて言ってない」
「わたしはウィムに助けてもらったよ、ありがとう!」
ぶっきらぼうに言い放つウィムにわたしはさっきのお礼を伝える。ウィムが声を出してくれなかったら、わたしは魔物に噛まれていただろうし。
けどウィムはわたしに目もくれず、一人でどこかに歩き去ってしまった。その様子をどこか呆れたように見送る男の子に聞く。
「追わなくていいの?」
「もう大丈夫。あっちは家の方だし。姉ちゃんたちも、もう日も暮れるから良かったら泊まってってよ! ウィムを助けてくれたお礼もしたいから」
男の子の有難い提案に、わたしはルルの顔をみて様子を窺う。けど、ルルもそっぽを向いてしまう。
(ルルも野宿ばっかで疲れてるよね……)
「じゃあ、泊めてもらおうかな」
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