第10話 夢野の鹿

〜*〜*〜*〜*〜*


「……え?」


 気がつくと、私は大きな広場で突っ立っていた。目の前には円形の舞台、後方には長い廊下が続いていて、このような廊下への通路がいくつもここへと繋がっているみたいだった。


(ここ、どこだろう。私、何をやって……?)


 何かを思い出そうとしてみても、頭がぼんやりとしている。


「どうされました? アナセン邸のルル殿。帰り道が分からないのでしたら、私が城外までご案内致しましょう」


 不意に届いた声に、私は驚いて少し肩が跳ねてしまう。振り返るといつの間にか、白い甲冑かっちゅうを身にまとった恰幅かっぷくの良い男性が、こちらに愛想の良い笑みを見せて立っていた。


「アナセン様のお遣いも無事に終わられたみたいだ。さぁ、こちらまで。ここは複雑ですから、出口までお連れしますよ」


 そう言うと、その兵士の方は私の返答などお構いなくという様子で早々に進み出してしまう。私は置いていかれないように慌ててその後を追い掛けた。


(アナセン様のお遣い……?)


 なんとなく、アナセン様と話した記憶はぼんやりとある。何か大事なことを話した気がする。でも思い出せない。何かを受け取った気もするのに。心臓の音だけが何かを訴え掛けるようにバクバクとうるさい。


「……どうでしたか、我が城は? 巨大な大樹の樹冠に埋もれる城なんて、世界中探したってここだけでしょう。夢みたいな光景だって、皆さんおっしゃりますよ」


「…………夢みたいな」


 不意に、脳裏に花々が浮かんできた。懐かしい花もある。私が昔良く見てた花。知らない不思議な花もあった。真っ白で細い線状の花弁が広がる不思議な花。もし赤色だったら火花みたいだったと思う。白で良かった。あの夢を連想させないから。


「……どうされました? ルル殿」


 その花々の中で綺麗な少女が踊っていた。彼女の黒と白の不思議な髪が風で舞う度、花々も揺れる。一緒に踊るように、風に散りゆく花弁が光の粒になって舞い踊る。

 不意に目が合った少女は私に微笑み言う。


———大丈夫。怖くないよ。


その時、頭も中で何かが弾けて吹き飛んだように、私は思い出した。アナセン様と話したことやあの摩訶まか不思議なあり得ない景色。不思議な白い花と綺麗な女の子を。


「あの、儀式の際に頂いた白い花はどこですか?」


 私は立ち止まる兵士の方の背中に問い掛けた。ずっと手に持っていたはずのあの花を、もう一度見たいと思ったから。二人に、アナセン様に、あの花を見せたいと思ったから。


「……なぜ、覚えて・・・いる?」


 兵士の方は、こちらに向くこともなくそう呟いた。その大きな背中から溢れ出る圧迫感のようなものに気圧されて、私は思わず後ずさる。


「……だから、反対だったんだ。こんな薄汚い子供を選ぶのなんて」


 ゆっくりとこちらに身体を向けたその兵士は、私を強くにらみ付ける。腰にある剣のつかに手を伸ばし刀身を少しずつ晒し出しながら、一歩ずつ私の元へ歩み寄ってくる。

 その明確な殺意に当てられて、私の身体は強張って上手く動かない。


「排除しないと。この国の、いや、世界の秩序のために」


 兵士は左手で私の胸ぐらを掴み、剣を持つ右手を大きく掲げる。


 そして、私の首元へと一直線に、その剣を振り下ろ——————


「コード・スフォルド! 何をしている?」


 私の身に届いたのは、刀身ではなく男性のおごそかでしゃがれた声だった。


 手を止めた兵士はその声に振り返らない。ただ真っ直ぐに、その目は怯えた私の顔を捉え続けながらに言う。


「フーマー様、彼女はなぜか覚えています。理由は知り得ませんが、やるべきことはただ一つ。そうですよね?」


 兵士の後ろからご老体の男性が私の視界に入る。

 髪は白髪でしわの入った顔は、弱々しさよりも大木の年輪のような尊厳さを感じられる。かなり高齢のように見えるが背筋はしっかりと伸びていて、立ち居振る舞いには堂々とした品格に満ちていた。


「その剣を納めよ、コード」


 フーマー様と呼ばれた男性は悠々ゆうゆうとした口調で静止を呼び掛けた。その声色は怒りも動揺も感じられず、ただ平坦なものだった。


「……貴方様は随分と変わられた。“あれ”も、今までのとはまるで別人だ」


 兵士は私を手離して身体をひるがえす。その剣先は私ではなく、御老人へと向ける。


「愛着でも湧いてしまわれましたか。貴方様は一体、何を考えていらっしゃる」


 剣を向けられた御老人は、ただ男を見つめ返すだけだった。恐怖も呆れもなく、ただ視界に入れているだけかのように。


 そんな御老人に対して、兵士はその突き付けた剣先を曲げた。剣先のわずか数センチだけ・・を直角にするように。


「……なっ!?」


 兵士は驚愕きょうがくの声を上げた。それは誰が見ても明らかに不自然なことだった。

 剣先の変化はそこで止まらず、まるでどくろを巻くかのように、どんどんと丸く折り畳まれていくのだった。兵士は恐怖に満ちた様子で、その刀身が丸まった剣を投げ捨てた。


「……姫、ご容赦を」


 御老人はその時初めて表情を崩して、少し呆れたような表情を覗かせて言った。

 その御老人の背後から、誰かがやって来る。白と黒の混じった透き通るような髪の少女が顔を出す。


(あの子、儀式の時に踊っていた……)


「フー爺、怪我してない? なに、こいつ」


 少女は御老人に心配の目を向けた後、きっと兵士を睨み付ける。睨まれた兵士は忌々いまいましそうに顔を歪めつつ、片膝をついて敬う態度を示した。


(……やっぱり、この人が女王様)


 女王様は顔は大人びてはいるけれど、私と同い歳のように思えた。


「……女王様、貴方は」


「許さないからね。次、少しでもフー爺に手を出してみろ、貴方もあーなるから」


 兵士にそう告げた女王様は、丸まって転がる剣を指差した。


「……大変失礼を致しました、女王様。どうかこの私めにご寛恕かんじょ頂きたく存じます」


「よく分からないけど、もういいよ」


 女王様は手を払うようにして、兵士に雑に答えた。兵士の男は軽く頭を下げてから歩き去っていく。


「彼には後で私が」


 御老人が短くそう告げると、女王様は不満そうな顔を見せた。そして私の方へ顔を向けると、その青い目を大きく見開いて。


「あっ! 君」


 女王様は打って変わって明るい表情で私の元へと走り寄って来るのだった。


「良かった! まだいたんだ。……うん、もうこれは運命ってやつだ。きっとそう」


 私の手をぎゅっと握って、その綺麗な顔が私と目と鼻の距離まで近づけてくる。私は思わずるけど、両手を強く掴まれているから逃げられない。


「あ、あの……、何でしょうか?」


「……大丈夫? それ」


 一瞬何を仰っているのか分からなかったけど、女王様の目が繋いだ手の方へと落ちて私の顔の左側を捉えるので理解した。


「はい、大丈夫です。もう、ただの火傷痕なので」


「かわいそう」


 女王様はそう言って私の左頬にそっと触れる。あとをなぞるように優しく撫でながら、女王様の細い手が私の顔を包み込む。


「あの……、女王様……」


 私の抵抗の声なんて聞こえてないようで、だんだんと大きな青い目が私を吸い込むように近づいてきて。


「目のくまもすごいよ。本当に大丈夫?」


「……はい。もう慣れてますから」


「……うん、決めた」


 女王様はそう言って頬を緩めて笑う。指の腹で私の下瞼したまぶたを突くと、再び私の顔をまじまじと見つめてくる。


 この状況は何だろう。相手が相手なので下手なことも出来ない。私はただ困惑するばかりで、助けを求めるように彷徨さまよった視線は、御老人の元に行き着く。


「姫様。彼女は記憶が残っておいでです。やるべきことは分かっておいでで?」


「うん。でもその前に、もう少しこの子とお話がしたいな」


「姫様」


 とがめるように御老人は女王様に言葉を投げ掛ける。でも、女王様は引かなかった。何かを決意するかのような緊張した面持ちで、後ろに振り向いて答える。


「少しぐらいいいでしょ! それに、今のわたしは何をしでかすか分からないよ」


「……分かりました。ですが、やるべきことはなさって貰わないと困ります。ルル殿が記憶を維持しているのは、姫様が例え無意識だったとしても、そう望んだからなのをお忘れなきよう」


「……うん、分かってる。ありがとう、フー爺。わたしを信じてくれて」


「いえ、見張りはつけます」


「えぇ、酷いなぁ。部屋で話すから中には入れないでよ」


 女王様はやり取りを終えると私に向き直りまた手を掴まれてしまう。


「ルル、か。よろしくね」


 女王様はそうにっこりと笑みを向けるが、私は困ってしまう。なぜ女王様はこんなにも私なんかに構うのだろう。それに兵士に襲われた理由、さっきからみんなが話す私に関わる何か、それが気になって仕方がない。

 それにもう儀式は終わっているようだし、私は帰りたい。この何がなんだか分からない状況から逃げ出したかった。


「あの、私……は———」


 不意に声が止まってしまう。それは女王様の私を掴む手が大きく震えていたから。それが真っ先に気になって、女王様の顔を窺った時だった。


「……フー爺は、わたしの想像通り、優しい顔をしてた」


 女王様は何か懐かしむように優しく目を細めて、後ろを振り向いて続ける。


「ありがとう!」


「……姫様?」


 行こ、と私に向けて小さく呟くと、私は女王様に連れ出されるようにこの場を後にする。

 その時小さく音にもならないような声で、ごめんね、と女王様が呟いた声が聞こえた気がした。

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