第9話 光と舞う、お伽話のように

〜*〜*〜*〜*〜*


 こつこつ、と足音が長い廊下に響いて反響している。私は先ほどに兵士の方から手渡された黒い布切れに目を落とす。薄い生地の布で肌触りはとても良くて、高級なもののように思える。


「これより先は、お一人でお願い致します。その布を頭の上から被り、足元の灯る線に従いお進み下さい。線が途切れた場所がルル殿の立ち位置です。儀式の間はそこを動かぬようにお願いします」


 そう淡々と読み上げるように話した兵士は、私の返事も聞かずに歩いてきた道を戻ってしまう。その兵士の後ろ姿が薄暗闇に消えていくのを見送って、言われた通りに黒い布を頭の上から被る。薄い生地なのでうっすらと視界は見えるけど、この廊下はなぜか光りがとぼしいのでほぼ暗闇といっても過言ではないくらいだ。


(光る線なんてどこに……)


 私がそう疑問に思って前方を向いた時、先ほどまではなかったぼんやりとした光の線が、真っ暗な闇の向こうまで伸びているのが見えた。


(……もう、何がなんだか分からなくなるよ)


 薄暗い視界の中、私の足音だけが反響する。その頼りない足音を聞きながら、先の見えない視界の中で、足元のかすかな光の線だけを頼りに歩き続ける。


(この国に来てから、ずっと不安だ)


 ぼんやりとした意識は段々と内にこもっていく。こんな暗闇の中だと、今が現実なのか曖昧あいまいになってしまう。


(この国に来た時みたい)


 視界を布で覆われて、不安になっていたあの時のよう。あのコールですら、弱気になっていたのを今でも覚えている。でもあの時は、今ほど不安ではなかった。それはなぜだろう。今は一人だからなのかな。


(いつからだったかな。二人が側にいることが、当たり前になったのって)


 あんなにずっと一緒だった二人の顔を思い出すと、心が落ち着かなくなる。もやもやとしたものが、私の全身まで立ち込めていく。


———ルルはさ、どうして俺の勉強やわがままに付き合ってくれるんだよ


 そう言えば昔、コールにこの前のようなことを聞かれたことがあった。あの時は何て答えただろう。あんな言い合いにはなっていないのは覚えている。


———……ルル。お前は、今の何が不満なんだ?


 不満なんてない。私は二人が幸せそうにしてくれていたら、それだけで充分だから。


———君にとって、コールとマゼルはとても大切な存在なのだろう。それこそ、家族のように


 そりゃそうだ。二人との付き合いはもう八年近くになるから。私にとって、一番長く一緒の時間を過ごしたから当たり前だ。

 

「……二人に会いたいな」


 消え入るような小さな声が、私の口から意に反して漏れ出る。でもそんなことを気にする余裕なんてなくて、ただただゆっくりと微かな光りを追い掛ける。ぼんやりと、何かの拍子に消えてしまいそうな淡い光を、置いていかれないようにただ必死になって。


「寂しいよ。……置いてかないでよ」


 すがり付くような私のか弱い声は届かなかったのか、淡く灯る線は不意に途切れてしまう。私はその場に立ち止まって、いつの間にか荒くなっていた呼吸をゆっくりと整える。


(……何をしてるんだろ、私)


 息を整えて私は辺りを見渡す。薄らと光りが灯っていたその場所は、大きく開けた場所だった。目の前にはり上がった円形の舞台があり、それを囲むように数人の人影があった。それぞれの背後に廊下があって、みんな私と同じようにやってきたのだろうか。

 息遣いも聞こえない静寂な空間は重苦しい雰囲気に包まれていて、少しの身動きも躊躇ちゅうちょしてしまう緊張感があった。そこで私たちは何かを待ち続けていた。


 どれほどの時間が経ったか、やがてこつこつ、と足音が聞こえた。円形の舞台の上に二つの人影が現れる。


「祈り子の皆様、大変お待たせしました。これより、女王即位に伴う儀式を執り行います」


 私とさほど背丈の変わらない年老いた男性が、しゃがれた声で周囲におごそかに告げた。

 そしてその男性は舞台を降りて、周囲の私たちに何かを手渡していく。


 私の布越しのぼやけた視界の真下から、しわついた小さな手と真っ白な花が差し込まれた。それは綺麗な花で、見たことがない花だった。細い糸のような花びらが放射線状に広がっていて、中心には何かを包み込むように綺麗な帯が反り返っている。


 そうして舞台に戻ったご老体の男性に、もう一つの人影が軽やかに歩み寄る。


「緊張するなぁ。フー爺、ヘマしたらごめんね」


 綺麗な透き通る声が私の耳に届く。


「姫、私語はつつしんで下され」


 そう言ってご老体の男性が舞台の脇に逸れると、一つの人影が中央に立つ。


「…………よし」


 小さな呟き声と共に、息を吸い込む音が聞こえた。その時、この場の空気が変わったのを肌で感じた。何か空気がうごめくように、騒ぎ始めた気がした。


 最初の変化は足元だった。ほのかな光が地面から湧き出てくるみたいに、段々とその光度を強めていく。足元の地面全てが光で埋め尽くされていく。

 動揺する私の目に、私が手に持つ白い花が呼応するように輝き出すのが見えた。輝く鱗粉のような光の残滓ざんしが辺りへと散らばっていく。それも、この空間を埋め尽くさんかの勢いで。


(何これ……? 何?)


 今までもおかしなことや不思議なことは多く見てきた。でもこれは違う、異常だ。明らかに異常な状況におちいった時、人は身体が動かなくなるらしい。それをこの身を持って実感した時だった。


「———大丈夫。怖くないよ」


 綺麗な声でハッと顔を上げる。目の前に女の子がいた。

 透き通るような綺麗に輝く白と周囲の光の反射であでやかに輝く黒の二つの不思議な髪色の女の子。整った鼻梁びりょうと長い睫毛まつげふち取られた大きな深く綺麗な青い目。歳は私と同じくらいに思えるけど、とても大人びた顔をした少女の目に、私の驚嘆きょうたんとした情けない顔が映り込んでいた。


 真っ白な細い手が私の頭をそっと撫でる。彼女は厚みのない薄い唇を吊り上げて、小さな子供みたいに笑っていた。


「分かってる。ごめんってば!」


 誰かの声にそう彼女が反応すると、軽い身のこなしで壇上に跳び乗っていった。


 白と黒の長髪をなびかせながら光り輝く不思議な空間で、彼女は輝く粒と共に舞うように踊る。


 私はそんな彼女の一挙手一投足に目を奪われる。時間が流れているのも忘れて、彼女の無邪気な笑みと夢みたいな光景に、心を奪われてしまったかのように。


 それは、まるでお伽話の中のような光景だった。

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