第3話
少年とルナーエの間にしばしの沈黙が流れる。
「今、なんとおっしゃいましたの?」
静かに、しかしながら抑えきれない怒気を含んだ声を出しながら、ゆっくりと近づいてくるルナーエに只ならぬ気配を感じて少年は逃げるように窓へとすがりついた。
しかしルナーエは少年が怯えているのにも構わずに歩みを止めない。
少年が怯えて、逃げ場を探しているうちに、いつのまにやら少年の前まで来てしまっていたルナーエは少年に侮蔑の視線を送りながら彼の首元をつかんだ。
「今なんとおっしゃったか聞いていますの‼」
今度は声を荒げ、少年の顔を怒りに満ちた顔で睨む。
少年は今まで見たことのないような彼女の姿にただただ目をまん丸とさせるばかりだった。
その顔には少年への隠しきれない怒りと――なぜか虚しさが滲んでいるような気がした。
「どうしてこの世界を自分が救わなければならないかわからないなんて……あなたどうしてそんなことが言えますの?あなたのために一体何人の人間が犠牲になったとお思いですの!?」
ルナーエはそう言い終わるや否やその場に崩れるように座り込み、静かに泣き出した。少年はそれと同時に地へと下ろされるが、やはり目の前の人物がどうして急に泣き出したのか、どうして怒っているのか全く理解できなかった。
それを少年の表情から読み取ったルナーエは目元を拭いながら、少年の頬に触れて自分の額と少年の額を合わせる。
「どうして――あなたが世界を救う鍵なんですの……これでは……これでは私の大切な人たちは無駄死にではないですか……」
ルナーエはそう言ってそっと少年を抱きしめた。
彼女の後ろでは騒ぎを聞きつけて衛兵や、神官がぞろぞろと扉の前に集まってきている。
ルナーエが少年を抱きしめたその抱擁は力強く、少年の耳元ではルナーエが鼻を啜る音が聞こえた。
「本当にかわいそうな子。どうすればあなたに優しさや慈しみ、怒りや喜びを教えられるのでしょうね」
彼女があきらめたかのように、ぽつりとつぶやいた瞬間だった。
「せ、聖女様‼聖女様‼」
しっとりとした空気に悲鳴にも似た、ルナーエを呼ぶ声が部屋に響く。
その声が聞こえた瞬間、彼女はハッとしたように少年を離して、スクッと流れるような動作で立ち上がり扉へと向かう。
その顔には緊張感が表れていた。
「何事ですか」
彼女が落ち着いた様子で部屋に駆け込んできた神官に話しかける。
辺りはざわざわと少し騒がしくなり、今か今かとその神官が話し出すのを待っている。
神官は息を整えると、大声で早口に言った。
「し、侵入者です‼それもかなり手練れの!」
そう聞くや否や辺りが騒然としだした。
「私の結界を超えられるものがいたということですか⁉」
ルナーエも少し動揺しながらその神官に状況を食い気味に聞く。
「いえ、そうではなく――」
「それはちげぇな、聖女様」
その瞬間聖女の顔に赤い鮮血が飛び散った。
神官がまるで人形のようにその場に倒れる。
その先には、神官から今抜いたであろう打刀の血を払いながら襟巻から不敵に歯を見せて笑っている男が立っていた。
藍色の着物と渋い赤の羽織は返り血で染め、顔は白い襟巻と横で結った長い黒髪と土塊色のサングラスで隠れてほとんど見えない。
「あ、あなた。どうやってここまで来たんですの?」
ルナーエが手からルルを発現させ、その手の中のルルがまるで星の周期のように円がそれぞれ回りだせばその場に強固な結界が発動する。
彼女は結界の
この教会を覆っている結界を張っているのも彼女であり、それも強固なものだったが、今彼女が張ったものは範囲が狭い代わりにそれよりもはるかな強度を持っていた。
「あんたは本当にすごい
男が話しながら、何でもないように聖女へと歩いてくる。
するとルナーエは強がるようにふんと鼻をならした。
「よくわかってるようでなにより。私のファンですの?ならサインでもしてあげましょうか?」
そう言う彼女の声は少し震えている。それに気が付いた男はケラケラと笑いだした。
「おいおい、こんなんでまだビビらないでくれよ。あんたに会えるの結構楽しみにしてたんだから。少しは楽しませてくれないと困るんだよ‼」
言い終わるよりも前に男はルナーエの結界に切りかかってくる。
ルナーエはこの瞬間に嫌な予感を感じた。
結界は張ってある、綻びも見当たらない。
しかし何か嫌な予感が額から零れ落ちた冷や汗と共にふっと彼女の脳裏によぎったのだ。
そしてその嫌な予感の正体はすぐ現実のものとなる。
「ぐはっ‼」
バタリと誰かが倒れる音と共にまたルナーエの頬に鮮血が飛んだ。
ハッとして振り向けばそこには血だまりを白い床に作りながら、頭から切られている神官が倒れていた。
彼女の隣にいた神官が男によって刺殺されたのだ。
ルナーエたちの息を飲む音が聞こえた。
彼は聖女の結界をすり抜けたのである。
「あれ、聖女を狙ったはずなのになんでこんな雑魚殺してんだよ……あぁもしかしてほかにも
そう言いながらまたルナーエに襲い掛かろうとする男。
ハッとしたルナーエはとっさに太ももに携えていた短剣を取り出して応戦した。
それが意外だったのか男は口笛をヒューと吹く。
「ただ能力に頼ってるばかりのか弱い姫さんじゃなかったってわけか。いいねぇ!ここに来るまで殺してきた腕のない衛兵や魔法しか能のない神官よりよっぽどいい!そうでないと楽しくない!」
楽しそうに笑いながら太刀を振るう男にルナーエは時々顔を歪めながらも、男と火花を散らす。
「そうですの?私は好感度爆下がり中……っですわ!」
強がるような言葉を吐き捨てながら、ルナーエは男の懐へと隠し持っていた苦無を投げる。
「おっと危ない、危ない」
「これも避けるの?本当に……神様って不平等よね‼」
男がまた切りかかってくる。
ルナーエは少し剣を傾けて男の攻撃を流し、態勢が崩れたところを狙って短剣を振ってみるが、何本か男の髪が切れただけだった。
何度かルナーエと男の刃が交わり、応戦しようとした衛兵を男が片手間で殺していきながらも、ルナーエが肩を上下させる中、男は涼しい顔だった。
「あんた、さっきから防戦一方で俺に一太刀も当てられてないじゃねぇか。期待外れだな」
愉快そうに笑いながら男は切りかかってきたが、ルナーエは指摘されてもなお同じように流しては突いたり、横に払ったりでやり方を変えながらも隙をつく戦い方をしていた。
いくら剣術が達者でも女が男に力で勝ち越すのは難しい。
それはこの世の理であり、そう簡単にはひっくり返ることのない事実。
それはルナーエが聖女になる前から体にしみ込んだ戦術だった。
おそらく彼女の腕はそこらの衛兵よりも立っていただろう。
「あぁ惜しいな~あんたが
男は顔についた返り血を袖で拭いながら、角に隠れてルナーエの援護をしていた神官を投げた短剣で殺してしまう。
その行動に顔を歪めながら、ルナーエはまた剣を構えなおした。
「私は、聖女になったことに対して不満はあっても、人生を後悔したことはないですのよ。勝手に私の人生を評価しないでくださいませ‼」
ルナーエがそう言って男に初めて切りかかった時だった。
その瞬間男の顔が一瞬で冷めたものとなり、その顔と共に彼はルナーエの懐へいとも簡単に入ってしまう。
「ちげぇよ、俺がお前を生かすか、生かさないかの話だよ」
ルナーエの背中から男が持っていた刀が胴体を突き破って出てくる。その瞬間ルナーエは腹からせり上がってくる熱い液体を吐き出した。
赤、赤、赤
男が突き刺したルナーエごと、床に刀をたたきつければ、その場にいた神官から悲鳴があがった。
当たり前だろう、国の象徴である聖女が殺されかけているのだ。
そして聖女にはもう1つの役目があることも知っている神官たちは気の毒なほどに顔を青くして、血迷った者は男へと切りかかる。
「おっと、早くお前らが大好きな神様に会いたいなら、みんなで会わせてやるよ。仲間外れは嫌だろ?」
男はクツクツと笑いながら、その切りかかってきた神官の剣をさらりとかわして、彼のわき腹に先ほど投げたものとは違う、和風の短剣を突き立てた。
「うぐっ!」
うめき声をあげながら男の方に倒れてくる神官を蹴り飛ばし、逆方向にいた神官たちの集まっている場所に倒れこむのを確認するや否や男はそそくさと神官たちから離れるように後ろへ飛んだ。
そして襟巻をずり下げ、彼らをあざ笑うように犬歯を見せながら嘲笑うように笑顔を見せた。
「みんな仲良くご臨終、ご愁傷様」
切りかかってきた神官に刺さっていた短剣の鞘の根付が光りだし、次の瞬間にはその場にいた神官たちを巻き込んで爆発した。
「すべては神の懐に……ってもう誰も聞いてやいないか」
ビチャビチャと神官だったものが降ってくる中、男は神官たちが彼らの女神に祈りを捧げるように手を組んで笑う。
――その姿はまさに阿修羅のようだった。
男はまた懐をまさぐると、分解したキセルを取り出して慣れた手つきで組み立てるとマッチを擦って、火をつけ、口にくわえる。
「さて、世界の種はどこに……ん?」
男が目を足元にやればそこには細い手首が彼の足首をがっしり掴んでいた。
「ゆ、許されると思わないでくださいまし……必ず天罰を女神さまがあなたに与えますでしょう。予言します」
ルナーエが床に刺された体から精一杯に手を伸ばしてその男の足首を力いっぱいに握った。
「おーおー生きのいい聖女様だこと」
男の口調はあざ笑うようなものだった。しかしその目はゴミを見るように眉間に皺を寄せながら細められている。
男は足をひいてみるがルナーエが離す様子がない。
すると男は懐に入っていた小刀でそのがっしりと足首を掴んだ手を切りつける。
「うっ‼」
手首を切りつけられた彼女は悲鳴をあげて反射的に手首を引っ込め、そのまま床に伏せる。
男はゆっくりとルナーエの倒れている体の横に移動して刺さっていた刀に手をかける。
男は侮蔑するような目線で彼女を見下しながら、その手に力を込めた。
「お前こそ、許されると思うなよ」
男は冷たくそう言い放って、刀を彼女の体から抜き去った。
「かはっ……」
掠れた声を吐き出したルナーエはみっともなく痙攣しながら少年がいる部屋へと手を伸ばす。
しかし彼女の目から光が消えて、それを確認した男はちっと舌打ちをした。
「あーあ、ほんとクズばっかりで嫌になるね」
男はそう言ってルナーエが手を伸ばした扉へと歩を進めていくのだった。
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