第1話

「どうかしら?これがこの国に伝わる伝承ですわ」


キラキラと真珠がこぼれてきそうな笑顔を浮かべながら女性はパタリと豪華な装飾が施された絵本を閉じる。

内容はこの国の成り立ちを簡単な絵本にした、この国では誰もが読んだことのある内容である。

そんな本を初めて読み聞かされて、彼女に膝に座っていた金髪と翠眼の少年は一旦彼女の方を見たかと思うとぴょんと勢いをつけて立ち上がり、


とととっ


と軽い足音を立てながら、その本にはまったく興味がないと言わんばかりに彼の背よりも高い窓へと飛びつく。


「そんなところにいては寂しいでしょう?こちらにおいでなさい」


そう彼女が扇子を広げながら声をかけても聞く耳を持たずじっと外の景色を見つめている。

彼女は笑顔を浮かべながら少年にもう一度声をかけてみる。


「ほら、おいでなさいって……」


それでも少年は窓の外から目線を外さない。


「ホホホ……」


バキッ


彼女の扇子が音を立てて折れた。


「あぁぁぁ!本当にどうすればいいんですの!」


彼女が声を上げても少年は気にせず窓の外を眺めている。

窓の外には落ちたらひとたまりもないような奈落の崖とその向こうにまるで絵描きのパレットのような屋根が並ぶ街が広がっている。

少年はそんな変わらない景色をずっと飽きもせずに見つめ続けていた。


コンコン


軽い音でノックがなる。


「失礼しますルナーエ様、軽食をお持ちしたのですが――」


声が聞こえた瞬間、さっきまで逆立っていた髪はなりを顰めクラゲのように優雅に舞い、顔は阿修羅から菩薩へと変貌した。


「あら、そういえば頼んでいたわね。入って」


いつもの営業スマイルで侍女を迎える彼女はドアの方へと体を向ける。顔はしっかり斜め45度をキープしながら。


「失礼いたします……」


メイド服に身を包んだそばかす面の侍女が顔を上げた瞬間、彼女の目線は目の前の女神に釘付けになった。


白く輝くレースが腰のあたりから垂らされた主張しすぎない白色のドレス、顔を隠すために頭から下げられている透明なレース、その隙間からこちらを覗くサファイア色の瞳、そしてレースに溶け込む白銀の髪。

彼女に取り付けられている決して地味ではないすべての装飾品が彼女の脇役でしかなかった。

ポカーンとしている侍女に女性は声をかける。


「こら、何をぼーっとしているの?早く入ってくれないとせっかくのお茶が冷めるじゃない」


パンパンと手を叩いて急かされたメイドは慌てたように


「す、すみません!」


と返事をするとソファの前に置かれた膝より低いテーブルの上に手際よくアフタヌーンティの準備をして足早に部屋を後にした。


「はぁ……まったくあの子最近入ってきたってわけでもないのに……私の美しさに見とれるなんて」


ルナーエと呼ばれた彼女がそう言ってソファに腰かけようとすると、少年がルナーエを訝しむような目で彼女を見ていた。


「何よ、その目は。わたくしが美しいのは事実でしょう?」


ルナーエの言葉の意味を知ってか知らずか、少年はまた窓の方へそっぽを向いてしまった。


「本当に生意気な子供ね。可愛げがないったらありゃしない」


そう言ってルナーエはグビッと淑女らしさのかけらもない飲み方で紅茶を一気飲みする。


「なのに、あなたが世界を救う力を持ってるなんて先代聖女から託されたとはいえ、信じられないわ」


ポイっとまだ温かいジャムクッキーを口に放り込むとルナーエは少年にちょいちょいと手招きをした。


「ほらあなたもおいでなさい。あなたが食べなければこのお菓子や紅茶はゴミ箱行きよ」


少年はそう言われて致し方なさそうに窓から飛び降りて、また


てててっ


と軽い足音を鳴らし、テーブル上のお菓子を一口つまんだ。

そしてルナーエと同じく紅茶を一気飲みする。


「あら、お行儀の悪い」


彼女の言葉に驚いたような表情で少年は目を見開き、彼女を見つめる。


「私はいいのよ、だって聖女様だもの」


少年はその答えに心底呆れたような顔をして紅茶をもう一杯自分のカップへと注いだ。


さて、ここで状況説明を挟むと、ここはこの国を治めている教会の最上階。

地位が最高位に最も近く、身分が高くなければこの場にすら立ち入ることは叶わない。

そしてこの国の名はスペロ帝国。

ナクト16世が治める絶対王政の国である。

そしてこの場所はスペロ帝国以外でも多くの国が国教としているスペロ教の大教会であり、ルナーエはここの聖女として崇められている存在だった。

もちろんこの場所にいる以上、少年も教会では聖女と並ぶ地位の持ち主であり、その身分を証明するかのようにとても愛らしい顔をしていた。


今の二人の姿を絵に収めたなら、それはそれは美しい絵が描かれることであっただろう。

そう二人は音声がない世界ならば、誰もがひれ伏す美貌を持ち合わせていたのだ。


しかしここは惜しくも音声が存在する世界なのである。


「本当にどうして私がお世話役なんて……私一応貴族令嬢よ?お嬢様よ?美少女なのよ?それとも何、神様がこの美貌を恨んで私にこんな試練を与えているのかしら?」


ここで誤解のないように事実確認をすると彼女が聖女であると言うことはまごうことなく真実である。しかしその中身はわがままなお嬢様であると言うことを誰も気が付いていない。


少年は相変わらず呆れたような顔をしながら黙々と目の前に盛りつけられていたサンドイッチやタルトを口の中に放り込んでいる。

するとルナーエがそれを見て慌てたように声を上げた。


「ちょちょちょ‼わたくしの分は残しておきなさい!私が持ってこさせたんですのよ!?」


負けじとルナーエもお菓子を口に詰め込み始める。


そして粗方皿の上のものも食べ尽くし、紅茶の中身もカラになれば、少年はまた窓の外を眺めて出す。


「本当に何考えているかわからない子供ですわね。泣きも喚きもせずただ外を眺めて……それ楽しいんですの?」


ルナーエがそう聞いても少年が返事を返すことはない。

これはルナーエもわかっていることだった。

しかし彼女はめげずに返事を期待せず、彼に話しかける。


「返事をくれたらこの美しいわたくしが抱擁をしてあげてもよろしくてよ?」


彼女がそう言えば少年はわかりやすく体を震わせた。


「まぁ!なんて失礼な!」


ギャーギャーと二人だけの部屋で騒いでいたルナーエ。

しかしそんなルナーエにも興味がなさそうに、少年は空を飛んでいく名も知らぬ鳥に瞳を動かしたのだった。


――――


さて、大河の真横に位置し、敵襲から身を守るための城壁の中で栄えるスペロ帝国は、教会を西に王族が住む城を東に持っており、その中心にはスペロ教で信仰の対象となっている女神像が町全体を見渡すように立っていた。

顔をベールで隠しながらも、その顔は信者に見立てていると言われている、片腕で抱かれ、布を被った赤ん坊に向けられており、もう片方の手で円が何個も重なった、球体のようなものを上に掲げている。この形は神愛者ルキアが能力を使った時に現れる形であり、この世界ではルキアの象徴、ルルと呼ばれていた。

そして首にはスペロ教の信者の証でもある、四芒星が2つ連なっている下に五芒星が1つついているペンダントをつけている。

ゲニウスという名前のついた、この国では持っていないものがいないほどのモチーフである。

この像はスペロ教を信仰する者たちにとっては心のよりどころであり、何か困ったことがあればそのモチーフがついたペンダントやブレスレットをその手の中に握りながら、祈りに来る礼拝堂のような役割も持っていた。

女神像の足元の広場には屋台が立ち並び、いつもそこは人々の活気であふれていたのだった。


しかし罰当たりにもそのルルの上で座り込み、じっと双眼鏡を覗きながら教会を見つめる人間が一人。

くわえていたキセルを離し、ふーっと煙を吐き出すと、男はため息を尽きながら独り言をつぶやき始めた。


「あれが世界の種と、守り手の神愛者ルキア。警備は手薄……と見せかけてあれは結界が張ってあるな。それに引っかかったら力吸い取られて、残りカスみたいな力で中に入れたとしても、結界にエナ吸い取られ続けて死ぬか、中の奴らにやられて死ぬかの二択でゲームオーバーっていう算段か。あーおっかない、おっかない」


ぶつぶつと男が呟いていれば、ふと男は誰かに耳を傾けるようにその口を閉ざす。


「――?」


「バカ言えよ、俺がこんなことで止まるか」


男はニヤリと笑った。


「あいつらが平和ボケてるって話をしてるんだよ」


男は教会の方に手を伸ばしてそれを手の中におさめると、教会を握り潰すように拳を握った。


「さて、悪を倒しに勇者様は現れるかな」


そう言ってキセルをくわえ、男が重心を後ろに移動させれば、体は自然の摂理に従って落ちていく。


――――


「ん?今女神さまの上に誰かいなかったか?」


女神像の足元にいた一人の青年が空を見上げながら、友人に声をかけた。

そんな青年に彼よりも少し大人びたもう一人の青年が何でもないように屋台で買った川貝飯を頬張りながら青年をたしなめる。


「気のせいだろ、そんな罰当たりな奴この街にいんのか?鳥でも見間違えたんじゃないの」


「いや、でも見た気が……」


「あー頑固頑固、自分の間違いに気が付けない。そんなんだからお前はいつまでも衛兵どまりなんだよ」


「一言余計なんだよ、お前は!?」


二人の青年がじゃれながら街中を走っていく。

そして女神が掲げるルルの中にはどこからともなく現れた煙がゆらりと空にのぼっていったのだった。

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