第9話 夕暮れの古戦場(その4)

緑谷翼は長い棒を手にして、襲い掛かってくるゾンビを近づけさせまいとしていた。


「緑谷さん、下がって!」


俺はそう叫んで彼女の前に飛び出す。

一番近くにいたゾンビの半腐れた顔面に槍を突き出す。

そのゾンビはもんどり打って倒れた。

俺はそのゾンビの腕を素早く切り落とし、剣を奪った。


「晶斗くん?」


緑川翼が驚いたような声を出す。

素早く戻った俺は、彼女にゾンビから奪った剣を手渡した。


「棒より剣の方が使いやすい。それを持って早く教会の中へ!」


「君は?」


「俺もすぐに行くから」


俺はそう言いながら槍を横に払い、次に近寄って来たゾンビの首を払い切った。

バランスを崩したゾンビは前のめりに倒れる。

緑谷翼は俺を気にしながらも、言われた通りに教会に向かってくれた。

俺はしばらくゾンビどもが近寄れない程度に、相手を倒していく。


ゾンビは死んでからの腐敗次第で動きの早さが変わる。

まだ腐敗が進んでいないゾンビはけっこうな速さで動くし、ある程度は走れる。

一方、腐敗が進んだゾンビは動きが緩慢だ。

その代わりに数が多い。

ゾンビはゾンビを呼ぶのか、それまでただの死体だったヤツまでゾンビの集団が近づいて来ると、思い出したように起き上がり始める。

いま襲ってきているのは、割りと動きが早いゾンビだ。

だが既に周囲から生腐ったゾンビも起き上がって来ていた。

あまり時間をかけると、今度は俺が取り囲まれて教会に戻れなくなる。


正面からもっとも動きの速いゾンビが襲って来た。

俺は槍を突き出す。

だがそのゾンビは盾で槍を防いだ。

その衝撃で槍が折れる。


「くっ」


所詮はゴブリンの槍だ。

俺はすかさず飛び退くと、ベルトに挟んだ剣を手にした。

右手に錆びた剣、左手には先が折れた槍。

俺は左手の槍をけん制でジャブのように突き出す。

ゾンビがそれを盾で防ごうとした。


(いまだ!)


俺は槍の先を強引に盾の内側にねじ込むようにした。

そのまま盾を跳ね上げる。

ゾンビはバランスを崩しながらも、槍を振り払おうと剣を持った腕を伸ばす。

俺はその腕に錆びた剣を叩きつけた。

ゾンビの腕が落ちる。

すかさず返す刀でゾンビの首を横薙ぎに切る。

ゾンビは倒れた。


見るとコイツが持っていた剣と盾はけっこう新しいようだ。

俺はその剣と盾を拾う。ついでに鞘の方も頂いた。

既にゾンビの群れはけっこう距離を詰めて来ていた。

接近戦では剣の方が使い勝手がいいだろう。


俺は剣を振るいながら、教会に走った。

だが扉の前には6体ほどのゾンビが集まっていた。

扉を押して中に入ろうとしているのだ。


「どけっ、ゾンビども!」


俺はゾンビの背後から切りかかる。

前しか見ていなかったゾンビを、あっという間に片づけた。

閉じられている扉を叩く。


「俺だ。扉の前のゾンビは片づけた。ここを開けてくれ!」


だが扉は中々開かなかった。

代わりに言い争う声が聞こえる。

どうやら中では開けるか開けないかで揉めているようだ。


(やっぱり、こうなったか)


俺は扉は諦め、教会の側面に回った。

途中で何体かのゾンビがいたが、全て切り捨てる。

側面に回ると、先ほど窓から垂らしておいたロープが風に揺れている。

俺は剣を鞘に納めて背中に背負うとロープを掴み、教会の壁をよじ登り始めた

壁は石造りだから昇りやすい。

それにゾンビではロープは登れない事は分かっている。

すぐに二階の窓にたどり着く。

中に入ると二階には誰もいない。

全員で下に降りたらしい。

俺はロープを手繰り寄せると柱から外し、再びディバッグに収めた。

狭い階段から一階に降りようとすると、扉の前ではクラスの連中が言い争っていた。


「まだ外には晶斗君がいるんだ!」


守村が必死になって叫んだ。

大人しい彼が顔を真っ赤にして怒りをあらわにしている。


「だけど扉を開けて、ゾンビがなだれ込んできたらどうする?」


そう言ったのは陽キャリーダーの桐谷潤だ。


「晶斗君はみんなを助けるために外に出て行ったんだよ! 最初にみんなを見つけたのだって晶斗君だ! それを見捨ててもいいの!」


守村が強くみんなに訴える。

しかし守村の意見に、陽キャグループの女子である青木ルナが反対した。


「そんな事を言ったって。それで私たちが死んだら意味がないでしょ!」


今度はそれに緑谷翼が反論した。


「晶斗くんはアタシを助けてくれた。それなのに彼をこのまま見殺しには出来ない!」


「それは翼だけの意見でしょ! アタシたちには関係ない!」


「みんな彼のお陰で助かったんじゃないか!」


青木ルナと緑谷翼が真っ向から睨み合う。

そんな二人を見て、志村が苦虫を噛み潰したような顔をしている。


「じゃあこのまま晶斗くんを見捨てるって言うのかよ。アタシは納得できない!」


緑谷翼がそう主張すると同時に、守村が再び扉の閂に手をかけた。


「ともかく、ここは開けるよ!」


すると青木ルナだけではなく、野村美香も扉に飛びついてそれを止めた。


「止めて! 開けないで! 私はまだ死にたくない! こんな所で死ぬのはイヤ!」


そして桐谷潤も守村の手を押さえた。


「守村、みんなを殺す気か?」


そう言われた守村が絶望的な顔をした。


「晶斗君は……みんなのために……一人で出て行ったのに……」


最後に生徒会長の近藤秀一が険しい顔しながら、言葉を繰り出す。


「それは感謝しているんだが……だからと言って彼一人のために、全員を危険にさらすのは……ここには女子だっているんだ」


どうやら結論は出たようだな。

ヤレヤレだが。


「扉を開ける必要はない。俺はここに居るからな」


全員が階段を見上げる。


「晶斗……」

「晶斗くん……」


みんなが信じられないような目で俺を見る。

中には目と口を丸くして、ただ見上げるだけのヤツもいる。


「晶斗君……どうして?」


そう言った守村の問いに答える。


「壁をよじ登ったんだ」


「壁をよじ登っただと?」


陽キャリーダーの桐谷潤が俺の言葉を繰り返す。


「ああ。ここは石壁だろ。登ろうと思えば登れない事はない」


ロープの事は隠しておく。

またいつ必要になるか分からないからだ。

残念ながら全員を信用できる訳じゃない。

付け加えて言えば、この程度の石壁ならロープなしでも登る事は可能だろう。


「ところで……」


階段を降りきった俺は、部屋の隅にいる二人に目を向けた。

そこに居るのは、剣道部部長の鹿島正吾と柔道部の武藤だ。


「武藤はどうしたんだ?」


俺に言われて、扉の前の連中は初めて気が付いたらしい。

武藤が蹲っている。

その隣で鹿島正吾が苦悩に歪んだ表情を浮かべている。

俺は武藤に近づくと、無言で彼のワイシャツの袖をめくり上げた。

そこにはハッキリと噛み抉られた傷が残っている。


「ゾンビに噛まれたのか?」


俺の質問に答えたのは鹿島正吾だ。


「俺たちが寝ている所に、いきなりゾンビの集団が襲って来た。武藤がゾンビを押さえつけた時に噛まれたんだ」


俺は武藤の顔を覗き込んだ。

顔は既に土色になっている。


「噛まれたのはどのくらい前だ?」


「30分ほど前だ」


俺は立ち上がると、全員に聞こえるように言った。


「だとすると武藤がゾンビになるまで、あと30分もないな」


「どういう事だ?」


「通常ゾンビに噛まれると、30分から一時間ほどで噛まれた人間もゾンビになるんだ」


背後で女子の誰かが悲鳴を上げた。


「本当か?」


険しい顔つきで鹿島が俺に確認する。


「本当だよ」


「だとしたら武藤は?」


「首を切り落とすか、脳を潰すしかないな」


「なんとか助ける方法はないのか?」


そう言ったのは、扉の前にいた近藤秀一だ。

俺に近づいて来る。

そんな彼に向かって、俺はさっきの彼の言葉を返した。


「一人のために、全員を危険に晒す訳にはいかないんじゃないか?」


近藤秀一が苦い顔をした。

俺も言ってから少し後悔する。

ついさっきの「俺を見捨てる」という結論には、確かに腹を立てていた。

だからと言って、ここで皮肉を言っても何の解決にもならない。


「すまない。今のは言い過ぎた」


そう言ってから再び武藤の方に向き直る。


「だけど武藤がゾンビになる事は避けられない。そうなったら……」


「……わかっているよ」


近藤秀一も苦々しく答える。

武藤は息も荒く、かなり苦しそうな様子だ。

身体のアチコチが紫色に変色して来ているし、どす黒い血管が浮き上がっている。


(もう長くはないな)


そう思った俺は、女子たちに言った。


「女子は二階に上がっていてくれ」


だが彼女たちは無言のまま、交互に俺と武藤を見つめていた。


「武藤だってゾンビとなって首を跳ねられる所は、女子に見られたくないだろう」


それを聞いた女子たちが顔を見合わせる。

やがて緑谷翼が「みんな、上に行こう」と言うと、女子たちはノロノロと階段を登り始めた。

一階に残ったのは俺たち男子8人だけだ。


「鹿島、武藤から離れてくれ」


鹿島が躊躇うように武藤を見る。

だが武藤は俯いて唸っているばかりだ。

しばらくして鹿島は、武藤から離れた。


外ではまだゾンビの呻き声が聞こえる。

そして中に入ろうと扉を叩いている。

ゾンビの声がするたびに、武藤は苦しそうに身体をよじった。

彼の中で、人間としての理性と、ゾンビとしての本能がせめぎ合っているのだ。

俺は静かに武藤に話しかけた。


「武藤、よくここまで耐えたな。みんなをゾンビから守りながら。凄いと思うよ」


武藤が顔を上げた。

その目が充血している。

顔面の土色はさらに酷くなり、さらには所々青く血管が浮き出ている。


「だけどもう我慢する必要はない。楽になれ」


武藤が顔を伏せた。

長い時間が過ぎたような気がしたが、実際には一分も無かったかもしれない。

武藤が再び顔を上げた時……

彼は歯を剥いて襲い掛かって来た。

しかし俺は冷静に背中から抜いた剣を一閃させる。


……床にスイカを落としたような、重い湿った音が響いた。

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