(5)別れと夜明け


 テレーズはマチアスをどけて、先端に石を括り付けた矢を持って、弓を構える。


「ごめん、時間もないから、この距離で放つよ。衝突した瞬間、爆発が起きると思うから、うまく避けて」

「なかなか荒いことをするな。守ってやるけどよ」

「暴走するので有名な兄の教えを受けていますから。よろしく」


 息を吐き出し、心を静める。

 先端の青い石が仄かに輝いた。ギリギリまで弦を引く。


(石よ、起きて。まだあなたたちにも力は残っている!)


 そして勢いよく矢を放った。

 ついた瞬間、石と石の間で摩擦が起こり、そこで生まれた僅かな火を起点として、爆発が起こった。


 爆風が二人を襲ってくる。

 マチアスはとっさにテレーズを頭から抱えた。

 そして爆風を受けながら、部屋の外に飛ばされていった。何度か地面を弾みながら、ようやく止まる。


 二人で支え合いながら起き上がると、部屋の中は爆発が度々繰り返されていた。


『まさか、俺たちの力を利用するとは!』

「その通り、真昼の悲劇を起こしたやり方を真似させてもらった」


 使い古した石は、地面にたくさん落ちていた。それらにテレーズは呼びかけて、石としての自我をよみがえらせた。

 あとは石と石を接触させ、きっかけを起こしてやればよかった。


『お前ら、これを破壊すれば、石に頼れなくなり、発展が停滞するぞ。それでいいのか!?』

「こんな危険な石を使い続けて発展した街なんて、危なくて住んでいられない。これからのことは、上の人が考えているでしょう。さようなら」


 そこで石の意識は途切れたのか、それ以上返ってくることはなかった。

 激しい爆発音が中で響き渡る。

 これで石は破壊できたと安堵の息を吐いていると、マチアスが天井を指した。


「やばい、鐘塔を支えていた、柱が折れるぞ!」


 テレーズも目を向けると、顔を強張らせた。

 下から上にかけて、柱にヒビが入っていく。鐘の塔はもともと石と繋がっていた。

 そのため、石が破壊されれば、その衝撃で柱を通じて鐘にも影響が出てくるのは必然だった。


「折れるぞ!」


 マチアスがテレーズを抱えて、壁際まで寄る。彼はテレーズを覆うようにして、床に倒れ込んだ。

 やがて柱は折れ、激しい音を立てながら、地面に落ち始めた。


 柱は石があった小部屋をあっという間に潰し、さらにその周辺にも大量に落下していった。

 テレーズたちがいる場所も例外ではなく、すぐ傍に柱の残骸が落ちていく。


 自分たちの真上にも柱が落下するとテレーズが覚悟した瞬間、まるで弾かれたかのように柱は別の方へと落ちていった。


「嘘……」

「どうした?」


 マチアスはテレーズを地面に押しつけているため、頭上の様子は見えない。

 だから、その不可思議な現象も、テレーズしか見えなかったのだ。


 それが何度か続くと、さすがに違和感がした。よくよく見ると、透明な膜のようなものが二人を中心として、半球状に覆っている。

 それが致命傷となる柱などを弾いていた。


『まったく、世話の焼ける二人だな』


 脳内に直接語りかけてきた声。その声には二人とも聞き覚えがあり、マチアスも目をぱちくりとしている。


 起き上がり、二人で顔を空に向けると、人の形をした何かがぼんやりと浮かんでいた。

 栗色の髪、テレーズよりも薄い緑色の瞳の青年がそこにいたのだ。


「お兄ちゃん……?」

「先輩?」


 互いに呼び慣れた言葉を漏らす。青年は軽く手を挙げた。


『よう、これが俺の最期の仕事だ。しっかり守ってやるから、そこを動くなよ』

「どうしてここにお兄ちゃんが!?」


 兄は死んだ。棺が閉められる前にこの目で顔を見たのだから確かだ。

 だから、おそらくこの青年は霊体か何かだろう。そうだとしても、再び会えたことが嬉しくて、テレーズの目には涙が浮かんでいた。


 飄々と挨拶をしたギルベールは、しんみりとした顔でテレーズを見下ろした。


『そのペンダント、持っていてくれてありがとな。俺の意識もそこに少しだけ取り込まれていて、壊れる直前で出てきたわけさ。元気でやれよ、テレーズ。これからも見守っているからな。……マチアス、俺の妹に手を出すんだから、覚悟はできているんだろうな?』


 疑わしそうな目で見てくる。

 マチアスは戸惑いもせず、しっかり首を縦に振った。

 ギルベールはそれを見て、表情を緩めた。


『そうか、それなら安心した。いいか、崩壊が収まるまでは、絶対にこの中から出るなよ。んじゃあ、二人とも、お幸せにな』


 出現した時と同様に軽い口調で言いながら、ギルベールは光に包まれた。

 その光が二人を覆う透明なものと一体になる。守護の力はさらに増し、多少大きさのある構造物は、すべて跳ね返していった。

 マチアスはテレーズと見合うと、そっと体を寄せた。


「この結界がいつまで続くかわからないから、なるべく近くにいるぞ。もし破れたとしても、俺がいるから安心してくれ」

「そんなことしたら、マチアスが……。それに怪我もしているじゃない」

「少し切られたが、致命傷じゃない。気にするな」


 時折、大きな柱が真上に落ちてくる。それを見て、テレーズがびくりと体を震わすと、マチアスが肩に手を乗せて、引き寄せてくれた。

 落ちてきた柱は透明な膜に弾かれて、別の地に落ちた。


 二人でぼんやりと天井を眺めた。

 柱だけでなく、この地を隠していた天井も崩壊を始めている。石の真上にあった鐘塔も崩れ落ちていた。


 鐘は重い音を響かせながら、落ちていく。不思議と聞いていて心地よい音色だった。

 それが床に着いた瞬間、よりいっそう激しい地響きが走った。


 いつしか天井はなくなり、空が見えてくる。

 真っ暗だった闇はなくなり、ぼんやりと空は薄明はくめい色に彩られていた。


「夜明け……ね」

「ああ」

「この都市にとっても、この薄明は夜ではなく、夜明けの訪れを意味しているのかしら?」

「それは団長たちがうまく手配しているだろう。きっといい夜明けになるはずだ」


 徐々に地響きが落ち着いてくる。

 やがて崩壊も収まった。


 二人を包んでいた透明な膜が消える。

 そして、テレーズの首から下げていた、スズランの絵が描かれたペンダントは、小さな音をたてて横半分に割れてしまった。


 あれだけ激しい崩壊だったにも関わらず、二人を中心に円状の範囲では大きな落下物はなかった。


 テレーズは割れたペンダントをぎゅっと握りしめる。

 すると徐々に涙が溢れ出てきた。


 命の危険に晒されて、それを乗り越えて感情が緩んだのもあるが、それよりも兄の想いに触れ、再び無くなった消失感の方が大きかった。


 兄が都市に来た理由の一つは、妹を護るため。

 しかし、その妹が狙われる因果関係を解き明かすことはできず、志半ばでこの世からいなくなってしまった。

 だが、死してなお、妹を護ることは忘れておらず、今回こうして護ってくれたのだ。


 両手で必死に涙を拭いながら、何とか落ち着こうとする。

 すると隣にいたマチアスが、テレーズの背中に両手を回して、抱き寄せてきた。


「そんなことしたら、濡れちゃう……」

「もう散々汚れているから、いいんだよ。泣くなら俺の胸の中で泣いてくれ。ギルベールさんに託されたんだから。もう無理しなくていい、テレーズは頑張りすぎた」


 その言葉で支えていたものが崩れた。

 彼の胸の中で、テレーズは止まらない涙を流し始めた。


 マチアスはテレーズの髪を、背中をそっと撫でながら、涙が止まるまで、ずっとその体勢でいてくれた。

 優しい温もりは、テレーズの涙さえもそっと包み込んでくれた。




 * * *




 その日の夜明け、アスガード都市では、象徴である鐘塔が崩れ落ち、その衝撃で近辺の広場が陥没した。

 さらに内壁の石の部分が砂のようになり、崩れ落ちてしまったという。それ以降、あれだけ頻繁に起こっていた地震はなくなった。


 陥没した時間帯は明け方であり、さらに警備団によって規制されていたため、大規模であったにも関わらず、人が死ぬような被害はなかった。

 規模の大きさと被害の少なさからかんがみて、その出来事のことを後に‟薄明の奇跡”と言い伝えられるようになる。

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