(4)伝え合う想い

 

* * *



 暗い。冷たい。ここはいったい――どこだ?



 マチアスが目を開けると、真っ暗な空間の中に立っていた。

 明かりがまったくない。目を瞑っていても、同じような状態である。


 俺はいったい何をしていたんだ。誰かに呼ばれたような気がする。

 だが、ここに来る以前の出来事が思い出せない。癖で頭を軽くかくが、何も変わらなかった。


 ふと、向こう側から灯りが近づいてきた。

 丈の長いローブを羽織り、フードを深く被ったものが、それを持って寄ってくる。やがて少し間隔を空けて立ち止まった。


「やっと起きたか」

「……お前は誰だ。ここはどこだ?」


 思い出せずとも、今までの経験から得た直感が、こいつは危険だと言っている。拳を軽く握りしめて、睨みつけた。

 そいつは俺を見て、感心したような声を漏らす。


「ほう、思ったよりも強靭な精神力だな。まだ自己の意識を保てるのか。あの女に固執しているから、意外ともろいかと思ったが」

「どういう意味だ?」


 うろんな目を向けると、そいつは灯りを持っていない手を差し出してきた。


「あの女が好きなんだろう? それなら俺と一緒になるがいい。そうすればより強い力を得て、思うままにもてあそぶことができる。女は強い男に惚れると言うからな」

「言っている意味がわからない」


 女と言われて、脳内にちらりと女性の後ろ姿が映ったが、顔は思い出せない。


「手を組めば、すべて思い出せる。お前は優しすぎるんだよ、死人に遠慮する必要があるのか? それとも、あの女がいつまでも死人の跡を追っているのが、気になるのか? ――それがお前の弱さ。それを取っ払おうと提案しているんだ。悪い話じゃないだろう?」


 手をさらに近づけられる。俺はぼんやりとした意識でそれを眺めた。

 弱いものは克服したい。それは本能でもあった。

 だから手を――。


『マチアス、戻ってきて』


 唐突に女性の声が聞こえ、正気に戻る。相手の手が触れそうになったところで、手を引っ込めた。そいつは軽く舌打ちをした。


「ちっ、邪魔な女だ。ただの空耳だ。さあ、手を、手を出すんだ!」


 必死に差し出してくるそれから逃げるようにして、後ずさった。どうしてこいつが必死なのかはわからない。

 だが、この手を取ったら、何かが終わる気がしてならなかった。


 誰かが俺を待っている。

 その誰かが思い出せない。おそらく大切な誰かだ。


 迫ってくるローブを羽織った男から逃げながら、俺は必死に思い出そうとした。




 * * *




 地震の揺れは数分続き、やがてゆっくりと収まっていった。


「揺れが大きすぎる。次に大きいのが起きたら、もう……駄目かもしれない」


 ルルシェが弱音をぽろりと吐く。

 自信満々で言い切っていた先ほどの姿が、嘘のようになくなっていた。

 テレーズはゆっくり立ち上がり、心を落ち着かせる。努めて落ち着いた声を出した。


「ルルシェさん、先にキラト副団長を連れて、地上に出てください」


 彼女は弾かれたように顔を上げ、立ち上がった。そして首を横に振る。


「それはできない。団長に見届けてと言われたの」

「お願いです。あの石の意識が仮に消滅できず、マチアスから離れてルルシェさんにでも憑依されたら、落ち着いて石を壊せません」

「それはそうだけど……。あなたたちを残して戻れないわ。だって私たち資源団が巻き込んだことだから!」


 それを聞いてテレーズは自嘲気味に笑みを浮かべた。

 ペンダントを軽く指で触れる。


「いいえ、兄が妹と後輩を巻き込んだのです。二人ともあの人に巻き込まれるのには慣れていますから、気にしないでください。――では、もし、私たちが石の破壊に失敗したときのことを考えて、すぐさま戻って、壊せる部隊を整えてください。少しでも時間を無駄にしないために」


 念押しを込めて、時間を強調する。

 最悪の事態を想定して、二重で物事は進めるべきだ。


 ルルシェは泣きそうになっていた。彼女はテレーズのことをそっと抱きしめてくる。


「本当にごめんなさい。今度会ったら、お兄さんとの昔話を聞かせてもらってもいい?」

「いいですよ。やんちゃしていた面白話なら、たくさんありますから。私も兄とルルシェさんが過ごした日々について、知りたいです」


 ルルシェは抱擁を解くと、にっこり笑った。


「ええ。貴女の自慢話をたっぷり聞かされたことを話してあげるわ。――では、すみませんが、この場のことは、よろしくお願いします、テレーズ・ミュルゲさん」

「はい、わかりました」


 きりっとした表情に切り替えて、ルルシェは一歩下がった。

 それから頷き合うと、彼女はキラトを引きずりながら歩き出した。

 途中で副団長は意識を取り戻したのか、こちらをちらりと見てから、自分の足で歩き出す。そして二人で足早に階段へ向かっていった。


 テレーズは彼女らの背中を見届けてから、深呼吸をする。

 そして未だに動かないマチアスの方に振り返り、拳を握りしめて一歩ずつ近づいていった。


「ねえ、マチアス、そこにいるのよね? 貴方がそんな意識に乗っ取られるような人じゃないって知っている」


 動かない相手に語りかけながら、近づいていく。彼のわき腹が赤黒く滲んでいるのを見て、眉を寄せる。


 マチアスは強い人間だとわかっているが、石の意識も手強いはずだ。

 いつ意識に飲み込まれた彼に襲われるかわからない中、警戒だけは怠らずに言葉を続ける。


 彼の意識を取り戻すには、心の奥底に気を引きつけるようなことを言っていくしかない。


「……初めて会った時、マチアスに随分と駄目出しされたのが、随分と昔のように思える。あれからそんなに日数は経過していないのにそう感じるなんて、それほど密度の濃い時間を過ごしていたのよね」


 地割れに足を引っかけないように注意して、さらに近づいていく。


「私が危険な提案をしても、貴方はいつも付いてきてくれた。今回も危険な場所にも関わらず助けに来てくれて……すごく嬉しかった」


 胸にそっと手を当てる。


「会った瞬間、どれほどほっとしたか。本当は怖かった……」


 常に毅然とした態度でキラトと接した。

 弱さを見せたら、そこから付け込まれると思ったからだ。そこで罵られれば、あっという間に自信をなくし、ただ大人しく従うだけの人間に成り果てただろう。


「苦しくても、マチアスの顔を思い浮かべると、不思議と力が沸いてきた。私は貴方と再会するまでは、決して心を折らさないと決めたの」


 兄の面影よりも、真っ先に彼の顔が浮かんだのだ。

 胸がだんだんと熱くなっていく。


「実は私、お兄ちゃんからマチアスの話を聞いたことがあるの。頼りになる後輩がいる、いつか会わせてやりたいって。……お兄ちゃんの言うとおりだった」


 さらに近づくと、突然マチアスが顔を上げた。


「それ以上、近づくな!」


 一喝に驚き、反射的に立ち止まる。

 彼の瞳は群青色と赤色を交互に繰り返していた。彼の中で葛藤が起きているのは、明らかだった。


「これ以上近づけば、俺の間合いに入る。そしたら何をするか……わからない」


 剣は握られたままだ。

 彼が内部に入った意識に負ければ、その剣は近づいていた人間に対して、容赦なく振るわれるだろう。


「お願いだから俺に構わず石を壊して、ここから逃げてくれ……!」


 心の底からの叫びに対し、テレーズは首を横に振った。


「マチアスを置いて帰れない。そんなことしたら私自身が許さない」

「でも……!」


 彼の言葉に反して、テレーズは間合いに入り込んだ。瞬間、漂っていた殺気が伝わってくる。唾をごくりと飲み込んだ。


「でも、何?」


 マチアスは左手で服を掴みながら、大声を発した。


「もし、俺がテレーズを切ったら、俺はそれこそ自分自身を失う。守りたいんだ、テレーズのことを。君にはずっと生きていて欲しいんだ!」

「ありがとう。マチアス、その言葉はそっくりお返しするよ」


 あと一歩で手を伸ばせば触れられるというところで、立ち止まった。

 マチアスの瞳が赤よりも、黒髪に生えるような群青色の時間が長くなっている。


「マチアスのおかげで、私は自分を見失わずに、ここにいれる。お兄ちゃんの死も冷静に受け止められた。でも、ここでマチアスがいなくなったら、私は正気ではいられなくなる。だから――」


 踏み込み、マチアスのすぐ傍に寄った。


「戻ってきて、大好きなマチアス。一緒に生きよう」


 彼の背中に腕を回して、鼓動を確かめるかのようにしっかり抱き締めた。

 カランと何かが落ちる音が聞こえた。

 すると彼に両腕で抱き寄せられる。

 目を丸くして顔を上げると、優しそうな群青色の瞳で見つめられていた。


「もう誰かに遠慮をするのはやめた。――テレーズ、愛している。出会う前から、ずっと君のことを慕っていたよ」


 そして力強い手で抱き締められた。

 温もりが直に感じられる。愛おしい彼の優しさも全身から伝わってきた。

 すると彼の体内から赤い霧が出始めた。先ほどよりも粒子が少なくなっている。


『く、くそっ。まさかこんなことで、追い出されるとは……!』


 マチアスが威勢良く言い放った。


「他人への想いっていうのは、たやすく折れないものだ。そこを読み違えたな!」


 霧はよろよろと石に寄っていく。


『ああ、それは誤算だった。ここでお前たちのことを乗っ取るのは諦めよう。地震で都市が壊れてから、憑依する相手は考えることにする。どうせ地震は止められない。これを壊すなんて、よほどの破壊力がなければ無理だ』


 赤い霧が石に吸い込まれていく。

 途端、石が上から赤色に染まり始めた。

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