(4)使い慣れた長剣

 六階は下の階よりも狭いのか、廊下の距離が短かった。左右に扉がいくつか続いた先に、副団長室と書かれている扉があった。

 相変わらず気配がしない。テレーズが本当にここにいるのかどうか、疑念が生じてくる。


 マチアスは迷いながらも副団長室の扉を押した。閉まっているかと思ったが、物騒なことに開いていた。覗き見ると、中は暗い。


 手持ちの小さなレソルス石に光を灯し、気配を探りながら部屋に入る。

 三歩進んで立ち止まった。皮膚に触れる空気がより冷たい。

 だが、この部屋には、つい先ほどまで誰かがいた気配があった。


 いや――今も誰かがいる。


 突然、部屋中が眩い光で溢れた。手をかざし、目に入る光量を押さえる。目は慣れないが、その前に耳と肌で感じ取った。


 右横から何かが飛んでくる。それを後ろに下がってかわす。途端、目の前を黒いものが横切っていった。

 徐々に視界が鮮明になっていく。黒いものが二つ、そしてそれに挟まれるようにして人間が一人いる。


「意外とやるじゃねぇか。軽くかわしてよ」


 首輪をつけた大型犬くらいの大きさの猫たちの間に、褐色の髪の男がズボンのポケットに手を突っ込んで立っていた。


 視界がはっきりしたところで、マチアスは鋭い目で部屋を見渡す。

 奥に大きな机と椅子が置いてあるが、他に目立った家具はない。猫たちはどうやら魔物のようで、赤い瞳を向けられていた。


「真夜中に副団長室に何のようだ? その風体、企業の売り込みっていうわけじゃねぇな」

「……副団長様に急ぎお話ししたいことがありまして。貴方こそ、魔物を副団長室に連れ込んでいいのでしょうか?」


 男は額に手を当てて、盛大に笑い声をあげた。


「ははは! 俺は資源団の一人のダヴィドっていってな、副団長に許可を得て、魔物をここに連れ込んでいる。こいつを魔物と一発で見抜けるあたり、場慣れしている奴と見た」


 ダヴィドが右腕を水平に上げる。


「お前、あの女の男か? テレーズとかいう女の」


 マチアスは眉を僅かにひそめた。距離が離れているため、相手には見えていないだろう。


「……答えねぇのかよ。少しは話に乗ってもいいじゃねぇか?」


 敵視されている男相手に、もはや取り繕う必要もない。はっきりと言い切る。


「お前なんかに喋る義理はない」

「そうか。なら、無理矢理吐かせるまでだ。こいつらを一度に相手にできるかな?」


 ダヴィドが腕を前に突き出すと、二匹の魔物はマチアスに駆け寄ってきた。

 はじめの突進は寸前で見極めて、足早に横に避けた。


 しかし、魔物は通り過ぎると、速度を落とさず、部屋の中を互い違いにぐるっと回って、牙を見せつけながら、再度並んで駆けてきた。


 あの牙で噛み切るつもりか。それとも爪で引き裂くつもりか。

 どちらにしても、こんなところで油を売っている暇はない。さっさと終わらしてやる。


 方針を定めて、ロングソードを鞘から抜き、飛び込んできた魔物の爪を剣で弾く。勢いがついているため、思ったよりも重い。


 だが、手に持っているのは使い慣れた長剣。これで負ける気はしなかった。


 爪を弾かれた魔物たちは、マチアスの頭上を軽々と飛び越える。着地すると、一匹は床に足を付けたまま突進、もう一匹は上から飛びつこうとしてきた。


 頭上から襲ってきた魔物がマチアスに触れようとした瞬間、右手だけで持った長剣で首元を切った。魔物はその場に落ちる。

 突進してきた魔物には、抜いた鞘を思いっきり額に打ち付ける。動きが鈍ったところで、長剣を上から叩き下ろした。


 攻撃を受けた二匹の魔物はどちらも攻撃をやめて、後退する。

 やがて一匹が唸り声をあげると、呼応するかのように、もう一匹も唸り始めた。そして呼吸を合わせて、真逆の方向からマチアスを挟み込むようにして突進してくる。


 マチアスは二匹が接触する直前に、軽やかに宙を舞った。

 魔物は互いに衝突する前に、どうにか立ち止まる。


 少し離れたところで床に降り立ったマチアスは、すかさず反転し、一匹の胴体をひと切りする。

 甲高い鳴き声があがったところで、首に深々と剣を突き刺した。魔物は黒い血を流し、痙攣を起こす。

 噛みつこうとしていたもう一匹は、鞘で牙を受け止める。それを勢いよく押して、突き飛ばした。


 その隙に刺していた魔物を足で押しながら、剣を引き抜く。

 すぐさま態勢を整えている魔物に駆け寄り、鞘で頭を叩く。

 そして鞘を手放して、両手で剣を持ち、魔物の首を切り裂いた。


 黒い血を流しながら、魔物は横たわる。

 痙攣していたが、やがて動かなくなった。


 血が付いた剣を払い、手で頬を拭う。手の甲には黒い血が付いていた。


 肩で呼吸をしていると、部屋の中から手を叩く音が聞こえてきた。ダヴィドが笑みを浮かべて叩いている。


「まさか傷一つ負わずに二匹とも殺すとは! 腕がいいな。魔物の動きもよく読めているし、急所も的確だ。どこの奴だ? 副団長の護衛にならないか?」

「断る。魔物を飼っている人間を護衛する気にはなれない」


 マチアスは横から鋭い目で睨みつける。


「残念だ。だが、ここで仲間になるのを拒否するのは、あまり頭のいい選択ではねぇな」


 ダヴィドは壁に近づき、壁に飾っていた長剣を手に持った。

 それをゆっくり鞘から抜く。綺麗な剣身が露わになる。剣の種類はやや剣身が曲がっているサーベルのようだ。


「本気を出してかかってこい。さもなければ、死ぬぞ」


 彼は手のひらを上に向け、軽く拱いて、挑発してくる。


 しかし、マチアスは剣を振るうことを躊躇った。

 この剣は魔物を退治するために必要なものであって、人を切るためのものではない。


 もし、人間に襲われた場合、正当防衛として剣を振ったのならば、咎められることはないだろう。それでも人を切ることに抵抗があった。

 ダヴィドは鞘を床に投げ捨てて、近づいてきた。


「人間と戦うのを躊躇しているっていう顔だな。いいんだぜ、戦わなくても。俺は侵入者を殺すだけだからな。ただ、ここで死んだら、大好きな女に会えなくなるぜ?」


 煽られているとはわかっている。

 だが、言葉に反応するかのように、感情が高ぶっているのは否定できない。


 マチアスはマントの留め金を外し、背負っていたものと一緒に壁の方へ投げた。

 そして腰を低くして、両手でロングソードを握りしめる。


「お、いいぜ、その顔。ぞくぞくするぜ。久々に楽しませてくれよ!」


 ダヴィドはサーベルを左手で持ち、声をあげてマチアスに駆け寄ってきた。

 彼は近づくと、サーベルを勢いよく振り下ろしてくる。


 マチアスは剣を斜めに持って、その攻撃を受け止めた。金属と金属が当たる、小気味のいい音が響く。


 ダヴィドはすぐに剣を離すと、追撃してきた。


 マチアスもそれらをすべて受け止めながら、攻撃を防いでいく。

 左利きというのは若干やりにくいが、魔物よりも動きは読みやすかった。


 ダヴィドは攻撃をすべて防がれているのに苛立ってきたのか、今度は剣と剣を交じりあわせて、力任せに押し込んできた。


「この野郎、結構やるじゃねぇか……」


 言葉を返す余裕も出てきていたが、あえて何も喋らなかった。


 剣を扱うのに驚きはしたが、使い手としては脅威ではない。それがわかると、剣を押し返して、こちらから攻めていった。


 ダヴィドは後ろ足で下がっていく。額には汗が浮かんでいた。彼は途中で足を滑らせて、尻餅をついた。

 苦悶の表情を浮かべるダヴィドの喉元に、マチアスは片手で持った剣の先端を突きつける。


「ま、参りました!」


 ダヴィドが大げさにサーベルを放り投げる。

 しかし、マチアスは僅かに剣先を緩めただけにした。


「……テレーズ・ミュルゲはどこに行った」


 低く、冷たい声で言い放つ。


「し、知らねぇよ! 俺は末端の――」

「副団長の部屋にいて、副団長と親しそうな人間に、末端と言われたくない」


 剣先を首に接触させる。ダヴィドから、ひえっという声が漏れた。


「わわわ、わかったから、離せよ! 離したら言ってやるからよ!」


 さっきまでの威勢はどこにいったのか、情けない声が漏れてくる。

 マチアスは眉をひそめたまま、剣をそっと離した。


 ダヴィドはほっとした表情から一転、にやりと笑みを浮かべた。

 跳ね起きると左手で拳を作り、殴りかかってきた。


 マチアスは右手で剣を持ったまま、淡々と左手でその拳を受け止める。

 そして握りしめた拳を上下に振り、相手が体制を崩したところで、足払いをした。ダヴィドは激しく背中から床に叩きつけられる。

 マチアスは苦しそうな声をあげている相手を冷たい目で見下ろした。


「武器無しなら、遠慮なく戦ってやるが?」

「この凶暴な男が! さては警備団の出だな? 市民に対して暴力を振るうなんて……訴えてやる!」

「訴えたら、お前が魔物を使って人間を襲わせたことも明るみにでる。そうなった場合、おそらく副団長とやらは、魔物の存在については知らないと言い放ち、お前を養護しないだろうな」


 ダヴィドはギリギリと歯を噛みしめている。マチアスが言ったことは、どうやら間違っていないようだ。


「……テレーズはここにいたんだろう? さっさと彼女の行き先を教えてくれれば、この場は誰にも言わずに放置していく」


 剣を持ち直してダヴィドに一歩近づくと、彼は投げやりに言い放った。


「わかった、言えばいいんだろ! 女は副団長と一緒に石の深部に行っちまったよ」

「そこはどこだ? どこから行けるんだ?」


 ゼロ街に詳しくないマチアスには、ダヴィドが唯一の情報源だ。

 だが、彼は不敵な笑みを浮かべた。


「残念ながら俺は知らない。末端だからな」


 また遊ばれているのかと思い、頭に血が上りそうになる。剣を握る手に力が入った。

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