(3)侵入
* * *
堂々としていろと言われたが、他人に成りすましている状態では、心の底から堂々とはできなかった。
だが、小さな頃から父親にきつく言われて育ったためか、フードを被ったマチアスは背筋を伸ばして、内壁の中に入場することができた。
入る際、門番たちはルルシェの同行者であるマチアスには、身分証と顔を一往復見比べただけで、それ以上見ようとはしてこなかった。
小雨が降っているため、フードを被っていても不自然ではなく、かつ灯りもそこまで明るくなかったため、はっきり見えなかったおかげもあるだろう。
間もなくして、五階以上ある建物が複数視界に入ってきた。内壁より内側は土地も少なく、横幅がとれないため、建物は上に伸びる傾向があった。
「ぼうっと見上げていないで、こっちよ」
右を歩いていたルルシェに呼びかけられる。マチアスは視線を彼女に戻し、小走りで寄った。
数時間前、マチアスはルルシェの力を借りて、内壁を通過することになった。
彼女にやり方を聞くと、変装だと軽い調子で言われ、顔をひきつらせた。マチアスの髪はよく見る黒髪だが、簡単に変装できるとは思えない。
「おいおい、中に入るのはかなり難しいんだろう? 特別な身分証に描かれている絵と顔を見比べて、職質をかけられたりするんだろう? 絶対にばれるって」
「それは外の人間の考えよね。実は身分証を持っていれば、どうにかなるものなのよ。念のために、カツラも用意するわ。今日の門番は新人さん。おまけに夜だし、わからないって」
「本当か?」
「本当。皆、内壁が鉄壁の籠城と思い込みすぎ。実はたいしたことないの」
「……ちなみに、誰に成り済ませばいいんだ?」
彼女は一枚の身分証を取り出し、それを自分の口の近くに添えて、目を細めた。
「これが使えるのは今回限りと思って。ばれた時は、どうにか機転を利かせてね」
「だから、いったい誰のを使うんだ……」
怪訝な表情で言うと、ルルシェはマチアスにその身分証の表面を見せてきた。それを見たマチアスとヤンは、眉を跳ね上げた。
木々が生えている建物の裏手に移動すると、マチアスは栗色のカツラを外した。カツラを被されて、平たくなってしまった髪を必死に戻す。
「どうしてそんなものがあるんだ」
「知り合いっていうのは言ったでしょう」
「つまりそれがあるってことは、先輩も中に入っていたってことだよな!?」
ルルシェが持っていた身分証は、ギルベール・ミュルゲ、つまりマチアスの先輩のものだった。私用で多方面に歩き回っているのは知っていたが、まさかゼロ街まで潜り込んでいたとは。
マチアスが声を荒げると、ルルシェは顔を近づけて、声を潜めた。
「騒がないで。捕まったら貴方がどんな処罰を受けるか、想像に難くないわ。……彼がどうしても中で調べたいことがあるって言ったから、壁の管理人に手引きをして、これを作ってもらったのよ」
「それって違法じゃないのか?」
ルルシェは背を向けた。何も言わずに壁に沿って歩き出す。彼女の行動は、その通りだと言っているようなものだった。
さらに聞き出したい気持ちを抑えて、彼女のすぐ後ろを歩く。やがて案内されたのは、八階建ての建物の裏側だった。
「ここが資源団の裏口。中には私の鍵を使って入る。それ以降は一人で行動しなさい。テレーズはおそらく別館の上階にいるはずよ。中層にある渡り廊下から、別館へ行けるわ。彼女を救出できたら、この館の二階に来て。今後のことについて話したいことがある」
「この前、言いかけたことか?」
「そういうところよ」
ルルシェが扉に手を付けると、地面が微かに揺れ始める。
次第にそれは大きくなり、木々もゆっくり揺れていった。
「最近、地震が多いよな。これだと、おちおち寝ていられないぜ」
「……事象には必ず原因があるものよ」
ルルシェが鍵を回して、扉を開ける。そして彼女に背中を押されて、中に踏み入った。振り返ると、彼女も入り、後ろ手で扉を閉めている。
「それじゃあ、気を付けて」
微笑で見送られると、マチアスはしっかり頷き返した。そして周囲の様子を伺いながら、近くにあった階段を上った。
中は夜とあり、人の気配はあまりなかった。
廊下には、光を発しているレソルス石が入ったランプが点々と置かれている。明かりを調整しているのか、光り方は控えめだった。
時折、扉の前を通り過ぎると、話し声が聞こえた。だが、誰も廊下にいるマチアスに気付く者はいなかった。
案内図によれば、八階建ての本館は、四階部分に別館へと続く渡り廊下があり、その別館は六階まであると描かれていた。
マチアスがいた街区では、建物は高くても四階までだったため、その高さには驚くばかりだ。
壁や天井はより頑丈な素材で、白に近い色のもので作られている。
硬質な廊下を歩いていると、ここが壁の内側であり、重要な機関であるということがじんわりと伝わってきた。
当初は周囲の気配を探りながら進んでいたが、部屋の中で仕事に没頭している人間が大多数とわかると、少しずつ足を早めていった。
階段を上り、隠れながら廊下の様子を伺う。誰もいないことを確認し、次の階段も上った。それを何度か繰り返して、四階まで辿り着いた。
奥に歩みを進めると、渡り廊下が見えてくる。その前には大きな看板があり、『通行禁止』と書かれていた。マチアスはその前に立ち、両腕を組んだ。
ルルシェから聞いた話では、過激派が別館を使っているとのことだった。
対外的には何もないように振る舞っているため、派閥ごとに場所を分けて使っているようだ。
かつてレソルス石の必要性が叫ばれる中、本館だけでは場所も人手も足りないということで、十五年前に別館が作られた。
さらに、以前から相手の言動によって対応を変えていたが、新しい館が作られたことを契機に、仕事内容や対応する相手方を部によって明確に分けた。
そこでやり方だけでなく、考え方も異なっていき、穏健派と過激派という二つの派閥に分かれていったそうだ。
穏健派とは、話し合いや手紙などのやり取りを通じて、穏やかに事を進める団体である。石に対して、客観的に将来を見ている者が多いという。
一方、過激派とは、話がわからない相手に対し、自ら現地に赴いて話をし、必要があれば、腕力で押さえつける団体のことだ。
相手方も様々で、頑固な老人から、反社会的組織までいるという。
いくつもの厳しい現場を渡り歩き、石の偉大さや大切さを目の当たりにし、石は絶対的な存在である――と考えが染みついていくようだ。
それは穏健派の考えとはずれているため、徐々に派閥間に不和が生じ、今の状態になったらしい。
そのような人たちが、ここから先にいる。今まで歩いてきた場所とは違うと思った方がいいだろう。
マチアスは気持ちを引き締めて、通行禁止の看板を横目で見ながら別館に向かった。
ふと、渡り廊下の窓越しから外が見えた。どの建物もところどころ灯りがついている。
その中心には、ひと際高い塔が見えた。おそらく鐘塔だろう。人が常にいる場所ではないため、灯りがついていないようだ。
昼間は象徴として際立っているが、真夜中の今では、むしろおどろおどろしい雰囲気が漂っていた。
ざっと外の様子を観察したところで、渡り廊下を歩き終え、別館へと入る。
瞬間、背筋に悪寒が走った。
灯りがついておらず、暗いのもあるが、先ほどよりも空気を重く感じた。進むのを躊躇いそうになったが、彼女の笑顔を思い出して、進んでいく。
静かだった。
人の声など聞こえない。さらに不気味なくらいに、人の気配がしない。
終業後なのだから、当然だろうという声も飛んできそうだが、隣の建物とは雰囲気ががらりと変わりすぎた。
戸惑いながらも、マチアスは腰に帯びた剣の柄に触れつつ、廊下をゆっくり歩いた。
すぐに階段が見つかり、そこから上へあがる。息を押し殺しながら五階へ、さらに階段は六階へと続いていたため、一気に駆け上がった。
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