(2)必死の抵抗

 マチアスは眉をひそめて、ルルシェを見返す。


「前にも少し言ったかもしれないけれど、資源団の中で考えが二つに分かれていてね、団長や私は穏健派といって、穏便にテレーズの力を借りたいという派閥よ。もう一つは強行的に奪って、力を使い倒そうと思っている派閥。頻繁に襲ってきた奴らはそっちの関係者で、副団長が元締めよ」


 団長が関係ないと知ったヤンは、ほっとしたような表情をしていた。

 一方、マチアスは疑り深い目でルルシェを見た。


「そんなにぺらぺらと俺たちに喋っていいのか? 前回、テレーズにはあまり語らなかったと聞いている」

「あれから状況が変わったからよ。時間がない」


 唐突に鐘の音が鳴った。置き時計で時間を確認するが、予定よりもずれていた。

 ルルシェは唇を軽く噛み締める。そして彼女らしくない、険しい表情を向けてきた。


「先ほど廊下で貴方たちの話を聞いてしまったわ、ごめんなさい。それを踏まえた上で、単刀直入に聞く。マチアス、資源団の建物の中に入りたいんでしょう。手伝いましょうか? 入場させるだけで、立場上、後方支援はできないけれど」

「本当か!?」


 願ってもない申し出に、つい飛びついた。マチアスが当てにしている相手とは、ルルシェだったからだ。

 彼女は「ただし」と付け加える。


「無事に救出したあかつきには、私たちに手を貸すよう、テレーズを説得してくれる? ――昔と比べて技術も遥かに進歩して、実証実験も数多くこなせた。次の段階にいっても、耐えきれる土台はできた。あとはそのきっかけとなることを、テレーズにしてもらうだけなの」

「テレーズじゃないと駄目なのか? 俺では駄目なのか?」

「……その言葉、あの人もいつも言っていたわ」


 ルルシェは軽く目を伏せてから、顔を上げた。


「他の人では駄目だから、彼女が狙われるのよ。これから起きるかもしれない未来を話せば、学者の卵の彼女なら納得して、力になってくれると思う。ただ、もし思い止まりそうだったら、その時はよろしく頼むわよ」


 ルルシェが手を差し出してくる。マチアスはテレーズの笑顔が脳裏によぎった。


 たとえ危険な道だとしても、あの笑顔の娘と再会できるならば、躊躇うことはなかった。彼女の手をしっかり握り返す。これで取引は成立だ。

 一部始終を見守っていたヤンは、ルルシェに目を向ける。


「いつ行くつもりだ?」

「準備が出来次第、すぐに向かいます。一、二時間後ってところでしょうか」

「そうか……わかった」


 ヤンは硬い表情で頷くと、マチアスを見る。少しでもその表情を和らげるために、表情を緩めて余裕のある顔を返した。




 * * *




 陶器物が割れる激しい音で、テレーズは覚醒した。目をぱちっと開き、起き上がろうとする。だが、思うような動きがとれず、再び床に転がった。

 見れば両手を後ろ手に結ばれ、両足も縄で固く縛られていた。口は猿ぐつわをはめられているため、声すらまともに出せない。


 この部屋は書斎だろうか、本棚が両端にずらりと並んでいる。部屋全体は薄暗く、机の上にある灯りだけが、唯一の光源だった。


 拘束を解くために手や足を必死に動かそうとするが、びくともしなかった。

 身動ぎながら扉の近くへと移動する。壁をうまく使って、何とか起き上がることはできた。


 壁越しに、やや高めの男の声が聞こえてくる。声の高さは違うが、あの声には聞き覚えがあった。資源団の分署から逃げる際、魔物と一緒にいた男の声に似ていた。


「――まだ使い古された石が集められないのか? この量を急いで確保するよう、連絡してこいと言ったはずだが?」

「石が都市外に流出したり、使用する量も減っている傾向があり……」

 震える声を出す男に対し、聞いていた男は淡々と返していく。

「それは言い訳だ。そういう話は聞きたくない。どんどん使うよう促せ。さもなければ――」


 再び陶器が割れる音がした。


「今度はこれをお前にぶつける。さあ、床に散らばったものを塵一つなく、綺麗に片づけておけ。団の知識を結集して、石を再利用したものだ。これがどれだけ貴重なのかは……わかるな?」

「は、はい、ただいまいたします!」


 脅された男は、必死になって割れた物を集め始める。陶器と陶器がぶつかる甲高い音がした。やがて静かになり、片づけ終わったのか、「失礼しました」という声と共に、扉が閉まる音がした。


 どうやら面倒な人に捕まったようだ。口調からして、直情的で、人を暴力で押さえつけそうな人間だろう。

 思考を巡らしていると、テレーズのすぐ傍にあった扉が開いた。眩い光が射し込んでくる。にやりと笑みを浮かべた、灰色の長髪を結んだ四十代くらいの男が覗いていた。瞳の色がやや赤い。


「起きたか、女。気分はどうだ?」


 猿ぐつわを噛まされた状態で、言葉にならない声を発し、必死に抵抗の意志を表す。

 男は髪を軽くかきあげてから、すっと目を細めた。

 そしてテレーズに近寄ると、頭を鷲掴みにして、床へと押さえ込んだ。

 その衝撃で、テレーズは目が回った。


「苦しいか、痛いか? さっさと捕まってくれれば、こんな面倒なことにはならなかった。お前が散々逃げるものだから、結局、学者を餌にして誘い出す羽目になった」


 男はさらに頭をきつく掴んでいく。あまりの力強さに、思わずうめき声が漏れる。

 淡々とした口調とは裏腹に、容赦がない。

 頭から手が離れると、今度はテレーズを仰向けにさせて、両足でまたがってきた。胸元に手が伸ばされてくる。


「時間もあるし、少し遊ぶか」


 男の大きくにやけた口が、恐怖を煽る。

 声をあげようとし、体を必死によじるが、逃れられなかった。

 男の手が服に触れる。テレーズはぎゅっと目を閉じた。


 そのとき、扉を叩く音が聞こえた。男の瞳は黒色になる。

 男は口元を引き締めると、「また今度だ」と言って、立ち上がった。

 そしてスーツの上着を整えながら、扉の方に振り返る。腕を組んだ褐色の髪の男が、扉に背をつけて立っていた。


「なんだい、ダヴィド。楽しい時間を邪魔するとは、いい度胸だな」

「すみません、キラト副団長。ここで遊びだすと、急いで連れてきた意味がなくなるでしょう。もっといい女なら、今度紹介しますって」

「そうだな。こんな子どもではなく、もっと魅惑的な女を紹介してくれ」


 その時、地鳴りのような音が聞こえた途端、建物全体が揺れ始めた。

 ダヴィドとキラトは真顔になり、腰を下ろす。彼らは床や天井を見つめて、揺れが収まるのを待った。

 やがて収まると、二人はテレーズを引きずって、隣の部屋に移動させた。


「このままで近いうちに、巨大な揺れがくるはずだ。私はテレーズ・ミュルゲを連れて、今晩中に調整をしてくる。ダヴィドも来てくれるか?」

「それは厳しいかもしれません。穏健派の動きで少し気になることがありまして」

「同期のルルシェ君か? たしか彼女も調整者を探している節はあったようだな」

「はい。まあ、もう副団長の手にあるのですから、どう行動しても遅いでしょうが」


 そしてダヴィドは軽く挨拶をして、足早に部屋から出ていった。

 大きな部屋の中に、再びテレーズとキラトだけになる。彼が触れると、背筋に冷たいものが走った。

 だが、彼は足の縄を切り、猿ぐつわを外しただけで、それ以上触れてこなかった。拘束が甘くなり、目を丸くしながら、キラトを見上げる。


「なぜっていう顔をしているな。一人で話していてもつまらないからさ。それに君は私からは逃げられない」

「……すごい自信」


 顔を軽く伏せて、視線を床に移した。そこにはレソルス石の欠片が僅かに落ちていた。

 テレーズがそこに意識を向けると、多数の細かな欠片は浮かび上がった。それらはキラトの背中に向かって、一直線に突き刺さろうとする。


 瞬間、キラトは口元に笑みを浮かべた。そして羽織っていた上着を勢いよく脱ぎ去る。上着に当たった石は、無惨にも叩き落とされた。

 テレーズが呆然としていると、キラトが一歩近づいた。


「こんな僅かな欠片も調整できるのか! ただ、殺気がこもっていたせいで、容易に気付けた。詰めが甘い」

「調整って、どういう意味?」

「なんだ、何となく使っているだけで、力についてはよくわかっていないのか」


 キラトは残念そうに肩を落としている。それから、テレーズの周りを歩き出した。


「今から一緒にある場所に行き、そこで君は己の役割を果たしてもらう」

「何をさせたいの?」

「それは道すがら話していく。ここで話をしている時間がもったいないのでね」


 さっきから時間ばかりを気にしている。ふと、また微かに揺れた。地震が多すぎる。大地震が発生する前には、小さな地震が続くと言われている。まさか、その前兆か。

 キラトは両腕を大きく広げた。


「これから君はまずこの地震を止めるんだ。この地震が続けば、やがて都市は潰れるだろう。そしたら君の大切なご友人も死んでしまうよ?」


 大切な――と言われて、一人の青年の顔が思い浮かぶ。


「そしてレソルス石を未来永劫使い続けるために、役割を果たせ、調整者!」


 テレーズは腕を持たれて、無理矢理立たせられる。そして耳元で囁かれた。


「君の母親が守っていたものを、今度は君が守るのさ」


 その言葉を聞き、衝撃が走った。連れ去りを指示した男に従いたくない。

 だが、キラトから出てくる言葉は、どれも逃げようという気力を削ぐものだった。ぎゅっと握りしめていた拳が開かれていく。


 それを見た男は、テレーズの背中を押して、歩かせ始めた。


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