第4話 調整者が辿り着く場所
(1)青年の覚悟
あの時、俺は何もできなかった。
意識が正面に向いていた僅かな隙に、背後をとられた。気配を察した時には、腕を掴まれ、体を床に押さえつけられていた。
そして彼女も何者かによって、動けない状態になっていた。お互いの体を人質に取られた状態では、男たちの言葉に従うしかなかった。
あそこで俺が一矢報いて、飛びかかればよかっただろうか。そうした場合、あの男は本気で彼女を切り裂きそうだった。殺さない程度にいたぶる方法など、いくらでもある。
彼女こそ、自分の身が危ないのだから、必死に抵抗してもよかったのに、何もしなかった。俺のために控えたのだろうか、優しすぎることだ。
いや、信じていた人間に裏切られ、呆然としていたという方が正しいかもしれない。
男に従い大人しくなった彼女は、意識を失わせられた。彼女を担ぎ上げた男は、もう一人の男に俺の対処を命じてきた。
殺されるのを覚悟したが、後頭部を強打されただけだった。男たちは余裕のある笑みを浮かべて、スカラットさんと共に窓から屋根に出て、去っていった。
「テレーズ……」
不甲斐なかった。
先輩から託された少女を、そして大切にしたいと思った女性を守りきれず――。
意識が薄れていく中、後悔の念だけが残っていった。
* * *
体全体に揺れが伝わってくる。徐々に意識が戻ってくると、体が床ごと揺れていた。
「また地震か……。一時間に一回なんて、多すぎだ」
ヤンの舌打ちが聞こえてくる。揺れが収まると、マチアスの意識は鮮明になっていき、後頭部に激痛が走った。
「痛っ……!」
「マチアス、起きたか。怪我はないか?」
いつのまにか部屋に入ってきたヤンが、マチアスの上半身を起こしながら、聞いてくる。
マチアスは後頭部を軽く撫でた。
「頭を殴られただけです……。他は異常ありません。部長はどうして中に?」
「三十分くらいと聞いていたが、それ以上たっても出てこなかったから、部屋の中に入ろうとした。だが、鍵はかけられ、叩いても反応がなかったから、仕方なく扉を蹴破って入ったら、マチアスだけが倒れていたわけだ」
痛みに耐えながら周囲を見渡すが、ヤンの言う通り、他に誰もいなかった。
ヤンはマチアスの首元から出ていた血をさっと拭う。
「何があった。これが入り口近くにあったせいで、内部の物音がわからなかった」
使い込まれた黒色のレソルス石を見せられる。ヤンはその石を握りしめた。
「レソルス石にある手を加えることで、特殊な音を発生するようになると聞いたことがある。それを盗聴されたくない場所に置くと、内部からの音が外部に聞こえにくくなるものらしい。原理として聞いたことはあるが、実際に使える人間がいるとは驚きだ……」
マチアスは体を引きずり、傍にあった机に寄りかかる。
そしてスカラットの裏切りから、テレーズが連れ去られたことまで、簡潔に説明した。
黙って聞いていたヤンは、聞き終わると重い口を開いた。
「……実はスカラットさんから事前にお願いをされていたんだ、テレーズちゃんを一刻も早くこの都市から遠ざけて欲しいと」
「今回、男たちを部屋に入れる手引きをしたのに?」
「もしかしたら、誰かを人質に取られて、従わざるを得なかったのかもしれない。仮に、彼女の意志で都市から去ったとすれば、スカラットさんには非がないため、人質に危害が加わらないと考えたのだろう。……少なくとも今まで俺が接している限り、彼は引き渡すのは本心ではなかったと思う」
ヤンは机の後ろにある、棚の上を見た。そこには伏せられた小さな額縁があった。それを表にすると、スカラットに似た可愛らしい少女が描かれていた。
「お前はこれからどうする?」
よろよろと立ち上がったマチアスに向かって、ヤンは腕を組みながら聞いてくる。マチアスは即答した。
「助けに行きます。これは誘拐です」
「どこに、どうやって?」
マチアスはテレーズが持っていた弓矢が入っている袋を持ち上げた。
「助力を請えるかもしれない人物に、心当たりがあります。その人を頼って、何とか侵入できないか、試みてみます」
「つまり場所の検討はついているのか。どこに連れて行かれたと考えている?」
「ゼロ街にある資源団の建物です」
ギルベールの手帳や本を読み解き、様々な人の話を聞いた結果、一番怪しいと思えるのはそこだった。
「そこと決めた理由は?」
「テレーズは石の扱い方が、他の人よりも遥かに秀でています。おそらく石に対して特別な力を持っているからでしょう。石を取りまとめている資源団がそれを知れば、貴重な彼女の存在を放っておきません」
マチアスはマントと上着を脱ぎ、上着と身分証をヤンに差し出した。彼の眉がひそまる。
「どういうつもりだ」
「俺が侵入して、万が一捕まった場合、警備団の人間が送り込まれたと思われたくないからです。それで団同士の仲が悪くなったら、困りますので。今回は一個人として、彼女を助けに行きます」
それはずっと前から決めていたことだ。今の自分には、警備団の職よりも、護りたいものがある。
「職を捨てても、助けに行くのか。下手したら、都市を追放されるかもしれないのに? 上司として、それは勧められないし、これは受け取れないな」
ヤンに手で止められたマチアスは、一度身分証を引っ込めた。
「……では、一人の男としてお願いしたいです。大切な人間を助けに行かせてくれませんか? 彼女は俺にとって……憧れであり、多くの刺激を受けた人です。ギルベールさんから話を聞いている内に、会ってみたいと思った唯一の女性だったんです! ただの道具として、彼女の人生を終わらせたくありません!」
憧れ以上の想いを抱いているのは、己の中ではわかっている。だが、そこまで言わなくても伝わるはずだ。
ヤンは唾をごくりと飲み込んでいた。やがて逡巡すると、息を深く吐き出した。
「……ギルベールもよく妹のことを言っていたよな。周りを魅了する何かをテレーズちゃんは持っているのかね」
ヤンはそう言って、マチアスの手から上着と身分証をとった。そして身分証を突き付けるように見せてくる。
「いいか、これは預かるだけだ。戻ってきたら、すぐに返す」
「え?」
「俺も団同士の対立になるのは避けたいからな。休職ということで、受け付けてやる」
ヤンは上着ポケットに身分証をしまい込み、軽く腕を組む。
「それにしても腑に落ちないな。マチアスが睨んでいる団の団長は、物腰が柔らかで、強硬的な手を使うとは思えない女性団長だ。俺らの団長とも親しいが、そういう妙な動きをするとは、とても思え――」
「――なぜ一番上の人間が悪者と決めつけるのですか?」
割って入ってきたのは、凛とした女性の声だった。
入り口を振り返ると、銀髪のショートボブの女性が真っ直ぐ歩いてきた。彼女を見て、マチアスは目を瞬かせる。
「ルルシェ・オリフィスじゃないか、どうしてここに?」
「あら、覚えていてくれたの、マチアス。それなら話が早そうね。私はテレーズに約束をすっぽかされた帰りに、この前を通ったの。石に関する高名な学者さんが住んでいるのは団長から聞かされていたからね。そこで中が騒がしかったから、気になって尋ねたわけよ」
ヤンは軽くマチアスの腕を叩いてきた。ルルシェのことをちらちらと見ている。それを察した彼女は頭を下げた。
「こちらの方は初めましてですね。わたくし、資源団に所属する、ルルシェ・オリフィスと申します。マチアスさんとテレーズさんとは顔見知りの仲です」
「どうも、警備団に所属するヤンといいます。マチアスの上司です。なるほど、団の身分証でも見せて、中に入ってきたわけですね。なかなか強引な手を使う方だ」
ルルシェは微笑み、優雅に頷く。次にきりっとした目つきで、マチアスに視線を向ける。
「テレーズは一緒にいたの?」
「……連れ去られた。この家の主のスカラットさんと共に」
マチアスは手を何度も握りしめる。
ルルシェは眼鏡を軽く直した。
「おそらく話を嗅ぎ付けた、過激派による仕業よ。あの人たちなら、人の過去を荒らして、弱みを握ってくる。そしてテレーズは資源団のそちら側の関係者の元に、連れて行かれた」
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