(8)仕組まれたこと

 やがて数日が経過した頃に、スカラットから家に来て欲しいという伝言を受け取った。ただ、昼に伝言を受け、夜に会いたいという、先生らしくない急なお願いであった。


(それほど急いで私に伝えたいのかしら?)


 テレーズはマチアスだけでなく、ヤンも含めた警備団の人間を三人連れて、先生の家に向かった。数時間だけとはいえ、たいそうな護衛の量だ。さらに遠回りであるが、人通りが多いところをマチアスは選んで、進んでいた。


 彼は前回の苦い経験をもとに、帯剣をしている。それを隠すようにして、首元で留め金をしたマントを羽織っていた。

 テレーズも同じく警戒をし、筒に入った弓矢を布袋に入れて、肩から背負っている。彼の外套を一瞥した。


「馬車に乗っている時も、それを羽織っていたよね」

「いわゆる旅装束だ。剣を隠すとなると、こういう空間がある外套になる。街中で剣を見られると、一般市民から奇異な目を向けられるからな」

「剣は魔物相手にしか使わないものね」

「ああ。これで正当な理由なく人を切ったら捕まる」

「ねえ、剣の腕はどこで習ったの? 慣れている手つきだなってずっと思っていたの」

「学校と警備団に入る前の試用期間で基礎は学んで、都市外の護衛の任務につくと決まってからは、実戦練習をしていた。それまでの間は……ギルベールさんに教わっていたよ」


 マチアスは苦笑した。


「教わったというか、ひたすら木の棒で叩き合った。外に行くなら、剣の腕を上げろって、散々言われた。型がない振り方をしてくるから、なかなか苦戦したよ。……テレーズがいた街も、魔物の被害があったと聞いた」


 躊躇いがちに見られる。テレーズは軽く腕をさすった。そこには昔負った傷がうっすらと残っている。


「ええ、年に数回、被害があった。群れからはぐれた魔物が畑を荒らしたり、遭遇した人を襲ったり。この都市みたいに壁で囲まれていない田舎街だから、常に警戒はしているけれど、どうしても事件は起きてしまうのよね」


 警備団ほどの規模ではないが、街の治安維持に努めている人間たちはいる。その者たちが巡回しており、異常があった場合は、すぐに食い止めに入っていた。


「お兄ちゃんも出て行く前は、街を駆けずり回って、魔物たちから私たちを守ってくれていた。街の人から剣術は学んでいて、筋がいいって褒められていたそうよ。私もその背中を見て、自分の身は自分で守れるようになろうと思ったの」


 育ての両親には女の子なんだから、そこまでしなくてもいいだろうと言われた。

 けれども兄が体を張ってテレーズのことを助けてくれたことは、それ以上に踏み出すきっかけを与えてくれた。


 新しいことを学び、世界を知るには、街の外に出るべきだ。

 それには――力も必要だった。


 マチアスは厚い雲の合間から見える、星を眺めた。


「ギルベールさんって、適当そうに見えるけれど、実はかなり先を見越して行動している人間だよな。笑っていたり、ふざけているのは、それを誤魔化しているだけ。テレーズがこういう事態に直面するのも、予見していたのかもしれない」


 彼の意見には同意できる。だが、それを確かめる相手はもういなかった。


 徐々にスカラットの家が見えてくる。明かりが見えると、ほっとした。

 入口に立つなり、立っていても感じるほどの揺れがした。思わずマチアスの腕を掴む。しばらくして揺れは収まった。大きくはないが、不安を感じさせるには十分な揺れだ。


「あとで巡回を追加して、異常がないか確認する必要があるかもしれない」


 テレーズは慌てて彼の腕から手を放す。


「そ、そうね。建物に傷みが蓄積している場合もあるからね」


 落ち着いてきたところで、テレーズは入り口の扉を軽く叩いた。

 少しすると扉が開かれる。スカラットの護衛にあたっていた団員だ。

 彼はテレーズたちを確認すると、入るよう促してきた。テレーズとマチアスが先に入り、ヤンは団員と交代して中に入る。外にいる四人の団員たちは、正面と裏口に分かれて待機することになっていた。

 片づけられた居間を進むと、スカラットが明かりをつけたランプを持って立っていた。


「いらっしゃい、テレーズ。ヤンさん、書斎で二人で話をしてもいいかい?」


 ヤンとマチアスはこちらに顔を向けてくる。テレーズは首を横に振った。


「この前も言いましたが、せめてマチアスだけは同席させてもらいます。彼は口が堅いですし、私の石に関する事情も知っています。重大なことを知ったとしても、話すような人ではありません」


 仮に誰かに襲われた場合、テレーズだけではスカラットを守りきれる自信はない。

 じっと返答を待っていると、スカラットは肩をすくめた。


「……失礼、そういう約束だったね。さあ二人とも、こっちだ」


 スカラットは二階に上がり、書斎へと案内する。部屋の前に来ると、ヤンは手を後ろで組み、背を向けた。

 先生が扉を押し、テレーズはマチアスと見合い、表情を引き締めてから部屋に入る。引き続いでスカラットが入り、扉を閉め、内鍵をした。


 先日来た時とは違い、散乱していた書類などは脇に寄せられ、足下をいちいち注意しなくても、歩くことができた。

 スカラットは早歩きで机の奥に回り込み、テレーズたちと対面しあった。彼は軽く椅子に腰をかけて、手を組む。


「私が話を始める前に、テレーズ、何か聞きたいことはあるか?」

「……色々とありますが……、レソルス石が暴発する実験を行ったことはあるのですか?」


 そうでなければ、あの仮説を立てようとは思わないだろう。

 スカラットは薄っすら笑みを浮かべた。


「まったく関係のない実験をしている最中に、使いすぎたのか、たまたま爆発したことがある。石が周囲に飛び散って、事後処理が大変だったよ。同時に、石にも限界があると、わかった時でもあった」

「では、真昼の悲劇の現場にも、破片が残っていたことに気付いていたのですか?」

「ああ、石の破片はあった。だが、その石がどこで使われたものかはわからなかった」


 ルルシェと同じような返答をされる。

 先生は机の上で肘を突き、両手を組んだ上に顎を乗せる。


「明かりの元かもしれないし、石畳や建物の強化素材として使われたものかもしれない。それらが爆発の起因となったものだと立証するには、ある機関に掛け合って、さらに調べる必要があった」


 そしてゆっくり首を横に振った。


「だが、その機関にないがしろにされた。むしろこの地から追い出される羽目になった。その時、この人たちは何かを隠していると察したよ。……さて、テレーズ、ここで一つ大事なことを教えよう」


 少し声が低くなる。テレーズが「はい」と返すと、顔を上げたスカラットは一瞬視線が逸れてから、はっきりと言った。


「組織に逆らっても、いいことはない」

「はい?」


 意味深な言葉を受け、首を傾げている間に、背後で何かが倒れる音がした。

 とっさに振り返ると、マチアスが黒い服を着た男によって、床に押さえつけられていた。


「この野郎……!」


 彼は頭を無理矢理上げようとするが、後頭部を掴まれて、再び床に顔を打ち付けられた。


「ちょっと何をするの!?」


 テレーズはポケットからレソルス石を取り出そうとした。だが、首もとに先の尖った冷たいものを突き付けられて、手を止めた。


「動くな」


 背後から聞こえたのは、押し殺した男の声。隠しようもない殺気が、全身に突き刺さってくる。


「どちらかが動いたら、片方の人間が傷つく」


 マチアスが首を捻ろうとすると、彼の首横にも鋭いナイフが当てられた。

 手をポケットから出したテレーズは、首を動かさずに男を横目で見る。


「どうやってここに?」

「お前たちがこの部屋に来るのを待っていた。話に夢中になっていたから、近づくのは容易だった」

「だから、いつここに……。……まさか」


 汗が急激に引いていく。とっさに振り返ろうとしたが、首にナイフが突き刺さる。こぼれ出そうになる痛みを訴える言葉を飲み込んだ。


「動くなと言っただろう」


 男が嘆息する。

 テレーズの手が僅かに震えていた。恐怖だけではない、困惑や怒りが含まれている。


「……スカラット先生、これはどういうことですか!」


 声を大にして叫ぶと、ナイフがさらに食い込んできた。一筋の血が流れ落ちていく。

 呼ばれたスカラットは、頭を抱えて俯いていた。


「すまない……。本当は私とは関係がないように、連れ去られて欲しかった。だが、テレーズがすべてかわしていくものだから、もう限界だった。ここで大人しく捕まってくれ。都市のためにも」

「そもそも私を都市に呼んだのは、誰かが私を捕まえるための、手助けだったのですか?」


 違うと言って欲しい。

 そうでなければ、信じていた人間が信じられなくなる。


 しかし、テレーズの思いは伝わらず、スカラットは沈黙を貫いていた。

 あまりの衝撃で、その場に座り込みそうになるが、男が強制的に立たせてきた。


「もういいだろう。外部への音の遮断も数分が限界だ。さっさと女を連れてずらかるぞ」


 テレーズはとっさに逃げようとするが、逆にマチアスの方からうめき声が聞こえた。彼の首筋から血が流れている。それを見て、動くのをやめた。


「お前が逃げれば、そいつは死ぬぞ。大切な人間なんだろう、それでいいのか?」


 なんて卑怯な。テレーズではなく、関係のない彼のことを傷つけるなんて。

 男にそう言われると、何も抵抗ができなかった。腕をだらりと下げて、弓矢が入った袋を床に落とし、戦意がないことを体で表現をする。


「そうだ、それでいい。変なことをしたら、男が死ぬ。男も妙な動きをしたら、女が傷つく。さすがに殺しはしないが、可愛い体が傷物になるぞ」


 何とかして起き上がろうとしていたマチアスが動きを止めた。

 男は口元に笑みを浮かべる。そして青年を押さえていた男に、顎で軽く合図をした。


「さて、行こうか。お前をお待ちしている方の元へ」

「それは誰?」

「到着してからのお楽しみだ」


 にやりと笑みを浮かべられた。次の瞬間、テレーズの首の後ろに手刀がおろされた。激しい衝撃を受け、意識が混濁する。


 マチアスの悔しそうな表情が目に入ったが、どうすることもできずに、その場で意識を失った。 


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