(5)背中を押す者達
瞬間、激しい揺れが建物全体を襲った。
あまりの揺れにマチアスは立っていることができず、数歩下がって腰をおろす。
机の上に乗っていた照明器具がカタカタと左右に動いた。それが端まで移動すると、音をたてて激しく床に落ちる。
激しい揺れは一分くらい続き、やがて揺れは徐々に収まっていった。
立ち上がると、まだ微かに揺れているのか、目眩がしたような感じがした。
ダヴィドも起き上がり、悪態をついている。
「まだ着いていないのかよ! この揺れだと、もう被害が出てもおかしくねぇぞ!」
耳ざとく聞いていたマチアスは眉をひそめた。
「どういうことだ。この揺れの原因はわかっているのか?」
ダヴィドははっとした表情になり、マチアスから視線を逸らした。
明らかに何かを隠している様子を見て、口を一文字にして彼に近づく。
その時、勢いよくドアが開け放たれた。入ってきたのは、険しい表情をしている、ルルシェだった。
彼女はマチアスを見て、それからダヴィドを見ると、盛大にため息を吐いた。
「やっぱりまだここにいたの……、残念だわ。この状況じゃ、どうにもならないわね」
「はあ、ルルシェ、どういう意味だ?」
ダヴィドがしかめっ面をしていると、彼女の背後から次々と同じ上着を羽織った男たちが部屋に入ってきた。
彼らの胸には、公的機関を表す紋章が縫いつけられている。おそらくゼロ街の警備団だ。
警棒を持った彼らは、動かなくなった魔物やマチアス、ダヴィドらを取り囲んだ。
マチアスは唇を小さく噛み締めつつも、長剣を手放して、手を上げる。
最悪の状況だ。これではテレーズを探しに行くどころではない。
団員たちが近づこうとすると、最後に入ってきた壮年の男性が声を発した。
「待て、彼は警備団の一人だ。先ほど六街のヤン部長から報告を受けた。彼は魔物を撃退するために、先に入ったとのことだ。壁外の任務にも当たっており、魔物を退治するのは得意と聞いている」
団員たちは壮年の男に目を向けると、マチアスから離れて、ダヴィドを二重に囲んでいった。
マチアスは腕を下ろし、安堵の息を吐く。近づいてきた壮年の男性と目があい、深々と頭を下げた。
「お疲れ様です、ガスパル団長」
「また会ったな。怪我はしていないようだな」
ガスパルはマチアスの頭をわしゃわしゃと撫でてきた。親しみやすい男性であるが、ここで子供扱いされたくなかった。
この人はまだマチアスのことを初めて出会った頃の十歳の少年と思っているのだろうか。失礼なことである。
手でそっと彼の手を下ろした。
「魔物は二匹だけだったのか?」
「はい、自分が確認したのは二匹です」
「それを無傷で一人で倒すとは……見事だ」
有り難い言葉であるが、それで一喜一憂する状況でもなかった。
「団長はどうしてここに来たのですか?」
話を切り替えて、必要な情報を得ようとする。
団長はおそるおそる中に入ってきたルルシェに目を向けた。
「資源団のエリアーテ団長から通報があり、ここで魔物を操っている者がいるという話を受けた」
「資源団の?」
マチアスは資源団の団員である、ルルシェを見る。
彼女は黒い血を流して倒れている魔物を遠巻きに見ながら、寄ってきた。
「ルルシェ、どういう意味だ。話が違うぞ」
「あら、マチアス、無事で何より。こっちも色々とあるのよ。私のところの団長も、この部屋の主をどうにかしたいとずっと考えていて」
はぐらかされたが、今は追求する時間ももったいなかった。
一つだけ別のことを尋ねる。
「一つ教えてくれ。石の深部ってどこだ?」
その言葉を聞いて、ルルシェとガスパルだけが表情を堅くした。
他の者は魔物の処理と、聞き分けが悪いダヴィドを連行しようとしている。あーだこーだうるさいので、ルルシェは彼に対して、「黙っていなさい!」と一喝していた。
彼女は下がっていた髪を耳にかける。
「その言葉、その男が言っていたの?」
「ああ。詳しい場所は知らないらしいが。ルルシェなら知っていると思った」
「私も名前だけしか知らないの。漠然となら場所の見当はつくけど、そこが正しいのかはわからない。知っているのは資源団でも特定の班の人間と、上の人間だけ、そう……団長級なら皆知っているはずだわ」
ルルシェは気まずそうな顔でガスパルを見上げる。
彼は目を細めてマチアスを見てきた。
「そこに行きたい理由は?」
「知り合いがそこに連れて行かれたからです」
「その者の名前は?」
「テレーズ・ミュルゲさんです。ギルベール先輩の妹です」
ガスパルは軽く眉を動かした。そして腕を組み、僅かな間、考え込んだ。やがて近くにいたルルシェに耳打ちをする。
彼女は目を見開いた後に頷いた。そしてマチアスのもとに寄ってくる。
「やっぱり私が思っていたところよ。案内するから、来てちょうだい」
「ああ、頼む。――団長、自分はそこに行ってもいいんですよね?」
あっさりと場所を教えてくれたことに、若干不安があった。
団長は真剣な表情で、首を縦に振った。
「構わない。エリアーテ団長から、今の事象の原因や起きているだろう内容については、おおよそ聞いている。マチアスがいれば、それを止められると思ったから、伝えたまでだ。おそらく大勢で行っても、いいという場所でもない。こっちの事後処理は私たちに任せろ」
「わかりました。お願いします」
マチアスは一礼をし、脱ぎ去ったマントと荷物、そして鞘にはめた剣を手にする。そして先に部屋を出たルルシェの背中を追いかけた。
廊下を走り、勢いよく階段を駆け下りていく。他の室内にも警備団の者が出入りし、強制的に捜査に乗り上げていた。途中でぐったりと壁に背中を付けている、スカラットの姿もあった。
さっきまでとはまったく違う光景が広がっており、マチアスの頭の中に疑問符が並ぶ。それを察したルルシェが、掻い摘んで説明してくれる。
「資源団の団長と警備団の団長が内密に事を進めていて、突入することがさっき決まったのよ。エリアーテ団長としては、内部分裂を公にして欲しくはなかったけれど、もう時間がないから仕方なく……。魔物を飼っていただけでも重罪よ。それだけでも逮捕につながるでしょう」
マチアスは階段を数段飛ばして、踊り場に着地する女性の背中に声をかける。
「さっきから時間がないって、何度も聞いている。ダヴィドとかいう男も地震があった後、まだ着いていないのかと言っていた。……いい加減に話してくれないか? 俺の予想だとテレーズと石、そして地震が関係しているように思われる」
「その通りよ。詳細は他の年輩の人に聞いて欲しいけど、概略なら私でも話せるわ」
一階まで下りると、入り口にはヤンと柔らかな金髪の女性が話していた。女性はヒールの高い靴を履き、一目見ただけでも美人という印象を受ける人だった。
彼女の姿をよくよく見て、目を丸くする。以前、ルルシェと一緒にいた女性だ。
ヤンはマチアスを見ると、軽く手をあげた。
「部長、どうしてここに」
「お前のことを団長だけには話しておこうと思って。そしたら突入するって言うから、成り行きでここに……。団長には会ったか?」
「はい。部長が先に話を通してくれたおかげで、聴聞にあうこともなかったです。時間もないので、助かりました」
「その様子だとテレーズちゃんは見つかっていないんだな」
マチアスは拳をぎゅっと握って、頷く。
女性はルルシェの前に立つと、小さな箱から鍵を取り出した。
「ルルシェ、石の深部に行くのでしょう。これは入るために必要なものよ。管理者から預かってきたわ。大切に持っていって」
「ありがとうございます、エリアーテ団長。場所はガスパル団長から聞きました。急いで副団長を止め、そして――テレーズに頼めばいいのですよね?」
エリアーテはルルシェの手に鍵を乗せ、両手で彼女の手を包み込んだ。
「ええ、彼女しかできないことを、頼んでください。本当は私が行って、直にお願いをするべきですが、ここで団の事後処理と、これから起きる都市の行く末を導かなければなりませんので」
ルルシェは表情を和らげた。
「団長は資源団がよりよく存続できるように、そして都市のためにもうまく立ち回ってください。現場は下の者に任せてください」
マチアスをちらっと横目で見る。
「彼は私がよく話していた男性が頼りにしていた後輩です。さっきもダヴィドを簡単にお縄にしましたよ」
エリアーテはマチアスの前に寄った。
この前会った人物が団長だったとわかり、マチアスは慌てふためく。
「エリアーテ団長、先日は無礼な発言をしてしまい、申し訳ありませんでした」
「そのことについては気にしていませんよ。貴方の言動から、テレーズさんをとても大切にしているということが、よくわかりましたから。……勝手なお願いで申し訳ありませんが、テレーズさんを無事に連れて帰ってきてください。そして、最近妙に言動がおかしいキラト副団長を止めてください。おそらく石に魅入られ過ぎて、冷静な判断ができなくなっています」
エリアーテは胸の前で両手を握りしめる。
「もう誰も犠牲にはしない、そしてこのようなことを続けさせないと、彼女のお母さんと約束をしたのです。危険な道中になるかもしれませんが、よろしくお願いします」
彼女の真摯な言葉を受け、マチアスの背筋が伸びる。そして頷き返した。
ヤンが一枚の上着を差し出してくる。別れる前に渡した自分のものだ。
もう身分を隠す必要はないという意味だろう。
マントを預け、上着を羽織ると、気持ちが自然と引き締まる。そして剣が腰に帯びていることを確認して、持っていた他の荷物を肩からかけた。
「二人だけで大丈夫か?」
「追いかけた先には副団長と、あとは護衛がいるかもしれませんが、それくらいなら自分一人で対処できます」
「すごい自信だな」
「ギルベールさんの後輩ですから」
にかっと歯を出して笑い返す。
僅かに揺れると、ルルシェらは眉をひそめた。彼女はマチアスに声をかけてから、夜の道を走り出した。
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