(8)石の力を引き出す

 一階に下りたマチアスたちは、近くにあった扉からこっそり外に出た。


 テレーズはまだ薬が残っているのか、動きがやや鈍い。

 マチアスは最大限周囲を警戒しながら、彼女に無理させない程度に建物の裏手を小走りで進んだ。通りに出る直前で足を止める。

 テレーズが止まれず、背中に顔を突っ込んできた。


 首を伸ばすと、黒い服を着た二人の男が話をしているのが見えた。雰囲気からして以前テレーズを襲った奴らに似ている。

 通りに出そうになった彼女を手で制し、様子を伺った。


 やがて話が終わった男たちは二手に分かれて、走り去っていく。

 それを見送ってから、マチアスは通りを突っ切って、六街に入った。


 ここからは細かいところまでおおかた頭の中に入っている。

 道と道が交差するところで止まり、周囲を伺っていると、後ろから軽く服を引っ張られた。


「……昨日はごめん。マチアスなりの助言だったのに、カッとなってしまって」


 テレーズは声を振り絞るようにして言う。手が微かに震えているような気がした。


「俺こそ、テレーズの気も知らないで言い過ぎた、ごめん」


 彼女が図書館からいなくなったと聞いて、居ても立ってもいられなくなった。そして探しながら、反省していた。

 クルミの言う通り、自分がもう少し気を使うべきだった。

 ただでさえ、彼女は兄の死に衝撃を受けている。その気持ちを汲み取りながら、会話をする必要があった。


 そして、自分が知っている彼女の兄のことを、すぐにでも話すべきだった。負い目を感じているなら、尚更だ。

 繋いでくれた意志を無駄にしてはいけない。


 マチアスは服を握っている彼女の手に触れ、そっと服から離した。


「……戻ったら、話したいことがある。今、俺が言えるのはそれだけだ」


 テレーズは目を丸くして、顔を上げる。その視線から逸らすように、前を向いた。

 マチアスは再び走り始め、通りを突っ切って、さらに進む。


 警備団の分署まで、十五分ばかり走れば着く――そう考えつつ、目の前に見える道を飛び越えようとした矢先、肌に突き刺さる強烈な殺気を感じた。

 テレーズも察したのか、二人同時に通りにいる殺気の主に目を向ける。


 黒いフードを被り、フード付きの上着を羽織った男が立っていた。

 その横には唸り声をあげている四つ足の生き物がいる。

 猫科の動物に見えるが、背中から羽が生えているそれは、どう見ても異形の生き物だった。

 瞳は赤い。魔物が突然変異したのか。


 マチアスは手持ちの武器が上着ポケットに入っている携帯用のナイフだけなのを思い出し、歯噛みをした。

 魔物相手には、もう少し刃渡りが長いものがないと厳しい。せめてテレーズだけでも逃がす算段を――。


「マチアス、馬鹿なことは考えないでね。知っていると思うけど、私が石の研究だけをしている人間ではないということを。……一緒に警備団に戻りましょう」


 まるでお見通しといわんばかりの言葉をかけられる。頑固な性格は誰に似たのかと、ついつい苦笑してしまいそうである。

 二人で魔物と男を睨みつけていると、男が腕を前に突き出した。


「女は殺すな。傷つけても構わないから、動きを封じろ。男は殺していい。行け」


 冷淡な声を合図に、魔物は勢いよく向かってきた。


 この通りは決して人がいないわけではない。むしろ大きな通りと途中で交錯しており、騒ぎを聞きつければ、すぐに人が駆け付けて来る。

 それにも関わらず魔物を使って襲ってくるとは、ただの考え無しか、それとも一瞬で終わらせることができると自身があるのか。


 マチアスはナイフを取り出し、魔物に切っ先を向けた。

 テレーズも護身用に持っていた、ひと回り小さなナイフを抜いている。どちらも心許ない刃渡りだ。

 突進してくる魔物に対し、寸前のところで、それぞれ左右に転がりながら避けた。魔物はあっという間にそこを通り過ぎていく。


「速い……」


 あの速さと重量感の突進をまともに受ければ、ひとたまりもない。

 魔物は行きすぎたところで止まり、くるりと回って、向きを変えた。

 そして地面から少しだけ浮かび上がり、空中に浮いた状態で、今度はマチアスだけを狙っていく。鋭い鉤爪が接近してきた。


 ナイフで攻撃するか思案したが、すぐさまその考えを捨て、避けることに専念した。

 今度もまた、すれすれのところで横に飛び退く。空中に浮かんでいるのが、さらに戦闘をやりにくくさせた。


 逃げ道を探そうとしたが、そんな隙など与えまいと言わんばかりに、鉤爪を振ってくる。仕方なくナイフで弾き返そうとした。

 だが、力に押し負け、右腕をひっかかれながら、ナイフ共々体ごと吹っ飛ばされた。背中が建物の壁に直撃する。


「かは……っ!」


 獲物を見定めた魔物が、淡々と迫ってくる。

 その時、背後で何かが光った。


「お願い、石よ、風を起こせ!」


 レソルス石が魔物の真下に転がるなり、そこから小さな竜巻が発生した。それが魔物に直撃し、鋭い風によって傷つけられる。

 風の威力はあまり強くなかったが、不意打ちで動きを止めさせるには十分だった。


 マチアスは立ち上がり、魔物の横を通り過ぎて、テレーズの元に駆け寄る。

 息があがっている彼女は敵から視線を逸らさずに、一本の剣を差し出してきた。刃が透けて見える。


「それなら攻撃できるでしょう」

「こんなの持っていたのか?」

「持っていたんじゃなくて、作ったのよ。石を最大限生かせば、こういう芸当も可能なの」


 テレーズの手には弓矢が握られていた。それらもすべて透けて見える。

 彼女は震える手を隠すかのように、強く弓矢を握りしめた。


「私が気を引きつけるから、あれを倒して」


 止める間もなく、マチアスから離れて、テレーズは魔物に向けて矢を放った。

 それは見事命中し、魔物が苦しそうな声を上げた。

 しかしその声が収まると、攻撃をしたテレーズに赤い瞳を向けた。威嚇の声を出し、魔物は滑降してくる。


 テレーズはもう一発放つと、すぐに背を向けて、逃げ出した。

 もはや眼中にないのか、魔物はマチアスのことなど見向きもしなかった。おかげで魔物の背中はがら空きである。


 彼女はマチアスが魔物の背後から駆け寄ってくるのを垣間見て、その場で立ち止まり、くるりと反転した。

 襲ってきた魔物に対し、弓を大きく振り上げた。弓は甲高い音と共に、魔物の鉤爪を跳ね返す。そこに明らかな隙が生まれた。


 マチアスは跳躍し、魔物の背中を切り裂く。どす黒い血が飛び散った。

 飛んでいた魔物は地面に足を付け、唸り声をあげて、睨みつけてくる。

 その間にもマチアスは二、三回斬った。切れ味がよく、かなり深手を負わせられた。


 魔物の体がうつむいてく。最後の力を出される前に、上から首元を突き刺した。

 か細い声をあげながら魔物は倒れ、やがて動かなくなった。


 マチアスは肩で呼吸をしながら、テレーズを見る。

 弓をだらんと持ち、近くの壁により掛かっていた彼女は、一瞬だけ表情を緩めた。無事のようだ。

 二人は男の方に顔を向けた。剣を剥き出しのまま、男を睨みつける。


「次はお前だ」


 男は笑いながら、両手をあげた。


「はは、威勢のいいことだ。今日のところはこれで終わることにしよう。その能力をこの目で見られれば、十分な成果だ」

「逃げられると思っているのか!?」

「お前は満身創痍の女を放っておけるのか? それにまともにやれば、お前たちに勝ち目はない。――時は満ちた。近いうちにの地で会おう」


 男が何かを地面に向かって投げつけると、白い煙が発生した。それは見る見るうちに男の前に広がっていく。

 マチアスの視界も悪くなり、あっという間に男の影が見えなくなった。


「おい、待て!」


 追いかけようとした矢先、背後で何かがずり落ちる音が聞こえた。

 振り返ると、テレーズが苦しそうな表情でうずくまっている。

 男がいた方を一瞥してから、彼女に駆け寄った。


「大丈夫か?」

「……ごめん。集中しすぎて、疲れが出たみたい。石をこういう風に連続して扱ったのは初めてだったから、反動が……」


 テレーズが持っていた弓はたちまち水になっていく。マチアスが持っていた剣も柄の部分だけを残して、他はすべて溶けていった。


「溶けただと?」

「石の力を引き出して作った武器だから……」


 途切れ途切れの言葉の中、彼女は目を閉じ、横になろうとする。地面につく前に、マチアスは抱え込んだ。


「テレーズ、テレーズ!?」


 抱き寄せ、必死に呼びかけては揺するが、彼女は目を開けなかった。


 その光景を見て、二年前の事件と被り、血の気が引いた。

 脈はある。息もしている。

 抱きしめれば鼓動を打っているのが伝わってくる。


 しかし、ぐったりしている様子があの時と被った。


 やがて白い煙が晴れてくる。男の姿はどこにもいなかった。

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