幕間 在りし日の思い出
幕間1 在りし日の兄妹
今日はお兄ちゃんが久しぶりに街に帰ってくる日。
私はお母さんたちには内緒で、食卓に飾る花を探しに、街の郊外に向かっていた。
お兄ちゃんが都市に行き、警備団に入団してから早一年。手紙は時々送ってくるものの、街にはまだ帰って来なかった。
手紙を解読する限り、かなり忙しいようだ。ホプラ街とは比べものにならないほどの大都市での警備。
人が多く、多種多様な人が入り交じっているため、考えの違いからちょっとした喧嘩沙汰が多いとのことだった。
そして書類作業もしなければならないのが、何よりも苦痛だと、手紙の端々から感じ取れた。
そんなお兄ちゃんがようやく休みを取って、帰ってくる。
ホプラ街から都市までは馬車で数日かかるため、ゆっくり帰るためには、長い休みを取る必要があったようだ。
お土産について何がいいか問われたが、私はお兄ちゃんの日々の活躍を聞けるだけで十分と返していた。
せっかくだから色々とねだればいいのに、とお母さんに言われたが、物よりもとにかくお兄ちゃんと会えるのが楽しみだった。
街の郊外にある森に囲まれた花畑に着くと、色とりどりの花の絨毯が一面に広がっていた。美しい光景を見て、思わず感嘆の声をあげる。
ここは魔物が出る可能性がゼロではないため、一人では行かないよう、口うるさく言われている場所だ。
そのため、一年前にお兄ちゃんと一緒に来た以来である。
万が一に備えて、だいぶ腕を上げた弓矢は持ってきた。
だが、これを使う状況になる前に、さっさと摘んで帰るつもりである。
どの花がいいだろうか。食卓を明るく華やかにする花はどれだろうか。
そうだ、せっかくだからお兄ちゃんが気に入っている花はあるだろうか、などと考えながら、うろうろと歩いていた。
やがて少し離れたところで、白い花の群集を見つけた。
「あ、スズランだ!」
お兄ちゃんのお気に入りの花でもあるスズランが、まとまって咲いていた。
そこに駆け寄り、しゃがみ込んでじっと見つめる。
「えへへ、いつ見ても可愛い花」
つんつんと花をつつくと、次々と揺れていく。その光景をニコニコしながら、しばらく眺めていた。
すっかり花に夢中になっていたため、生き物のうなり声がすぐ近くで聞こえてくるまで、異変を察知できなかった。
声が聞こえて、一瞬で顔がひきつる。強ばらせた表情で、かくかくと首を動かしながら振り返った。
後ろ足で立っている熊――いや赤い目をした熊型の魔物が、私のことを睨みつけていたのだ。
「こ、こんにちは……」
何となく挨拶をしてみるが、それが逆効果だったのか、魔物は「うがー!」と声をあげて、駆け寄ってきた。
「こ、来ないで!」
とっさにポケットから取り出した、レソルス石を投げつける。それが魔物に触れるなり、目映い大きな光を発した。
光が収まると、魔物はその場で固まっていた。
程なくして、前足を地面につける。そして黒い目で私を軽く一瞥し、森の中へ戻っていった。
「助かった?」
腰が抜けてしまい、しゃがみ込んで姿が見えなくなるのを呆然と眺めていた。
風が吹くと、葉と葉が重なり合う音が耳に入ってくる。はっとして、慌てて腰を上げると、スズランの花を摘み始めた。
「早く戻らなくちゃ。石はあまりないから、集団で来られたら、対処できない……」
カゴ半分をスズランの花で埋め尽くし、さっきの花畑に戻ると、今度は多種多様な色の花を摘んでいった。
青空に少しずつ雲がかかっていく。冷たい風が吹き込み、ぶるりと震えた。
カゴが花でいっぱいになったので、摘むのをやめる。
「よし、これで十分。戻ろ――」
立ち上がる途中、正面にいたものを見て、言葉を飲み込んだ。
花畑を囲むかのように、猫科と熊の魔物が三体歩いていたのだ。
それらはすぐには襲ってこず、値踏みするかのように私のことを見ていた。
胸に手を当てながら、深呼吸をして、心を落ち着かせる。
手持ちの石は残り五個。一体あたりに使用できるのは、一、二個ほど。失敗することも考えると、心許ない数だ。
次にカゴを地面に下ろし、肩に担いでいた弓矢を手に持ち、矢の先端を確認する。先端にも鋭く尖ったレソルス石を付けていた。
本来ならば、魔物に目を付けられる前に逃げるべきだ。
しかし、この状態で何もせずに逃げるのは難しい。
改めて呼吸を整える。そして正面にいる魔物に向かって、弓を構えた。先端がうっすら色づいたところで、矢を放った。
矢が魔物の体に突き刺さる。
その瞬間、魔物の全身に電撃が走った。その場で魔物は動きを止める。
もう一本、隣にいた魔物に続けざまに矢を放つ。同じように動かなくなった隙に、カゴを持って、二体の間を通り過ぎて行った。
すぐに背後にいた三体目の猫科の魔物が、飛ぶようにして追ってくる。
動きを止める相手を間違えたと思い、舌打ちをした。全速力で逃げるも、あっという間に追いつかれる。
背後から軽々と飛び越えられて、魔物は私の目の前に着地した。
すかさずポケットから石を二個乱雑に握って、投げつける。だが、あっさりとかわされた。
ぎりっと噛み締める。
今まで何度か魔物と遭遇したことはあるが、その時は石を当てて、動きを止めている隙に逃げ切れた。
当てるのが無理なら、矢を必ず命中させるよう、祈りながら弓を構えなければならない。
だが、それをすると、一時的に無防備になる。この距離で行えば、即座に襲われるだろう。
時間にして僅かだが、魔物は私が動かないのをいいことに、襲いかかってきた。避けようとするが、判断が遅れて、左腕を傷つけられる。
次は避け切れない――そう思った矢先、一人の青年が割って入ってきた。
少し癖毛の栗色の髪の青年、一段と逞しくなった背中の人物が長剣を握りしめていた。
「おに――」
「そこで大人しく待っていろ」
きっぱりと言ったお兄ちゃんは、魔物の攻撃を剣で受け止め、勢いよく弾き返した。魔物がやや下がる。
距離が付いたところで、お兄ちゃんは軽く私の方に振り返った。
「テレーズ、用は済んだのか?」
カゴを持ち上げて、慌てて返事をした。
「う、うん、終わった!」
「じゃあ、こいつを始末したら、すぐに逃げるぞ」
長剣を片手で持ち、お兄ちゃんは魔物と向かい合う。魔物は円を描くようにして動き出した。
それと同じように、距離を保ちながらお兄ちゃんも動いていく。
そして魔物が飛びかかったのと同時に、前に踏み込み、魔物の横っ腹を一斬りした。
深く踏み込んでいたため、傷は思った以上に深く入った。
苦しそうな声をあげている間に、さらに追撃すると、魔物はその場に倒れ伏した。
肩で呼吸をしているお兄ちゃんの横顔を見る。辛そうな顔だった。私はそっと近づき、その右手に触れた。お兄ちゃんの表情が緩む。
「無事か? 腕……怪我しているな」
「かすり傷だよ。ありがとう、助けてくれて」
お兄ちゃんは私の頭を軽く撫でてくる。
「まったく、たまたま通りがかったからよかったものの。無茶するんじゃないぞ」
「生傷が絶えない、お兄ちゃんに言われたくないよ」
「それを言われると、何も言えなくなるだろ……。さあ、街に戻るぞ」
お兄ちゃんは剣を鞘に戻すと、私のカゴと右手を握ってその場を後にした。
お兄ちゃんと街に帰る道すがら、散々注意された。
でも、それが私のためを思って言っていることだから、不快な気分にはならなかった。
外に出るのはいいが、自衛のためにも、もっと石を使いこなす必要があると痛切に説いてくれた。
「レソルス石を使って色々と試すのはいいが、する際は――」
「場所を選ぶこと、でしょう? そこら辺は気を付けているよ。ねえ、都市はどうだった? 詳しい話はあとで聞かせてもらうけど」
「でかいな。それに石についての研究も進んでいるみたいだった。学者もたくさんいるし、資源団っていう、石を取りまとめている人間たちもいた」
「私みたいに石を使える人はいた?」
私の石の扱い方は、他の人と比べて変わっているのは自覚している。
他の街ならば、私と同じくらいに使いこなせる人間がいるのではないかと、淡い期待を込めた問いだった。
けれども、お兄ちゃんは少し間を置いてから、首を横に振った。
「ただの石に色々な力を即座につける人間はいなかった」
それを聞き、しょんぼりした。同じような人間がいれば、力について何かがわかるかと思ったが。
「ただ、研究や開発を重ねることで、発展した使い方を模索しているっていうのは聞いた。それと石に頼らない、他の技術の開発も進んでいたぞ」
「すごい。どんどん進んでいるんだね」
国の中で最も栄えているアスガード都市。話を聞くだけで、憧れが広がるばかりだ。
「行きたいのなら、勉強しながらも……鍛えろよ。物騒な事件も多いからな。それと明確な目標があると、いいかもしれない。魅惑的なものが多いせいで、適当な気持ちで行くと、意志がぶれるからな」
「ふうん、そうなんだ。行くかどうかはわからないけど、お兄ちゃんに心配させないように、もっと鍛えてみるね」
やがて街に近づき、魔物の脅威が薄らいだところで、お兄ちゃんは鞄の中から小さな箱を取り出した。
「そうだ、はい、これ」
「え? お土産はいらないって、言ったよね?」
「テレーズ、これは土産じゃなくて、誕生日プレゼントだ」
「あ……」
すっかり忘れていたが、今日は自分の誕生日だ。おずおずと箱を受け取り、中を確認してみる。思わず声をあげた。
スズランが精巧に描かれた、美しいペンダントが入っていたのだ。
「綺麗……」
うっとりと見つめてから、ペンダントを首からかけた。それをお兄ちゃんに見せつける。
「似合う?」
お兄ちゃんは一瞬泣きそうな顔になったが、すぐに笑顔で言ってくれた。
「ああ、似合っている。すごく可愛いよ、テレーズ」
伸ばされた手は頭に移動され、ぽんぽんと軽く叩かれる。
くすぐったいような感じがするけれど、どこか落ち着く行為であった。
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