幕間2 在りし日の想いを記す
俺は今、大変珍しい光景を見ている。
警備団の先輩であるギルベールさんが、真剣な表情でペンを片手に白い紙と睨めっこしているのだ。
自分から進んでペンを持ちたがらず、報告書も適当に作って、ペンを持つ時間をいかに短くするかを心掛けている人が、なぜ。
机を合わせて、互いに向かい合って座っているため、面白いように先輩の様子を観察することができた。
固まっていた先輩は、やがて激しく頭をかいて、頭を後ろに倒す。
「ああ、どうすればいい!」
独り言なのか、話しかけているのか、判断しかねる台詞だ。
一年以上、共に行動しているが、未だに先輩の言動には理解できないものが多い。
今は夜勤中のため、部屋には俺と先輩しかいなく、他の誰かに相談することもできなかった。
気にはなるが、報告書作りも溜まっているので、話しかけられるまでは放っておくことにしよう。
「マチアス、助けてくれ!」
書き出そうとするなり、呼びかけられる。俺ははあっと息を吐きだして、顔を上げた。
「なんですか、先輩。報告書作りは手伝いませんよ」
「なあ、お前は手紙って書いたことあるか!?」
「はい?」
予想外の質問をされ、目が点になる。もう一度呼びかけられると、思考を元に戻して、ペンを置いた。
「近況報告を兼ねて、たまに母親に手紙を送っていますよ。別に親しくもないので、最近何をやったのか、あとは生きています程度の内容を簡潔に書いています」
冷めた目で淡々と質問に返す。
同じ都市内に住んでいるため、帰ろうと思えば半日で帰れる。
だが、警備団に勤める直前に父親と喧嘩し、家を飛び出した以来、一度も帰っていない。
父親は俺よりも遥かに優秀な弟と俺をいつも比べていた。
お前は馬鹿だ、駄目だ、もっと弟を見習えと、自尊心を傷つけられる言葉を何度も吐かれた。
母親が辛そうにしている姿を見たくなく、ずっと黙って耐えていた。
だが、入団する直前に、「警備団なんか……」と言われたのを皮切りに、父親と口論になり、荷物をさっさとまとめて出て行ったのだ。
あの時、カッとなって、手を上げなかったのは、偉かったと思って欲しい。
それ以後、母親から数ヶ月置きに手紙が送られてくるため、その返事で手紙を書くようになったのだ。
先輩には家族とは疎遠状態としか言っていなく、詳細なことまで話したことはない。
ギルベールさんは目をぱちくりとしてから、机を手で突いて、立ち上がった。
「なあ、どういう風に書き出しているんだ!?」
「俺の手紙はすごく事務的ですよ。先輩が知りたいような内容じゃないですって」
「それでもいいから教えてくれ! 妹に書く手紙が、変じゃないか気になっていて!」
「あの大好きな妹さん宛の手紙? なおさら俺のは参考にならないですよ」
先輩には五歳下の溺愛している妹がいる。
初めて先輩と食事をしたときに、得意げに話してくれた。そんな彼女に、仕事ぶりや都市の様子を書いた手紙を毎月送っているらしい。
もう何度も手紙を送っているはずなのに、どうして今更聞いてくるのだろうか。
「何でもいいから教えてくれ! 妹の手紙はまとまっているのに、俺の手紙はなんか読みにくい気がしてきて……」
書くことが大の苦手な先輩が、そこを自覚したのは大きな進歩な気がする。
先輩の手紙を読まないとはっきり言えないが、おそらく話があちこち飛んでいるのだろう。
俺はこほんと咳払いをしてから、立ち上がった。
「一般的な書き方なら、お話ししますよ。まずは挨拶から。お元気ですか、とか――」
そのとき、通信機の呼び出し音が鳴った。表情を引き締めた俺たちは、すぐに通信機の傍に寄り、話を聞く。
夜間まで開いている図書館からの通報で、女性が男に追いかけ回されて、避難してきたという話だ。
図書館はすぐに出入口を閉めたが、男はまだ外にうろついているらしい。それを追い払ってくれという内容だった。
先輩は両手を組み、指をポキポキ鳴らしながら、口元に笑みを浮かべる。
「女を追いかけ回すなんて許せねぇ。手加減しねぇぞ」
「先輩が本気を出すと殺しかねませんから、手加減してください」
二人は街の紋章がついている、警備団を示す上着を羽織って、現場に向かった。
図書館の入り口に着くと、中から悲鳴があがった。
互いに頷き合い、先輩が先行して図書館に入り込む。
俺は入る前に付近をざっと見る。図書館の小さな窓が割られていた。どうやらあそこから侵入したようだ。
中に入ると、大振りのナイフを持った男が女性の首に腕を回し、近寄ろうとしていた職員に向けてナイフを振り回していた。
「寄るな! 俺はこの女と話があるんだ!」
男が後ろ足で入り口に向かって下がろうとする。
だが、ギルベールさんの存在に気付くと、ぎょっとした表情で体を向けてきた。さらに警備団の服を見て、眉間にしわを寄せた。
「誰が警備団に通報したんだよ。俺はただ、この女と話したかっただけだ!」
ギルベールさんは両手を上げて、一歩近づく。
「そちらの女性は嫌がっているようですが? もう少し穏便に事を進めていただければ、こちらは何もしませんでした。しかし、もう器物損壊の容疑がかけられ、ついでに営業妨害となっていますので、見過ごすことはできません」
さらりと罪状を読み上げていく。
男はその言葉を聞いて息を呑んだものの、決して怯まず、むしろナイフをギルベールさんに向けて突きつけてきた。
「人の話も聞いていないのに、勝手に犯罪者扱いするな! お前たち皆、出て行け。俺とこの女を二人にさせろ!」
女性の顔がさらに強張る。それを見た先輩を包む雰囲気が、一瞬で鋭くなった。
「援護頼む。たぶん必要はないが」
「わかりました」
それだけ確認すると、先輩は袖の下から石を一粒取り出した。
「石よ、頼むぞ」と言い、それを男たちの前に転がす。すると石から勢いよく水蒸気が出てきた。
「なっ……!」
男が水蒸気に目を向けている隙に、先輩は詰め寄り、ナイフを持った手首を捻った。
ナイフが落ちると、足でそれを後ろに蹴る。
俺はナイフを拾い上げて布で包み込む。
拘束から逃れた女性は、すぐにこちらに寄ってきた。男の視界から遮るようにして、俺は彼女の前に立つ。
先輩は男の腕を正面から取り、くるりと反転して、男を背負い投げし、床に突き落とした。
背中を打った男が苦悶の言葉を漏らす間に、羽交い絞めにしていく。
「痛てて! やめろって!」
「静かにしないと、営業妨害した時間が延びるぞ?」
いつもの飄々とした様子は成りを潜め、冷酷な表情で男を見下ろしていた。
程なくして男は大人しくなり、観念したかのように、あっさりお縄についた。
男は一方的に女性を慕っている人間だった。
過去に一度、女性に話しかけた際、拒絶の言葉を発された。
だが、それで諦めきれず、しつこくあとを付け回し始めたようだ。
やがて男は女に振り向いてもらえないのなら、殺してやる――という歪んだ考えになってしまったようだ。
おおかたの話を聞き終わった頃には、薄明の時間帯となっていた。先輩は欠伸をしつつ、大きく伸びをしてから、窓の外を眺める。空はうっすらと明るみを帯び始めていた。
「まったく、男の一方的な思い込みって、面倒だな!」
「先輩も好きな女性ができたら、気をつけてくださいよ……」
「何でだ?」
きょとんとした顔を向けられる。俺は適当に笑いながら誤魔化した。
話を聞いている限り、先輩は妹さんを溺愛しすぎている。それこそ引くくらいに。
これが赤の他人で、一方的な想いであったら、この男と同じ思考になっても不思議ではない。
愛というのは人に力を与えるが、時に思考を狂わす。とても恐ろしいものなのだ。
「さて、報告書はマチアス君、是非作ってくれよな。俺は手紙の続きを書く!」
「まだ書くんですか? もう引継ぎの時間ですよ」
「ホプラ街への便、今日を逃すと一週間後になるから、書きたくて」
俺は肩をすくめて近づいた。
「ずっと思っていたんですけど、先輩って、どうして故郷には年に一回くらいしか帰らないんですか? 早馬すれば、数日で行ける距離。そんなに妹さんが大好きなら、もう少し頻繁に帰ればいいじゃないですか?」
書くよりも喋った方が好きな人間だ。直接顔を合わせて近居報告をすれば、書く回数が減り、苦しむ時間も少なくなると思うが。
「あまり会っちまうと、自分の目的を忘れそうだからさ」
ギルベールさんは椅子に腰を掛け、ペンを取った。そして小さくはにかむ。
「手紙ってさ、いつまでも残るものだろう。忘れても読み返せば、当時のことを思い出せる」
「たしかに昔の資料でも、手紙が元になっているものもありますからね。伝聞よりも正確に残せると聞いたことがあります」
「だから書くんだよ。思い出してもらうために」
ギルベールは緊張した面もちで、一行目を書く。
『親愛なる テレーズ・ミュルゲへ』
愛おしそうな表情で書く姿は、先ほど見た冷酷な人間と、同一人物には見えなかった。
「はじめは相手の状況を聞いて、俺の状況を述べる感じだっけ?」
「一般的にはそうですね。でも、先輩は先輩らしい書き方で、好きに書いていいと思います。突拍子もない内容でも、それが先輩だって妹さんもわかっているでしょうから」
手紙は送る相手によって書き方を変えるものだ。
丁寧に書き綴ったり、適当に書き散らしたり、簡潔に書いたり――。
短くてもいいから、想いを込めて、手で紙に書いて送ることが大切なのである。その行為自体が、受け手側は嬉しいのだ。
ギルベールさんの手紙は読みにくくても、テレーズさんなら笑ってそれを受け止めてくれるだろう。
彼女と会ったことはないが、きっと心の広い妹さんだと、このお兄さんを見て、想像できるからだ。
外から、カラン、カランと鐘の音が聞こえてくる。都市の中央にある、象徴ともいえる鐘塔からだ。その音を聞くと、不思議と活力が湧いてくる。
ずっと都市を見守っている鐘は、今日も朝を告げていた。
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