(7)嘘と牽制
扉を叩く音はさらに激しくなり、外から男の声が聞こえてくる。
「おい、誰かいるんだろう!? 話がある!」
「あの声、まさか……」
ルルシェの眉間に見る見るうちにしわが寄っていく。
気になりつつも、マチアスはテレーズの体をさらに強く揺すり、頬を叩いた。
「起きろ、テレーズ! ここから出るぞ!」
ルルシェは首を伸ばして、玄関の様子を気にする。女性は立ち上がり、奥にある部屋の扉を開けていた。
「起きてくれ、テレーズ!」
起こすのは難しいか。それなら背負って逃げるまでか。そう考え、彼女の腕を自分の肩にかけようとすると、唐突に机の上に乗っていたカップが、かたかたと音をたて始めた。
また地震か。だが大きくはない。本棚に入っている本や、執務室内に積まれている本も、崩れ落ちることはなかった。最近、本当に揺れることが多いが、今回は少し長かった。
揺れが収まると同時に、テレーズは軽く身じろぎながら、目を開いた。
「……お兄ちゃん……?」
その第一声を聞き、表情が硬くなった。
うっすら開いていてテレーズの目は、マチアスのことを確認すると、はっきりと見開いて、慌てて上半身を持ち上げた。
「え、マチアス?」
「……ああ、そうだ」
「どうしてここに? あれ、私、もしかして眠っていた?」
「……説明すると長くなる。今はここから出て、警備団に戻るぞ」
テレーズの意識がぼんやりとしている中で、さらに扉が乱暴に叩かれた。それを聞いた彼女がびくりと肩を震わす。そんな彼女の前に、ルルシェは一通の封筒を差し出した。
「さっきは言付けといったけど、悠長に待っている時間はなくなってきた。五日後に、そこに書いてある場所で会いましょう。貴女はこういう風に狙われている状況だと再認識して、隣にいる彼からも聞けることを聞いた上で、改めて考えを聞くわ。いい返事を期待している」
「隣にいるって……」
テレーズに顔を向けられたが、黙って視線を逸らした。訝し気な行動をされ、彼女は眉をひそめている。視線を送っても無駄だとわかったのか、大人しく封筒を鞄の中に入れて、マチアスに支えられながら、ゆっくり立ち上がった。
女性に「こっちよ」と言われて、隣の部屋に移動する。書斎なのか、たくさんの本が棚に並んでいた。その部屋の端で女性は屈み、取り出したレソルス石を床にはまっていた石に触れた。互いに光った後に床の一部を引き上げると、下から階段が現れる。石同士が鍵の役割をしているようだ。
「ここから一階まで下りることができます。その後は気を付けながら、お帰り下さい」
マチアスは女性に頭を下げると、先に階段を下りた。テレーズも女性に軽く礼をしてから、続いていった。二人が二階に着いたのを見届けると、彼女は再び床を閉めた。
夜が近いのか、部屋の中は薄暗い。マチアスはレソルス石の灯りを最小限にして、さらに一階へと目指した。
ルルシェはテレーズとマチアスが階段を下りていくのを耳で確認してから、執務室に戻った。そして荒々しく叩かれる扉の前に寄る。大きく深呼吸をしてから、玄関の扉を少しだけ開けた。
「なんだ、いるじゃねぇか」
少しだけ開けていた扉だったが、外にいた者により、無理矢理全開にさせられた。
ルルシェはあからさまに不快な顔をして、その者を睨みつける。褐色の髪をかきあげた男は、こちらのことをにやにやした表情で見てきた。
「お前がいたのか、ルルシェ」
「あら、ダヴィドじゃない。突然何? ここは私も出入りしている分署よ。調べ物があったから来ていたの。まだ途中だから、用がないなら帰ってくれない?」
「用があるから来たんだよ。ちょっと調べさせてもらうぜ」
「ちょっ……!」
止めようとしたルルシェだったが、彼に押しのけられた。足がもつれて壁に軽く当たる。壁から離れると、険しい表情で彼の行動を追った。
ダヴィドはじろじろと部屋の中を見ていく。机の下や大きな戸棚を荒らしていくだけでなく、給湯室、さらには隣の応接室にも踏み入れた。だが、そこで彼は入るのを躊躇った。ルルシェはそっと彼に近づいていく。
「あら、ダヴィド君じゃないですか。お元気そうですね」
中からエリアーテの落ち着いた声が聞こえてくる。
「どうしてあなたがここに……」
「五街には私のお気に入りのお茶屋さんがあるの。買い出しに行ったら、ルルシェさんと会って。ここで二人でお茶をしていたのよ」
エリアーテはカップを両手で持って、笑みを浮かべた。彼女の笑みはたいてい好意的なものだが、今回は牽制の意味もだいぶ含まれていた。
彼は振り返り、後ろに来ていたルルシェを睨む。
「おい、他に女がいなかったか?」
「女? 残念ながら、あなた好みの女性を紹介する当てはないわ」
「んなことを聞いているわけじゃねぇって、わかるだろ!」
彼が手を出そうとしたところで、エリアーテがこほんと咳払いをした。手が触れる間際で止まる。
「元気なのはいいですが、女性に乱暴なことはしないでください。仮にも資源団の一人でしょう? あまり無礼な振る舞いをしますと、派閥は違いますが、容赦はしません」
凛とした佇まいで言われ、ダヴィドは言葉を飲み込んでいた。そして手を握りしめながら、その場を離れて、玄関に戻っていく。ルルシェも少し距離をあけて、付いていった。
入り口付近に来て、ダヴィドが振り返ってくる。彼の瞳は薄っすらと赤みがかっていた。ルルシェは眉を曇らす。
「少し石に見入られ過ぎたんじゃない? 疲れている時に影響力の強い石の傍に寄るのは、体にもよくないと言うわ。あれは上手く使わないと毒になる」
「あっそ。ご忠告、ありがとよ」
軽口を叩くくらいのいつもの調子に戻る。赤かった彼の瞳は薄れ、元の色に戻っていた。彼は扉の取っ手に触れ、もう一度振り返ってきた。
「なあ、テレーズ・ミュルゲとかいう女と会っていなかったか?」
「いいえ」
悟られまいと、間髪置かずにはっきりと言い返す。
「そうか。ここで言い合うのも時間の無駄だから、女はしらみつぶしに探すことにする」
不服そうな顔でダヴィドは扉を開け放つと、あっさりと去っていった。
ルルシェは足早に扉に寄って、鍵を閉める。そして応接室に戻りながら独り言を呟いた。
「あいつが出てくるなんて……面倒なことになったわ。しかも石の悪い影響を受け始めている。元から手が出やすい男が石に魅入られたら、さらに危ない人間になるじゃない」
ルルシェとダヴィドは資源団に入団時の同期である。当初は言い争いこそはしたが、乱暴なことはされなかった。
それから月日は流れ、ルルシェは仕事を着実にこなし、今の部署に異動した。一方、彼は仕事中に暴行事件を起こし、退団寸前までいった。だが、そこで彼は別の派閥から声がかかったのである。暴力をふるいながら、資源の未来を導く派閥に。
応接室に戻ると、エリアーテがカップを片付け始めていた。
「ルルシェさん、お疲れ様です。それにしても、あの二人は大丈夫でしょうか。ダヴィド君の口振りから推測すると、おそらく周囲に追っ手を放っていますよ」
「そうですね。でも、ここで私が手を貸したら、私の立場も微妙になります。今は彼に任せましょう。彼はあの人が自慢にしていた後輩ですから、きっと大丈夫ですよ」
今は、彼らが警備団の分署まで無事に辿り着くことを祈るしかなかった。
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