(6)板挟み状態

 やがて三階にある扉の前に立つと、レソルス石は急激に冷えていった。もはや冷たいと感じられる温度である。扉に下がっていた、裏返っていた看板を表にすると、『資源団 五街分署』と書かれていた。

 今日は休日であり、図書館や警備団以外の公的機関は開いていないため、看板を裏返しているのだろう。だが、石の導きが正しければ、テレーズはここにいるはずだ。


 マチアスは呼吸を整えてから、扉を叩いた。特に反応はない。

 もう一度、さらに大きく叩く。すると鍵が開けられ、眼鏡をかけた女性が少しだけ扉を開けて顔を出した。


「どちら様ですか?」


 マチアスは女性の反応を伺いながら、当たり障りのないことを言った。


「お休み中に失礼します。私の知り合いの女性が、ここら辺で人と会っているのですが、急用が入ってしまったため、彼女を連れて帰りたいのです。会いに行った人間は、オリフィスさんという女性です。何かご存じではないでしょうか?」


 女性は数瞬間を置いて、問い返してきた。


「貴方はその女性の何かしら?」


 意表を突かれた問いをされたが、逆にそれが冷静に考えるきっかけとなった。

 この女性は何かを知っている。だから誤魔化しではなく、真実を述べた。


「彼女は僕の――尊敬する先輩の大切な妹です」


 視線を逸らさずに言い切ると、女性は目を丸くした。そして口元を押さえて、くすくすっと笑った。それが収まると、銀髪を耳元にかける。


「貴方、マチアス・ポアレよね。初めまして」


 名前を言われて、瞬時に怪訝な表情をする。彼女は気分を害された様子を見せずに、扉を大きく開けた。


「私がルルシェ・オリフィスよ。よくここに来てくれたわ。いくつか手がかりを残しておいたけど、来てくれるかどうかは半信半疑だった。――テレーズなら、奥で眠っているわ」

「なっ……!」


 テレーズの名前を出されて、驚いた声を漏らすと、彼女は再びくすりと笑った。


「これが敵だったらどうするの。弱点を明かしているようなものよ。気をつけなさい」


 早く入りなさいと促されたため、マチアスはさっさと中に入った。ルルシェの後を追い、執務室内を突っ切っていく。


「時間もないから、簡単に説明しましょう。私は資源団に所属する職員、ルルシェ・オリフィス。ある理由でテレーズをこちら側に引き入れるために話をしていたけれど、考えさせてくれって言われて、保留になったわ」

「どうしてこんなところに連れ込んだ?」


 思わず低い声で言い返す。ルルシェは眉をひそめた。


「連れ込んだとは失礼な言い方ね。彼女は自ら付いてきてくれたわ。彼女が別の団体に狙われているから、落ち着いて話せる場所に連れてきただけ。そっちの団体は私たちみたいに穏便に事を進めるのではなく、テレーズが怪我をしたり、心に傷を負ったりしても、手に入ればいいと思っているくらいの人間たちの集まりよ」

「なんだ、その集団は……!」


 語尾が怒気を含んだものになる。

 ルルシェは無言のまま、隣の応接室への扉を開くと、ソファーの上で横になった栗色の髪の娘が視界に入ってきた。彼女の近くには年上の金髪の女性が座っている。


「テレーズ!」


 マチアスは女性に気にも留めずに、テレーズの傍に寄った。脈を測り、胸元が上下しているのを確認する。ざっと体を見渡したが、傷ついている様子は見られなかった。隣にいた女性が口を開く。


「話をしたあと、すぐにでも帰りそうだったので、少し眠ってもらいました」

「つまり眠らされたのか。上手いように言っているが、本当はこれからテレーズをどこかに連れて行く気だったんじゃないのか?」


 淡々と話していく女性を鋭い目で睨みつけようとしたが、逆に彼女の微笑みに、虚をつかれてしまった。


「ルルシェさんも言った通り、私たちは彼女に危害を与えるつもりはありません。ただ、妙な気配がしましてね、今、外に出すのは危険だと思ったのですよ」

「どういう意味だ?」

「端的に言いますと、いわゆる過激派と呼ばれる乱暴な人間たちと鉢合わせする可能性があったため、彼女のことを考えて、無理に止めさせていただきました」


 有無を言わせない口調で、きっぱりと言われる。高ぶっていた感情は、彼女の声により急速に収まっていった。物腰は柔らかだが、しっかりとした言いよう――ルルシェの上司だろうが、地位的にはかなり上だと思われる。

 視線をルルシェに向けると、腰に片手を当てた彼女が、マチアスを見下ろしてきた。


「ねえ、テレーズのお兄さんから何か話を聞いたり、物を預かっていないの?」


 テレーズの兄――ギルベール・ミュルゲのことか。


 彼から生前預かったものに、手帳がある。そこには彼が色々と調べたものが書かれていた。その中に過激派らしき記述も書いてあった覚えがある。


「その様子だと、心当たりがあるようね。あとでテレーズに情報を共有してちょうだい。彼女、お兄さんが調べたことを知らなそうだったから」

「……助言はしてくれるが、それ以上のことは教えてくれないんだな」


 何を考えているのか、わからない。ルルシェは不敵な笑みを浮かべた。


「もし私から情報を流して、その事実が漏れたら、私の立場が面倒なことになるからよ。……私はこの子のお兄さんとは知り合い、けれども彼女を必要としている団体に所属している……。板挟み状態の人間なのよ」


 最後の方はどこか哀愁を浮かべたような表情をしていた。マチアスはあまり人の心を探るのは得意ではないが、今の言葉は嘘ではないように思われた。


 信用してもいい人間かもしれない――。


 とりあえず今はテレーズを起こして、陽が落ちる前に警備団に戻り、手帳の中身を確認するべきだろう。彼女の体を軽く揺すり、声をかける。しかし、起きる気配はない。


「強力な睡眠薬ではありませんので、そろそろ起きてもいい頃だと思いますよ」


 やんわりと女性の優しい声がしてくる。彼女の言葉を信じて、もう少し待つか、それとも無理矢理起こすか思案していると、突然玄関の扉が激しく叩かれた。

 ルルシェは眉をひそめて、応接室から顔を出し、玄関を見る。扉を叩く音は徐々に激しくなっていく。


「今日は休みだから、誰も来ないはずなのに……」

「ルルシェさん、誰も来てはいけないという場所ではありませんよ。急用があって、ここを尋ねに来る人がいるかもしれません」


 女性は客観的な事実を言ってのけた。だが、ルルシェの不安な表情は揺るがない。


「そうかもしれませんが、あの扉の叩き方、少し異常です。過激派の可能性が高いです。……テレーズを連れてきたところを見られたでしょうか」

「それならもっと早く来ていると思いますよ。あれから一、二時間は経過しています。むしろ彼が連れてきたと言われた方が、納得できる部分が多いです」


 マチアスを横目で見られる。言い返したいが、反論できる言葉は出てこなかった。周囲を警戒して来たとは言い切れない。妙な視線も感じたし、どこかで尾行されていた可能性はある。

 黙り込んでいると、ルルシェは首を何度か横に振った。


「ああ、もうこの際、どっちでもいいわ!」


 彼女はマチアスを指す。


「テレーズを逃がして、過激派の手に渡らないようにするわよ。そして、私たちとテレーズに関係があったという痕跡を消すわ。後者は適当に濁すつもりだけど、一緒にいるのを見られたら誤魔化しようがない。ということで、さっさとテレーズと一緒に、ここから逃げてちょうだい」


 色々と聞きたいことはあるが、今は彼女の指示に従うしかなさそうだ。

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