(3)決裂

 夜はマチアスが常連としている、飲食店に連れて行ってもらった。そこは寮から少し離れたところにある、大衆食堂だった。


 中に入ると、大勢の客で賑わっており、熱気が伝わってきた。満席だったが、ちょうど入れ替わりに出て行く男たちがいたため、そこの二人掛けの席に案内された。

 髪を首もとで一本に結った給仕の女性が、献立表と水が入ったコップを置いていく。

 彼女はテレーズをちらっと見てから、にこにこしながらマチアスに顔を近づけた。


「彼女かしら?」

「ちっ、違う! 色々あって成り行きで保護しているだけだよ」

「そうなの? マチアスが女の子を連れてきたのは初めてだから、てっきり。昔は私に夢中だったわよね」

「いつの話だ。新婚が独身の男をからかうな」


 マチアスはふてくされた表情を女性に向ける。

 彼女はくすっと笑いながら、テレーズに視線を戻した。彼女の左手の薬指には、指輪がはめ込まれていた。


「初めまして。この店で働いている、クルミと言います。常連客のマチアスとはここ五年くらいの付き合いになるかしら? 喧嘩したらいつでも愚痴を聞きますので、気軽に来てちょうだい」

「ありがとうございます。私はテレーズ・ミュルゲと言います。何度かお世話になるかもしれませんが、よろしくお願いします」


 名乗ると、クルミは目を大きく見開いた。そしてマチアスに困惑した表情で視線を送る。

 彼は「あとで話す」と素っ気なく言い、献立表を開いた。

 クルミは立ち尽くしていたが、客に呼ばれると 軽く頭を下げてそちらの方に行ってしまった。


 二人のやりとりが気になりつつ、テレーズも献立表を開いた。

 しかし、頭がなかなか働かない。二人が店員と客以上の関係であったのではないかと、勘ぐってしまう。


「ここ、つまみ用の飯もうまいけど、定食も美味しいぞ。俺は豚肉のソテーの定食にする」


 その言い方から推測すると、かつて誰かと摘まみながら飲んでいたということだろうか。

 胸の中がもやもやしつつも、テレーズは鶏肉の照り焼き定食を注文した。

 しばらくは今日の振り返りや、他愛もない話をしつつ、料理が出てくるのを待つ。

 様々な客の注文を取りつつ、流れるように料理を運ぶクルミの姿は見とれるものがあった。


 やがて熱々の料理が置かれると、早速口の中に入れた。

 じゅわっと口の中に肉汁が染み出てくる。一口食べただけだが、とても美味しかった。

 マチアスが常連となり、たくさんの客で繁盛しているのもわかる味だ。

 黙々と食べていると、マチアスは嬉しそうにしていた。


「な、なに?」

「いや、ずっと思っていたけど、美味しそうに食べている表情がいいなって」


 テレーズは顔が赤くなった気がした。そんなこと言われたの、初めてである。

 マチアスはさらりと言いながら、自分も笑顔で食べ進めていった。

 美味しいのは確かだが、さっきとはまた違った味がしている気がした。誤魔化しながら話題を変える。


「マチアスって、出会ったときはとっつきにくい印象だったけど、話してみると全然違うのね。面倒見のいい、お兄さんって感じ」

「弟がいたせいだろう。都市の外に出ている時は、緊張感を保つ必要があるから、どうしても言葉使いに遠慮がなくなる。ごめんな、あの時は」


 テレーズは首を横に振った。

 あの時は自分の浅はかな行動で、彼に迷惑をかけたのだ。謝られる必要はない。


「いいのよ。専門としている人の言動に従うのが、一番安全だから。ねえ、魔物ってここら辺では頻繁に出るものなの? 私の街では人の気配がない森の奥にいけば、たまに遭遇したけど」


 マチアスはフォークを置いて、軽く水を飲んだ。


「いや、あの森で出たのは初めてだ。その話をしたら、皆、驚いていた。外の護衛もしたことがある人間に聞いたり、他の街区の人の報告書を見たが、あそこの事例はなかった」

「そう。あんなことが頻繁に起こらないといいのだけれど……」

「その通りだな。あれが続くと、警備の仕方も変えていく必要があるかもしれない」


 話しが重くなり、黙り込んでしまう。気分を紛らわすために食べ進めた。

 やがて完食し、一息つくと、マチアスが両腕を机の上に乗せて、こちらに目を向けた。


「明日はどうする? 違う街区に行ってみるか?」


 テレーズも水を飲んでから考えた。他の街区も雰囲気が違うため、興味はある。

 石について知りたければ、工場などに行って、どう取り扱っているか、直接見た方がいい。

 だが、明日はルルシェが指定した日である。そこで何か話を聞けないだろうか。


「明日は調べ物と……」

「まだ気になるところがあるのか? 二年前のことを?」


 マチアスは声を潜めて聞いてくる。直接的な名称を出さないのは、周囲の人に気を使ってのことか。

 テレーズはコップに触れながら頷いた。


「地方の人間だと、この都市内での事件の情報を得るには限界があって。色々な考察が載っている本が出版されていて、びっくりした」

「謎が多い事件だからな。たくさんの人が調べ尽くした。だが、あれらの本から調べても、何も有益な情報は出てこないと思うぞ」


 テレーズはすっと顔を上げて、彼の群青色の瞳を見つめた。


「なぜ、そう言い切れるの?」


 マチアスは軽く目を伏せる。


「……俺も結構な本に目を通したからさ。あれほどの規模のものを迷宮入りにさせたくない」


 そして彼は指先をいじり始めた。


「警備団の人間も相当な人数を出して、捜査にあたった。だが、わからなかった。ただ、ここで爆発があり、この地点で人が死んだ――くらいしか、確定できなかった」


 彼はぎりりと歯噛みをする。


「……テレーズはどうしてその件を調べているんだ?」


 それを聞かれて、唾をごくりと飲んだ。また鼓動が速くなっていく。押さえ込むかのように、胸の辺りをぎゅっと握った。

 しばらく間を置いてから、口を開く。


「――兄がその爆発で亡くなったの」


 どうにか絞り出した言葉だった。マチアスは目を大きく見開いている。


「……突然亡くなったっていう連絡があって、でも理由はわからなくて。だから都市に来たら、時間を見つけて調べようって思ったのよ」

「でも、さっきも言ったが、何もわかって――」

「どうしてそう言い切れるの!?」


 テレーズは声をあげて、マチアスを睨みつける。彼は困惑した表情を浮かべていた。

 だが、でかかった言葉は止まらなかった。


「何か見落としているかもしれない。石が原因なら、それを研究している私になら何かわかるかもしれないでしょ!?」

「もう二年もたっているんだ。テレーズ以上の知識を持った学者が当時捜査に協力してくれたが、結果はあの程度の報告しかあがってこなかったんだよ」


‟以上”という言葉に、かちんと来た。机をばんっと叩く。


「それはそれでしょう! 私だって下積みはしている、馬鹿にしないで!」


 机の上に定食代を荒々しく置いて、立ち上がった。


「テレーズ!」

「……明日は一人で過ごさせてもらう」


 どうにかその言葉だけを吐き出し、テレーズは振り返らずに食堂から出て行った。出た途端、目に涙が浮かんでくる。


「どうしてわかってくれないの。マチアスならわかってくれると思って、言ったのに……」


 涙を必死に拭いながら、寮に向かって走っていった。




 マチアスはテレーズを追いかけることができず、その場で呆然と立ち尽くしていた。

 しばらく立っていると、後ろからお盆で頭を叩かれる。

 頭を押さえて振り返れば、クルミが眉間にしわを寄せていた。


「何をぼうっとしているの。早く追いかけて、謝りなさい」

「いや、どうして……」

「今のやりとりは、マチアスの言い方が悪い。調べるのをやめさせたいなら、もっと落ち着いて言うべきだった。あれじゃ火に油を注ぐようなものよ。それに話を聞いている感じだと、ミュルゲさんのこと、言っていないんでしょ」


 彼女は一番突っ込まれたくないことを言ってきた。マチアスは両手を握りしめながら、椅子に腰を下ろす。

 クルミはあからさまにため息を吐いた。


「なんで言わないのかしら」

「……言えるわけがない。俺のせいかもしれないって、言えるわけがない!」

「そうね、言ったら、責められるかもしれないわ。でもそれ以上に、女は隠し事をされるのが嫌なのよ。大切にしたいのなら追いかけて、まずは謝りなさい」


 マチアスは頑なに首を横に振る。彼女がテレーズ・ミュルゲと聞いた瞬間から、言えるわけがないと思っていた。

 クルミは机の上にあったテレーズのコップを片づけて、去り際に一言いった。


「勝手にしなさい。その選択を後悔しないようにね」


 マチアスは唇を噛みながら、その場で頭を激しくかいていた。

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