(2)兄からの贈り物

 灰色のソファーが二つ横に並んで置いてある。そこに腰を下ろすと、ゆっくりと沈んでいった。体が少し楽になったような気がした。息を吐いて、呼吸を整えていく。

 隣には先ほどの女性が座り、横目で見守っていた。申し訳ないと思いつつ、今は心を落ち着かせることに専念した。

 やがて落ち着いたところで、女性に顔を向けた。


「あの、ありがとうございます……」

「いいのよ。まだ調子が悪いなら、医務室に案内するわよ?」

「いえ、もう大丈夫です。詳しいんですね、図書館に」

「仕事でよく訪れているから。そういう貴女は初めてなのかしら?」


 テレーズは小さな声で返事をして、首を縦に振る。


「知り合いの口利きで、ここを紹介してもらいました。すごい蔵書量ですね。あとでじっくりと見て回りたいです」

「――真昼の悲劇について、興味があるの?」


 女性が一拍置いてから聞いてくる。

 テレーズはおもむろに女性を見返した。切れ目で眼鏡をかけている、きりっとした印象を受ける女性。仕事ができそうな雰囲気だ。

 さっきテレーズが新聞を読んでいるのを見たのだろうか。

 返答の仕方を考えていると、女性は図書館の二階に目を向けた。


「上の階に、あの事件に関して調査した記者たちの本などがまとめて置いてあるわ。あれを調べている人間は多いから、この図書館にも市場で出回っている本も含めて、多数置いてある。真相は明らかになっていないけれど、新聞よりは得られるものはあると思う」

「真相はわかっていないのですか……」

「ええ、事故か殺人かすら、わかっていない。ああ、自殺っていう可能性もゼロではないわね。つまり何もわかっていないということよ」


 何もわかっていない、という言葉が酷く胸に突き刺さる。だが、それでも知識はないよりはあった方がいい。

 女性に場所を教えてもらうと、ソファーに手をつきながら、立ち上がった。もう調子は元に戻っている。

 彼女は口元に手を当てて考え込むと、手帳を開いて何かを書き始めた。


「もし――、ここにある以上のことを知りたいのなら、五日後のお昼にこの店に来るといいわ。少しでも知っている人間を紹介する」


 女性は手帳を一枚破り、走り書きした紙を差し出した。それを躊躇いながらも受け取る。


「失礼ですが、貴女はどちらさまですか? どうしてそこまでしてくれるのですか?」


 彼女は髪を耳にかけながら言う。


「私はルルシェ・オリフィスと言うわ。公共団体に所属している人間よ。貴女が熱心に記事を読んでいたから、つい声をかけたくなったの。知識を追い求めている女性は応援したくて。貴女は? 良かったら名前を教えて」

「私はテレーズ・ミュルゲと言います。この件については、検討させていただきます」

「ええ、気が向いたら、来てちょうだい。では、お大事に」


 手をひらひらと振りながら去っていく。テレーズはその背中を見送った。

 心配してくれたことに感謝しつつも、急に声をかけられて、びっくりしていた。

 ここに自由に入れる人間ということは、昨日の荒くれ者のような、身分がはっきりしていない人間ではないだろう。

 もらった紙には、時間とある喫茶店の名前が書かれている。いち早く真相に近づきたいという思いを抱きつつ、その紙はポケットの中にしまった。

 そして二階へと続く階段を目指した。



 ルルシェが言っていたとおり、真昼の悲劇関係の本はある一角に固まっていた。

 記者が事件直後の様子を見ながら綴った本、警備団が状況について客観的に記した本、レソルス石を調べている学者たちが因果関係を書いた本など、様々だった。

 ぱらぱらっと目を通すだけでも、半日では消化しきれない量だった。少なくとも数日は要しそうだ。

 約束の時間を告げる鐘の音が聞こえた気がしたが、テレーズはその場から離れず、本を読み続けていた。


「……テレーズ」


 小さな声で、しかしはっきりとした発音で呼ばれる。

 横を振り向くと、ネクタイを締めたマチアスが肩をすくめて立っていた。慌てて本を閉じる。


「もう時間?」

「約束の時間から、三十分以上たっている。鐘の音が聞こえなかったのか? どれだけ集中しているんだ。まったくテレーズの家系は、皆そうなのかよ……」

「え?」

「いや、何でもない。一区切りついたら、ご飯食べに行くぞ。少し時間が遅くなったから、今晩も食堂だな……」


 ご飯という単語を聞いて、急にお腹が鳴る。お腹が空くのも忘れるくらい、集中していたようだ。顔を赤らめながら、慌てて本を棚に戻した。



 マチアスは仕事が残っているため、それらを片付けたり、引継ぎをしたりすると、あと二、三日は共に行動できないと言われた。

 テレーズは図書館での調べものが数日かかりそうな予感がしていたので、その間は図書館にこもっているから大丈夫だと返す。すると驚いた顔をされたが、テレーズがいいなら、それでお願いすると言われた。


 故郷の街にいた時も、数日間没頭して、図書館や部屋にこもった経験があり、特に苦ではなかった。

 だが、他人から見ると、少し珍しいのだろうか。彼の反応を見て、首を軽く傾げた。




 * * *




 それから三日間、日中は図書館の中で過ごし、黙々と興味がある本や資料を読み倒していった。真昼の悲劇関連をざっと見た後は、レソルス石関係の本も読んでいく。

 真昼の悲劇については、警備団や学者の考察を多数読んでも、はっきりとした真相は明かされていなかった。


 一方、レソルス石関係の著書で、石が過度に熱を帯びると、危険だという意見が書かれていた。

 とても興味深い内容だったため、呼びに来たマチアスに呆れ返られるまで、読みふけっていた。


「石が熱を帯びたせいで、通報されたことってある?」


 興奮しながら質問すると、マチアスは腕を組んで天井を見上げた。


「あっても他の部が担当だから、俺のところには連絡が入ってこない。ただ、小耳に挟んだことはある。まあ、石関係の問題は基本的に資源団の管轄だから、よほどの緊急性がない限り、俺たちはあっても連絡を中継するだけだ」

「そうなんだ。じゃあ、資源団の人の方が、石に関する事件は知っているのね」

「ああ。ちなみに資源団の分署はこの地区にはないから、人の紹介はできないぞ」


 先回りされて、聞きたいことを言われる。テレーズは適当に笑いながら、受け流した。



 マチアスの仕事がひと段落ついた翌日、その日は簡単に都市内を案内してくれることになった。

 ただし、壁向こうのゼロ街以外で、と付け加えられている。


「六街なら詳しいところまで案内できるが、他に行きたい街区はあるか?」

「北にある街区も気になるけど、とりあえず六街の案内をお願い。あと、先生のお見舞いには行ける?」

「少しなら顔を出していいとは聞いた」


 様子見で入院したスカラットだが、食欲があまりなく、体調も芳しくないため、さらに追加して、病院にいることになった。家に戻っても安心して過ごすことができないと思うと、余計に心労が悪化しているのかもしれない。

 マチアスに頼み、まずはスカラットが入院している病院に向かった。


 街に出ると、百周年記念の飾りつけが以前よりも増えていた。

 看板が華やかになり、記念用の食事やお土産などが出始めている。皆、大きな区切りの日が待ち遠しいようだ。


 途中でマチアスが通っている書店に寄ったりしながら、病院に近づいた。

 彼の口から、ここら辺の大通りは治安がいいから、女子供でも歩きやすい、逆にこっちの通りは夜になると人通りが極端に減るから注意が必要だ、という話題も出たりした。


 やがて病院に到着すると、面会時間は短かったが、スカラットと会うことができた。少し痩せたようだが、元気そうである。

 ただ、「せっかく都市に来てくれたのに、申し訳ない」と何度も言うのを止めるので大変だった。



 その後、昼食を挟んで、街を案内してもらう。

 まずは背の高い建物の屋上にあがり、都市全体を説明してもらった。北側にある工場地帯の奥には、大きな羽根車が何枚も回っていた。


 石を取り扱っている小さな工房にも連れて行ってもらった。手作業で石をアクセサリーや雑貨などに加工しているところだ。

 そこで石独自の特徴なども、実際に見ながら教えてもらった。

 伸び縮みしやすい様子を見て、テレーズは声をあげて感心する。


「加工しやすいから、アクセサリー作りにも需要があるのですね」

「そうだ。俺は主に細工を得意としているが、本当にレソルス石は他のよりも使いやすい。たとえ灯りとして使えなくなったとしても、貴重な石だ」


 工房にいた男性は、石を光に透かしながら、惚れ惚れと石を見つめていた。そして視線をテレーズの胸元に移す。


「お嬢さんのペンダントは、レソルス石によるものだな。いい石で作られている」


 テレーズは首からかかっている、ペンダントに軽く触れた。


「やっぱりそうですか。昔、兄からもらったものなんです」

「そうか。それは大切にしなさい。きっとお兄さんの想いが詰まっているだろうから」


 ペンダントを握りしめて、表情を緩めながらも、しっかりと首を縦に振った。

 

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