第2話 後悔のない選択を

(1)図書館で調べ物

「先輩は仕事以外で何か調べていますよね。そんなに必死に何を調べているのですか?」


 それはいつも一緒に行動していた先輩に対して、尋ねた言葉だった。時々仕事以外で、真剣な表情で走り回っているのを見たことがあったからだ。

 先輩は窓の外に見える鐘塔を眺めながら、俺には背を向けた状態で窓枠に手を添えた。


「……なあ、運命って変えられると思うか?」

「運命、ですか? 運命って自分たちの意志に関わらず、決まっている物事のことですよね。その運命に心当たりがあるなら、行動次第でいくらでも変わるんじゃないですか? 未来がどうなるかなんて、誰にもわからないんですから」

「マチアスって、意外と現実主義なんだな」


 先輩が振り返り、背中を窓につけた。夕日の光が射し込んでいるため、逆光で表情が読めない。


「お前に聞いてよかった。運命はどうにでもなるような気がしてきたよ。――俺が動くのはいい未来にするためだ。詳しいことは終わった後に話してやるよ。


 運命について先輩と話したのは、これきりだった。




 * * *




 アスガード都市に到着し、様々な事件に巻き込まれたその晩は、かなり疲労が溜まっていたのか、テレーズはすぐに眠りについてしまった。

 柔らかな布団は、疲れた体を優しく包み込んでくれる。気が付けば、鐘の音が盛んと鳴っていた。

 カーテンの隙間から日差しが入り込んでくる。それが目に入ってきたため、重い瞼を無理矢理開けた。


 寝返りを打ちながら、備え付けられた時計を見て、愕然とした。昼食の時間帯が目前に迫っている。

 慌ててシャワーを浴び、身支度を整え、廊下に出た。そして控えめに隣の扉を叩く。

 すぐに新聞を片手に持ったマチアスが出てきた。昨日見た旅装束とは違う格好で、こざっぱりしたワイシャツと茶色のズボンをはいていた。


「お、おはよう……」

「おはよう。疲れはとれたか? ご飯はまだだよな。この時間帯だと昼と一緒になるが、それでいいなら食堂に行くぞ」

「お願いします……」


 遅く起きたことについては言及せず、話を進めてくれる。マチアスは新聞を部屋に置いて、鍵を閉めると、食堂まで案内してくれた。


「新聞、読むんだ」

「しばらく都市を離れていたから、今の状況を確認するために読んでいた。世話になった先輩が、新聞は読んだ方がいいと助言してくれたのさ。ここ十日くらいの新聞は手元にある。気になるなら、あとで読んでみるか?」


 マチアスが読んでいたのは、都市内で配られている主要な新聞の一つだそうだ。

 世情を知るためにはいい読み物だろう。肯定の返事をすると、「わかった」と返してくれた。

 寮内は出勤している人が大半のため、ほとんど人とすれ違わずに食堂まで辿り着いた。食堂内も閑散としていた。

 机の上に並べられたパンやサラダなど、好きなものをお盆に乗せ、支払いを済ませた後に、部屋の端にある席に腰を下ろした。


 まだ温かみが残るパンを食べてから、ふわふわのスクランブルエッグを口に入れる。

 こうして落ち着いて食事をしたのは、一日ぶりだろうか。昨晩も突入前にサモンのところで軽くパンを押し込んだだけで、ゆっくりしている時間はなかった。

 あっという間に皿を空にし、紅茶を飲んでいると、カップを下ろしたマチアスが声をかけてきた。


「俺は午後、職場に行く。報告書を作らないといけないからな。スカラットさんは念のためにもう少し病院にいると聞いた。テレーズは部屋に戻って欲しいが……、さすがにずっといるのは退屈だよな」

「でも、私が自由に行ける場所はないんでしょ? それとも、ここなら行ってもいい場所とかあるの?」


 マチアスは窓の外に見える、白い建物に目を向けた。

 寮からその建物までは障害物がなく、この位置からでも入り口ははっきり見える。何人かそこを出入りしていた。


「あれは図書館だ。都市内には他にも図書館はあるが、あそこは主に南側の公的機関の人間たちが出入りしているところだ。中に入ることができるのは、公的機関の人間か、紹介状を持っている一般人だけだ」


 上着のポケットから一通の封筒を差し出してくる。

 中を見ると、紹介者はヤン部長で、テレーズが図書館に入るのを認める文面が書かれていた。


「なぜ、出入りを制限しているの?」

「貴重な資料もあるからさ。警備団が取り扱った過去の事件の報告書や、他の団、例えば文化団が所有している歴史的書物などもあそこの奥に保管されている。一般公開されている資料もあるから、完全には封鎖されていないのさ」

「そういう資料はゼロ街に保管されているのかと思った」

「本当に希少なものは、ゼロ街にあるが、ごく一部だ。ここを訪れる一般人は、テレーズみたいな学者、過去の事件を調べたい記者が多い。読み物というよりも、ただの資料が大半だから、普通の人間なら退屈な場だが、テレーズなら有益なものがあるかもしれない。レソルス石について書かれた資料も多いからな」


 それを聞いて、テレーズは顔をぱあっと明るくした。マチアスはふっと表情を緩める。


「あそこなら大丈夫だろうって、ヤン部長も言ってくれたから、今朝、紹介状を書いてもらった。いい時間潰しにはなるだろう」

「時間潰しだなんて、とんでもない! ありがとう!」


 体を乗り出して、彼の手を両手で握りしめる。目を大きく見開いている彼を見て、慌てて手を離した。

 紹介状はただの紙切れだが、テレーズにとっては輝いて見える。それを口元に当てて、ふふっと笑った。

 マチアスはその様子を優しげな目で眺めていた。



 食事の後、図書館の入り口までマチアスに連れて行ってもらう。そこで待ち合わせ時間を確認して別れると、テレーズは紹介状を入口で見せて、意気揚々と中に入った。


 紹介状がない者や公的機関の人間でない者たちは、入館を断られていた。

 警備団の者と思われる人間たちもところどころ歩き回っており、昨日遭遇したような人間たちが入るのは難しい場所だと思われた。

 平日の昼間とあり、あまり人は多くはない。入り口付近では、最新の新聞や雑誌などが置かれていた。


 テレーズは新聞をぱらぱらと眺めながら、最近の首都の様子を頭に入れ込んだ。

 地震がときたま発生すること、昨年よりも失業者が増えていること、レソルス石をとりまとめている資源団の中で意見が二つに分かれていること――など、暗い話題ばかりだ。


 明るい話題といえば、アスガード都市の百周年記念行事が近々開かれることくらいだろう。なにやら盛大な催し物が開催されるようだ。


 テレーズは新聞を閉じて、元の位置に戻すと、過去の新聞を保管している棚があるのに気付いた。

 あまりに古いものは書庫にあるが、ここ数年のものであればすぐに閲覧できるようだ。そこに吸い込まれるようにして移動する。

 年月日を確認しながら、見たい日を探していく。しかし、なかなか見つからない。徐々に棚の端に近づいていく。二年前はもう古いのか。


 一番端になって、ようやく求めていた日付を確認できた。

 約二年前の新聞を取りだし、閲覧できる大きな机で新聞を広げる。


 一面に大きく書かれていたのは、『真昼の悲劇 死傷者多数』の文字。


 血の気が引いていくのがわかりつつも、読み進めた。

 原因は不明、死傷者多数になる見込み、今も意識不明の人間が多くいる――。


 当時、新聞などである程度情報は得ていた。そのためこの記事を読んでも、新しい情報は得られなかった。

 死者の名を見てから新聞を閉じる。足下が覚束おぼつかない中、新聞を棚に戻した。そこで胸の前で手を握りしめながら、しゃがみ込む。

 動悸がする。胸が苦しい。まだ疲れが残っているのか?


「――大丈夫かしら?」


 小さな声で呼びかけられて、テレーズは顔を上げた。眼鏡をかけた、銀髪の前下がりショートボブの女性が心配そうに覗いてくる。


「向こうにソファーがあるわ。そちらで休憩したほうがよろしいかと」

「い、いえ、だい――」

「顔が真っ青よ。さあ」


 女性に腕を持たれて、テレーズは立ち上がる。そして背中を押されながら、ソファーへと移動させられた。

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