第5話 響き渡る鐘の音
(1)愛するということ
マチアスはルルシェに案内されて、鐘塔の近くに移動していた。
目の前には都市のどこからでも見える、背の高い塔がある。
その塔についている時計は、真夜中の時刻を示そうとしていた。ぴったり切りのいい時間に合わせて長針が動いたが、鳴るはずの鐘の音は沈黙を貫いていた。
ルルシェが歩調を緩めて、進んでいく。真っ直ぐ進んだ先には、木々に囲まれた小屋がある。
その扉の下には、鎖と開けっ放しの錠前が落ちていた。彼女は眉間にしわを寄せる。
「やはり、もう来ているのね……」
取っ手を回して引くと、低い音をたてながら開いていく。
ルルシェが重そうに引いているのを見て、マチアスは慌てて代わりに持った。踏ん張って扉を開く。
扉の中から暗闇が漏れ出てきた。
ルルシェがランプに入ったレソルス石に明かりを灯す。それを頼りに、二人は暗闇の中へ踏み込んだ。
らせん状の階段を下りていく。
まるで暗闇は永遠に続いていくかのように、底が見えなかった。
ルルシェは進みながら、マチアスに知っていることを話してくれた。
テレーズの産みの母親のこと、彼女が石の調整者であること、そして彼女の手により地震が止められるとキラト副団長たちは推測しているということ。
話をまとめると、テレーズが石に対して重要な役割を果たす者だというのはわかった。
「話してくれて、ありがとう。とにかく気をつけていこう。落ちたら死ぬからな」
「ええ。こんなところで死ぬなんて、御免だわ」
歩いている途中で地震もあったが、用心深く歩いていたため、落ちかけるということはなかった。マチアスは銀髪の女性の背中を眺める。
「なあ、ルルシェ自身のことについて聞いてもいいか?」
「答えられる範囲であれば」
「ギルベールさんとはどこで出会ったんだ?」
彼女は歩くのを一瞬止めた。そしてすぐに歩き出す。
「彼が石について探っている時に、あの資源団の分署の近くで出会ったの。そこで似たような目的で動いていると知って、情報を提供しあったわ」
「ギルベールさんはテレーズのために石を探り、動いていた。ルルシェはどういう目的で動いていたんだ?」
「団長が描いている、未来を形作るためよ。その途中にテレーズという存在に行き着いた」
「調整者、か」
ルルシェはそうそうと返答してくれる。
資源団にとって、石と対話ができる調整者は何よりも大切にすべき存在なのだろう。団員である彼女であれば、それは納得できる。
一方で、気になることがもう一つあった。
「内壁に入るためのギルベールさんの身分証、あれは正規品ではなく、偽装して作られたものだよな。どうして、そこまで――」
「あの人に好意を持ってしまったからよ。それくらい察しなさい」
彼女は間髪入れずに言葉を挟んだ。踊り場で立ち止まり、憂いを含んだ表情で見上げてくる。
彼女が視線を逸らすと、脇から垂れていた髪も揺れた。
「元気で一生懸命、机仕事は大の苦手だけど、現場仕事の活躍は目覚ましい。話を聞いているだけでも、わくわくした。私には持っていない姿勢に、いつしか惹かれていた……」
マチアスが知っている先輩と同じだ。
同じように憧れを抱き、良い部分はああなりたいと思っていた。
「でも、彼は私のことを一人の女性としては見てくれなかった。だって、彼には誰よりも大切な人がいたから。何かある度に、その子のことを話題に出していた。嫉妬しそうなくらいだったわ」
ルルシェは遠くをぼんやり眺める。遠い昔を思い出しているかのようだ。
マチアスはその人物に関して、一人だけ心当たりがあった。
「……先輩から彼女への想いは、俺から見ても異常だと思えた。だけど、血が繋がっておらず、彼女が訳ありの存在だったのなら……あり得ない話でもないと、今なら思えるよ」
兄から妹への家族愛だと、ずっと思っていた。
けれども、それとは別の深い愛情を抱いていたのならば、あの執着心は納得できるものがあった。
ルルシェはマチアスに視線を戻す。
「私はギルベールと出会い、いい刺激もたくさん受けて、考えも色々と改めた。想いを告げることはできなくても、あの人と過ごした時間は永遠に残る。それを大切にして生きていくから……、そんな寂しそうな顔しないで」
柔らかな笑みを浮かべる女性。同時に眼鏡越しに覚悟を決めた女性の瞳があった。
彼女は右手を胸にそっと当てる。
「彼が成し遂げたかったことを、私が成し遂げる。テレーズといった調整者の命を危険に晒すことなく、都市が永続的に発展していく術を、これからの資源団は作り出す」
それはルルシェだけでなく、資源団の穏健派全員の意見を聞いているようであった。
「俺もギルベールさんの意志は継ぎたい。テレーズの命は何としてでも守る」
互いに決意を言い合うと、自然と団結力が高まっていくように感じられた。
ルルシェはマチアスのことをまじまじと見てから、背中を向けて階段を下りていく。
「テレーズに想いを伝えるのはいいけど、誠実にお付き合いしないと、あとでギルベールが化けて出ると思うから、気をつけてね」
「なっ……!」
途端、顔に熱が帯びる。ルルシェは軽い口調に戻って、言い返す。
「誰でもわかるわよ、貴方がテレーズのことを好きっていうことは。先輩の妹っていうだけで、こんな危険なところまで来るとは到底思えないわ」
客観的にはそう見られていたのか。
渋々とその意見を受け取ることにする。
「男女の愛って不思議よね」
彼女はぽつりと呟く。
「男と女は秀でている能力、感情の動かし方、日常の言動など、色々と違う。だから自分とは違うところを見て、不思議と惹かれ、互いに補い合うようになっていく。それが愛というものだと私は思う。だから――」
ルルシェは踊り場で再び振り返る。そしてにっこり笑った。
「ここから出たら、テレーズとお互いに支え合っていくのよ」
その言葉は不思議と胸の奥へと響いていった――。
彼女と言葉を交わしたおかげで、緊張していた四肢が少し緩んだ気がした。
階段を下り始めた時は、手に汗をかいていたが、幾分引いている。
この下にいるのは、果たして副団長だけだろうか。先ほどのように魔物が、ましてや大量にいないだろうか。
程よい緊張感を保ちながら、最下層を目指した。
* * *
キラトが扉を開け終わると、テレーズは背中を押されて、躓くのに耐えながら中に入った。目の前に広がる様子を呆然と眺める。
黒に近い灰色の不格好な巨大な石が置かれていた。
上部からは管のようなものが伸びており、それが天井を突き破って、上に続いていた。
石の周りにはつるはしやハンマーなど、石を叩き、砕けるものが多数置かれている。
かつてこの場で採掘が行われていたような光景だった。
キラトが近くにあった固まりを持ち上げると、砂のようにぼろぼろになって砕けていく。
そのまま手を握りしめた彼は、悔しそうな表情をしていた。
「レソルス石として機能していない。ただの石以下になっている」
テレーズも真似して固まりを持ち上げると、脳内に突き刺さるような痛みが走り、すぐさま落としてしまった。
鼓動が速くなり、冷や汗が流れてくる。これはいったい何だ。
「――怒っているのだ。真の調整者が長年不在だったために」
キラトが語気を強めて呟く。
テレーズは目を丸くする。男の雰囲気が変わった気がしたのだ。
しかし、次の瞬間、キラトはころりと笑みを浮かべて、腕を大きく広げた。
「さあ、調整者。石と対話して、地震を止めるよう説得してくれ。さらに大きな地震が来れば、この都市は耐えられない。都市のためにも、頼むぞ」
「……どうすればいいの?」
「石に触れればいい。どの調整者もそうしていたはずだ」
テレーズは躊躇した。
さっき欠片のようなものを触れただけで、頭が痛くなった。あの塊に直接触れたら、頭が堪えられる自信がない。
だが、考える時間すら与えられず、地鳴りの音とともに激しく揺れ始めた。
体勢を崩したテレーズは、前のめりに倒れ込み、石に触れてしまった。
瞬間、頭の中に怒濤の情報量が流れ込んでくる。
歴代の調整者の顔、テレーズの産みの母と思われる人物、その者たちがここで石と対話をし、削り落としていく光景が入ってくる。
さらに現代から過去へと遡っていく。
国中で石が広まり、文明が発展していく様、魔物から人々を守るために作られた外壁と、この石の存在を隠すために作られた内壁の建築風景。石が発見された当時の様子。
そしてレソルス石は地下奥深くにある、自然界から得られる資源であり、限りがあるということ――など。
言葉で並べきれないくらいの情報量が、脳内に直接入り込んできた。
それだけでなく、真昼の悲劇の始まりから終わりの光景までも、生々しく入ってくる。
そこで一つの真実が、唐突に突きつけられた。
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