(3)兄の決断

 * * *




 マチアスは両手で手帳を持って、ようやくテレーズの顔を真正面から見てくれた。

 話をしている最中は、軽く目は向けられたが、はっきりとは見てくれなかったのだ。


 彼が兄の死の間際の話をするときは、途切れ途切れになりながらも話してくれた。

 テレーズは目に浮かんだ涙が流れそうになったが、隙を見てそっと拭った。流れ出したら、止まらなくなりそうだったからだ。

 もし、泣いてしまったら、マチアスの精神に余計な負担をかけてしまう。それだけは避けたかった。


 彼の苦しそうな表情から、兄は自分をかばったために死んだと思い、それが後悔の念としてずっと残っているようだった。

 そうではないと伝えたい。マチアスのせいではない。

 そうするには悲しいという感情だけでは、前に進めなかった。


 手帳の中身に入る前に話しが途切れたところで、テレーズは口を開いた。


「ねえ、マチアス」


 彼の顔が明らかに強ばった。テレーズは努めて柔らかい表情をした。


「話してくれて、ありがとう。お兄ちゃんの最期をこうして聞けて、よかった。ヤン部長が報告に来た時は、亡くなったという事実しか聞かされなかったから」


 沈痛な面持ちで、訃報を伝えにきたヤンのことが思い出される。

 何もわからない中、死だけを伝えるというのは荷が重い役割だっただろう。

 目を細めて、カーテンから漏れる光を見る。シーツを握りしめながら呟いた。


「……お兄ちゃんは身の危険を感じていた。おそらく石について重大な何かを知ってしまったために。そして――」


 マチアスの目が大きく見開かれる。

 気心が知れてきた今ならわかるが、彼は意外と顔に出やすいものだ。


「私と関係があるのでしょう?」

「どうしてそれを……」


 言葉を漏らした直後、彼は慌てて口を押さえた。テレーズはくすりと笑った。


「私が狙われているという状況下で、話してくれているから。それにお兄ちゃんから、都市に来るなら、生半端な気持ちで行くなと、口酸っぱくして言われたからね」

「来るなとは言われなかったのか」


 首を横に振る。


「言われていない。もしかしたら私が来る前に、お兄ちゃんが面倒ごとを片づけるつもりだったから、そう言ったのかもしれない……」


 テレーズは首から下げている、スズランが描かれているペンダントに触れた。それを大切に握りしめる。

 ギルベールが都市の話をしている時は、楽しそうであったが、険しい表情をしているときもあった。


「小さな頃から石については興味があった。だから、いつかは私もレソルス石のおおもとがある都市に行くだろうって予想しての発言だったと思う。皮肉なものね。行きたいと思っていた場所が、実は危険なところだったなんて」


 ペンダントから手を離し、呆然としているマチアスに向かって、手を伸ばした。


「話を続けて。お兄ちゃんが何を調べていたのか」


 我に返った彼は、逡巡してから、手帳を差し出した。


「これから話す内容は、ギルベールさんがここに書き記したことだ。俺がメモ書きからまとめた内容になるが、それでもいいか?」

「いいよ。それでお願い」


 彼は手帳を開き、順を追って説明し始めた。




 * * *




 人々が使っているレソルス石は、永遠に生み出されるものでなく、いつかはなくなる産物である――。


 そのため少しでも長く使うために、資源団やゼロ街の人たちは、様々な考えを巡らしていた。


 そんな中、約二十年前に資源団の職員の一人である、栗色の髪の女性が、突如として都市から去った。彼女が辿り着いた先は――ホプラ街だった。

 彼女はそこで体調を崩してしまい、診療所に入院することになった。そこで仕事で出入りしていたミュルゲ女史と出会ったのだ。


 歳が近かったミュルゲ女史は、彼女の体調の悪さが妊娠しているためだと知り、容態が安定した後は、家に居候しないかと提案してきた。

 当初は躊躇っていたが、ミュルゲ女史の明るさと面倒見の良さに押され、彼女は居候を始めることにしたのだ。


 やがてミュルゲ夫妻らの助けなどもあり、無事に女の子を出産することができた。

 女の子は、テレーズと名付けられた――。



 女性は出産し、体調が落ち着いた頃、助けてもらったミュルゲ夫妻に自分が都市から逃げてきたこと、そして戻らなければならないことを話し、まだ赤子のテレーズを託して、街から出て行った。


 その時の話を、当時五歳だったギルベールは廊下で聞いていた。

 難しいことばかり話していて、ほとんど理解できなかったが、女の子は守らなければならない存在だということはわかった。

 ギルベールはテレーズのことを実の妹のように可愛がり、時に体を張って守り、彼女の成長を見守った。



 時は流れ、ギルベールが将来のことを考えるようになったとき、テレーズの出生が気になった。

 当時は幼かったが、十年以上たった今なら、彼女が訳ありで養女になったのは容易に想像できた。


 テレーズが寝ている間に、真面目な顔で両親に問い正すと、驚きと躊躇いを交えながら話してくれた。


 彼女の実の母親は都市にとって重要な人物であったため、都市に戻ったこと。

 そして、もしかしたらテレーズこそが重要な人物かもしれないということだった。

 それが他の資源団の職員に知られれば、彼女は安穏な生活を送れなくなるだろう。


 だから彼女を都市から離し、この街で静かに暮らして欲しいとの願いを聞き入れ、養女として引き取ったとのことだった。

 何に対して重要なのか質問したが、その点ははっきり言われなかったらしい。つまり知るためには、都市に行くしかない。


 だが、手持ちの金銭に余裕があるわけではなかった。旅人として都市に行ったら、数週間たたずに、街に戻る羽目になる。

 だから、もともと体を動かすことが好きで、警備という仕事に興味があったため、都市の警備団の扉を叩くことに決めたのだ。


 両親は息子が都市に行くと言ったことに対し、驚きもあったが、彼自身の決断を尊重して、快く送り出してくれた。




 * * *




「自分の出生を知って、驚かないんだな」


 旅立ちの部分まで話し終えると、マチアスはぽつりと自分の感想を述べた。

 テレーズは複雑そうな顔で、首を傾げる。


「産みの母親が都市にとって重要な人物だったというのは初耳だけど……、私がお父さんとお母さんの子でないということは、十八歳になった時に聞かされた」

「そうなのか?」

「大人になるのだから、もう真実を知ってもいいだろうって。でも、そんなこと微塵も感じさせないほど、私は大切に育てられた。血が繋がっていない以外、何も違いはない」


 ミュルゲ夫婦の子どもが、年の離れた兄しかいなかったのもあり、女の子にも存分に愛情を注げたのだろう。

 マチアスは手帳をちらりと見た。それからテレーズに手帳を渡してくる。受け取る際、軽く指が触れた。一瞬離してから、手帳をしっかり掴んだ。


「……俺、預かる手前、ほとんど中身を読んだが、書くのが苦手なギルベールさんが、よく書いたなと思っているよ」

「相変わらず書くのは苦手だったの? 昔から変わらないのね」


 ふふっと笑い、テレーズは手帳をパラパラとめくった。


「お兄ちゃん、どうしてここまでしてくれたのかな。自分の身が危ないって勘づいていたのに」

「どうしてって、そりゃ……」


 マチアスは途中で言葉を出しかけて止める。怪訝な表情で彼を見ると、彼は顔を背けて立ち上がり、窓に寄った。カーテンを少しずつ開けていく。光がたっぷり中に入ってきた。


「……兄として妹を守りたいという想いが強かったんじゃないか? ほら、ギルベールさんって、徹底的に調べ尽くすというか、没頭する性格だっただろう? とにかく大事な妹の未来を護りたかったんじゃないかと思っている」

「想いが強いね……。確かに周囲から、大事にしすぎじゃないかと言われたことがある。小さい頃なんか、お兄ちゃん、私と結婚する! って、言っていた時もあるらしいから」


 それを聞いたマチアスが激しく咳き込んだ。

 心配の声をかけるが、むせただけと言い、しばらく収まるまで咳をし続けた。それが収まると、再び彼は椅子に座った。


「さっきの話よりあとの内容は、本当に書き走っているだけだったから、すまんが、まとめられるほどの読解力はなかった」

「もともとただのメモで書いている手帳でしょう? それは仕方ないって」


 彼の言う通り、手帳の中身は、最初は比較的文章になっていた。

 それは書き出す前に、ある程度頭の中でまとまっていたことをそのまま書いていたから。


 それ以降は、ギルベールが探したこと、わかったこと、推測したことを、その都度箇条書きされていた。

 普段から整理することが苦手な人間のメモをまとめろと言うのはあまりに酷すぎる。


「ざっと読んだ内容としては、ギルベールさんが都市に来て調べた、石への依存度の高さ、都市についての違和感、石についての今後の予想、そして資源団の動きなどが書き留めてあった」


 まとめられていないと言いつつ、彼はすらすらと喋り始めた。

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