(5)奪還作戦決行
* * *
隣の部屋から、男たちの笑い声が聞こえてくる。酒が入っている者もいるのか、かなり陽気な声が聞こえた。女一人を待ち構えているため、相手もだいぶ気が緩んでいるようだ。
家にいる際、相手を確認せずに扉を開けたのは、迂闊だった。
久々に教え子に会えるので、頭がいっぱいになっていたせいもあるだろう。あっという間に、男たちに捕らえられてしまった。
ここに連れてこられて、時間が経過するに従い、脳内がはっきりとしてきた。
目隠しをされているため、男たちの会話の断片から状況を整理していく。
相手の狙いは私ではなく、教え子。
まだ二十歳になったばかりの少女だ。あくまでも私は餌にすぎない。
そして彼らはただの雇われ者であるということ。裏で糸を引いている者は、ここにはいない。
こんなにも事を早急に進めたがっている様子を見ると、糸を引いている人間は、いち早く教え子を手に入れたいのだろう。
狙われる理由に、彼女自身は心当たりがないはずだ。
それでも心優しい教え子のことだ、私を助けるために、ここに来てしまう可能性が高い。
無策にくる子だとは思わないが、万が一――。
その時、誰かが傍にするりと降り立つ音がした。その者が目隠しの布を優しく外してくれる。
目に光が入ってくると、心配していた教え子がそこにいたのだ。
スカラットが声を出そうとしたため、テレーズは慌てて指を一本、口の前に立てた。それで察したのか、口を閉じてくれる。
その間に手首や足首を縛っていた縄を解くと、スカラットは軽く腕を動かしながら立ち上がった。どうやら見た感じでは、問題はなさそうである。
天井裏から垂れている縄が動く。上に待機していたマチアスが、さっさと登るよう指示を出してくる。
テレーズは先生に縄を握るよう促した。
ふと、隣の部屋に動きがあったのに気付いた。足音がこの部屋に近づいてくる。今から先生を持ち上げたら、中途半端な状態で見つかってしまう。
マチアスと目を合わせると、彼は悔しげな表情をしていた。やがて決心したように、彼は首を縦に振った。
テレーズは急いでスカラットを横にさせ、軽く縄を乗せておいた。
隣の部屋から扉が押される。テレーズは慌ててドアの影に隠れた。
「さて、スカラットさんよ、そろそろ女が来る時間だから、隣の部屋に移動してもらおう。逃げようとか変な気を起こすなよ」
男が触れようとした瞬間、マチアスが天井裏に手をかけながら体をおろし、勢いをつけて両足で男を蹴り飛ばした。
直撃した男は、隣の部屋まで飛ばされる。
テレーズは起き上がった先生の肩に腕を回して、立ち上がらせた。
隣の部屋にいた男たちは、飛んできた男を見て、次々と椅子から腰を上げた。
「どうした!?」
「何があった!?」
驚いている男たちを睨みながら、マチアスは皮手袋を手にはめて、光がある部屋に踏み入れる。
動きやすさを重視しているため、マントは外し、シャツだけの姿で進んだ。
隣の部屋にいた男たちは全部で五人。屈強な男が四人、線の細そうな男が一人いた。
「お前、いったい何者だ!」
マチアスは腕を組んで、男たちの前に立つ。
「説明はあとでしてやる。俺たちが出て行くのを何もせずに見送ってくれるのなら、そこまで酷いことはしない。抵抗する場合は――容赦はしない」
「はあ? 勝手に侵入しておいて、何を言ってやがる!」
「先に仕掛けたのはそっちだろう。お前たちは一人の人間を誘拐した。誘拐はそれなりの犯罪歴として残るぞ? ……忠告はしたからな、覚悟しろ」
「ふざけんな!」
屈強な男が一人、マチアスに殴りかかってくる。
彼はそれをするりと避けて、腕をとり、思いっきり肘で男の腕を叩いた。男の体勢が崩れると、腹を膝で蹴り上げる。
続けざまに握りしめた拳で男の背中を思いっきり叩き、その場に沈めさせた。
あっという間に一人が戦闘不能になり、息巻いていた男たちの動きが止まる。
しかし、それは僅かなもので、すぐに男たちは三人がかりで襲いかかってきた。
テレーズは暗い部屋の隅で、スカラットと共に彼らの様子を伺った。
マチアスは男たちの攻撃をかわしながら、テレーズたちの様子をちらりと見た。
大柄な男たちの動きが激しいため、彼女も迂闊に動けないようだ。
彼女一人だけなら上手くすり抜けられたかもしれないが、スカラットのことを考えると、あまり無理はできないらしい。
交戦した場合は、前に出るなと言っているため、今の状態は正しい判断であった。
狭い部屋を移動しながら、マチアスは時に椅子や手近にあった物を投げつけて、男たちの連携を乱したりしたが、決め手に欠けている。
「埒があかねぇ。さっさと終わらせてやる」
男の一人が腰から下げていた大ぶりのナイフを取り出した。
マチアスは目を細めて、それを見る。
息を整えた男はナイフを突き出してきた。
繰り出されるナイフを前後左右にかわしていく。
その間に、別の男がマチアスから離れていくのが見えた。
こちらに注意が引きつけられず、思わず舌打ちをする。
駆け寄りたかったが、目の前の攻撃から視線を逸らせずにいた。鋭利なナイフだ。まともに刺されれば、致命傷になり得る。
こちらも得物を抜きたいが、それはよほどのことでない限り、人間相手にしてはいけないと、先輩から戒められていた。
男が横からナイフを振ってくる。それを屈んでかわし、その体勢で男の足を払った。
しかし、払いが甘かったからか、男は笑っていた。男は勢いよくナイフをマチアスに向かって振り下ろした。
テレーズはマチアスの攻防を見守りながらも、こちらに男が近づいているのを見て、とっさにスカラットをかばうようにして立った。
近づいてきた男は、暗がりの中にいた娘を、ようやく視界に捉える。
「あ? もう一人いたのか。……お前、まさか――!」
言い掛けた男の右手首を持ち、思いっきり捻った。痛いと言われるが、実際に痛がっているようには見えない。
これから相手をするものは、敵だ。
躊躇わずに自分の身を守れ――。
マチアスの声が
男が口元に笑みを浮かべたのを見て、反射的に手を離して一歩下がった。
男は残念そうに、拳を作った左手を出していた。離れるのがあと少し遅ければ、あれで殴られていた。
体格差が明らかにある以上、接近戦は危険すぎる。
テレーズはポケットの中から、小さなレソルス石を掴む。強く願いながら、それを軽く叩き、男に投げつけた。
ただの小石を投げられたと思った男は、それを避けなかった。
触れた瞬間、男は目を見開いたまま全身が小刻みに動いた。すぐにそれが終わると、男は目を閉じて床に倒れ込んだ。
テレーズは冷や汗をかきながら、男を見下ろす。
レソルス石の特性である、光を放つ作用を瞬間的に強くして、電撃を起こさせた。それを直に触れて衝撃を受けたため、男は意識を失ったのだ。
加減はしたはずだが、死んでいないか心配だった。手を伸ばそうとすると、スカラットに止められた。
「大丈夫だ、死んではいない。それよりも早くこの場から逃げよう」
男の胸が僅かに上下している。冷静に物事を見極めているスカラットは、テレーズの代わりに状況を的確に伝えてくれた。
隠れている理由もなくなったため、テレーズは先生の指示に従って、隣の部屋に移動する。ちょうどマチアスが男のナイフを左手で受け止めているときだった。
テレーズは両手で口元を覆う。彼の手袋からは、じんわりと血が滲み出ていた。
だが、彼は痛がった素振りを見せなかった。
ナイフを受け止められ、目を丸くした男の手をとり、ナイフを叩き落とす。そして床に男の体をねじ伏せた。流れるようにして腕を捻り上げて、関節を外す。
男は抵抗できなくなり、その場にぐったりと伏してしまった。
マチアスは息を整えながら立ち上がる。だが、落ち着く間もなく、別の男が後ろから殴りかかってきた。
彼は振り返らずに、いとも簡単に腕をとり、鮮やかに背負い投げをした。
三人沈めたところで、マチアスは襟を正す。これで一段落かと思った瞬間、一本の矢が彼の横を通過していった。
残っていた線が細い男が、彼にボウガンを向けていたのだ。
「動くな。動くと、今度はこの矢がお前の体を貫く」
男の目が据わっている。本気だ。
マチアスは両手を挙げて、横目でその男を見る。
「厄介な武器を持っているな。他のはただの下っ端で、お前が取りまとめていたのか」
「俺も下っ端の一人さ。ただ、身を守る道具に金をかけているだけだ。……その女を置いて、ここから去れ。俺たちが必要なのはその女だけだ。断るなら、死んでもらう」
男はマチアスに狙いを定めた。
距離が近すぎる。発射されたら、さすがの彼でも避け切れる保証はない。
テレーズは男に一歩近づき、気を引き付けるために声を発した。
「私を狙う目的は何? これで狙われるのは今日で二回目よ。いい加減、うんざりしているの」
「目的を知ったら、お前はこっちに来る気になるのか?」
男は目線だけをこちらに向けてくる。
テレーズは髪を耳にかけて、はあっと息を吐き出した。
「そういうのは何かを知っている人間が使う台詞。言葉の使い方を間違わないで」
言い終わった途端、男に向けて石を指で跳ね上げた。
空中に漂っている間に青色になる。すると石から水が大量に出て、それが男に降りかかった。
ボウガンの先端が揺らぐ。
その隙にマチアスは机を飛び越えて、男の手からボウガンを蹴り飛ばす。怯んだところで、男を床に押さえつけた。
「ち、畜生。今のは何だ!?」
テレーズは腕を組んで、ふっと笑みを浮かべた。
「技術は使い方次第で、いくらでも応用が効くものよ」
マチアスが男の後ろ首に手刀を落とすと、意識を失ったのか、大人しくなった。
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