(4)信頼できる人間とは

 * * *



‟真昼の悲劇”――、それは平和な日常に住んでいた人々の心に恐怖を植え付けた、爆発のことである。


 二年前、中小規模の事務所が多数入っている建物や、集合住宅が立ち並んでいる小さな川沿いの通りにて、突如として建物が爆発したのである。

 爆発は建物の内部にいた人間だけでなく、通りを歩いていた人や、近隣の建物の中にいた人も多数巻き込んだ。

 爆発した建物は全壊、近隣にあった建物は半壊、さらに少し離れた建物まで影響を受けたという。


 人的被害も甚大であった。爆風により人々が吹き飛ばされたり、壊れた建物の破片が突き刺さったりした。数で見れば、死者十五名、重軽傷者は百名以上に及んだ。

 あまりの惨劇の光景を見た人たちは、気を失ったり、吐いたりと、多くの人が体調を崩したという。

 まるで悪夢に出てくるような酷さだったようだ。


 原因は未だにはっきりと解明されていない。ただ、爆発した建物の周辺部からは、レソルス石の欠片が残っていたという噂が漂っていた。


 そこから推測して、熱を持てるその石が爆発したのではないか、という話題があがったのだ。

 だが、果たして爆発できるような量があったのか、熱を持てるからと言って、それと爆発を結びつけるのは無理があるのではないかなど、様々な議論が一部で繰り広げられた。


 結局、それらについては立証できず、二年たった今でも原因は闇の中だ。




 * * *




 テレーズは真昼の悲劇という単語を聞き、一瞬思考が止まった。

 マチアスに声をかけられて、思考が再び動き始めたが、胸に刺さっていたある棘を思い出すには十分だった。


「おい、どうした?」

「……ごめんなさい。少し思い出し事をしていただけ。……そういう地域なら、人があまり通らないし、監禁する場所もありそうね」

「ああ。少なくとも、夜に好んで行く場所ではない」


 彼はテレーズの誤魔化しに察していないのか、変わらない声で相槌を打った。

 おそらく上手く返答できたようである。動揺したのを悟られたくなかった。

 マチアスは部屋の中を改めて見返す。


「この家で他に何かすることはあるか?」


 問いかけに対して、首を横に振った。あまりの荒れように片付けたくなったが、それはすべてが終わった後だ。今は時間が惜しい。


「よし、移動するぞ」


 日は落ち始め、やがて薄明の時間を迎える。早く行動しなければ、あっという間に夜になるだろう。




 帰りは家の正面からではなく、裏口から出た。誰かに出入りを見張られている可能性があったからだ。

 出る瞬間も、そして出てからも、マチアスは周囲を警戒しながら道を選んで歩いていった。

 テレーズも後ろを気にかけはしたが、余計なことはしなくていいと言われたため、渋々彼の背中だけを追った。


 裏路地などの抜け道を通ると、やがて濃い灰色の石でできた三階建ての建物の前に到着した。

 周囲がすっかり暗くなっていたため、マチアスは手持ちのレソルス石に灯りをつける。その灯りを建物の看板に近づけた。

 様々な事務所名が書かれている。彼はそれを一瞥してから、調子よく階段を上っていった。

 あまり掃除が行き届いていない建物なのか、階段の端には物が置かれ、さらにはゴミも転がっていた。やや顔をしかめながら、テレーズも続く。


 三階まで上がると、マチアスは一番奥まで移動し、看板をつけていない扉を軽く叩いた。中から反応はない。

 少し間を置いて、三回くらい叩くが、やはり室内から何かが動くような気配はなかった。


「留守じゃない?」

「たぶん寝ているだけだ。昼夜逆転している人だから、もう少ししつこく叩けば――」


 もう一度手を振ろうとした矢先、扉の鍵が開いた。そして内側からゆっくり開かれる。

 中から眼鏡をかけたばかりの、不機嫌そうな顔の男が現れた。


「何だ、マチアスか。今朝、納品したばかりで、今日は休みの意味を込めて、看板をとったんだが……。急ぎじゃなければ寝させてくれ」


 欠伸をしながら、扉を閉めようとしたところを、足を入れ込んで無理矢理止めさせた。


「お疲れのところすみません、サモンさん。急ぎの案件です、力を貸してください。一刻も早く、ここの建物の図面を見せて欲しいのです」


 マチアスは申し訳なさそうな表情で、建物の名前を書き移した紙を手渡す。

 サモンはそれを見て、目を細めた。


「ここは確かに俺が設計したから、図面はあるが。どうしてこんな建物の図面が見たい? もう誰もいないだろう。それにいくらお前でも、それ相応の理由がないと、団の承諾書がなければ情報を提供するわけには……」

「実はちょっと事情があり――」

「私の大切な人が、ここに監禁されている疑いがあるからです」


 マチアスの声を遮り、テレーズは前に出る。直感からして、こういう人間に対しては、真実と誠意を正面から突きつけた方がいい。

 声を遮られた青年は目を見開いていたが、彼を無視してサモンと向き合った。

 サモンは眼鏡の奥から、テレーズのことを物色するように見てくる。


「それは本当かい? 出会って間もない人間に、よくもそんなことが言えるね。嘘と思われてもおかしくはない。もしかして君は生粋の馬鹿かい?」

「兄もよく馬鹿呼ばわりされていましたので、もしかしたら私の家系は馬鹿の系統かもしれませんね。……マチアスさんが頼っている方です。信頼できる方だと思いましたので、正直にお話ししました」


 目を合わせたまま、言葉を突きつける。

 それを聞いたサモンは、髪をかきながら肩をすくめていた。


「信頼……ね。そういう情に熱い人間が知り合いにいたよ。お嬢さん、名前は?」

「すみません、申し遅れました。テレーズ・ミュルゲと申します」


 名乗った瞬間、気だるそうにしていたサモンの目が大きく見開いた。そしてがくがくと首を動かし、マチアスを見ながら、こちらを指さす。


「おい、どういうことだ?」

「サモンさんが思っているとおりですよ。能力がある人間は、必然的に都市にやってくるものでしょう。彼女もその一人ですよ」

「まあ、俺も地方から出てきた人間だしな。……わかった、お嬢さん、特別に情報を提供しよう。ただし、何かの機会でいいから、君の話を聞かせてくれ。マチアスがいる場でいい、昔のこととか、しょうもない話でいいから」


 テレーズは目をぱちくりした。とんでもない交換条件を出されるかと思って身構えていたが、あまりの落差に拍子抜けした。

 そんなものでいいのかと問いかけたかったが、サモンはそれで了承したらしく、部屋に二人を迎え入れてくれた。


 サモンは壁脇にある横長の引き出しを開けて、何十枚もある大判の紙を取り出した。それらを部屋の中央に陣取っている大きな机の上に乗せる。

 二人はその紙を囲むようにして、机の周りに立った。


 サモンは紙の端に書いてある、建物名と日付を確認しながら、捲り始める。そしてある一枚のところで手を止め、指で文字をなぞって確認し、それを引っ張り出した。

 綺麗な線が引っ張られ、細かなところまで描かれた、三階建ての建物の図面だった。外見的なところだけでなく、天井裏や床下まで載っている。


「この図面がおそらく求めているものだ。参考になることはあるか?」

「相変わらず細かく、わかりやすい図を描かれていますね。拝見させていただきます」


 マチアスは感心しながら、図面を隅々まで見だした。軽くなぞりながら、ぶつぶつと呟いている。

 テレーズはサモンと図面を交互に見た。一見して適当そうな人に見える。だが、その手から描かれる図は、繊細で、美しいものだった。


「――もともと図面を描くのが好きで、ただの趣味として描いていた」


 サモンがおもむろに口を開く。

 テレーズは顔を上げて、遠くの方を見ている彼に顔を向けた。


「そんなとき、ある人に図面を褒められ、設計会社で働くべきだって言われて、その人から会社を紹介してもらったんだ。今は独立しているけれど、昔はそこで働いていたのさ」

「その人はサモンさんの実力を見抜いたのですか。人の才能を見抜いて、その道に進ませるなんて、すごいですね」

「そうだね。勢いがある人間だった。俺よりも年下だったが……」


 サモンは横からテレーズのことを憂いの表情で見てくる。その視線に対してどう応えていいかわからず、困ったように首を傾けた。

 彼は視線を逸らし、首を横に振る。そして、腰に手を当てて、自問自答しているマチアスに目を戻した。

 やがてマチアスはある場所にて、指で丸を描いた。


「おそらくこの部屋に、スカラットさんは捕らえられていると思う」

「どうして、そこだと言えるの?」

「犯罪をする人間たちの考えなんて、だいたい同じさ。外からは見つかりにくく、そして中からは外が見えやすい場所に拠点を構えているものだ。だから、ここに侵入するには――」


 マチアスの指を追いながら、彼の作戦を聞いた。聞いていくうちに、眉をひそめていく。

 かなり綱渡り状態の内容だ。相手側にばれたり、推測が違っていれば、即交戦か、もしくは時間に間に合わず、スカラットの身に危険が及ぼされる。

 失敗する心配もあったが、ここは彼の言葉を信じて、動くしかない。


「もし交戦したらどうする? マチアスの考えによれば、相手は一人じゃないのよね?」

「四、五人くらいまでなら、俺が一度に相手をする。テレーズも多少は動けるんだろう?」


 マチアスに試されるかのような目を向けられる。それに対して、力強く頷き返した。


「ええ。自分の身は自分で護るし、石を使えば攪乱もできる」

「石で攪乱?」

「昔、兄と遊びで使い方を模索したことがあって」

「おい、どんな遊びだ、危ないな……」


 若干顔をひきつらせながら、マチアスは言葉をこぼす。

 彼の様子を見て、過去に石を使って遊んでいるときに、小規模な爆発を起こして、怒られた経験については黙っておこうと思った。


「交戦した場合、テレーズは優先的にスカラットさんを連れて逃げろ。それで警備団の分署に駆け込め。あとは俺がどうにかする」

「あとは俺がって……。無理しないでね。マチアスは巻き込まれただけなんだから」

「それは違う、自分の意志で首を突っ込んでいる。だから気にするな」


 真摯な表情で、群青色の瞳を真っ直ぐ向けられ、テレーズは息を呑んだ。

 彼は会話を切ると、次にサモンと話し始めた。そして足りないものを借りるために物置部屋に移動する。


 テレーズは二人の背中を眺めてから、改めて図面を見下ろした。

 人々が快適に生活をするために、綿密に作られているからこそ見つかる、侵入口。

 敵の数が見えないのは不安だが、マチアスの言葉は不思議と不安を消し去ってくれた。

 右手を握りしめる。そして大きく深呼吸をして、覚悟を決めた。


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