(3)消えた先生
マチアスは地図も見ずに迷わず進んでいた。さすが警備団の一人、頭の中に都市の地図が叩き込まれているようだ。
成り行きとはいえ、出会ったばかりの人間に、護衛のようなことをお願いするのは気が引けていた。
だが、狙われているのであれば、せめてスカラットだけにでも、その事実を伝えたい。だから借りを作るのは癪だが、彼の申し出を受け入れてしまったのだ。
マチアスは少し後ろを歩くテレーズをちらりと見てきた。
「俺のことはマチアスと呼んでくれて構わない。年齢もそう変わらないだろうから」
「ちなみに何歳なの? 私は二十歳だけど。私のこともテレーズで構わないよ」
「俺は二十三歳さ。警備団に入団してから五年が経過している。それなりに腕はいいと自負しているから、安心して欲しい」
「あら、思ったよりも上ね。敬語使った方がいい?」
「いや、変わらず気楽に話しかけてくれて欲しい。気を使うのが嫌だから」
「私こそ、そう言ってくれて助かる。さっきの戦いも見事だった。頼りにしている、マチアス」
今更敬語に戻すのは面倒だったため、彼の返答は有り難かった。
初対面時と比べると、だいぶ刺々しさはなくなっている。あの時はテレーズが愚かな行動をしてしまったために、きつく指摘したのだろう。
マチアスは少し間を置いて、再度振り返ってくる。
「なあ、よければ教えて欲しいんだが、これから会う人間は誰だ?」
「私の研究の先生よ」
「研究? テレーズは学生か学者なのか?」
「まだまだ学び途中の学者の卵。先生は普段都市にいるけれど、故郷は私と同じ街で、そこで出会ったの。先生の研究対象が私の興味と一致していて、都市の方がいろいろと充実しているから、ここに来てみないかと誘われたのよ」
初めて先生と話したのは一年半前、高等教育を終えて、しばらくたった頃だった。
実家の定食屋で働いていた際、先生がふらりと訪れたのである。注文した直後から熱心に本を読んでおり、テレーズが定食を運び、声をかけるまで気付かないほどの集中ぶりだった。
先生はようやく本をどけ、定食を受け取ると、美味しそうに食べ始めた。
ふと、テレーズは先生が読んでいた本に目を留めた。その本の題名を呟くと、「興味があるのか?」と聞かれ、それに対して頷いたところから、師弟関係は始まったのだ。
「出会ったときに先生が読んでいた本は、その時もらって、あれ以降私の宝物よ。研究する上での原点なの」
「どんなものを研究対象にしているんだ?」
意外にもマチアスは食いついてくる。テレーズはそっと微笑んだ。
「それは――今の都市が発展する上で、必要不可欠なものかな」
あえて誤魔化して言ったが、勘のいい人ならそれだけでわかるだろう。
彼は逡巡すると、軽く目を見開いた。そして感心したように言う。
「なかなか大変な研究になりそうだな。頑張れよ」
再び前を向いて、彼は少し足を早めて歩いていった。
もしかして本当にあれだけで察したのだろうか。思った以上に、頭の回転が早い人なのかもしれない。
夕方近くに、スカラットの一軒家に到着した。テレーズは入り口の扉を軽く叩く。
「お久しぶりです、スカラット先生。テレーズです。待ち合わせ時間にいらっしゃられなかったので、こちらにお伺いしました。どうかされましたか?」
中から返事はない。何度か叩いたが、反応はなかった。
二人で顔を見合わす。訝しげに思いながら、テレーズは取っ手に触れる。それは何の障害もなく回った。テレーズは目を見張る。
マチアスは眉をひそめて、剣の鞘を左手で触れた。
呼吸を落ち着かせてから、扉を引く。
「先生、入りますよ……」
テレーズはおそるおそる開けていったが、紙が床に散乱しているのが目に入り、一気に開け放った。
「先生!?」
入った直後の居間には、大量の紙が散らばっていた。紙だけでなく、割られた花瓶など、様々なものが床に落ちている。荒らされたのは一目瞭然だった。
我を忘れて、中に踏み込もうとした。だが、マチアスに肩を持たれて、引き戻される。
「ちょっ……!」
怒りのままに彼を睨む。彼は少し強く手に力を入れて、声を潜めた。
「落ち着け。中に先生以外の人間がいるかもしれないだろう。――俺が先に行く」
テレーズが言葉に詰まっている隙に、マチアスが先に入った。二人で足下を気にしつつ、障害物を避けながら、極力音を出さないよう進んでいく。
奥にある台所に行くと、皿の破片が多数散らばっていた。食器棚は開きっぱなし、鍋なども乱雑に床に落ちている。
一階をひと回りしたが、誰もいなかった。
まるで強盗に押し入られた後の光景だ。
まさか――。
ある仮説を立てると、血の気が引いていく。心臓の音が妙に激しく聞こえる。
そのとき、肩を軽く揺さぶられた。漂っていた意識が戻ってくる。群青色の瞳の青年が、テレーズの濃い緑色の瞳を見つめていた。
「二階に行くぞ。まだ決めつけるのは早い」
マチアスは居間にあった階段を注意深く上った。テレーズもそれに続いていく。
二階にあがると、二つの部屋の扉があった。マチアスは近くにある扉に耳を当ててから、取っ手に触れた。
テレーズは両手を握りしめて、祈るような想いで扉が開かれるのを待った。
彼はゆっくりと開けていく。少し開いたところで、中を覗きこむ。やがて険しい顔で、首を小さく横に振った。
「誰もいない」
「先生も……?」
「ああ」
スカラットが血を流して横たわっているという、最悪の事態を想定していたが、それは免れたようだ。少しだけ肩の荷が落ちる。
その部屋は寝室であった。ベッドの回りを一周する。敷布などは乱れ、衣装戸棚も開きっぱなしだ。
隣の部屋も用心しながら入る。そこは書斎なのか、多数の本や紙が散らばっていた。居間以上に荒らされている。
先生の姿はなかったが、血の臭いなどもしなかった。
「押し入られた時に、たまたまいなかったか。もしくはまともに抵抗できずに、連れ去られたか……」
部屋の中を進んでいくと、マチアスは中央にあったランプを持ち上げた。
「この部屋はもう少し調べてみよう。明かりの源はありそうだな」
ランプの中に入っている石を二回叩くと、石が目映い光を発した。それにより部屋全体が明るくなる。
テレーズは軽く目を見開いた。
「レソルス石の灯りよね。一般家庭にも、こんなに明るい光を発する石が提供されるの?」
「ああ、よほどの貧困層でなければ、これくらいの灯りは普通だ」
マチアスはさも当たり前のように答えると、ランプを中央に置いて、部屋の中を探索し始めた。
部屋の中央に来たテレーズは、輝いている石をじっと見下ろした。
* * *
レソルス石は都市部を中心に人々の生活を豊かにしている"奇跡の石"とも呼ばれている石である。それは軽く衝撃を与えることで、様々な事象を起こすことができるものだ。
例えば、石は自ら光ることができるため、灯りとして使われている。また、熱を持て、炎も出せるため、熱源としても利用されているのだ。
日々の生活に欠かせない力を備え持ち、かつ安全に使えるため、一般人にも広まり、大変重宝していた。
もともと、この地は何もない場所であった。むしろ土地はやせ細り、農作物もまともに育たない地であったため、誰も住もうとは思わなかった。
だが、突如として起きた地震のおかげで、レソルス石の塊を見つけ、その石の効果を明らかにした人々は、あえてここに街を作ることを決めたのである。
それが百年前の話だ。
灯りと熱だけならば、ここまで都市は発展しなかっただろう。この規模になれたのは、レソルス石が持つ他の特殊性のおかげだった。
代表的なものとしては、平時はただの石であるが、ある手を加えることで、鉄や銅よりも簡単に叩いたり伸ばすことができ、固まったあとはより丈夫なものになるという点だ。
また、建物などにも少量含ませることで、強度を増すことができた。それらの特性を生かすことで、製鉄業や建築業を中心として、この都市は栄えたのである。
今やレソルス石の存在は国中に広まり、便利な石は、ひっきりなしに求められるようになった。
しかし、供給する量には限りがあるため、まずは都市部や富裕層に行き渡り、その残りが地方の街に広まっている状態だった。
それゆえ地方の街では、灯りや熱の代わり程度しか使えておらず、特殊な使い方をする人間はほぼいなかった。
* * *
レソルス石が一般住宅に無造作に置かれているところを見ると、この地はテレーズの出身地とはだいぶ違うと感じざるを得なかった。
マチアスが戸棚の中や机の下、様々なところを見ていく。
テレーズも何か手がかりはないかと探し始める。机の上にある乱雑に置かれた紙を見渡していくと、書き走った紙を見つけた。
インクの乾き具合から、書かれてからそう時間はたっていない。文字に目を通すなり、青年に声をかける。
「マチアス、これを見て……!」
彼はすぐに寄ると、並んでその文章を目で追いかけた。見る見るうちに彼の眉間にも、しわが寄っていく。
手紙にはこう書かれていた。
『テレーズ・ミュルゲへ
スカラットは俺たちが連れて行った。返して欲しければ、以下に示す場所に来い。決して他の者には口外しないこと。』
そして続きには、時間と場所が書かれていた。
震える両手を握りしめる。
「どうして、こんな……!」
沸々と怒りが湧き上がってくる。
「スカラットさんは何者かの手によって、テレーズの代わりに連れ去られたようだな。それなら待ち合わせの場所に来なかったのも頷ける。――なあ、本当に狙われている理由に、心当たりはないのか? それがわかれば相手の素性もあぶり出せるかもしれない」
テレーズは考えを巡らしたが、首を横に振る。
「心当たりはない。それにこの書き置きが本当なら、マチアスには話せない」
ただ、先生を尋ねに都市に来ただけだ。それしか表向きの理由はない。
(まさか、あの真実を調べるために妨害が入った? でも、あれを調べることは誰にも言っていないから、気付かれるはずがない)
腕を軽く組んで、他に何かないか必死に考えるが、思いつかなかった。
彼は片手を腰にあてて、肩をすくめる。
「わかった。心当たりがないなら、それでいい。今はスカラットさんを助けることを第一に考えるぞ」
「でも……」
不安げな声を漏らす。マチアスは紙を手にとり、顔の前に持ってきた。
「これを見てしまった以上、俺はここから引き下がれない。警備団という立場を抜きにしても、一人の人間として、引き下がるわけにはいかない」
「だから、それでもし、先生の身に何かあっ――」
話している途中でマチアスに右の手首をきつく掴まれた。腕をばたつかせ、捻ろうともするが、びくともしない。
眉をひそめて彼の顔を見上げる。
「何のつもり?」
「テレーズだけで行ったとしても、そこで二人とも無事に帰してくれるとは思えない。この荒れ具合を見る限り、複数名いるはずだ。こんなにも簡単に抑え込める女を一人で行かせるわけにはいかない」
「……私が弱いって?」
表情を消したテレーズは、右手を思いっきり下げ、視線が下がったマチアスの肩を左手で掴み、思いっきり自分の方に引き寄せた。
一瞬、ふらついた彼の足を払い、勢いをつけて背中から床に叩きつける。
彼を上から見下ろすと、ふっと笑みを浮かべられた。それを見て、ぞっとし、とっさに手を離して距離をとる。
それより前に彼に右腕を引っ張られ、あっという間に床に転がされる。軽く体を打ち付けて、悶えている隙に、彼は起き上がり、テレーズの肩を床に押さえつけた。
肩を押さえられているだけだが、まったく動けない。
「どうだ。これでもテレーズは行くのか? 相手の目的がわからない中、闇雲に一人で行くのは危険だ」
抑揚をつけずに彼は言っていく。目はまったく笑っていなかった。
マチアスを見て、背筋に悪寒が走った。
肩から右手が離され、その右手は首元に移動する。とっさに目を瞑った。
だが、触れる前に両手は離れ、マチアスは立ち上がっていた。
拘束を解かれたテレーズは、自身の呼吸が少し荒くなっているのを感じながら、起き上がった。胸の前で、自分の左腕を右手で握りしめる。
「な、何がしたいの?」
「わからせたかっただけだ。テレーズはたしかに並の女よりは強いかもしれないが、男に動きを封じられたら、一巻の終わりだ。もし、俺を連れていけば、盾にもなれる。戦いは専門にしている人間に任せろ」
「だから、他の人の存在が知られて、先生の身に何かあったら……」
「その前に二人を連れて脱出するさ」
目を真っ直ぐ向けられて、自信満々に言い切られる。その姿を見て、呆気にとられてしまった。
なぜ、そんなに自信があるのか。
実は彼はあの連中の仲間なのではないかと一瞬疑ったが、散らばっている紙や本を拾い始めているのを見て、その考えを捨てた。僅かでもそう思った自分が恥ずかしかった。
床に手を突きながら、立ち上がる。
「……ねえ、マチアス」
「何だ?」
「出会って間もない私に対して、どうしてそこまでしてくれるの? しかも非番なんでしょう?」
優しく接し、時に厳しく指摘してくれる。まるで昔から知っていて、心を許しているからできるような行為だった。
彼は本を机の上にそっと置き、軽く目を細めてから、テレーズに向けて表情を緩めた。
「さっきも言ったが、警備団として市民を護りたい気持ちもあるし、これ以上、この街を荒らされたくないという思いもある。他にも理由はあるが……それは機会があれば言う」
本をもう一列積み上げると、マチアスは置き紙を手に取った。
「さて、作戦をたてるぞ。手紙に書かれた時刻まで、あと数時間もな――」
その時、地鳴りがしたと思うと、小刻みに床が揺れ始めた。そしてゆっくりと左右に建物が揺れていく。
「地震?」
テレーズはとっさに傍にあった机に触れ、本棚や物が周囲にないかを確認した。
「そうだな。最近、ときどき揺れるんだ。こんなこと、生きてきた中だと、二十年近く前以来だ」
それから一分くらいで揺れは収まった。マチアスは置き紙をテレーズに託す。
「ここに書かれた建物を設計した人物に、心当たりがある。そいつに話を聞き、侵入と逃走経路を確認して、助けに行こう」
「ここ、昔からある廃墟とかじゃないの?」
犯人の隠れ家としては、今は使われていない古い建物が事例としてよく挙げられる。
マチアスは首を横に振った。
「作られたのは五年前だが、建物の中に入っていた会社が潰れたのは一年半前。それ以降、次が入る目処はたっていないと聞いている。この地域はある事件がきっかけで、人が寄りつかなくなり、治安が悪くなった場所だ。悪い奴らのたまり場として使われていてもおかしくはない」
「ある事件?」
彼は入り口まで歩みを進め、背中を向けたまま答えた。
「二年前に起こった、アスガード都市の“真昼の悲劇”と言われているものだ」
テレーズはその単語を聞いて、目を大きく見開いた。
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