(2)警備団員の青年
男たちは怪訝な表情で、来た道を振り返る。
首元でマントを留めた青年が一人、颯爽と裏路地を歩いてきた。暗がりの中でもうっすらと群青色の瞳が見える。行きの馬車で同乗していた護衛の青年だ。
「お前、何者だ。近づくと痛い目に遭うぞ」
彼は男たちの制止の声など聞かずに、こちらに近づいてくる。
「おい、聞こえねぇのかよ! ……忠告はしたからな」
男が一人、青年に近づく。そして拳を作って、上から殴りかかろうとした。
だが、彼は表情一つ変えずに、頭を動かして拳を避け、顔の真横で男の拳を捕まえた。
ニタリと笑みを浮かべる。
「これで正当防衛ができるな?」
「なっ……!」
青年は自分の足で、男を足払いした。いとも簡単に男の態勢を崩し、そのまま地面に押さえつける。男がうめき声をあげている間に、みぞおちを一発殴った。
もがく男を一瞥しながら、青年は立ち上がる。目を細めて、もう一人の男を見た。
「……っち! あんな野郎、まともに相手ができるか!」
男は魔物を見ると、右手で青年を指さした。
「行け!」
その合図とともに、魔物はテレーズから離れて、青年に向かって走っていく。
魔物の威圧感がなくなったところで上半身を起こすと、すぐさま男にナイフを突き出されて、動きを止めた。
「あれを処理したら、お前を連れて行く。なるべく傷つけるなというお達しだから、大人しくしていろ」
テレーズは横目で男をゆっくり見た。男は青年の様子を伺っている。ナイフと顔の距離は、開いた手のひらが一つ入る程度だ。
「どうして私を狙っているの?」
「依頼主に頼まれたから」
「依頼主は誰?」
「会えばわかるだろう」
「じゃあ、あの魔物は貴方のもの?」
「あれは依頼主が手配したものだ。俺たちは襲われないように、少し細工してもらっている。……女、少しは黙っていろ」
男がナイフを近づけてきた。もう無駄話はしないという、意思表示か。
テレーズは視線を青年たちの方に向けた。猫科の魔物は彼を獲物と定め、鋭い牙を見せつけながら、襲いかかる。しかし、青年はその攻撃を涼しい顔で避けた。
魔物が似たような突進を何度か繰り返す。やがて一瞬止まると、助走をつけて、飛びかかった。
青年はマントの下に隠れていた、腰から下げたロングソードを抜き、魔物の体を深く切り裂いた。
鮮やかな剣の抜き方に、息を呑む。隣にいた男はがく然としていた。
男に隙が生じたのを見逃さず、テレーズは右手で男がナイフを持っている手首を捻る。軽く捻りあげただけで、ナイフは簡単に地面に落ちた。
「女……!」
男が今度は左手でナイフを取り出す前に、テレーズは立ち上がり、男の腹を右膝で蹴り上げた。
男の息が詰まったところで、両手を握りしめて、勢いよく背中を叩く。男は苦悶の声を上げながら、地面に伏した。
テレーズは近くに落ちていたナイフを蹴り飛ばして、息を吐く。視線を青年に向けると、彼は魔物を深々と刺して、動けなくさせたところだった。
彼は服を軽く整えて、剣を鞘に収める。そして顔を向けてきた。馬車で会ったときの厳しい目つきではなく、ほっとしたような顔をされた。
「テレーズ・ミュルゲだったんだな」
「そうですけど……。助けてくれて、ありがとうございます」
「怪我はないか?」
「少し体を打ったくらいです。特に問題はありません。……その魔物は……」
青年の背後で横たわり、どす黒い血を流している生き物に目を向けた。
「魔物になったら元には戻らない。息の根を止めてやるしかない」
彼は静かにテレーズの問いに返す。移動時に見たとおり、慣れた手つきでの始末の仕方であった。相当、魔物との戦いに場慣れしているようだ。
青年は自身の荷物から縄を取り出し、それで男たちを拘束し始めた。
その間にテレーズは自分の荷物を回収する。鞄を持ち上げると痛みが走り、左手に怪我を負っていたのを思い出した。止血をするために、慌てて汚れてもいい布を探す。
もたもたしていると、あっという間に男たちを縛り終えた青年が寄ってくる。彼はため息を吐きながら、持っていた白い布で、テレーズの左手を縛ってきた。
「すみません……」
渋々言葉を漏らす。移動時での印象があまりよくなかったため、正直に言えば、今すぐにでもここから去りたかった。
青年は黙ったまま縛り終えると、じっと見つめてくる。そして、彼から驚くような言葉が出てきた。
「テレーズ・ミュルゲ、俺と一緒に来て欲しい」
突然の申し出に目を丸くする。真剣な眼差しを見て、ドキッとした。
すぐに我に返ると、眉をひそめて荷物を抱きかかえる。
「助けてくれたことに対してはお礼を言います。ですが、さっきまで知らない男に似たような言葉をかけられたばかりです。名乗りもせず、上から目線の人に従いたくありません」
いつでも逃げられるように、退路を確認する。先ほど走りかけていた道のため、通りにでるまでの障害はほとんどない。
青年は頭を軽くかいてから、手を下ろした。
「悪い、名乗り遅れた。俺はマチアス・ポアレという。アスガード都市の警備団の一人だ。君が狙われているかもしれないという情報を得て、保護しに来た」
「私が狙われる? またどうしてそんなことに!」
「それは……わからない」
「はあ?」
まさかの返答をされ、思わずうろんな目を向けてしまう。
視線を軽く下げていたマチアスは、意を決して再び視線を合わせてきた。
「だが、俺が信用している人間が残していった言葉だ。信じて欲しい! 保護を受けるかどうかは、もう少し詳しい話を聞いてからでもいい。とにかく俺と一緒に来てくれ!」
懸命に発する声から、嘘を付いているようには見えない。
だが、高ぶった警戒心は、出会って早々の男に心を許せられなかった。まずは、この男の身分が正しいのかどうか知りたい。
テレーズは口をつぐんで考え込む。やがてあることを思い出し、マチアスを見上げた。
「警備団の人間なら、身分証みたいのを携帯していると聞いたことがあるけど?」
彼は目を瞬かせた後に、ああっと声を漏らした。そして首からかけていた紐をたぐり寄せて、長方形の薄い金属の板を取り出した。
半歩近づいて、それを覗き見た。
金属の板には街の紋章である、旗のような縁取りの中に、丸い石をくわえた大きな鳥が中央に描かれている。さらにその周囲は、細かな装飾でまとめられていた。
裏面を見れば、『マチアス・ポアレ』と彼の名前が書かれている。
そこまで見て、ようやく警戒心が薄れた。
過去に警備団に所属していた人間から、同じものを見せてもらったことがある。
偽造できないように装飾は細やか、金属の板も質のいいものを使っていた。第三者がこれを盗み、換金しようとすれば、すぐにばれる代物にしていると聞いたことがある。
青年の名前も明記されているため、身分については疑う余地はなさそうだ。
「これで信用してくれたか?」
「そうね……」
テレーズは地面に転がっている男たちを眺めた。
狙われているのは事実のようであるし、保護を求めるべきだろう。
けれども、すぐにはできない事情があった。保護されれば迂闊に動けなくなる。
「……わかった。用が済んだら、話を聞きに行く」
「用が済んだら? いや、一刻も早く保護を……」
「私は理由もなく、この都市に来たのではない。やるべきことがあるからよ。最低限それを済ますまでは、保護を求めない」
首を横に振って、はっきりと答える。
マチアスはその言葉に押されて、唾を飲み込む。
これで話しは終わったと思い、テレーズは彼に頭を下げて、荷物を取って背を向けようとすると、再び声をかけられた。
「おい、ちょっと待てくれ!」
眉をひそめて、体を半分向ける。
「私、急いでいるの。人に会いに行かないと。その人と話し合ってから、今後のことは決めたい」
「それなら俺も一緒に行く。一人になったら、今度こそ連れ去られるかもしれないぞ?」
鋭いところを突いてくる。それを言われると、途端に体が動かなくなりそうだった。
「俺はただ……事件が起きるのが嫌なだけだ。未然に防げるものなら防ぎたい」
視線を逸らして、彼は言葉をこぼす。警備団に所属している、彼なりの義務感か。
彼の言葉を聞き、少し考えを改める。
彼の好意をここは有難く受け取っていいのかもしれない。こんな事件があった後で、一人で歩くのは正直不安があった。
彼の腕については、二度の戦いを見た限り、十分信用できる。
テレーズは逡巡してから、軽く頭を下げた。
「……そこまで言うのなら、同行、お願いします」
心なしかマチアスの表情が緩んだ。
「こちらこそ、よろしく。早速行こうと言いたいところだが、少し待ってくれるか?」
「少しなら……」
マチアスは糸でつながった二つの灰色の小さな石を取り出した。
片方を右耳に、もう片方を口元に寄せた。石を軽く叩くと、それらがうっすら橙色に染まる。
「あー、聞こえますか、お久しぶりです、マチアスです。今日、戻りました。先ほど女性が男に追い回されている現場に遭遇し、そいつらを確保したので、引き渡しをお願いします。場所は――」
耳に寄せている石から、微かに声が聞こえてきた。
「――すみません、彼女、疲れているようなので、話を聞くのは明日以降でお願いします。俺は彼女を送っていきますので。――え、成り行きですよ。俺、もう非番なんですから、事情を聞くとか面倒なことはしませんよ。よろしくお願いします」
石の向こう側では、まだ話し声が聞こえたが、マチアスが石を叩くと、色は元に戻り、声も聞こえなくなった。テレーズはマチアスの横に来て、石を覗き込む。
「レソルス石で連絡を取ったの?」
マチアスは首を縦に振ってから、石を渡してくれる。一見して、ただの石だが、よく見れば細かな穴が空いていた。
「へえ、携帯用の通信機は初めて見た。石が僅かな電波を流す原理を利用しているのでしょう? 親の通信機が電波を受け取ることで繋がり、それで話をするんだっけ」
「その通りだ。この通信機と繋がる親機は、警備団の分署にある。今はそこと通じていた。便利だが、この通信機を使いこなせる人間は少ないし、他にも欠点があるから利用は進んでいない。よく知っているな、こういう機器があることを」
「石で何ができるか調べたことがあるだけよ」
テレーズはしげしげと見ていたレソルス石を返す。少しすると、二人組の警備団員が現れた。マチアスより少し若い青年たちだった。
彼らは魔物の死体にぎょっとしつつも、マチアスから話を聞き取っていた。
途中でテレーズのことを見たが、すぐに視線を戻される。
話が終わると、マチアスは頼んだとばかりに彼らの肩を軽く叩いてから、テレーズのところに戻ってきた。
「待たせた。さて、どこに行くんだ?」
住所と地図を見せると、彼は軽く頷いた。そしてテレーズの手から荷物を取り、裏路地から道に出て、先に歩き始めた。
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