【27日目 物語】

コスドラスは、小さな領地を治める領主の三番目の息子として生まれました。


母親は彼を産んですぐに亡くなり、コスドラスは信心深い祖母の手で育てられました。


彼には幼い頃から不思議な癒しの「力」がありました。


人間や動物に手で触れると病や怪我で痛む場所や、本人が気づいていない具合の悪い箇所がわかりそこに「力」を流すと癒せたのです。

コスドラスは理屈もわからず無邪気に癒していましたが、祖母が彼の力が他人の目に触れるのを恐れました。そこでコスドラスには癒しをしないように何度も言い聞かせたのですが、幼い彼は言う事をききませんでした。


やがて成長しても、彼は働かず、父親である領主の仕事を手伝おうともせず、森をうろつき、川辺をぶらぶら歩き、町の酒場で悪友たちと酒を飲み、遊び人として暮らしていました。

病気や怪我で困っている人がいれば、一銭も受け取らず癒してやったり、癒せない時は金を渡して面倒をみてやったりしていたので多くの領民などには慕われていましたが、父親や兄たちからは怪しい「力」を使う人間だと疎ましがられていました。


やがてコスドラスにとって困った事態になっていきました。

青年となり、整った容貌の彼を周囲が聖人扱いし始めたのです。

病人が押し寄せ、失せ物探しなど様々な難題が持ち込まれ、雨乞いを頼まれたりしました。

ついには死人を蘇らせてくれと騒ぐ人々から逃げ出したコスドラスは、森の中に隠れ住むような生活を送り始めました。


そんなある日、彼は森の巨木の根本で倒れている天使に出会ったのです。


最初、コスドラスは銀色の小鳥かと思いました。

天使は背中に羽根がある以外は見た目は人間と変わりませんでしたが、全身は両手に乗るほどの小ささで、銀色に煌めく鱗のような衣装を身に着け、髪は銀色でなぜか裸足でした。

かすかに苦しそうに呻いているので、思わず手を当てたコスドラスでしたが、癒しの「力」を流した瞬間に逆にコスドラスの身体に物凄い「力」が流れ込んできて彼はあまりの衝撃に倒れて気絶してしまったのです。

そして気がついた時、癒してやった小さな銀色の天使から自分の身体と「力」が変質した事を教えられました。


コスドラスは、天使の「力」と人間の「力」が混ざった奇妙な存在になったのです。


最初は混乱して大変でした。癒しの「力」はずっと強くなるし、それまで出来なかった枯れた植物を甦らせる事も出来るようになり(さすがに死んだ動物を生き返らせるのは無理でしたが)、様々な天使を呼び寄せられるようにもなったのです。

そして不思議な存在、この世にははっきりと存在しない物も見えるようになりました。光をまき散らす精霊のような物、花の上で遊ぶ小さな人間、亡霊や漂う影や悪鬼のような物が。

彼が癒した銀色の天使は「力」について質問した事は教えてくれましたが、手助けは何もしてくれません。

コスドラスは必死で「力」の使い方を覚え、何とか普通に生活できるようになろうと努力しました。


けれど。コスドラスの状態がようやく落ち着いてきた頃、既に老齢で弱っていた祖母の具合が悪くなり、寝たきりとなりました。

勿論コスドラスは癒そうとしましたが、彼女はきっぱりと断りました。そしてコスドラスに癒しの「力」を今後決して使わないようにと言い遺して亡くなりました。

コスドラスには祖母から、金属の花飾りの取り付けられた古い木箱が残されました。由来は不明ですが、祖母がいつも聖遺物箱だと言って大切にしていた物です。コスドラスはそれをとりあえず自分の部屋に飾りました。


祖母がいなくなると、ますますコスドラスと家族の関係は悪くなりました。祖父は心配はしてくれましたが、気弱な性格で兄たちに逆らえません。


やがて決定的な出来事が起こりました。長兄の幼い息子が病にかかり、コスドラスは癒そうとしましたが長兄は絶対に許さず、言い争っているうちに息子は容体が悪化して死んでしまいました。半狂乱の兄嫁から人殺し呼ばわりをされ、父からも兄達からも、お前の怪しい「力」が病をこの家に引き入れたのだと激しく責められました。

たまりかねたコスドラスはついに領主の館から完全に離れ、領地の隅にある小さな古い屋敷に移り住みました。そして金が出来て機会があれば全てを捨てて領地を出ようと考えていました。


彼の屋敷を訪れるのは、領主の館の中にある聖堂に仕える司祭だけでした。何とか領主一族とコスドラスの不和を無くそうと努力していたので、コスドラスはうるさく思いつつも仕方なく受け入れていました。


そんなある日、領地内の教会で大掛かりな式典があり、教皇の国から教皇が大勢の聖職者や従者、貴族を従えて訪問しました。領地の人々は沸き立ち、コスドラスも遠くから煌びやかな教皇の一行を見物しました。

そして帰り道で、崖から落ちて死にかけている馬と貴族に出くわしたのです。貴族は教皇の供の一人でしたが、どうやら馬が暴走した挙句の事故らしく周囲には誰もいませんでした。

思わず貴族と馬を癒してしまい、気が付いた貴族には名乗らず黙ってその場を立ち去りました。


怪我が治った貴族は、大切な愛馬と共に聖者に奇蹟の癒しを受けたと信じて助け主を探し始めました。そして、領主の館の司祭が気が付き、貴族に癒したのは領主の息子のコスドラスであると教えたのです。

司祭はこの件がきっかけとなり家族がコスドラスの力を認めるだろうと期待したのです。

やがて領主の館に、コスドラスを聖者として褒めたたえる言葉と共に報酬として金貨の詰まった袋が使者の手によって届けられました。領地が不作で借財に苦しんでいた領主の父親と兄達は驚き有頂天になり、そしてもっと金貨を得たいと考え始めたのです…。


何日かたって、コスドラスが領主の館に父親から晩餐に招かれました。

今までの仲違いを忘れて和解しようと言うのです。警戒しつつも嬉しくなったコスドラスは久しぶりに館に戻りました。そしてその席で、貴族から届けられた報酬の話を初めて聞いたのです。自分を招いたのは金目当てか、とがっかりしつつ金貨を何枚か貰えれば後は皆の好きにしろとコスドラスは言いました。その金で領地を出て行こうと思ったのです。

父親から貴族を癒したのは本当か、と念を押されたコスドラスは素直に認めました。

いきなり、父親と2人の兄がコスドラスに襲い掛かり、押さえつけました。抵抗し暴れるコスドラスの心に突然彼らの考えがはっきりと流れ込んできました。それは真っ黒な奔流でした。

(首を切って殺して聖人の頭蓋骨を聖遺物にしよう体中の骨をばらばらにして聖人の聖遺物として高く売りさばこう)

コスドラスは絶叫しました。


夢中で大暴れをして何とか館から逃げ出しました。とりあえず、森の奥深くにある廃墟の中の隠れ部屋に潜み、領主たちの行動を嘆いた司祭がこっそり食料などを届けてくれました。しかしもう逃げ場が無いのはわかっていました。

絶望し生きる気力を失ったコスドラスは、死んでしまおうと酒を大量に飲みました。そして以前ドナトスに話した奇妙な夢を見たのです。


夢から目覚めてから、コスドラスは父親達に脅された司祭が自分を裏切った事を知りました。

コスドラスは捕らえられましたが、彼にはもう抵抗する気力も命乞いする感情も残っていませんでした。

館に連れ戻されて兄たちに押さえつけられた彼が最後に見たのは、自分に向かって剣を振り下ろそうとする父親の姿でした。


コスドラスは首を切断されて絶命しました。


ふと、コスドラスは、どこまでも草の波が続く草原に立っている事に気が付きました。

どこからかクスクス笑いが聞こえてきました。

「重すぎるわね」

「でも軽くなったら柵を越えられるわよ」

「でもまだ重すぎるわよ」

うるさいな、とコスドラスは目の前の柵を乗り越え、歩き始めました。

草原を歩いていたのに、いつの間にかコスドラスは海岸に立っていました。

海を見た事が無いのに、コスドラスはそこが海だとわかりました。

夕刻でした。空は鮮やかな紫色で、海は赤く輝いています。


岩の上に夢で出会った奇妙な老人が座っていました。

「ほお、もう来たか」

「またあんたか。俺は結局どこにも逃げられずに父親に殺されたよ。つまらん人生だった」

老人はじっとコスドラスを見つめました。

「お前は殺されたが死んでいない。生首だ。首と胴体が離れて首だけの天使になったぞ」

コスドラスは仰天しました。

「首だけの天使?何の事だ。確かに俺は癒しの「力」はあったが、死んだからもう終わりだ」

「お前は首だけの天使になった。これは面白い。天に上るか、地上で灰になるか好きな方を選べ」

「どういう意味だ」

「どちらかだ。人間を捨てて天使として天に上るか、このまま地上で生首の天使として生きて乾いて灰になって崩れ去るかだ」


コスドラスは理解しました。

天に上ると「完全な天使」になり、この世界がある限り存在できます。しかし、記憶も人間らしさも全て無くすのです。

地上で天使の「力」を持つ生首として生きていくこともできますが、胴体が無いのでさほど長くは生きられません。早晩乾いて弱り、灰になって崩れ去る事になるのです。

「どちらを選んでも面白いぞ。出来れば天に上れ。退屈しのぎになる」

「うるさい。わかった。俺は地上で生きて灰になる方を選ぶ」

「長くは生きられんぞ」

「構わん。つまらん人生だったが記憶が無くなり人間でなくなるなぞ御免だ。どうせ一度殺されたんだ、せいぜい生首として大暴れしてから灰になる」

老人は、しばらく首をかしげて考えました。

「今は面白くない。眠れ。お前の時を止めてやる。面白い時が来たらお前は目覚め、誰かがお前に気づくだろう」

「眠れだと?」

「目覚めたら、呼吸をして生きろ。旅に出て面白い場所を見つけろ。思いのつづく限り歌え。灰になりたければなれ。気が変わって天に上りたくなったら天を呼べばいい」

「天を呼ぶ?そんな事、どうやるんだ?」

「お前は知っている。お前は人間だが天使の「力」があり、天使だが人間の心を持っている。奇妙な存在、地上にいる首だけの天使、コスドラス」


コスドラスは生首として目覚めました。


コスドラスの首が目を開き、声を出したので周囲にいた父親や兄たちは驚き怯えて腰を抜かしたようになりました。

しかしコスドラスは彼らの様子など気づきませんでした。

恐ろしいものを彼は見たのです。

切り離された自分の胴体が幾つにも切断され、血塗れになっているのを。

コスドラスはとうとう怒りと絶望、悲しみを爆発させました。


そこから先の事は記憶がおぼろです。

切断された胴体がいきなり凄まじい炎に包まれました。

一片の骨も残らないように、コスドラスは自分で自分の胴体を業火で燃やし尽くしたのです。

その炎は周囲に燃え移り、館を飲み込み燃え上がりました。皆は悲鳴を上げて逃げ惑いました。

コスドラスは蒼白になって座り込んでいる司祭を脅して、自分を館から連れ出させました。また目覚めたばかりで生首として上手く動けなかったのです。司祭は、聖遺物としてコスドラスの頭蓋骨を入れる予定だった聖遺物箱にコスドラスを入れました。それは彼が祖母から引き継いだ木箱でした(豪華に見せようと父親たちの手で宝石が取り付けられていました)。司祭は聖遺物箱と共に馬に飛び乗り、燃える領主の館から逃げ出しました。そのまま街道を夜通し走り、朝になってとある修道院に逃げ込んだのでした。


コスドラスの長い過去の物語が終わった時、既に深夜に近くなっていました。

「いい年をして、昔話に泣くんじゃない」

「ほっといてください」

コスドラスは苦笑し、ドナトス修道士は顔を袖でごしごし拭きました。

「…それで、どうして修道院に持ち込まれたのに、あの教会の祭壇下に箱ごと埋められていたんですか?」

「それは覚えていない。生首になったばかりで混乱していたしな。修道院で箱から出されて、飛び回って暴れたような記憶はあるんだよ。多分箱ごと持ち出されてから、何かあって誰かが教会に隠したんだろう」

「ホノリウス5世が見つけたという、あなたの古い記録はその修道院で司祭が証言した物でしょうね」

「多分そうだろう。まあ、最後に見た時は修道士に縋りついて泣き喚いていたが何を喋ったのやら」

ドナトス修道士はじっとコスドラスを見つめました。

「私があの教会に立ち寄った時に目覚めたんですか?」

「いや少し前だ。ただ上手く言えないが眠っていたという感覚じゃなかったんだ。鮮やかで楽しい空想をずっとしている感じで…だから乾かなかったんだろうな。後で何十年も経っているとわかった時は正直驚いたよ。

はっきり目覚めて箱の中にいるのに気が付いて、しばらく…何日経ったのかはわからんが様子を伺っていたらお前の気配がした。だから呼んだ」

しばらく2人とも黙りこみました。灰色鳥もじっとコスドラスの顔を見ています。

ドナトス修道士は、ようやく声を絞り出し最も尋ねたくない事を尋ねました。

「…なぜ、今、昔の話を、私にしたんですか?」

コスドラスは静かに答えました。

「明日の朝、日が昇る時に俺は天に上ると決めたからだ」


ドナトス修道士は涙声になるのを必死にこらえました。

「コスドラス…どうしてそんないきなり…明日…だってあなたは…」

「もう時間が無いんだ。俺はじきに崩れて灰になる。その前に、まだ「力」が残っているうちに天に上る。

天に上れば人間だった時の記憶を全て無くす。何もかもだ。だからお前に覚えている事は全て話した。俺がどうしてこうなったのかを。父親に殺されたような嫌な記憶でも心の中から消されるのは辛い。だから俺との旅の思い出と一緒に忘れないでくれ。俺の最後の我儘な頼みだ」

ドナトス修道士は返事が出来ません。

「最初はな、若い修道士のお前はすぐに生首の俺など放り出すだろうと思っていた。だが一緒に旅をして俺にずっと付き合ってくれた。

乾いて「力」がどんどん消えて動けなくなっても、心配して必死に世話をしてくれた。俺を説得してフィアクルにも診せてくれた。実際、彼の治療や薬が効いて乾くのが一時的に止まって少し回復したのが奇蹟だよ。だからもう灰になって消えても満足だった。

だがあの教皇に見つかった…あいつは危険だ。

自分の目の前で俺が崩れて灰になったら、怒りと焦りで何をするかわからない。だから教皇の目の前で天に上る。そうすれば諦めるだろう」

コスドラスは少しだけ笑顔を浮かべました。

「奴が見たがっているものを見せてやるさ」


ドナトス修道士の目から涙がこぼれました。

「コスドラス…私は…結局…友であるあなたを守れなかった…あなたはひとりで…私は何も出来なかった…」

「いいや、お前は守ってくれた。俺が人間として、今この瞬間まで生きられたのはお前のおかげだ。そしてきっとここが、お前と来た教皇の国が辿り着くべき最後の場所だったんだよ」


ドナトス修道士は耐えられなくなり、コスドラスと灰色鳥を強く胸に抱きしめました。

「もう、そんな話は聞きたくありません。灰になるとか天に上るとか…そんな必要はありません。何とかここを逃げ出してまた旅に出ましょう。薬だって探します…教皇も知らない遠い国に行きましょう…灰色鳥も一緒に連れて、今度は船に乗って海を渡って…」

「ああ、そうだな…そうしたかったな」

コスドラスはすすり泣くドナトス修道士と灰色鳥の暖かさを感じながら目を閉じました。


やがて不思議な事が起こりました。

ドナトス修道士も灰色鳥も急に体の力が抜けたようになり、そのまま眠ってしまったのです。

コスドラスは静かに離れると、ドナトス修道士の寝顔を眺めてから呟きました。

「しばらく眠って夢を見ていてくれ」

それから、意識を集中して天使を呼びました。

すぐに居間の中央に、銀色に煌めく小さな姿の天使が現れました。

コスドラスは、無表情にこちらを見る天使に話しかけました。

「天に上る前に俺にはやる事がある。力を貸してくれ」


長椅子の上で眠っていたドナトス修道士は、誰かの腕で抱き起こされ、固く抱き締められたのを夢うつつで感じました。誰だろう?とぼんやり考えていると、耳元で初めて聞く低く気持ちの良い声が聞こえました。


「ありがとう、ドナトス」


ドナトス修道士の体の中に、暖かい金色の輝きが流れ込んできました。

更に深い眠りに落ちていきながら、彼は何だか泣きたくなってしまいました…。


広い広い草原の道をドナトス修道士は杖を持ち、少しの荷物を背負って歩いていました。

腕に抱えた生首のコスドラスは機嫌よく鼻歌を歌い笑っています。

横を歩く灰色鳥も元気に空を見上げながら歩いています。

また皆と旅に出たのです。もう何の不安も恐れもありません。

青い空の下、ドナトス修道士は嬉しくてたまらず笑い声をあげながら、どこまでもどこまでも歩き続けました。


ドナトス修道士は寝台の上で眠り、隣には灰色鳥が丸くなって眠っています。深夜の客室は暗く、どの部屋も静かで物音ひとつしません。


そして生首のコスドラスの姿はどこにもありませんでした。

(つづく)

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