【23日目 白】

「これは皮膚病に効果のある湿布薬を作れます。肉料理に使うと美味しくなるんですが、我々はなかなか味わう機会は無いですね」

フィアクル修道士は小さな白い花が咲いた薬草を片手に頬をぷるぷる震わせながら楽しそうに笑いました。

「本当に興味深いです。落ち着いたら本格的に薬草の事を学びたいですね」

ドナトス修道士はつられて笑顔になりながら熱心に言いました。


生首のコスドラスとドナトス修道士と灰色鳥、それに案内役のフィアクル修道士たちが王立修道院を馬車で出発してから既に何日も経っていました。

「教皇の国」を目指す旅は特に何事も無く順調に進み、フィアクル修道士の治療と薬のおかげもあってコスドラスも好きなぶどう酒を飲んで元気でした。

けれど、道中、ドナトス修道士が話すコスドラスの不思議な力にフィアクル修道士は興味津々で自分も見たがりましたが、さすがにもうその体力は残っていないとコスドラスは素っ気なく断りドナトス修道士は内心胸を痛めていました。

もしかしたら、自分の知らない時にコスドラスは何か無茶をしていたのかもしれないと考えてしまうのです…。


今、一行はフィアクル修道士の本来の目的地である、大きな治療院の敷地の一角にある小さな屋敷に滞在していました。


ここから「教皇の国」は馬車ですぐの距離です。

到着後、コスドラスを最後に念入りに治療してからフィアクル修道士とは別れてドナトス修道士とコスドラスは2人だけで出発する予定でした。


けれどフィアクル修道士宛てに教皇ホノリウス5世から直筆の伝言が待っていたのです。

『迎えの使者と馬車を差し向けるから全員その場から移動しないように』との内容でした。

治療院の院長からかしこまって手渡された伝言を読んだフィアクル修道士は思い切り渋い顔になりました。

「ここからなら馬車で1日ぐらいだというのに、わざわざ迎えとはね。何を仕切りたいのやら」

「教皇は私たちが逃亡すると心配しているのでしょうか?」

「それはないと思いますよ。私があなた達を連れてこの治療院に立ち寄るという連絡を読んで、念には念を入れたくなったんでしょう」

フィアクル修道士はしばらく考えました。

「ま、特に不都合でもないですし、彼はとにかく強引な性格ですからね。旅費が助かると思って大人しく迎えを待つことにしましょう」

ドナトス修道士もその通りだと思って同意しました。


そしてコスドラスを治療しつつホノリウス5世からの迎えを待って今日で7日目です。さすがにコスドラスがしびれを切らし始めました。

「まったく何を考えているんだ、あの野郎は」

ドナトス修道士はコスドラスの包帯を換えてやりながら苦笑しました。

「野郎呼ばわりは失礼ですよ。何か事情があるんでしょう」

「お偉い身分の教皇だ、手下を差し向けるぐらい簡単だろうに」

「ホノリウス5世はお忙しい立場ですから、個人的な事まで手が回らない時もあるでしょう…包帯を留めるのでちょっと黙っててください」

包帯を巻き終わると、コスドラスを布でくるみ腕に抱えて部屋を出て庭に散歩に出ました。

フィアクル修道士になるべく外に出て外気を呼吸するように言われているのです。

空に太陽は輝き気持ちの良い風が吹く昼下がり。どこからか花々の良い香りが漂ってきます。

ゆっくりと歩きながらドナトス修道士はこんな落ち着いた日々がずっと続けばいいのに…とつい考えてしまいます。

「やっぱり教皇の国に行って教皇に会うのは怖いか?」

コスドラスが心の中を見透かしたような事を尋ねます。

「…それは…やはり怖いですよ。ホノリウス5世は私たち聖職者の組織の頂点に立つ方ですし…以前に湖で会った時の威厳を思い出すと色々と想像してしまいます」

ドナトス修道士は立ち止まって空を見上げました。

「でも私は逃げないと決めましたからね。これから先何が起こるにしても、私は友であるあなたを私の手足で守って一緒にいると決めましたから」

「…勇気は千の盾である」

コスドラスがぽつりと呟きました。

「千の盾?」

「昔、俺の爺さんが良く言っていた古い格言だよ。生きていくのには何よりも勇気が大切だってな。その時はくだらないと思った…爺さんには勇気が無かったからな…俺にも同じように無かった」

「そんな事は…」

「だが今ならわかる。勇気は大切だよ。そしてお前には勇気がある。必ず何よりも強い盾になって石頭の修道士を守ってくれるだろう」

コスドラスが励ましてくれている…ドナトス修道士は胸がいっぱいになりました。

「あなたも勇気はありますよ、コスドラス。無いとは言わせません。これから何が起こるかはわかりませんが、きっと必要になります。どうかあなたの勇気を見つけてください」

コスドラスは小さく笑いました。

「見つけるか…そうだな俺にも最後の勇気はあるかもな」

ドナトス修道士はそれ以上何も言えなくなり、ただ大切に腕の中の友人を抱きしめました。


その夜。

居間の暖炉の前では灰色鳥とコスドラスがのんびりと炎で暖まり、フィアクル修道士とドナトス修道士は椅子に座って難しい薬の作り方に関して話し込んでいました。

「この薬を作るのには珍しい薬草が必要なんですよ…コスドラス、あなたの力で天使を呼んで私を山の上に連れて行ってくださいよ」

「あんたもしつこいな。天使は俺以外の人間の前には出てこないと何度も言っただろうが」

フィアクル修道士が残念がってぶつくさ言っていると、裏口に人の気配がしました。身軽に部屋を出ていったフィアクル修道士はすぐに戻ってきました。

「治療院の方で急に具合の悪くなった患者の診察に私にも立ち会ってほしいと頼まれました。ちょっと行ってきます。もう遅いですから先に寝てても構いませんよ」

「わかりました、お気をつけて」

フィアクル修道士がいなくなり静かになった居間でドナトス修道士は覚書を帳面に書きつけ、コスドラスは灰色鳥にもたれてうとうとしていました。


突然、コスドラスは妙な気配を感じました。遠くから何かが近づいてきます。灰色鳥も不安そうに首を持ち上げます。

「おいドナトス…!」

「はい?」

そう返事をした直後、ドナトス修道士は窓の外の足音に気が付きました。

足音はゆっくりと建物の横を進むと表玄関の前で立ち止まりました。

そのまま何の音も気配もしません。明らかに奇妙だとコスドラスと顔を見合わせた時、扉を叩く音がしました。

ドナトス修道士はとにかく表玄関に向かおうと立ち上がりました。

「用心しろよ。なんだか人間以外の者が立っているような感じがする」

「…わかりました」

ドナトス修道士は小声で祈りの言葉を呟きながら玄関の扉を開きました。


灯りを手にした人物が立っていました。


ドナトス修道士は身体が強張るのを感じました。


ゆったりとした灰色の外套に頭巾をかぶった背の高い男性、ぼんやりと浮かび上がる顔は以前湖で会った精悍な美男子…。

「ホノリウス5世…!?」

絶句して立ち尽くしているドナトス修道士にホノリウス5世が近づいてきました。

「こんばんはドナトス修道士。元気そうで何よりだ」

そのままホノリウス5世はドナトス修道士の脇を通り抜けると玄関を通り、居間へ入って行きました。ドナトス修道士は慌てて後を追います。


ホノリウス5世はまっすぐ暖炉の前に近づくと、包帯の巻かれた生首のコスドラスを見下ろしながら頭巾を外しました。

「前は猫だったから今度はロバの姿で現れるかと思っていたよ」

コスドラスが睨みつけますが、ホノリウス5世は気にもせず手に持っていた灯りをそばの棚の上に置くと、しゃがんでコスドラスに顔を近づけました。

「あの術は準備に時間がかかるし疲れも激しいのでな。さすがに私もそう若くはない。ほお、この大きな鳥も珍しいな」

生首をしげしげと眺めているホノリウス5世にドナトス修道士は思い切って声をかけました。

「あの、ホノリウス5世、一人でここまで?」

ホノリウス5世はゆっくりと立ち上がりました。

「早朝、迎えの馬車がここに到着する。少々事情があって待たせたが君たちには明日のうちに私の宮殿に入ってもらうからそのつもりで」

「それは…ではなぜ今夜ここに来られたのですか?」

「そんなに固くなるな。神の前では、私も君も同じただの聖職者だ」

ドナトス修道士はホノリウス5世が自分にはきちんと答える気が無いことを悟りました。しかしコスドラスだけは守らねば、と動こうとした時に奥の扉が開いて何やら独り言を言いながらフィアクル修道士が居間に入ってきました。

振り向いたホノリウス5世を見たフィアクル修道士はひどく呆れた表情を浮かべました。

「アントニウス…いやホノリウス5世」

教皇はかすかに微笑みました。

「アントニウスで構わん。久しぶりだな、フィアクル」

フィアクル修道士は肩をすくめて大きなため息をつきました。

「本当に全く変わっていないな、君は。悪巧みばかりやりたがる!」


しばらく後の深夜。

居間の暖炉前でフィアクル修道士とホノリウス5世は2人きりでお茶を飲んでいました。

「そうか、あの生首はそこまで病状が悪化しているのか」

「今は何とか落ち着いているがね。この先急に悪化する可能性が大きいな」

「彼がそうもすぐに灰になると大いに困る。やはり君も一緒に同行して私の国で彼の治療を続けてくれ」

「やれやれ、そうなると思ったよ」

「文句を言うな。礼ははずむぞ」

「もちろんだ。ゆっくり考えさせてもらうよ」

ホノリウス5世は静かにお茶を味わいます。

「あのドナトス修道士は実に真面目で健気だな。ああいう青年は貴重だよ」

フィアクル修道士は返事をせずにじっとホノリウス5世の顔を見つめています。

「…何だ?」

「アントニウス、左目の具合はどうなんだ?」

ホノリウス5世は黙って暖炉の炎を見つめています。

「あまり火を見つめるなと昔忠告しただろう。君が修道院を出ていってからも、教皇になってからもずっと心配していたんだ。今は左目だけでなく右目も見えづらくなっているんじゃないか?」

ホノリウス5世は目を閉じました。


「君には隠せなかったか。左目はもうほとんど見えないし、右目も少しずつ霞んで見えるようになってきている。本や書類などの文字はまだ読めるがね」


フィアクル修道士は唇をかみました。

「医者にはかかれない状況なんだな?」

「そうだ。私に病があるとわかった瞬間に、『白の宮殿』の中の有象無象が襲い掛かって私を教皇の地位から引きずり落そうとするだろう」

ホノリウス5世の右手の中指の黄金の指輪が輝きます。

「この指輪をはめている限り、私は私の命が尽きる瞬間まで完全無欠でなければいけないのだよフィアクル」

「君の目的は一体何だ、アントニウス。手に入れた聖遺物に、不思議な生首に、目の快癒の奇跡を祈るのか?」

ホノリウス5世は声を出さずに笑いました。

「まさか。目などどうでもいい。私の目的はもうすぐ教えてやるよ。だが生首のコスドラスはどうしても必要だしドナトス修道士の協力も必要だな」


その頃、別の小さな部屋で。

コスドラスも灰色鳥も静かに眠っているようでしたが、ドナトス修道士は寝台に横たわってはいても目を開けたまま眠れない時を過ごしていました。

教皇の得体の知れない不気味さに気圧される彼の心にコスドラスの言葉が響きます。


勇気は千の盾である…。

(つづく)

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