【21日目 飾り】
ドナトス修道士は、元気な足取りで診療小屋に向かって早朝の薬草園の小道を歩いていました。
この王立修道院に到着してから5日目の朝。思いがけず診療所で寝込んで治療を受けていましたが、昨日ようやく責任者であるフィアクル修道士から起き上がる事を許されたのでした。生首のコスドラスの治療の経過も順調と小声で教えてもらって安心はしていましたが、やはり直接会って話をしないと心配ですからね。
朝早いせいか、薬草園には誰もいません。しかし診療小屋の扉は開いています。ドナトス修道士が少し離れた場所から声をかけると、フィアクル修道士が姿を見せました。
「ああ、来ましたね。ちょうど良かった、彼も目を覚ましたところです」
フィアクル修道士に言われてドナトス修道士は急いで小屋の中に入りました。
生首のコスドラスは、部屋の隅の机の上に置かれていました。顔の周囲に包帯が巻かれていますが、顔色も良く肌や唇の荒れもずいぶんましになっているようです。
「久しぶりだな。お前さんも寝込んでいたそうだが、しかし随分とさっぱりしたな」
声もしっかりしています。ドナトス修道士はそばの椅子に座り、安堵して心の中で神に感謝しました。
「僧服があまりにもよれよれで見苦しいと、フィアクル修道士が新しいのを手配してくださったんですよ」
「確かにお前さんはそこそこ男前なのに身なりに無頓着だからなあ…そういえば灰色鳥はどうしている?」
「修道院に入る前に川岸の付近で待っているように言い聞かせておきましたから大丈夫だと思いますが、さすがに心配しているかもしれないので後で様子を見に行ってきますよ」
コスドラスが話す、治療と言われて有無を言わさず薬湯に無理やり突っ込まれた時の愚痴などを笑いながら聞いていると、フィアクル修道士が声をかけてきました。
「ドナトス修道士、病み上がりのところを申し訳ないがちょっとこちらを手伝ってもらえんかね?薪を運んでおきたいんだよ」
「はい、喜んで」
ドナトス修道士は、気軽に立ち上がるとコスドラスに断ってから小屋の外へ出ていきました。その背中をコスドラスはじっと眺めていました。
フィアクル修道士の後をついて表に出たドナトス修道士は、いつのまにか薬草園を出て川岸に続く道を歩いているのに気が付きました。
こんな所に薪の保管場所が?と不思議に思っていると、フィアクル修道士が立ち止まってこちらを向きました。小柄な彼の背後で川面が朝日に輝いています。
「話があります。実はコスドラスに、自分に代わってあなたに伝えてくれと頼まれたんですがね」
「…え?」
「単刀直入に言います。彼はもう長くはもちません。私の治療で一時的に良くはなっていますが、右耳と同じように全体が灰のように崩れてしまうまでさほど余裕はありません」
ドナトス修道士は顔から血の気が引くのを感じていました。口もきけず立ちすくむ彼を見つつフィアクル修道士は更に話します。
「そしてもう一つ、重要な事を申し伝えておきます。教皇のホノリウス5世があなたを探しています。生首のコスドラスと一緒にね」
しばらくして、診療小屋の扉が開く音でコスドラスが目を開けると難しい顔をしたフィアクル修道士がのっそりと入ってきました。
「嫌な役目を頼んで悪かったな。あいつは納得してくれたか?」
「かなり衝撃を受けたようで何も言いませんでした。しばらく一人で考えさせてくれと頼まれたので先に戻ってきましたよ」
「そうか…面倒になって俺のことなんざ放り出してくれればいいんだかな」
フィアクル修道士はコスドラスを柔らかい布で包みました。
「言ったでしょう、友情は最も尊ぶべきものです。さあしばらく日陰で外の空気を吸っていてください」
診療小屋の軒先のベンチに置かれたコスドラスが修道院の横に建てられた立派な教会の尖塔を眺めていると、静かな足音がしてドナトス修道士が姿を現し黙ってコスドラスの横に座りました。
コスドラスが横目で見ると、考え込んでいるようですが穏やかな表情です。
どう声をかけようか迷っていると、ドナトス修道士が口を開きました。
「ここできっちり治療してもらってから、なるべく早く教皇の元に向かいましょう。フィアクル修道士が途中まで同道が可能だそうですから、早く先に進める道程や馬車などの手配の方法を教えてもらえます」
「おいドナトス!お前さんが教皇のところに行く必要は無い。やつが手に入れたがっているのは生首の俺だ。どうせこのでっかい修道院からは連絡がいく。そうすれば手下が捕まえにくるから俺はそれを待てばいいんだ」
「教皇は私を名指しで探索しています。何をお考えかはわかりませんが逃げも隠れも出来ませんし、するつもりもありません。私はあなたを連れて教皇の前に出ます」
ドナトス修道士はまっすぐにコスドラスを見ました。
「私はまだ諦めていません。以前言ったように教皇の国には大勢の立派な学者がおられますし大きな図書館もあります。探せばあなたが灰になるのを止められる方法がきっとあります。教皇だってあなたに興味があるなら力を貸してくれるでしょう」
「…甘すぎるな。異端扱いされたらどうするつもりだ?あの強欲な教皇が関わっている以上、俺が庇えば庇うほど立場が悪くなるぞ」
「私は修道士です。聖職者はひどい扱いは受けません。最悪追放されるぐらいですよ」
コスドラスは溜息をつきました。
「なあドナトス、人間には寿命がある。誰でもいつかは必ず死ぬんだ。俺も寿命が尽きる日が近づいただけだし覚悟も出来ている。しかしお前さんは若くて将来もある。だからもうこれ以上俺のために無茶をするな」
「あなたの寿命は尽きてなどいません」
ドナトス修道士は両手を握りしめて強い口調で言いました。
「私はあなたがこんなにすぐに灰になるのを納得できません。あなたに覚悟があっても納得しません。希望があるうちは私は絶対に諦めません」
コスドラスはしばらく黙ってからぽつりと言いました。
「…わかったよ。しかしお前さんは本当に頑固者だな」
「修道士は頑固で石頭でないと務まりませんよ」
コスドラスは苦笑しました。
「じゃあ、石頭に一つ頼みがあるんだがな」
数日後、ドナトス修道士はコスドラスが入っていた聖遺物箱から取り外した何個かの宝石をコスドラスに示しました。
「修道院の工房に頼んで作業してもらいました。一番大きな宝石はこの修道院に奉納して今後の無事を祈ってもらいます。残りはフィアクル修道士の知り合いの商人に買い取ってもらって旅費にあてます。これでいいんですね?」
「ああ、頼む。箱に宝石をつけられてずっと面倒に思ってたが最後に役にたったな」
隣で飾りの無くなった箱を弄り回していたフィアクル修道士が身を乗り出してきました。
「この箱は私が貰い受けますね。薬瓶の保存用にぴったりだ」
「世話になったんだからそんな物で良ければ好きにしてくれ」
「いやこれは上質の木細工ですよ」
「それより宝石を高く買い取れと商人にちゃんと言っておいてくれ」
「はいはい」
ドナトス修道士が手のひらに乗せた、細い線を組み合わせた縦長の花のように見える金属製の飾りを見せて尋ねました。
「この飾りはあなたが持っていたいんでしょう?」
それはコスドラスが特に壊さないように取り外してくれと頼んだ物でした。
「いや、それはお前さんが持っていてくれ」
「私がですか?預かるではなく?」
「そうだ。そうだな…俺からの贈り物だと思って懐に入れておいてくれ」
ドナトス修道士は言葉に詰まりました。
一緒に教皇の国に行くことを了承したあと、理由は一切聞かずに自分がずっと入っていた聖遺物箱をただの箱にしてくれと頼まれたのです。
コスドラスはやはり自分が灰になるのを覚悟しているのだろうか…と思ってから、ドナトス修道士は頭を振りました。
彼がもっともっと長く生きられる方法を見つけてみせる。ドナトス修道士は決意を新たにし、飾りを大切に握りしめました。
(つづく)
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