【19日目 置き去り】
※話数は飛びますが、【15日目 猫】の直接の続きとなります。
岩山の洞穴のような隙間から、澄んだ水が音をたてて流れて小川になっています。
ドナトス修道士は手ぬぐいを小川の冷たい水で濡らしてから、生首のコスドラスの頭部を丁寧に拭いてやりました。コスドラスはしばらく前に急に具合が悪くなった事があってドナトス修道士はひどく心配しましたが、ようやくぶどう酒を飲んだり喋ったり元気になってきていました。しかし肌の荒れは徐々にひどくなっています。
「この泉は昔々、天使様が岩に杖を突き立てると湧き出てきたので病などに霊験があるそうですよ」
「ふうん」
「それにしても、あなたが王立修道院で診察してもらうのを納得してくれて助かりましたよ」
コスドラスの肌に塗り薬をすり込みながらドナトス修道士が話しかけます。
「あれだけしつこく頼まれれば納得しないわけにはいかんだろうさ。しかし本当に大丈夫なのか?」
「もう少し神に仕える修道士を信用してくださいよ」
「…だといいがな」
コスドラスは少し物言いたげでしたか、そのまま黙り込みました。
灰色鳥は、そんなやり取りをしている2人から少し離れて小川を覗き込んでいました。しかし透明な水中には小魚の影もありません。
先に行けば見つかるかもと灰色鳥はてくてくと、陽光の煌めく小川に沿って進みました。
いい気分で歩いていた灰色鳥は、やがて広い草原に出ましたが少し離れた場所に見える奇妙な大きな岩に興味をひかれました。
背の高い灰色の岩がたくさん並んでまるで塔が集まっているようです。
灰色鳥は小川から離れると岩に近づいてみました。周囲はきちんと手入れをされているのか美しい草地であちこちに花も咲いています。
さすがにこの高さではてっぺんに登れないな、と岩を見上げていた灰色鳥は岩と岩の隙間にうずくまっている人間に気が付きました。
普段ならば急いで隠れるところですが、灰色鳥はこの人間に生首と同じような雰囲気を感じました。
何より人間の背中には大きな羽根があったのです。
もしや人間の姿をした鳥かな、と灰色鳥は考えてそっと近づいてみました。
人間はどうやら男性で、頑丈そうな体に白いゆったりとした衣装を身に着け、裸足ですがなぜか両手でしっかりと槍を握りしめていました。
人間はぼんやりとした表情でうなだれていましたが、灰色鳥に気が付くと顔を上げました。
「おや私が見えるのか。妙な鳥だな」
灰色鳥は少しだけ羽根を広げて動かして見せました。
「そうか、お前は飛べないのか。私も飛べないんだ。
大昔は飛べたんだよ。あの空を飛んで天と地を自由に行き来していた。しかしある日天地で諍いがあった。光る者と暗い者が戦ったんだ。しかし私は戦いたくなかった。だからここに隠れた。
戦いはいつの間にか終わったけれども、私は飛べなくなってしまった。あの時一緒にいた他の皆は私を置き去りにして天に登っていった。私はひとりで置き去りにされた。飛べなくなったのは罰だというんだ。
それから私はずっとこの岩の隙間に隠れているんだ」
人間は一息でしゃべると、またうなだれました。
飛べなくて天に登れないのか、と灰色鳥は思いました。
旅の途中で大きな建物に何本もの木を組み合わせた縦長の道具(梯子というのだと修道士は教えてくれました)を立てかけて人間たちが身軽に登っている光景を見かけた事があります。ああいう梯子を使えばいいのに、と思いましたが天は遥か上の遠くにありますからちょっと無理なのかもしれません。
そのうちに馬や人間の集団が近づいてくる気配がしたので、灰色鳥はそっとその場を離れました。槍を握った羽根の生えた人間はうつむいたままでした。
きっとずっとあのままなのでしょう。
灰色鳥が小川をさかのぼって修道士と生首が居た場所に戻ると、2人がいません。でも少し離れた場所にいるのが気配でわかります。
そちらに歩き出すと、小走りでこちらに来る修道士が見えました。
「ああ、良かった。急に風が出てきたのでねこちらの木の陰に移動したのだよ。お前が見失わないか心配したよ」
大丈夫です、ちゃんとわかりますよと羽根を広げてから灰色鳥は修道士と並んで歩き出します。
この修道士は、絶対に自分を置き去りにしないだろうなと思いながら。
灰色鳥と一緒に木陰に敷いた布の上に横たわったコスドラスに近づいたドナトス修道士は思わず足を止めました。
目を閉じたコスドラスの顔色が見た事も無いほど真っ白になっているのです。
慌てて様子を見ようと首を持ち上げたその時。
右耳がさらさらと灰のようになって消えてしまいました…。
「コスドラス!」
ドナトス修道士の悲鳴が響いてもコスドラスは目を開けませんでした。
(つづく)
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