【18日目 椿】<番外編:3/3>
どこからか風が吹いてきます。
生首のコスドラスは、顔面にあたる風で目が覚めました。
寝台からうかがってみると窓は閉まっているようです。その時、部屋の中の様子が変わっているのに気が付きました。食事のあとそのままにしておいた食卓が消え(やっぱり、あの美味いぶどう酒を1本頂いておくんだったとコスドラスはちょっと悔やみました)、何本ものロウソクが輝く大きなテーブルが置かれています。
どうにも怪しい気配を感じたコスドラスがまだ眠っているドナトス修道士を起こそうとした時、ガリガリガリと異様な音が響き始めました。
音の方を見たコスドラスは、さすがにぎょっとしました。自画像に描かれていた男性が絵から消えています。そして額縁の縁を白い何本かの指が爪でガリガリと引っ掻いているのです。
コスドラスは急いでドナトス修道士を揺さぶって起こしました。驚いた修道士が起き上がって寝台から降りたのとほぼ同時に、額縁の中から大きな影のようなものがゆっくりと出てきて一瞬のたうったように動き、気が付くと一人の背の高い男がそこに立っていました。
ドクロと白い花を両手で抱え、豪奢な黒い服に細かく編まれた純白の飾り襟に黒い髭の神経質そうな肖像画の男性です。
「お前たちは実に実に興味深い存在だな」
男性は聞き慣れない喋り方でドナトス修道士とコスドラスに話しかけます。
「私も今までは色々珍しいものを見て集めてきたが。今まで白面の連中は私を崇めるばかりでつまらなかったが。喋って酒を飲む生首と人語を理解し動き回る鳥は初めて見た。そして彼らを連れて旅している聖職者。実に実に面白い」
男性はドクロと白い花を持ち上げました。
「この人骨は、遠い遠い国から船に乗ってやってきた素晴らしい人だ。そしてこの花は」
男性は白い花を修道士の目の前に掲げます。鮮やかな黄色の花弁を柔らかそうな何枚もの純白の花びらが囲んでいます。
「【椿】という遠い遠い国にしか生えていない最も美しく最も高貴な花だ。お前たちは知る事も出来ない珍しい珍しい花を、私は手元で愛でる事が出来るのだよ」
男性は笑みを浮かべました。
「たっぷりご馳走も食べさせてやった。この館の内では私は何でも何でも出来るのだよ。さてお前たちも集めた物になってもらおうか」
コスドラスがいきなり飛び上がって男性の胸に頭突きをかませました。
「黙って聞いていれば妙な事ばかり言いやがって、ご馳走の礼は言うがそれ以上はまっぴらごめんだ!」
男性は衝撃に弱いのか、よろけて座り込んでしまいます。その隙にコスドラスは扉の方に跳ねて部屋の外に出ながらドナトス修道士に向かって叫びました。
「鳥を連れて早くこの館から出ろ!」
「あなたはどうするんです!?」
慌てて杖と荷物を手にして修道士は叫び返しました。
「俺は首だけだからどうとでもなる!先に逃げろ!足手まといだ!」
コスドラスの言うことがもっともだと思ったドナトス修道士は灰色鳥を抱えて廊下に飛び出し、玄関へと走りました。もしかしてあの男性の不思議な力で塞がれているかも、と心配しましたがちゃんと玄関はあります。しかし扉を開けようとすると動きません。焦りつつも必死で祈りの言葉を唱えながら力を込めると、突然大きな音と共に扉が開き、ドナトス修道士と灰色鳥は外に勢いよく放り出されました。
生首のコスドラスは、彼にしては素早く移動し、廊下の壁際に鎮座している鎧の後ろに隠れて気配を伺いました。修道士はあれで足は速いので灰色鳥も一緒に大丈夫でしょう。さて自分もこのまま抜け出そう、と思った時、部屋からまた大きな影が出現し、ぬるぬる移動するとコスドラスのそばでさっきの男性の姿になりました。
「珍しいお前は絶対に絶対に逃がさんよ。この人と一緒に絵の中で並べてやろう。いつまでもいつまでも椿の花を眺めていれば良い」
こちらに向かって手を伸ばす男性の目つきを見た瞬間、コスドラスは思い切り飛び上がって兜を強引に落としてから鎧に取りつきました。まるで生首に胴体がくっついたようです。
「お前さん、今の時代の人間じゃないな?」
男性はかすかに眉をひそめ黙って鎧に乗った生首を見つめています。
「何をしでかして絵に閉じ込められたかは知りたくも無いがね、俺には行くところがあるんだよ」
「お。だけは。ここから。出さん出さん」
男性は目を閉じると、何やら知らない言葉でぶつぶつと呪文のような独り言を言いだしました。天井のロウソクの炎が揺れ、どこからか風が吹いてきます。
コスドラスは力を込めると剣を持った鎧姿のままがしゃりがしゃりと金属音を立てて小走りで動き始めました。さすがに鎧と剣は重く、移動は大変ですがこのままでは完全に閉じ込められてしまいます。コスドラスは力を振り絞って廊下を歩くと、扉の開いていた部屋に駆け込みました。
室内は広々としていて明るく、大きなテーブルに椅子が並んでいます。幾つもの燭台にロウソクが灯り、生き生きとした花も飾られています。
コスドラスは思い切り腕を振り上げると、剣で燭台を薙ぎ払いました。ロウソクが宙を飛んで壁に飾られていたタペストリーにぶつかり、燃え始めます。
コスドラスはさらにロウソクを足で蹴飛ばし、やがて部屋のあちこちで炎が出現しました。廊下に出ると、男性の姿がありません。しかし風はいよいよ強くなっています。急がねばなりません。
コスドラスは息を切らしながら元の部屋に戻りました。
暖炉には炎が燃えさかり、小テーブルにはロウソクと美しい花が盛られた花瓶があります。
でも自画像に何も描かれていない黒い空白になっていました。
コスドラスは同じようにロウソクを床に払落し、剣で椅子を叩き壊し、暖炉で燃えている薪もそのあたりや廊下に投げ出しました。炎はいよいよ部屋のあちこちで激しく燃え上がりだしました。
また絵の方からガリガリと音がしたのでコスドラスが振り返ると、男性が自画像に戻っていました。ドクロと白い椿を手にして、コスドラスを見つめています。
「やっぱり魔法は使えても、乱暴に扱われるとどうしようも無いんだな」
コスドラスは自画像の男性を見返しました。
「俺もお前さんと似たような、この世には有り得ない者なんで色々わかるんだよ。もういいだろう、元にいた所に還れ。あとは神様がどうにかしてくれるさ」
コスドラスは剣を振り上げると、自画像を額縁ごと叩き切りました。
その瞬間、床が猛烈に揺れ何かが崩れる激しい音が周囲に響き渡りました。
コスドラスは鎧から飛び降りると、本格的に燃え出した炎の中を全力で跳ねて移動し始めました。何としてでもこの館から脱出しなければなりません。
誰もいなくなった部屋。
剣で叩き切られた自画像の中に男性の姿は無く、中央にぽつんと椿だけが描かれています。やがてそれも炎に包まれて燃え出しました。
建物から少し離れて繁みの中に灰色鳥と一緒に隠れていたドナトス修道士は、突然の地響きと共に館の窓という窓から炎が噴き出して青ざめました。
繫みから飛び出すのと同時に、足元にコスドラスがごろりと転がり落ちてきました。髪があちこち焦げて一目で疲れ果てているのがわかります。
「大丈夫ですか!?」
「…もう動けん…あの鎧、血の呪いでもかかってたのか異様に重くてな…」
「とにかくここを離れましょう」
修道士は生首を抱え、灰色鳥にも声をかけて燃え上がる館を背に山道を下り始めました。
しかし山道は真っ暗です。館の炎の明かりは木々に遮られて頼りになりません。無理に進めば危険ですが、火災に驚いているらしい叫び声があちこちから聞こえてきます。恐らく白い面の集団でしょう。早く遠ざからなければ危険です。焦りつつドナトス修道士が道を見失って立ち尽くしていると、手に抱えていたコスドラスが光り出しました。彼が時々見せる、不思議な能力です。
「限界まで光を出すから…俺を掲げて進め…」
「わかりました、出来るだけ頑張ってください」
修道士は光り輝く生首を掲げ、灰色鳥にも離れないように声をかけ、慎重に細い道を進みます。
やがて麓に小さく人家の明かりが見えドナトス修道士が安堵した時、いきなり目の前に白い面の男が躍り出て叫びました。
「お館様はどうなった!?お前たちはお館様に何をしたのだ!」
するとコスドラスが怒鳴り返しました。
「そこをどけー!!あの絵の中の野郎は燃えていなくなったよ!」
「生首、お前が害したのか!」
「うるさい!どけどけ!俺は今最高に機嫌が悪い!」
コスドラスは目が痛くなりそうなほど輝きだしました。
白い面の男がうめき声を上げて目を覆ったすきに、ドナトス修道士は男の横を必死で走り抜け駆け下りました。
背後で男が何か叫んでいましたが、それもやがて徐々に遠ざかり聞こえなくなりました。
3日後の昼下がり。
村の小さな教会の庭の木の下に座り込んで、ドナトス修道士はコスドラスのやけどに薬を塗り込んでやっていました。館から脱出する時に完全に力を使い果たしたコスドラスはずっと聖遺物箱の中で眠り続け、さっきようやく目を覚ましたのです。
「あなたが眠っている間に事情を説明しましたが、神父様も村の誰もそういう館があるのを知りませんでしたよ」
「ふーん」
「結局、あの人と館は何だったんでしょうね」
「あいつはな…恐らく今より後の時代の人間だ。危険な魔術に手を出して失敗して、罰か何かで館ごと自画像の中に閉じ込められてあの山の中に放り出されたんだ」
「後の時代?」
「館の中は豪勢だが時間の流れが妙だった。止まっているような進んでいるような…理屈はもうわからんが」
ドナトス修道士も、もうこれ以上の追求はやめておこうと思いました。コスドラスには最後に辛い思いをさせてしまったのですし。
「私たちを助けるためとはいえ、あなたには剣を握らせて…彼を…」
「気にするな。火は浄化だ。あいつもやっと解放されて行くべき場所に行ったんだよ」
そうだといいな、とドナトス修道士は思いました。あの時彼が手にしていたドクロと白い花は…。
彼はことさら明るく言いました。
「そういえば、袋に入れておいたパンなんですけど全部消えていました。ちょっと残念でしたね」
「えー?じゃあぶどう酒も持ち出せなかったって事か。やっぱりあの時もう5杯ほど飲んでおいたら良かったなあ。本当に美味かったんだよ」
ぶつぶつ文句を言うコスドラスは、そのうちにいつの間にかそばに来ていた灰色鳥にもたれてまた眠ってしまいました。疲れが残っているのでしょう。
ドナトス修道士はのどかな青い空を見上げました。
不思議な自画像の館が無くなってしまったのですから、あの白い面の集団もどこかに去っていくでしょう。自分たちが迷い込んだ、長く放置されていた古い無人の教会は、話を聞いた神父がこの地域の司教様にお願いして手入れをする事になりました。いずれは新しい教会として甦るでしょう。だからもう心配は無いのです。
でもドナトス修道士はどうしても思い出してしまうのです。
あの男性が手にしていたドクロと白い花。
あれは彼にとって、本当に大切な物だったのでしょう。どんな目にあっても決して手放さなかったほどに。
いつか、また「椿」という不思議な美しい花に出会えることをドナトス修道士は願ったのでした。
(番外編3:おわり)
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