【17日目 額縁】<番外編:2/3>
ドナトス修道士はぼんやりと目を覚ましました。
目に映ったのは、高くて立派な天井です。鼻先には甘く爽やかな香りが漂い、身体は柔らかい物に包まれてとても良い気持ちです。
また眠りに落ちそうになって、突然はっと気がつきました。自分がいきなり殴られてそこから記憶が無いのを思い出したのです。でも今横たわっているのは明らかにあの教会とは違う場所です。
生首のコスドラスと灰色鳥はどうなったのだろう?そっと起き上がってみますが、幸い痛みなどはありません。触ってみると頭にコブが出来ているようですが放っておいても大丈夫でしょう(彼は元々石頭なのです)
広くて立派な寝台から立ち上がり、豪華な室内を見回します。暖炉には炎が燃えさかり、小テーブルにはロウソクと美しい花が盛られた花瓶があります。どうやらずいぶん長時間眠っていたようで、窓の外は夕方の気配です。
寝台の側に置かれた椅子(これも立派です)に、ドナトス修道士の衣装と荷物が置いてあり杖は壁に立て掛けられていました。
どうやら何も持ち去られていないのを確認して安堵します。
ふと。
急にどこからか強い視線を感じました。
注意しつつ見回すと、壁に飾られた大きな絵に気が付きました。
豪奢な黒い服に細かく編まれた純白の飾り襟、黒い髭の神経質そうな男性の肖像画です。
細い指でドクロと見慣れない白い花を持っているのですが、それがとても不気味に感じられます。
先ほど感じた視線はこの絵の人物のものだろうか?と考えながら近寄った修道士は金箔で塗られた額縁がまるで鋭い刃物でひっかいたように傷だらけなのに気がつきました。この額縁だけがひどく古ぼけているような…。
しかしここで絵を眺めてぼんやりしている訳にはいきません。
やはりコスドラスと灰色鳥が心配です。ドナトス修道士は素早く服装を整えると、静かに扉を開けて人気の無い廊下に出てみました。上部にロウソクの灯りが間隔をあけて並んで廊下の奥まで続いているので周囲は見えますが、ところどころに鎮座している銀色に鈍く光る騎士の鎧がいささか不気味です。
扉が並んでいますが、どれも閉ざされています。しかし幾つ部屋があるのでしょう。
昔、修道院長のお供で領主の館を訪問した時を思い出します。でもあの時の陰気な建物よりずっと大きくて立派な雰囲気です。
しばらく廊下を歩くと、扉が開いている部屋がありました。ドナトス修道士はとりあえずその部屋にそっと入ってみました。
室内は広々としていて明るく、大きなテーブルに椅子が並んでいます。幾つもの燭台にロウソクが灯り、生き生きとした花も飾られています。しかしやはり誰もいないのでこれからどうするべきか困ってしまいました。窓の外はいつのまにか暗くなっています。ここを出て行くべきか…しかし…。
その時、廊下からぺたぺたというひそやかな音が聞こえてきました。もしや、と急いで部屋を出ると灰色鳥に乗っかった生首のコスドラスがそこにいました。
「ああ良かった、無事だったんですね」
ドナトス修道士は心底ほっとしました。
「こっちこそ探したぞ。何やら訳のわからん乱暴な連中に捕まって、気が付いたら鳥と一緒に向こうの物置きみたいな部屋の床で寝てたよ。扉は開いてたし柔らかい布団は敷いてくれてたがな」
「私は井戸で殴られて気絶しましたが…他にも面をつけた人間がいたんですか?」
「教会と墓地に大勢いたな」
「この建物には誰かいましたか?」
「いや。鳥に乗って歩き回ってみたけど、無人だった」
お互いに更に詳しい話をして今後の事を考えようということになり、とりあえずドナトス修道士が目覚めた部屋に戻ることにしました。
元の部屋に一歩入ったドナトス修道士は驚きました。
先ほどまでは無かったはずの食卓と椅子が部屋の中央に置かれ、湯気のたつ温かそうな料理の容器やぶどう酒の瓶が並んでいます。
「これは一体…人の動く気配など全くしなかったのに!」
ドナトス修道士がうろたえている間に、コスドラスはさっさと飛び跳ねて食卓に飛び乗り、料理を検分します。
「ふーん、どれもこれも美味そうだな。お、えらく高そうなぶどう酒を置いてくれてるぞ」
「ちょっと!近寄らない方がいいですよ」
「でもなあ、何にしろ誰かにしろ悪意は無さそうだぞ?せっかく用意してくれたんだから、いただいてしまおうぜ。お前さんは空腹だろうが」
「…それはまあ。でも」
「教会から連れてこられてもう丸一日経ってるんだ。逃げ出すにしても腹ごしらえはしとかんとな。周囲は山だらけだし」
確かにドナトス修道士は空腹でした。昨夜だって少しパンを口にしただけですから。
恐る恐るテーブルに近づき、まず料理やぶどう酒に清めの祈りを捧げます。それでも料理が燃え上がったり黒く変化したりしないので一応安心しました。
灰色鳥にも分けてやろうと思ったら、食卓の下の銀の器に新鮮な小魚が盛られて置かれているのに気が付きました。こちらも念のため清めの祈りを捧げてから灰色鳥の足元に持っていってやると嬉しそうに食べ始めます。
本当にこの館の主は細かいことまで気を配って2人と1羽を歓待してくれているようです。
ドナトス修道士はコスドラスに銀の酒杯でぶどう酒をたっぷり飲ませてやってから、自分も恐る恐る料理を口にしました。温かな野菜と肉の煮込みは大変美味ですし、香辛料の効いたソースのかかった焼き魚は初めて食べる味でした。焼きたての香りがするパンは籠いっぱいに盛られています。
「この館の主は大変なお金持ちなんでしょうね」
美しい食器や銀の匙をしげしげと眺めながらドナトス修道士は呟きました。
「それは間違いないな」
ぶどう酒でご機嫌なコスドラスは、満足そうにうずくまっている灰色鳥を確認してから、ふと壁を見上げて大きな肖像画をじっと眺めました。
「この絵の男が連中の言ってたお館様なのかね?」
2人は昨夜の出来事を話し合いましたが、結局、まだ異端の教えを信奉している一派が集まっている教会に紛れ込んでしまったおかげで口封じに連れ出されたのだろうと結論づけました。
「俺は布に包まれたあと、すいぶん振り回されたりはしたけど乱暴はされなかったぞ。ここに運ばれる途中で眠ってしまったのは妙だが、薬を使われた気配もなかったしな」
「面をつけた男が言っていた、お館様には会わなかったのですか?」
「俺が眠っている間にお披露目したけど、特に気に入らなかったんじゃないか。美女の生首ならともかく」
コスドラスはけらけらと笑います。
教会では災難でしたが、あれから誰も姿も見せずどうやらこれ以上害する気はなさそうですし、明日夜が明けたらこの館を出てさっさと遠ざかるのが最善のようです。
食事が済んでから、ドナトス修道士は申し訳ないと思いつつ食べ残したパンを食料として何個か貰って袋に入れておきました。館から次の村までどれだけかかるかわかりませんから。でもコスドラスの「ついでにぶどう酒も1本貰っておいてくれよ」という要求は却下しました。
外には出ないようにしつつ建物内を歩き回ったコスドラスが見つけていた、廊下の一番奥にあるやはり立派な厠を使わせてもらいます。ただ調理場のような場所は見つからなかったそうで、ならばあの料理は誰がどこで作ったのだろう…とは考えないようにします。どうにも昨日から不思議な事ばかりなのですから。
明日の朝はどうやって顔を洗おうかと考えながらドナトス修道士が暖炉に薪を注意深く追加していると、外からかすかに人の声のようなものが聞こえました。急いで窓に近寄りましたが、真っ暗で何も見えません。動物の鳴き声だったのでしょうか。早く休もう、とドナトス修道士は就寝前の祈りを済ませるとすでに生首と灰色鳥が眠っている寝台にそっと横たわりました。胃袋は満たされ身体も暖まっていますがどうにも落ち着かず安心はできない気分なので、服は着たままにして靴と荷物はすぐ横に置いておきます。ロウソクは消しましたが、暖炉の炎で十分に明るい部屋の中を見つめているうちに、それでもドナトス修道士は眠ってしまいました。
深夜、小さな寝息だけが聞こえる静かな部屋。
壁の肖像画の男性の両眼がじっと寝台の上を見下ろしていました。
(番外編2:つづく)
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