【13日目 流行】
鐘の音が周囲に鳴り響き、教会の周辺は大変な人出です。
ドナトス修道士は少し離れた場所に立って生首のコスドラスがこの場にいなくて良かった、と安堵していました。
聖遺物が見つかったという湖を出発して、昨夜は親切な農家に泊めてもらいました。そして今朝早くにこの教会に聖遺物の参拝に行こうとしたのですが、コスドラスは「聖遺物には興味が無いし、流行に浮かされた連中だらけの人混みはごめんだ」とぶっきらぼうに言うとさっさと灰色鳥の背中に乗って森の中へ消えてしまったのです。
仕方がないので、自分だけでやって来ましたが礼拝堂には近づくのも大変そうです。ドナトス修道士は参拝は後にしようと決めて、教会から少し離れた場所にある修道院を目指しました。
今日はコスドラスを胸元から下げていないし他の荷物も農家に預けてきたので久しぶりに何も持たない身軽さですが、いささか落ち着かない感じもします。
辿り着いた修道院は敷地の広い、立派な建物です。門番に申し出て用件を伝え薬草園まで案内してもらえる事になりました。
途中、玄関前の広い場所に立派な馬車が何台も止まっているのをドナトス修道士が歩きながら見ていると、案内役の見習い修道士が「聖遺物を参拝に訪れた大勢の高貴な方達が宿泊されているのですよ」と教えてくれました。
湖で出会った不思議な男性も、もしかしたらこの修道院で休んだのかもしれません。
やがて薬草園に到着し、ドナトス修道士は案内役の見習い修道士に礼を言うと薬草の世話をしている責任者に近づき話しかけました。
しばらく後。
教会の礼拝堂の扉が開き、参拝者の行列が中にぞろぞろと入っていきます。
ドナトス修道士が考え事をしながら列の最後の方に並ぼうとすると、突然話しかけられました。
「ドナトス修道士様でいらっしゃいますか?」
驚いて顔を上げると、すぐ横に一目で豪華とわかる黒い衣装に身を包んだ美しい女性が立っていました。何連もの素晴らしい真珠の首飾りが彼女の富裕さを誇示しています。しかし貴族の女性としては珍しく、赤毛の髪は結い上げられず金色のリボンであっさりとまとめているだけです。でも好奇心に目を輝かせる華やかで生き生きとした雰囲気の彼女にはとても似合っていました。
「私はヨハンナと申します。いきなり話しかけて申し訳ありません。驚かせてしまいましたか?」
くすくす笑う魅力的な笑顔にみとれかけてからドナトス修道士は我にかえりました。
「いえ、失礼いたしました。確かに私はドナトスですが、その、なぜ私の名前がお分かりになったのですか?」
「先日、湖で頭巾をかぶった変人にお会いになったでしょう?彼から話を聞いたのですよ」
「ああ…あの方のお知り合いですか」
ドナトス修道士が内心この女性は彼の奥方だろうかと考えていると「私は彼の妻ではありませんよ。まあ同行者というところですね」と女性が考えを読んだようにあっさりと否定したのでどう反応したら良いものか困ってしまいました。しかし女性は気にした風もありません。
「あの人、本当に偉そうでしたでしょう?あなた様に名乗りもせずにね。世界中の誰もが自分にひれ伏して当然と本気で思っているに違いありませんわ」
ドナトス修道士は少し考えてから、軽く首を振りました。
「確かに変わった御方でしたが、決して不遜ではありませんでしたよ。富裕で高貴な方の義務である多くの大切な役目をしっかり果たされているのだと私は感じましたが」
女性の顔にちらりと驚いたような表情が浮かびましたが、すぐに消えました。
「そう言っていただけると、私も少しは気が休まります。彼は何というか…自分が他人にどう思われているか全く気にしないので敵が多いのですよ」
「敵が?」
「神のいる座も王侯貴族もままなりません…ああ、長くお引止めをして申し訳ありませんでした。これで失礼いたします。今後の旅のご無事をお祈りしています」
彼女は優雅に一礼すると去っていきました。
その後姿を見送っていたドナトス修道士は、結局あのヨハンナと名乗る女性からも湖で出会った不思議な男性の名前を教わらなかった事に気づきました。きっと名前や身分を隠す理由があるのだろう…敵が多いということだし…そう思い直すと礼拝堂に向かいました。
ヨハンナは修道院の横手の目立たない扉から、そっと建物内に滑り込みました。広い院内の奥の方へ進み、大きな扉の一つを何の断りも無しに開きます。そこは豪華な家具が幾つも置かれた広い客間でした。
窓際に置かれた椅子に、湖でドナトス修道士と出会った男性が座って外を眺めていました。
一面に銀糸で刺繍が施された輝くような白い衣装に右手の中指に煌めく黄金の指輪。これまでとは見違えるような威厳のある姿です。
ヨハンナはしなやかな足取りで近づくと傍に立ちました。
「教会で例の修道士に話しかけてみたわ」
男性は眉一つ動かさず視線は外に向けたままです。
「そうか。どう思った?」
「若くてとてもお人よしでかなり世間知らず。でも馬鹿じゃないわね」
「確かにな。首から袋を下げていたか?」
「いいえ」
「今日はどこかに置いてきたか。まあいい、そのうちに私の元に追いつくだろう」
ヨハンナは少しだけ意地悪そうな笑みを浮かべました。
「ドナトスにあなたの正体を教えようと思ったけど、やめておいたわ。驚く顔が見られたら愉快だったんだけど」
男性は少しだけ姿勢を崩すと小さく欠伸をしました。
「私の正体か…」
教皇ホノリウス5世はつまらなさそうな表情で目を閉じました。
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