【10日目 来る】
「修道院を出てしばらく歩くと川に出ます。実はそこにかかった橋を深夜に渡ると亡霊が出るそうなのです」
中年のがっしりした体つきの修道士はドナトス修道士に話しかけます。
「亡霊ですか。しかしそういう噂を口にするのは…」
ドナトス修道士は少し顔をしかめました。しかし相手の修道士は気にしない顔で話を続けます。
「その亡霊の正体は、森の向こうにある女子修道院の病で亡くなった若い修道女だそうです。生前何の行いがあったのかはわかりませんが、死後の魂が修道院に居られなくなり敷地から漂い出てさまよっているそうなんですよ」
修道士はさらに色々と怪しい噂話を喋り続け、真面目なドナトス修道士はうんざりしましたがこれも修行だと我慢しました。客分の身ですから失礼な態度は取れません。
その日、泊めてもらうために生首のコスドラスを隠した聖遺物箱と共にドナトス修道士が訪れた修道院では、少し前に亡くなった修道院長のための様々な儀式が行われていました。そして丁度深夜に重要な儀式が聖堂で行われるというので、ドナトス修道士は参列を希望したのです。宿泊者のための個室でコスドラスにはくれぐれも大人しくしているように言い聞かせてきましたので、今頃は寝台の下に隠し置いた聖遺物箱でのんびりと眠っているでしょう(灰色鳥はいつものように門のあたりで姿を消していました)
儀式が始まるまでドナトス修道士は控室の椅子に座り他の修道士たちと雑談をしていたのですが、その場ではもっぱら怪談めいた話が好まれているようでした。どんな怪談よりもあの生首の存在が不思議ではあるな、と考えていると儀式の始まりを知らせる鐘が鳴り、皆と連れ立って聖堂へ向かいました。
久しぶりの儀式に身が引き締まる思いで祈りの言葉を唱え、厳かな聖歌に耳を傾け、清々しい気分になっていた時です。
ドナトス修道士はいつのまにか自分の隣に年老いた修道士が座っているのに気が付きました。先ほどまでは誰もいなかったのですが…。
普通儀式に遅れる事は許されません。しかし瘦せて弱々しい老修道士の姿に特別に許可されて遅れて参加したのだろうとドナトス修道士はさほど気に留めませんでした。ただ顔色がひどく悪いのと手に祈りの本を持っていないのが少し気にかかりましたが。
やがて長い儀式が終わりに近づき皆が立ち上がった時です。いきなり老修道士が小声で話しかけてきました。
「…来る」
ドナトス修道士が驚いて彼の方を見ると、老修道士の姿はぼんやりと聖堂の暗がりに消えかけていました。
「彼らが来る。私は行く。しかし私の祈りの本が無い。そなたの本を貸してくれ」
暗がりから細い皺だらけの手が差し出されます。ドナトス修道士は一瞬迷いましたが、自分の本を渡してやりました。と、次の瞬間には老修道士の姿は溶けるように見えなくなりました。
儀式が終わり、聖堂から出ながらドナトス修道士はさっきの噂話好きの修道士に亡くなった修道院長の容姿を尋ねました。思ったとおり、先ほど聖堂で見た老修道士は修道院長の亡霊だったようです。
「なぜそんな事をお尋ねになるのですか?」
「いえ、儀式の最中にどんな方だったのか急に気になったものですから…」
ドナトス修道士はとっさに誤魔化しましたが、修道士はふむふむとうなずきました。
「そういえば、この修道院内で亡くなった修道院長達は全員敷地内の墓地に葬られますが、何年かに一度、墓地で修道院の今後を話し合う会議を開くんだそうですよ」
「会議を?」
「何十人もの修道院長の亡霊が自分の墓石に座って皆で話し合うんです、珍しい光景でしょうね。もしかしたら亡くなった修道院長もこれから会議に参加するかもしれませんね。生前はいささか…というか驚くほど自堕落な方ではありましたが」
修道士は楽しそうな表情でお喋りを締めくくってから、考え込んでいるドナトス修道士をその場に残してさっさと去っていきました。
翌朝、空が明るくなってからドナトス修道士は修道院の裏手にある墓地に行ってみました。広い場所ですが、葬られたばかりの修道院長の真新しい墓石はすぐに見つかり、その上にドナトス修道士が手渡した祈りの本がきちんと置かれていました。どうやら修道院長は無事に会議に参加できたようです。
ドナトス修道士は本を懐にしまい、墓石に祈りを捧げてからゆっくりと修道院の建物に戻って行きました。
この体験をコスドラスに話したら皮肉屋の彼は何と言うだろうかと考えながら。
(つづく)
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