第55話 夏は来る

 驚いたように目を剥いて、泉くんが清水さんを凝視する。

「僕――が?」

 清水さんが私を見る目は険しく、それなのに泉くんを見る目はとても切なそうだった。清水さんが言うには、私たちどちらのせいでもあるはずなのに。

 清水さんは片手で胸をギュッと押さえ、まるで自分の全部を絞り出すようにその思いを一気に吐き出した。

「一緒にラーメン食べていてもとか、ふたりで帰ってるのにとか、何をやっていても何の話をしていても二言目には小麦さん。小麦さん小麦さん小麦さん小麦さんっ!」

「僕はそんなこと……」

「言ってるのっ! 泉くんが一緒にいるのは誰よ、って話!」

「そうね、私がラーメン屋についていったときも彼は打木ちゃんの話ばっかり。この子のやり方に賛同はしないけど、あれを聞いてよく戦う気になったものね。早々に撤退させてもらったわ」

「ちょっ、佐伯さんまで何を……」

「だって本当のことだもーん」

 泉くんが振り返り、眉を八の字に歪めて私を見る。そんな顔されたって私だって困る。なんでこんなラオタの唐変木がモテるのよ?

「でも、だからって私に嫌がらせをするのは筋違いじゃない?」

「そのどこまでも自分は関係ありませんって顔っ! ホント、むかつく!」

 冷たい目。まるで私を見くだしているような目。

「ピオで見たから! たくさん並んでたくらい行かなかった飛龍のように、泉くんも早々に諦めたらどう? あんたには泉くんだってその程度でしょ? 何の努力もしないくせに、戦うことすら放棄してるくせに、私の方がずっと好きで、私だけがずっと必死で、それなのにひとりだけ泉くんに気にしてもらえて……」

 清水さんがギリリと唇を噛み締める。

 私が――いけなかった、の? ハッキリしなかったから?

 ……最初から泉くんのことが気になっていたのは事実だ。間違いない。でも、だからと言って好きとかそういう……ううん、違う。

 好きだ。私は泉くんが好きだ。

 泉くんのラーメン好きに対抗意識を燃やして、気づかないふりをしていただけだ。自分が泉くんに好かれるなんて思いもしなかったから、傷つかないように最初から気持ちに蓋をして予防線を張っていただけなんだ。

「私は食べたいラーメンはどんなことをしても食べる! 諦めたりなんてしない! 好きな人だって諦めない! その気のないあんたなんか、泉くんに近づいてほしくなかった。譲ってほしかった。それなのに、あんたはいつも無邪気に泉くんに関わってくる。本当にイヤ! 嫌い! 大嫌いっ!」 

 清水さんが泣き崩れる。公園前の街灯の下、顔を押さえうつむき、その手を伝って流れ落ちた涙がコンクリートに暗いシミを広げる。

 元彼が泉くんを陥れようと、清水さんにどんなことをやらせようとしていたのかはわからない。けれども清水さんは多分、元彼に言われたことはやらなかった。私だけを攻撃した。ラーメン屋へいけなくなるように。泉くんから遠ざかるように。

 清水さんは泉くんを好きになってしまったから。

 清水さん泉くんを好きになってしまったから。

 まるで子供のように泣いている清水さんを見ていると、ギュッと胸が締めつけられた。

 同情なんかしない。かわいそうだなんて思わない。彼女がやったことはそれだけのことだから。でも、誰かを本気で好きになるって必ずしも綺麗じゃないし、醜いし、みっともないし、こういうことなんじゃないかなって気もする。

 一歩間違えば、清水さんの側にいたのは私だったのかもしれない。

「それを理由に自分を正当化できるなんて思うなよ? 清水がやったことでどれだけがイヤな思いをしたか。嫌がらせどころの話じゃなかったかもしれないんだぞ?」

 泉くんの容赦ない言葉に、清水さんは小さく何度も何度も首を振り嗚咽を漏らす。まるで怯えた子犬のように小さく体を震わせながら。

「ごめ……みくん……泉、くん……ごめんなさ……」

「謝る相手は僕じゃなくてだ! 何もなかったからよかったものの、万が一に何かあったら……」

「泉くんっ!」

 泉くんが私を振り返る。

 ずっと事の顛末を見届けてきたサブさんと佐伯さんが、私を見据えて小さく頷く。

「もうをヤメてあげて。清水さんがこうなったのは私達にも責任の一端があると思うの。私が自分の気持ちをハッキリさせていれば……清水さん、ごめんなさい」

「謝らないでよ! 同情? それともバカにしてるの?」

 清水さんが涙でグチャグチャになった顔を上げて私を睨みつける。

「そうじゃないよ。を先に謝っておいただけだから」

 大きく息を吸う。サブさんを、佐伯さんを、清水さんを、そして最後に泉くんを見る。泉くんはキョトンとした顔で私を見返す。

 覚悟はできた。

 泉くんはやっぱりラオタで、女心なんてこれっぽっちもわからない唐変木で、でも私はそんな泉くんが……泉くんだから……

「泉くん、私と……」

「だーっ!」

 妙ちきりんな奇声を上げながら私たちの近くを全力で走り抜けた影が、少し先で急ブレーキをかけてUターンして戻ってくる。

 それは息を切らせたロンリーさんだった。

「すまん、サブ! 出遅れた! フラワーさんは大丈夫……か? あん? なんだ師範もいたのか。なら大丈……あっ」

 ロンリーさんが慌てて口を押さえ、真っ青な顔でサブさんと泉くんの間に視線を動かした。

 呆れたようにため息を吐いて、街灯に光る頭を押さえ夜空を仰ぐサブさん。

 泉くんはあからさまに私から逸らした視線をふわりふわりと漂わせる。

 ……今、ロンリーさん、師範って言った、よね?

 って間違いなく言ったよね?

 え? 師範って、営業中師範、さん?

 サブさんじゃなくて、佐伯さんでもなくて、もちろん清水さんでもなくて……師範さん?

 は? 泉くん、が?

「泉くん、私と……勝負よ! 絶対にてんやわん屋を一番にさせるんだから!」

 そして夏がやって来る。

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