第54話 か弱い乙女は恐ろしい

「え、何で、泉くん、が、ここ、に?」

 状況に頭がついてこない。今自分がどうなって、泉くんがどうなって、元彼が、清水さんが、佐伯さんが……

「だだだだ大丈夫、泉くんっ!」

 慌てて体を起こし、泉くんの頬に手を伸ばす。

 やっと思考が現実に追いついてきた。

 泉くんが私をかばって元彼に殴られたんだ。咄嗟に手で顔を庇ったのか、手の甲と頬が少し赤くなっているようにも見えた。

「酷いっ! こんなのもう傷害だから! 佐伯さん、警察に通報して……」

「僕は大丈夫ですけど、小麦さんの方こそ怪我は……」

「あ~ら、通報はちょ~っと待ってもらえるかしら?」

 元彼の肩にグルッと太い腕を回すサブさん。元彼が必死に振りほどこうとしているけれども、サブさんは強面でニコニコしたまままるでびくとしなかった。

「もー、サブさん、遅ーい!」

 え、何? 佐伯さんがサブさんに連絡していたの? じゃあ、泉くん、も?

 いつの間に……

「サッキー、遅れてごめんなさいね。フラワーちゃんも大丈夫だったかしら?」

「クソッ! 離せっ! 何だこのオネエゴリラは?」

 サブさんが暴れる元彼の首元に、鈍色に光るものをものを突きつける。それは……えっ、短銃? 何でそんなものをサブさんが?

「あら、こんなものしか使えないか弱い乙女に失礼なこと言うじゃない?」

「ひぃっ!」

 一瞬硬直したと思ったら、真っ青になった元彼が目を白黒させて膝から崩れ落ちる。サブさんが腕を緩めるとまるで腰が抜けたようにペタンと尻餅をついた。

 放心状態の元彼。もしかして、ちびって……

「あなた、私の友達を傷つけて、まさか生きて帰れるなんて思っていないわよねぇ?」

 サブさんが銃を夜空に向けたまま腰を曲げて、元彼の耳元でとっても優しい声で囁く。あくまで優しいのは声だけだけれども。

 視線も定まらないままガクガクと震える元彼の横で……

「バンッ!!」

 サブさんの大声に30㎝は跳び上がった元彼は、まるで這うように、転がるように、その場から一目散に逃げ出した。

 一度も振り返りもしないで、清水さんをひとり残して。本当に最低だ。

 こんな男と一瞬でも関わりを持ってしまった自分が情けないやら恥ずかしいやら。

「顔、覚えたわよー! 今度ラーメン屋に姿を見せたら覚悟しなさーい!」

 サブさん、怖いよ。暗闇に消えた元彼に、サブさんの声が聞こえていることを願う。もう二度と私の前に現れないでほしい。

「会長に動いてもらったから、東海地方のラーメン屋の敷居は二度と跨げないけどね」

 会長さんって本当に何者なんだろう? サブさんも大概だけれども。

 だってその手に持っているものが……

「うん? どうしたの、フラワーちゃん?」

「あ、いや、その銃って……」

「ああ、これ?」

 サブさんは黒いジャケットの内ポケットからタバコを取り出すとそれを一本咥えて引き金を引いた。

 シュボッと小さな音が鳴って短銃の先から青白い炎が吹き出す。

「もちろんただのライターよっ」

 バチンッとウインクして気持ちよさそうにタバコをくゆらせるサブさんを見て、ホッと胸を撫でおろした。本当に本物のマフィアなんじゃないかって思ったから。

 佐伯さんがサブさんの腕に飛びつく。まさに美女と野獣――美女とオネエだ。

「なーんだ、サブさん昔傭兵だったって言ってたから絶対本物だと思ったのにー!」

「あらやだ、こんなところに持ってくるわけないじゃない」

 持ってるの!? あ、いや、今のは聞かなかったことにしておこう、うん。

 元彼はサブさんが片付けてくれた。もうこれ以上、あの人が私たちに関わってくることはないだろう。命を賭ける覚悟でもない限り。

 あとは……清水さんを見る。

 彼女も真っ青な顔でカタカタと歯を鳴らしていた。でもそれは、元彼に置いて行かれたせいでもサブさんが怖いからでもなさそうだった。

 倒れた泉くんを心配そうに見つめ、唇を、体を小刻みに震わせている。

「い、ずみくんが来る、なんて……あ、の……大、丈……」

「清水は何であの男と一緒にいたんだ?」

 清水さんが小さく首を振りながら怯えるようにジリジリと後ずさる。

「前にわかばで私の元彼に会ったでしょ? あの時一緒にいた女の人が清水さんだったの」

 泉くんが驚いたように目を丸め清水さんを凝視した。でもすぐに目を細め、デニムのパンツをパンパンッと払いながら立ち上がった。

「なるほど、最初から何かを企んでいたってことか」

「ち、違っ……」

「スプリングの前垢がラーくんだったことも、ロンリーさんに教えてもらうまで気づかなかったよ。まあ、前垢での悪い評判がどうであれ、スプリング垢でラー活していた清水は本当にラーメンが好きな子なんだと思っていたのに」

 泉くんは小さなため息を吐いて、座り込んだままの私の手をグッと引いてくれた。

 思っていたよりも力強く引き上げられた私は、泉くんの胸にポスンと収まった。

 慌てて泉くんを引き離して彼に背中を向ける。ヤダ……顔が熱い。

 泉くんは、清水さんがスプリングさんだってことを知っていたのか……

 そう言えば、最初にラーメン屋で声をかけられたとかなんとか、佐伯さんが泉くんから聞いたって言っていたっけ。

 え、ちょっと待ってよ? 当たり前のようにさらっと話しているけれども、これって泉くんがピオッターをやっている前提じゃない?

 私のフォロワーのみんなと話したりしていたから、やってはいるんだろうとずっと思っていたけれども確証はなかった。や、十中八九やっている。でも、私は知らなかった。

 それなのに、清水さんは最初から泉くんのピオッター垢を知っていたってこと?

 それほど有名人なの? 一体誰なのよっ!

「それじゃあ清水、何でこんなことをやったのかキッチリ説明してもらおうか?」

「だって……」

 ゆらりと泳いだ清水さんの視線が私でピタリと止まる。さっきまで怯えていたとは思えない殺気の込められた目で私をきつく睨みつけてくる。

「全部、泉くんとこの女がいけないんじゃないっ!」

 清水さんの声は、情動で震えていた。

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