第53話 春到来

 肩までの、ゆるいウエーブのかかった明るい髪。胸元が大きく空いた白のブラウスにミニのプリーツスカート。黒いレースのロングカーディガンからのぞく生足が街灯に艶かしく映える。

「何だ、隠れて見ているんじゃなかったのか?」

「そのつもりだったけど、あんまりにもおめでたいこと言ってるから頭きちゃって」

 女の人が私を見る。酷く冷たい目で。

「ちょっ、打木ちゃん。これってどういうこと?」

「私だってわからな……っ!?」

 前にわかばの並びで見かけた女の人が頭を掠める。目のやり場に困るド派手な格好で、元彼の違法駐車で一緒に警察に呼ばれ、それ以降お店の並びに帰ってくることはなかった女の人。でも、その顔は見慣れた……

「え、清水さんが、春菜――さん? わかばで代表待ちしていた紫色のえっちなパンツの?」

「どこを覚えてるのよっ!」

「マジか、春菜!?」

「イタタタ、お子様が背伸びして勝負しちゃった感じ?」

「何を穿こうが私の勝手でしょ!」

 全然気づかなかった。服装がえっち――凄すぎて、顔を見ていなかったし、見ていたとしてもマジマジ見なければわからなかったかも。多分、今とはメイクが違ったと思う。

 そのあとは元彼が来たせいで、私はずっと俯いていたから。

 でもあの露出狂みたいな服を着ていた女の子が清水さんだったなんて。会社での彼女とはイメージがまるで違うとは言え、あのときだって間近で見ていたはずの泉くんが同期の顔に気づかないなんてこと……あるわ、彼なら。ラーメン以外に興味なさそうだし。少しくらい女の子にも――私にも興味持ってくれればいいのに。

 やっぱりあの日の夜は何もなかった気がしてきた。だって泉くんだもの。

「でも、その人に言われたからって、何で私にこんな嫌がらせを……」

 清水さんは呆れたようにフンッと鼻を鳴らした。

「怖くなってラーメン屋に行けなくなっちゃえばよかったのに。なかなかしぶといからこの人に出張ってもらったの。その方が平和ボケしたあんたにでもダメージを与えられると思って」

 清水さんは私がラーメン屋へ行っているのが気に入らなかったのか。だから、あんな噂を立ててラーメン屋から遠ざけようとした。

「声をかけてきた人達は、どうして私が行ってるラーメン屋がわかったの? ただの偶然? それとも、清水さんがあとをつけていた、とか?」

「だから平和ボケだって言うのよ。あんた、行った先々のお店の画像をピオッターに上げてるじゃない」

「あ……」

 そうか、私は自分で自分の情報をリアルタイムで流布していたのか。今日も、だ。

 ピオッターで性別は明かしていないけれども、女だってわかったらそれを目当てで来る人がいるかもしれない。いない、とは言い切れない。危機管理がガバガバだ。

 私の落ち度で佐伯さんにまでこんなにくだらないことにつき合わせてしまった。本当に申し訳ない。

「春菜、勘違いするなよ。目的は小麦ちゃんじゃなくてあいつだぞ?」

「わかってるわよ」

「お前はあいつの回りを滅茶苦茶にしてやればいいんだ」

「だからやってるでしょ。この女に……」

 元彼から視線を反らし、うんざりしたような顔で小さなため息を吐く。見る限り、ふたりの間の空気はよくない。特に清水さんが。前にふたり一緒に見かけたときのようないちゃラブ感はこれっぽっちもない。

「チッ、ったくいつになったらあいつの悔しそうな顔が拝められるんだよ。俺のプラン通り動いていればもっと早く……」

 偉そうな態度の元彼に呆れて開いた口が塞がらない。

 清水さんが嫌がらせをしていたのは私であって泉くんではないのだから。そもそも私に嫌がらせをしたところで泉くんは痛くもかゆくもない……何だか悲しくなってきちゃった。

 私のうしろにいる佐伯さんからも呆れたようなため息が聞こえてくる。

「それで、ミイラ取りがミイラになっちゃったわけね」

「あ? どういうことだ?」

「だって清水さん、泉くんのこと大好きじゃない」

「ちょっ、佐伯さんっ!」

「誰が見てもわかるヤキモチで打木ちゃんを敵視するくらい。聞けば、攻撃対象は泉くんじゃなくて打木ちゃんだけなんだし」

 ヤダ、佐伯さん、怖い。今それを言っちゃうの? 清水さんが泉くんを好きなのは私も気づいていたけれども、もうちょっとオブラートに包んてあげた方が……

 ほら、ほらほら、元彼の顔が真っ赤になって……

「適当なこと言ってんじゃねぇぞ! 違うよな、春菜?」

 清水さんは罰が悪そうな顔で元彼をチラリと見て、モジモジと体を左右に揺らす。

「そうやって小賢しいことばかり考えているから別の男に乗り換えられちゃったんじゃないの? 本当に乗っちゃってたりして……」

 フフッと笑う。

 佐伯さん、下品……

「それは冗談だけど、実際心を奪われちゃったら女は終わりよ~。いい勉強になったわね?」

「てめぇ!」

 元彼が佐伯さんに向かって拳を振り上げる。

 考える前に体が動いていた。佐伯さんを守るような格好で彼女を抱き締めギュッと目をつぶる。

 次の瞬間、私は佐伯さんを押し倒すような形で前のめりに吹っ飛ばされた。

 イタタタタ……と言うか、痛くない。いや、痛くはあるんだけれども、それはあくまで吹っ飛ばされた痛みであって、元彼に殴られた痛みではなかった。

 佐伯さんは……よかった大丈夫そう。咄嗟に手をつけてよかった。

 何かが私にぶつかってきた。大きくて、温かい何かが。

 恐るおそる振り返る。

 そこには私に寄りかかるような格好で倒れる泉くんがいた。

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