第51話 鶏白湯らぁ麺 特製盛り
その日は珍しく残業だったけれども、どうしても行かなきゃいけない理由があって仕事が終わってかららぁ麺わかばへ向かった。
スプリングさんのことはサブさんとロンリーさんが何とかするから心配いらないって言ってくれた。でも証拠がない以上、下手に大事にしない方がいいって。そんなことをしたら、おかしな噂をもっと広げられてしまうかもしれないから。
いくらラーメンが大好きでも、易々と自分の体を売ったりはしない。そんなのちょっと考えればわかりそうなものだけれども。男の人の思考回路ってどうなっているのかよくわからない。
そのこともあって、佐伯さんが心配して一緒に行くと言ってくれた。本当に、好き。嫁に来てほしい。
らぁ麺わかばは人気店で、到着した時間が遅かったのにやっぱり長蛇の列ができていた。その列の最後尾に私達は何とか滑り込めた。今日の営業は私たちを最後に終了。逆PPってやつだ。
ちょうどよかった。お客さんがいっぱいいるとどうしても大将とお話なんてできないから。
「お待たせいたしました。こちら鶏白湯らぁ麺の特製盛りです。器、熱いのでお気をつけください」
今日は、淡麗系が強いらぁ麺わかばの夜限定メニュー――鶏白湯らぁ麺を選んでみた。
鶏白湯は炊くのは楽だけれども
真っ白などんぶりにクリーム色したスープ。どんぶりに沿って穂先メンマが飾られて、真ん中にあるブロック状の鶏ムネチャーシューの上に芽ネギが添えられていた。
半分に割られた味玉は濃いオレンジ色を上に向けて並べられている。低温調理されたレアチャーシューは鮮やかなピンク色でとっても美味しそうだ。
もうビジュアルから仕事の丁寧さが計り知れる。
レンゲで掬ったスープは思っていた以上にとろみがあって、ひと口含むとまるで濃厚なクリームスープのようだった。
「んーっ!」
佐伯さんもスープを飲んで足をジタジタさせている。本当に美味しい。
粘度が高いせいもあって、中細ストレートの麺に絡むスープの量がとっても多く、麺を啜る度に鶏の優しい旨味が口いっぱいに広がった。
この完成度の高さは尋常じゃない。
ひとり、またひとりと、素晴らしいひとときを堪能したお客さんが、満足そうな顔で帰って行く達。
いつしかお店に残っているお客は私と佐伯さんだけになった。
「ふー、お腹いっばい! 美味しかったー!」
佐伯さんがどんぶりを抱えて最後の一滴までスープを飲み干し満面の笑みを浮かべた。
うん、本当に美味しかった。端麗スープ部門にエントリーされているからどうしても醤油や塩の方が得意なんだと思っていたけれども、白湯がここまで美味しいなんて思ってもみなかった。
ゴーグルで検索をかけると愛知のトップクラスに上がってくる名駅前の茶々の鶏ぱいたんらーめんよりも私はずっと美味しいと思った。
今日のお昼頃中間発表があった食べてみたいラーメンGP。
淡麗スープ部門の暫定TOPなのも伊達じゃない。
「大将、ごちそうさまでした。とっても美味しかったです」
「ありがとうございます」
私の言葉に若槻大将は頭に巻いたタオルを取って小さく頭を下げた。
よしっ、チャンスは今しかない。
「私、ピオッターで活動しているフラワーって言います」
「ああ、はい、最近のてんやわん屋の常連さんの……ウチにも何度か来てくださっていますよね?」
「え、大将はそんなことまで覚えていらっしゃるんですか?」
凄い。五年前はともかく、ラーメンを食べ歩くようになって三回しか来ていないし、大将と直接お話するのは初めてなのに。
「てんやわん屋の、
そう、なんだ。私はどこのお店でもそう言っているけれども……言われてみればそうかも。
「てんやわん屋のラーメンは相変わらず美味しいですか? 定休日が一緒なんで、僕はなかなか食べに行けないんですけど」
独立してからも元働いていたお店を、大将をリスペクトしている関係って本当に素敵だなって思う。
だからこそ、私は若槻大将にだけは言わなきゃいけない。
「ラーメンGP、中間発表一位おめでとうございます」
「ありがとうございます。みなさんの応援のおかげです。まだ途中経過ですけどね」
そう言って大将は照れくさそうに笑った。
「それで、その……」
言い淀む。佐伯さんが私の隣で小首を傾げる。そんな彼女に「ここだけの話でお願い」と耳打ちしてから、若槻大将を真っ直ぐ見据えた。
「こんなことをお願いするのは筋違いだと思いますけど、ラーメンGPを辞退していただけないでしょうか?」
「ちょっ、打木ちゃん、何言ってっ!」
大慌てしたように椅子に座った私の肩に手を置いて、佐伯さんが自分の方へ向けようとする。その動きに逆らって私が見つめる先で、若槻大将はこぼれ落ちそうなくらい目を丸くさせた。
「理由を――聞いていいですか?」
何を馬鹿なことをと一蹴されてもよかった。ふざけるなと怒鳴られてもよかった。
それだけのことを私は言った。
こんなこと、有方大将が言わないのに私が言っていいはずがないのはわかっている。けれども、若槻大将にだけはどうしても言いたかった。
それが正しいとか間違っているとかだってどうだってよかった。
私はてんやわん屋に行くようになってまだ一ヶ月ちょっとしか経っていない。
フォロワーのみんなのようにてんやわん屋のラーメンをたくさん食べていない。全然、食べられていない。ただの私のわがままだ。
「てんやわん屋が――有方大将が、わかばに勝てなかったらお店を閉めるって。私、私……」
私はただのラーメン屋のお客で、お店云々は自分のことではない。それなのに、涙が溢れてきた。私を押さえていた佐伯さんの手が、いつしか優しく私の肩を撫でてくれていた。
霞む視界の向こう側で、若槻大将が椅子に腰をおろした。
「どういうことなのか最初からちゃんと教えてくれますか?」
私はハンカチで涙をぬぐって大きく深呼吸した。そして、先日てんやわん屋で大将とした話を若槻大将に話した。思い出せる限り忠実に、有方大将の言葉を伝えたかった。
若槻大将はジッと目を閉じて、私の言葉に聞き耳を立てていた。時々小さく頷いたり何かを思い浮かべるように顔をあげたりしながら。
「ラーメンGPはお祭りみたいなものですよね? それなのにお店を閉めるとかそんなの……」
若槻大将は膝の腕に肘を置いて、組んだ指先を顔に近づけるとパッと目を開けた。
「お祭りみたいなものなのは投票してくれるみんなで、僕らにとってはお祭りでもなんでもないですよ」
あ……サッと血の気が引く。
それはそうだ。私、感情に任せてとんでもないことを……
「す、すいません」
「いや、気にしなくていいですよ、話はよくわかりましたから。有方さんはやり残したことがあるって言っていたんですね?」
「はい、でもそれだけで。それが何かとかは言っていませんでしたけど……」
「それはいいんです、僕にはわかりますから」
「じゃあ、それなら……」
よかった。失言をしてしまったけれども、若槻大将は私の話をちゃんと聞いてくれた。これでもう、てんやわん屋はなくなったり……
「申し訳ないですが辞退はしません。僕は僕のやり方でGPの頂点を目指します。だから、君は――君達は、頑張っててんやわん屋の応援をしてあげてください。信じてあげてください。有方さんもきっと喜びますから」
若槻大将は私を真っ直ぐ見返す。その眼差しはてんやわん屋の有方大将と同じ強さがあった。
「君みたいなお客さんが常連になってくれる有方さんは本当に幸せ者です。僕もいつかそんな店主になりたいです」
そう言って少し――ほんの少しだけ嬉しそうに笑った。
本日のラーメン――
鶏白湯らぁ麺 特製盛り……千二百五十円。
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