第48話 ラーメンGP開幕!

 どんぶりを両手で抱え、最後の一滴までスープの飲み干し大きく息を吐く。

「はぁ~、お腹いっぱい!」

 色んなことが起こりすぎてイーッてなったときは、とにかく美味しいラーメンを食べるに限る。

 まさかドロドロ系恋愛ドラマのような言い争いに巻き込まれるとは思ってもみなかった……あ、私が中心なのかな? 私は震えていただけだけれども。

 あの場で一緒にランチをしようなんて言い放った佐伯さんの肝っ玉ってどうなっているんだろう? あの面子でランチなんて、それがたとえラーメンであっても喉を通る気がしない。

 結局、絶対一緒についていくって言い張った清水さんを置いて泉くんはひとりラーメン屋へ、私は佐伯さんと一緒にランチ――と言う名のまたいつもの如く尋問。あの夜のことは本当に覚えていないんだよ、勘弁して。

 そんなこんなですり減った心も、空腹が満たされれば元気に元通り。とまではいかないけれども、だいぶ気分は楽になった。我ながら現金なものだ。

 空いたどんぶりをカウンターの上にあげて、椅子の下に置いてある籐製の荷物入れからバッグを肩にかける。

「ごちそうさまでした!」

 奥で忙しくラーメンを作っている大将に頭をさげてお店をあとにする。

 初訪麺のお店だけれども、魚介系出汁が効いたなかなか美味しい一杯だった。

 今日は愛知でもトップクラスのラーメン屋――らぁめん飛龍ひりゅうへ行ってみたけれども、開店十五分前に着いたにも関わらず、雨なのに並びがざっと四十人くらいいて、ピオッター用に店の看板だけ撮影して早々に撤退。

 その後、スマホで近くのラーメン屋を調べてその足で入ったラーメン屋だったけれども、いいお店を見つけたって感じ。こういう新しいお店との出会いは新規開拓の醍醐味だ。

 何軒も新しいラーメン屋に行っているのに、これから行きたいラーメン屋は増える一方で減っていかない辛み。

 さて、どうしようかな? 折角だし、もう一杯入る余裕はあるかな?

「あの……フラワーさんですか?」

「はい?」

 小雨の降る中傘を差し、お店から歩いてひとつ目の信号の下で誰かに呼び止められて振り返る。

 するとそこには、暗がりの中街灯に照らされた大きな黒い傘を差し、少しぽちゃっとした体型で猫背の三十代くらいの男の人が立っていた。

 明らかにサイズが合っていないダボッとした暗色のパーカーに、足首の見える微妙な丈のパンツ。たすき掛けにした黒いバッグを大切そうに抱えている。

 私の垢名で声をかけてきたってことはこの人もピオッターをやっているに違いない。だれだろう? 私のフォロワーさんかな?

 けれども、どうして私がフラワーだってわかったんだろう?

「えっと……」

「ラーメンを食べにいきませんか?」

「は?」

 え、何いきなり?

 傘の影になって暗い顔の真ん中で怪しく光る目をギョロリと動かして、男の人は私の体を舐めるように見てくる。フシューフシューと鼻息が荒い。失礼だけれども、ちょっと気持ち悪い。

「貴方とラーメンを食べに行く理由なんて私にはない……」

「奢りますから」

「いえ、そうじゃなくて!」

「何でもご馳走しますから僕と一緒に……」

 怪しい男の人がわけのわからないことを言い終える前に、私は逃げ出していた。決して振り返らず、全力で。雨で濡れてしまうのも厭わず。

 とにかく無我夢中で右へ左へ路地を抜け、駅前の交番の前までノンストップで走り抜けた。

 怖かった。今日はスニーカーでよかった。パンプスなんて履いていたら簡単に追いつかれ、逃げたことに逆上されて何をされたかわかったものじゃない。

 何だったんだろう、あの人は? 私を呼び止めたのに自分から名乗りもしなかった。

 辺りを見回すと、駅前を彩るたくさんの傘の花。時間は八時、人の出入りは多い。まだ全然遅い時間じゃない。でも……

 今日はもう帰ろう。

 もう一軒くらいラーメン屋に行こうと思っていたけれども、そんな気はなくなってしまった。とにかく早く家に帰りたかった。

 家に帰るまで、何だかずっと胸がドキドキしていた。頭の中もグルグルしていた。

 今になって思うと、あれは夢だったんじゃないかって思えてくるくらい非現実的な出来事だった。怖かったけれども、今ひとつ実感が湧いてこなかった。

 いいや、楽しいことを考えて忘れてしまおう。

 家に着いて一息つくと、部屋着に着替え、帰ってすぐに淹れたドリップコーヒーをこたつテーブルに置いた。

 こたつ布団はさすがにこの間片付けた。梅雨が明けたらいよいよ夏がやってくる。

 今日は一大決心をして泉くんに色々と聞こうと思ったのに、結局何ひとつ聞けなかった。聞ける雰囲気ではなかった。まるでドラマのようなあの修羅場で聞ける胆力があるのならとうの昔に聞けている。

「何やってるんだろう、私……」

 泉くんが清水さんにつきまとわれていると言うのが本当だったとして、それでも彼女は泉くんの隣に居続けようと頑張っている。それなのに私は宙ぶらりんだ。自分の気持ちがよくわからない。

 ただ、ラーメンをしく美味しく食べたいだけなのに。なんて、そんなの闘いを放棄した臆病者の台詞だ。自分が情けない。

 パソコンを立ち上げてピオッターを見る。

 私のフォロワーさん達はみんな、今日から始まったラーメンGPのピオで浮き足立っていた。

 全国規模で開催される年に一度のラーメンのお祭りらしい。

 ラーメンGPの投票は、一日一回ゴーグルの特設ページで行われる。

 各部門にエントリーされたラーメン屋の、これを食べてみたいというラーメンに投票する仕組みだ。

 あとはピオッターのリピート――リピも連携している。

 ピオッターのラーメンGP公式アカウントをフォローして、毎日更新される各ラーメン屋のピオをリピすればいい。

 得点配分は特設ページが二点――しかも、各部門全部に投票しないといけない。

 ピオッターのリピの点数は変動――一件のリピだと四点でリピが増えるごとに点数が減っていく仕組みだ。だから最推しのラーメン屋だけをリピートした方が点数が高くなる。

 私がてんやわん屋に投票したとして、一日の最大ポイントは六点あることになる。

 それが一ヶ月。七月末には各部門の優勝者とGPが決定する。楽しみ。

 私の初投票は、と……六点全部てんやわん屋の炭火オイルの黒豚背脂スタミナ油そばに決定! この間、朝ラーで食べたとっても美味しかった油そばだ。

 他のラーメン屋のメニューを見ても、炭火オイルを使っているものはなかった。あの炭火オイルの食欲をそそる香ばしい美味しさを全国のみんなに体験してほしい。

 私がラーメン好きになったらぁ麺わかばの一杯――淡麗醤油煮干らぁ麺も捨てがたい。いや、本当ならこっちも全力で推したい。だから淡麗スープ部門はらぁ麺わかばに投票した。ごめんなさい、せめてもの気持ちでしかないけれども。

 濃厚スープ部門に関してはよくわからなかったから、地元愛知の海老麺屋あかねの濃厚海老味噌ラーメンに入れた。

 みんなはどこに投票しているんだろう? 特設ページの投票はわからないけれども、ピオッターのリピは誰でも見られるから……

 あ、おばけ会長さんはてんやわん屋一択だった。サブさんもやロンリーさんも。

 私がピオッターでラーメン専用アカウントを作って以来、ずっと仲よくしてくれていたフォロワーさん達は、たとえ一択ではなくてもてんやわん屋推しが多かった。

 嬉しい。みんなてんやわん屋が大好きなんだ。

 それなのに……

「嘘……」

 自分の目を疑った。

 何度も何度も瞬きして、目を擦って、二度三度とパソコンのディスプレイを見直した。

 他の誰もが全国津々浦々の色々なラーメン屋のメニューを推そうとも、彼だけは何があっても絶対にてんやわん屋を推すと思っていた。

 でも、営業中師範さんはらぁ麺わかばだけをリピートしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る